神の言葉の方を曲げて解説する間違った聖書解説を一掃する | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

 コロサイ2:16 だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。

コロサイ2:17 これらは、きたるべきものの影であって、

その本体はキリストにある。

 

誰にも批評されるな!とは、モアデイムは、大宴会マックスの喜び

楽しみ、祝う時なのです。それを、禁欲主義、断食しろ!と教える

偽教師が批判していたのです。完全に書いてある意味を取り違えが

解説をしているのです。

神の古い記念日を祝うことをしないことを、批判されるなかれ?

神に批判されます!神のシャバット祭りを汚している!と。

 

神の教えが廃れたという人間ローマの教えを信じる人には、神の言葉は、書いてあっても通じていません!今は廃れた教えだからね!と。

 

エゼキエル22:8 あなたはわたしの聖なるものを卑しめ、わたしの安息日を汚した。

22:26 その祭司たちはわがトラーを犯し聖なる物を汚した。
彼らは聖なる物と汚れた物とを区別せず、くない物と清い物との
違いを教えず、わが安息日を無視し、こうしてわたしは彼らの間に汚されている。

 

影とは、クリスチャンの間では、劣る物という解説をしていますが

聖書に書いてある、影とは、本体そのものなのです。

違いは、人間の肉眼で見えるか、見えないか、それだけです。

見えなくても、神は存在しているでしょう?!

本体=目に見えない物が影です。

目に見えない本体を、そっくりそのまま、映し出すのが「影」です。

そうすると、パウロが何を言っているのか、理解してください。

 

神が創造されたモアデイムの全ては、実際に人が生きて祝い、

イエシュアを知り、体験する本体、実態を表すそのもの=影であると書いてあるのです。

レビ記23には、神の創造された時、モアデイムの暦、カレンダーが

記されています。

ローマ帝国はこれを全部、勅令で人に捨てさせました。

神が捨てたのではない、人間が冒涜を働いて、最も重い、罪、

汚れた行為をやってしまったから、クリスチャンは神の本物の呼出日を知らないのです。

イエシュアを信じながら、聖霊が内側に住まいながら、聖書を目の前に読みながら、神が教えていることを、その通りには知らない。

聖書を読みながら、気がつけない!いや気がついた人は、世界に大勢出現し続けているのです。軌道修正が起きているからです。

分からない人が、知らないだけで。

 

神のモアデイムは喜び楽しみ、神がどんなに良いお方か体験する日!

と神が教えているでしょう。

皆で喜び、楽しんで!という神の仰せ=ミツヴァ、すごい良いお方であるでしょう。

それを、呪いの律法などと思わされているのは、蛇の嘘に聞き入って

神が言われたことを、聞いていないからです。

 

パウロが、続きで説明しています。

2:18 あなたがたは、わざとらしい謙そんと天使礼拝とにおぼれている人々から、いろいろと悪評されてはならない。彼らは幻を見たことを重んじ、肉の思いによっていたずらに誇るだけで、

 

禁欲主義、人間の思想、哲学、神の教えと関係ないことを、

人にやらせる、いわゆる宗教の教えと全く同じです!神の言われた事ではないことを、神の教えのごとく人にやらせている!

そんな教えに聞き入るな!という警告をパウロがしているのです。

偽物教え、巷に溢れています。元が、神の教えは終了、破棄、

異邦人には関係ない教え、無用、無効、人間の判断で神の言葉を

仕分けて捨てて良い!そんな教えが、ここでパウロが警告している

偽の教え、肉の思い、伝統の教え、人間が編み出した教えへの

警告なのです。自分には関係ない?と思っても、最初から西洋宗教は偽物の教えを盛り込んだ、人間が作った宗教であること、

自分で調べれば、はっきり分かって来ます。

 

コロサイ 2:19 キリストなるかしらに、しっかりと着くことをしない。このかしらから出て、からだ全体は、節と節、筋と筋とによって強められ結び合わされ、神に育てられて成長していくのである。

2:20 もしあなたがたが、キリストと共に死んで世のもろもろの霊力から離れたのなら、なぜ、なおこの世に生きているもののように、

2:21 「さわるな、味わうな、触れるな」などという規定に縛られているのか。

2:22 これらは皆、使えば尽きてしまうもの、人間の規定や教によっているものである。

 2:23 これらのことは、ひとりよがりの礼拝とわざとらしい謙そんと、からだの苦行とをともなうので、知恵のあるしわざらしく見えるが、実は、ほしいままな肉欲を防ぐのに、なんの役にも立つものではない。

 

パウロがコロサイ2章で教え、警告しているのは、神の古い教えや

祭りを祝わなくて良いなどという大嘘、まやかしではなく、

人間の編み出した思想=人の規定や教えは、消える物、

苦行、わざとらしい独りよがりの意味ない礼拝、

それが、宗教=人の編み出した宗教の教えの実態なのです。

神が言われたないことを、人間の教えに熱心にさせられる。

代わりに、神の教えを捨てている!

おかしい!と、パウロの警告を読んで、気がつかないとならないのです。

次の箇所も、完全に勘違いした聖書解説が施されている箇所です。

コロサイと同じく、どこもかしこも、偽物の教えが侵入していたのです。今はもっと酷いです。

なぜなら、4世紀以降は、完全に神の教えを真っ向から否定して捨てた、人造宗教の教えが土台となり、キリストにより許されて永遠の

命をもらったという以外、神の教えとは逸れた別の教えが浸透したからです。

人間が作った宗教の教えは、思想の土台が神の教えから外れているので、どんな方向にも逸脱しますし、しています。

 

1テモテ4:1 しかし、御霊は明らかに告げて言う。後の時になると、ある人々は、惑わす霊と悪霊の教とに気をとられて、信仰から離れ

去るであろう。

4:2 それは、良心に焼き印をおされている偽り者の偽善のしわざである。

4:3 これらの偽り者どもは、結婚を禁じたり、食物を断つことを命じたりする。しかし食物は、信仰があり真理を認める者が、感謝して

受けるようにと、神の造られたものである。

4:4 神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。

4:5 それらは、神の言と祈とによって、きよめられるからである。

 

この3−5節もクリスチャンが多大の誤解している箇所です。

 

クリスチャンは、神の教え=契約に根付いた生き方を教えられいませんし、していません。なぜなら、神の教えは廃れた!という思想を

土台していることでも、気が付きませんか?

イエシュアが、教えられた教えではない、イエシュアが祝われた

記念日、モアデイムではない、ローマ帝国製造の人間の教えが土台

神の教えが廃れた!ということにされた思想を信仰の土台としていることに気がついてください。

結婚を禁じる。これはカトリックがカトリック司祭に対して作った

教え、規定と同じです。

これを、パウロは悪霊の教えと言っているのです。悪霊は、神の創造と反対をするからです。神の創造、性質を歪めた生き方を浸透させる。それが、悪魔の仕業、人を破壊することが、目的だからです。

司祭が独身ではなくてはならないと、決めたのは人間、教皇です。

 

エルビラ公会議(紀元305年頃): 聖職者に対し、妻との性交を控えるよう求めた最初の地域的法令の一つです。

 

教皇グレゴリウス7世(紀元1074–1075年)

グレゴリオ改革の一環として、既婚者や側室を持つ司祭を解任する

法令を発布しました。

この主な目的は、カトリックの財産が、司教の家族に流れるのを

阻止することが目的です。

このように、聖書ではない、人間の勅令を宗教が作り続けて今に至るのです。

第1・第2ラテラン公会議(紀元1123年&1139年): これらの公会議により、ラテン教会全域で聖職者の結婚が正式に禁止されました。

これにより、そのような結婚は違法であるだけでなく「無効」であると宣言されました。

 

3節に、食物を断つことを命じたりする。

とあります。これが、コロサイ2にあった、神のモアデイム、

シャバット、新月、祭りで、断食せよ!と主張していた、偽教師と

同じ内容なのです。

 

しかし食物は、信仰があり真理を認める者が、感謝して

受けるようにと、神の造られたものである。

 

ユダヤ人は、神の教え、契約に根付く生き方を知っている人です。

諸外国に居たユダヤ人の群れの中に少数の異邦人が居ただけであり

彼らは、トラーに記された教えを理解しています。

神が人が食せる動物を創造し、それが何かを、レビ記11章で

教えています。

そして、同時に人が食するにふさわしくない清掃動物も記されており

それらはきよくない動物です。

それを、人は食べてはならない!と教えられていますが、クリスチャンは、神の教えが廃れて、今はなんでも食べられますと、神に成り

変わり、神の言葉を塗り替えている冒涜、敵対行為をしているのに

その罪に全く無感覚、気がついていないのです。

聖別を汚す行為を、神の禁じたことをし、神のモアデイムを汚すことで汚しているのです。

それは、神が神の教えを十字架で破棄したという嘘を信じているからです。

分かりますか?嘘が嘘、そのまた嘘で、嘘は永遠に嘘なのです。

神の言葉を捨てるとは、イコール、神が定義した罪の基準を

クリスチャンは捨てているのです。

神を知らない人でも、道徳的な教えは誰でも分かります。

神を知らない人でも、腹に書かれたトラーがある人、常識がある人

人に対して思いやりがある人は、人との関係を健全に保ち、

宗教リーダーがやるような侵害行為さえしません!

普通の人でも、神の性質に近く生きている人もいるのです。

でも、神の家の中に住まう、ロイヤルファミリーは、神が創造された

人=イエシュアの性質通りを生きるという、違う次元、境界線がある

聖別された生き方を教えているのです。

それは、実際に生きたら、神が何を教えているのか生きる上で理解

できます。

第一は、神の言葉をその通りに受け取り生きる!これを、クリスチャンは、神の教えを破るように教えられている、そのこと自体がずれているのです。

エデンの園の問題に戻ってしまうのです。

神を神とも認めない行為は、小さいなことから始まります。

神は本当にそう言ったの?そういう意味では言ってないはずだ!

として、勝手な教えを編み出し今や4万5千という教え、宗派に分かれた分裂状態なのです。

神の宮、神の家には、ネズミや豚を平気で食する人は入れない!

そんな言葉も通じないでしょう。

未来預言です。下矢印

イザヤ 66:17 「みずからを聖別し、みずからを清めて園に行き、
その中にあるものに従い、豚の肉、憎むべき物およびねずみを食う者はみな共に絶えうせる」と主は言われる。
 
実際、神が禁じている清掃動物を調べてみれば、神を信じない人も
そんな毒、ゴミ、腐敗、汚い、体、環境に悪い、ウイルス、菌の宝庫である掃除機のゴミ溜め袋のような動物など2度と食べたいとも思わなくなるものなのです。知らないから、食べているのです。
 

神の教えはシンプルです。毎日することを通して、神が神であることを認め、生きることを、教えているからです。

神の教えは、エデンの園の最初から同じなのです!

神の言葉に聞きたくない!それが人間の本当の問題、反抗、自己主張

自己中心、神が中心ではない、それが人間の作った自己主張の教え

神の教えは廃れた!人が勝手に記念日も食べ物、生き方も仕分けて良い自由の時代!自由?神が教える自由と、宗教が考える自由の意味が全く違います。

 

キリスト教が主張する自由は、神の教えは古い縛り律法だから、

それから解放されて、自由に生きる自由!

それを聖書では何と定義しているか知っていますか?

「無法」神の教え無しをやる人!そっくりそのままでしょう。

宗教=神の教えは廃れた!ローマの主張が本当の根拠です。

聖書に書かれている人で、異邦人、異教徒のように汚れた動物

豚やエビやロブスター、ネズミやその他、神の祭壇の上に乗せられない清掃動物=悪食をしようと、考える人はいないのです。

イエシュアが、全ての食べ物はきよいと言ってもない、付け加え

改造翻訳が施されている翻訳がありますが、もし全ての食べ物と言ったら、レビ記23章に記された、神が創造された人が食せる動物のこと食せない!と言われるものを食する、聖別を汚す、罪!と理解しているのです。

それを理解してなかったのが、神の教えを知らない、異邦人イエシュア信者、使徒15章に書かれている異邦人なのです。

 

マタイ7:22 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、

主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって

多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。

7:23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。