神が神の教え=イエシュア=聖霊を十字架で処刑し、破棄した!
という意味不明な聖書解説をクリスチャン牧師教師がしていますが、
それは、パウロが言っている意味とは1000%関係のない
歪んだ聖書解説です。
思想の大元を考えてください。日本に伝えられた教えは、反ユダヤ
思想を持つ西洋人、反モーセの五書思想=神に敵対するものの行為であるのにイエシュアを信じながら、そんな偽物の思想を土台とする西洋人
由来の宗教を教えられてしまったのです。
ザビエルは、イエズス会の教えを、天竺教、仏教の一派と言い、
日本人に違うことを紹介しました。
このやり方は、異教の神々の祭り、太陽神の祭りを、クリスマス、
イースター、万聖節とキリスト的な意味に変えて、伝道のために
異教神の祭りをカトリック祭りに変えよう!その思考回路そのもの
だったのです。
こんなことはしてはならない!神が伝えた通りを伝えなくてはならないという、理解がないのは、人間の編み出した思想=人間が神の教えが廃れた!と主張する、冒涜から出現した宗教だからです。
聖書翻訳をする人が、ある部族に、「羊」と書いてあるのを、「豚」
と訳したそうです。彼らの間にある思想が、豚が崇高な動物であるから、豚としたと、こんなことをするのが、異邦人なのです。
羊という意味が何かを、聖書から解説しなくてはならないのが、
聖書教師であり、翻訳者の役割なのに、自分の考えで、神の言葉を曲げる、変える。しかも、豚は、聖書の中に、悪霊が入る動物として
書かれている通り、汚れた動物なのです。
何も、豚が悪いのではなく、豚は清掃動物として創造され、ありとあらゆるゴミ、死骸、糞を無選別に食べる、考えのない清掃動物だからです。
神の祭壇の上に捧げられる動物でもなければ、人間が食せる動物ではないのです。
神の宮には、豚は持ち込んではならない!ギリシャ帝国は、
エルサレムの神の神殿に、ゼウス神像を持ち込み、神の一番親しい
交わりの場、祭壇の上に豚を捧げ、豚の血を神殿中に撒いて汚す冒涜をしたのです。
神に敵対する者の行為は、神の前に忌み嫌われる、汚れた行為をわざとするのです。
パウロがもし、直接日本に来ていたら!こんな人間如きが神の言葉を曲げるまがいものではなく、イエシュアが教えた通りの教え=トラーを教えたでしょう。
パウロは、ローマ帝国に処刑されるまで生涯、トラーを100%
支持、信奉し、生きて、それを人に教える使徒でした。
使徒とは「神から遣わされたもの」という意味であり、神に遣わされた人が、神の教え=トラーを捨てよ!又はトラーとは違う教えをした
と空想している時点で、神の言葉、考えから完全にズレている!
とはっきり気がついてください。
偽物の教えが教えられ、半分嘘、半分本当が浸透し、聖書を正しく
教えられないまま、人間の思想で神の言葉がどんどん歪められて、
今に至るのです。
世界中、今や偽物の教えで溢れています。
本当に、それを目の当たりに知って驚愕してしまいました。
神は同時に、残りの民、神の真実を知りたい!と願望している人を
確保しています。嘘に騙されていることに、神の言葉から気がつけるのです。
ある時、クリスチャンがバイブルスタデイで集まって、聖書を読んで
いたそうです。
その時、そこに居た全員が、その日学ぶ箇所を読み、神の言葉を
読んで、神のシャバットは変わらない、自分たちが神のシャバットを汚していた!と皆が全員神の言葉そのものから、その事実に気がついたそうです。
それこそが、聖霊の働きなのです。嘘を教えられていたのに、
聖書に書かれている真実通りを知る!聖書に書いてないことを、
書いてあるが如く、裸の王様の存在しない洋服を見ているように、
偽物の教えの洗脳、目隠しが取り除かれ、書いてある意味通り
神の考え通りが、直接その人の内側に届く!
聖霊=言葉であり、聖霊が人を通して記した永遠普遍の言葉が
今、真実を知ろうとする人の前で、光が当てられ、神が伝える真実に
皆が気が付く!ということが起きているのです。
世界中にいるイエシュア信者、元はカトリックやクリスチャン
宗教の教えから脱出し、イエシュアが教えたトラー、契約に根付く
生き方に戻った人々の、その背景は色々ありますが、その人たちから聞く証言でも色々なことが分かります。
これは又、いつか書きたい別の内容でもあります。
エペソ 2:15 数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したので
ある。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造り
かえて平和をきたらせ、
2:16 十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。
ここで、パウロが、神の教え=トラー=モーセの五書を破棄したと
勘違いした読み込みをしている代表例の箇所でもあります。
パウロの手紙は、その手紙全体の全部を読まないとなりません。
パウロはここで、何を解説していますか?
異邦人と、ユダヤ人の間には、その当時超えられない壁、隔たりが
ありました。それは、他の箇所でも書かれているように、ユダヤ人は
犬、豚、野生と異邦人のことを考えていた、契約の中にない民、
汚れた動物をなんでも食べ、異教徒の神殿でおぞましい儀式をし
神殿娼婦と交わる不品行を日常行い、神の教え=トラーなど微塵にも
知らない、蚊帳の外の人、契約の中にいない人と考えていたのです。
だから、そのような人たちと交われば、自分たちも汚れる!と
考えて、交流、交際していなかったことが、使徒10、15にも書かれています。
そして、ユダヤ人が唯一関係を持つ、関われる異邦人は、このような人たちでした。
「割礼」という名を付けた難しい改宗儀式を異邦人がして、
ユダヤ人としてのステータスに変わったら、その上で、仲間として
初めて受け入れ、交流を持ちますとうことがあったのです。
このエペソでも、ローマやガラテヤも同じですが、ユダヤ人の血筋
イコール契約を受けた特別だから選ばれたと言う、ズレた意識を持つユダヤ人が
いたことが書かれているでしょう。
パウロは、割礼は無用とか、意味ないなど人に教えません!
パウロは、割礼を禁じるように人に教えているという偽の噂が嘘!と証明するために、神殿でナジル人の請願を通して、その嘘を払拭したからです。
パウロは、100%モーセの五書に忠実に教え、生きている人であることを知らない人、理解が欠損している人が、間違ったパウロ像を
語り続けていますが、それは嘘、偽情報であることは、聖書の記述
パウロ自身が証明しているのです。
<数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄した>
これは、数々の規定からなっている人間の編み出した教え、ルール
戒律のことであり、神の教え=トラー=モーセの五書=トラーのことなど、パウロは微塵にも語っていません。
ローマ14章と同じく、かの日が、他の日より〜という箇所も、
レビ記23章、神の創造された記念日、モアデイムのことなど
1つも話していません。
人間が、神の創造された記念日を勝手に作り変え、捨て、汚すことが、どれほど重い罪なのかパウロは、トラー信奉者、実践者であり、教師ですから、深く正しく理解しているのです。
普通のユダヤ人でも、理解しているのです。
そういう理解がないのが、異邦人なのです。偽物の教え=ローマ帝国の勅令、神の教え=トラーを破棄せよ!それを実践したら処刑する!
それが、神の教えだと、勘違いしているからです。
キリスト教、カトリック、ローマ教、西洋宗教の歴史を学べば
それは一目瞭然!人間が神の教えを塗り替えたことは、カトリックも
堂々と公表していますし、教皇も、同性婚祝福します!と言っているでしょう。そんな冒涜を平気で語る、聖書ではない、偽物の教えだからです。
それ程、異邦人は、神の教えから遠く遠くかけ離れた人間の思想=
人間が作ったローマ教の思想を教えられてしまっているのです。
これは、ローマ帝国にあった記念日、又は、断食がどの日が良いとか
神の教えではない、人の文化、慣習の中にあった日のことであり、
普通の日であることは、ギリシャ語、ヘブライ語でも分かるのです。
定冠詞がない、普通の日が書かれているです。
翻訳聖書だけを読み、しかも、神の教えが廃れたと言う偽情報を
土台として、聖書を読む、そしてパウロが、神の教えを破棄した教えをし、トラーとは違う新しい教えを施しているという、とんでもない
空想、勘違いを皆がして、パウロが書いている意味を完全に誤解した聖書解説だけが、今に至るまでされて来てしまったのです。
今それが、変わろうとしているのです。正しく聖書を学ぶ人には
嘘が嘘と真実を追求して行けば、分かるからです。
以下も何度も書いていますが、クリスチャンが神の教え、祭り、
シャバットが人の意見で変えて良いと、完全にパウロの書いている
内容を誤解し、逸脱した聖書解説をしている代表例の1つです。
コロサイ 2:8 あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、
2:16 だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。
2:17 これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある。
16節は、クリスチャンが神の創造された記念日が廃れた、又は
祝わないことで、人に批判されてはならないという、パウロが言ってもない解説を堂々としている箇所です。
この2章には、偽物教え、人間の言い伝え、伝統の教え、そのことに
関して、パウロが警告しているのです。
1テモテ4:3と同じ内容につながることですが、禁欲主義を主張する
人達の偽物の教えに関して、パウロが警告しているのです。
新月、祭り、シャバットは、盛大に祝う祝宴なのです。
クリスチャンはシャバットや祭りを教えられない、祝わないから
分からないのですが、この時は本当に喜び、楽しみ、神の仰せは
神のモアデイムに神の前で皆が特別のご馳走を食べ、普段飲めない
高価なお酒を買って飲む=その為にお金を蓄える、クリスチャンの中に浸透している十一件金は違う意味で神は教えているのです。
シャバット、祭り、お金のない人も、ある人が招いて盛大に祝うからです。
禁欲主義の人が、神のモアデイムに断食しろ!という、人間の教えを
持ち込んだのです。これあるでしょう。カトリックでも。
断食はトラー=神の教えにはありません。ある人が、ある目的でするものであり、神の命令ではありません。
断食は、喪に伏す時などにするのです。
神の教え、契約に根付く生き方を知らない人には通じない、神が人に
神のモアデイム、シャバット、新月、祭りがどんなに重要か!と
教えているのに知らないでしょう。シャバットは、ミシュカン建設を
上回る重要なもの!と神が教えている意味など、全く通じないでしょう。そういう神のモアデイムを、パウロが祝わなくて良い。祝っていないことを、人に批判されるなかれ!などと言ったら、パウロは
即座に偽教師、偽使徒と認定され、追放されます。神と人から。