神が人に与えた永遠普遍の言葉が真実であることを神が証明される | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

4月1日水曜日日没が、過越の祭りです。

この日から、7日間、種無しパンを食べる7日間です。

その7日の真ん中の日が、イエシュアの命に連なることを教える

「初穂の日」です。神が教えている、復活の命=新しくされた人の

命に連なり、成長する事実は、イースター祭りではなく、

神が創造されたこの「初穂の祝い日」を通して、最初からずっと

教えられて来ているのです。

 

神の祭りは、全部収穫祭です。

作物を通して、新しくされた人が、成長し、やがて神の民が全て

1つとして集められ、永遠に住まうことを、教えているものだからです。神の創造されたモアデイムを祝う人は、神が何を教えているのか

毎年毎年年輪の如く、深く理解できてくるのです。

肥沃の地=良い地、神の教えを理解する頭脳。種=神の言葉、

命の水=イエシュアに完全に浸り、モアデイムの中を生きて、

季節が巡り、時が来ると御霊の実がなる!と教えているのです。

 

なぜなら、神がそのように、神の時を創造されているからです。

シャバットからシャバット、新月から新月、そして神の祭りを

一年に渡り祝う。それが神が創造された命のサイクルであり、

神のモアデイムは実際に生きて、人が体験、学び、その中で神は

神の創造されたモアデイムに特別な出会いをするという祝福を

約束してくださったのです。

 

宝を奪われていることに気がついてください。

神の教えを律法、古い、悪いものと言い、憎み、毛嫌いし、捨てる。

それでは、イエシュアが教えられた教えなど、本当の意味では

理解できなくなります。

なぜなら、言葉=イエシュアそのものであり、命に、神に直結するものだからです。臍帯そのもの。

神の言葉を捨てれば、必ず迷い出ます。

土台が砂なら、必ず傾きます。神のデザイン、性質とは違う生き方、

宗教くさい生き方、人の教えに縛られてしまいます。

「わたしたちは真理を知り、真理は人に自由を与えます。」

真理ではない=人間の思想を聞いたら、不真実、不真理は、

イエシュアの性質ではないので、人を不自由に縛ります!と

いうことなのです。

だから、今や世界のキリスト教がカルト化、異端思想で覆われて

しまっているのです。元の思想が人間が作った、神の言葉を歪めた思想だからです。

その果ては、LGBT。ノアの時代、ソドムとゴモラ。

 

イエシュアが処刑されたのは、この過越の祭りの日の昼間です。

シャバット、祭りは、必ず日没からスタートします。

1日は、夕あり朝あり、夕方が1日の始まりだからです。

神の創造の業で、完了した全てから生きる。

止まるところから、1日が始まるのです。

 

私は以前、聖書を読んでも、過越の祭りも、イエシュアが処刑される前の最後の1週間の経緯の意味も、何も読みとらないまま、

ただ、イエシュアが処刑され、復活した、昇天された。

そして、歴史の中で、初めて、人に贖い、救い、赦しが与えられた。そして過越から7週後のシャヴオート(ペンテコステ=ギリシャ語=第50日)で、聖霊が初めて人の中に住まうことが始まったと、聖書とは違うことを考えていました。

そして、この昇天を境に、古い教えは、廃れて、キリスト教という

新しい教えが、初めて人に教えられたと教えられ、そう思っていましたが、聖書にはそんなことは書いてないことを、18年前に初めて

知りました。

もし、私が聖書に書いてある通りをその通りに教えてくれる人たち、

教師に出会わなければ、人間の作った教えに縛られたまま、人の教えに

支配され、偽物をやっていても、気が付かず、何か変!と思い続けていただけだったでしょう。

ローマ教=キリスト教、人の思想を混ぜた宗教の教えは、神が十字架で、神の古い教え=律法=トラー=モーセの五書=イエシュアが

教えられた父の教えを、神が処分、破棄した!と教えています。

ローマ帝国製造、人が作った宗教から発生した宗教の思想の土台は、モーセの五書は廃れた、終了、異邦人には無関係、いや無関係

どころか、それらを実践する人は、勅令で処刑する!というものでした。事実、それが行われたのです。

何度も書いていますが、異邦人イエシュア信者は、ローマ帝国の勅令に迎合し、態度、行動=神の教えを捨てて、ローマ帝国が作った別物を生きることで、「私達異邦人は、ユダヤ人のようにトラーを生きて

いません!ユダヤ人のように割礼もしないし、きよくない動物も

なんでもローマ帝国の人と同じく食します。

シャバット、祭りも祝いません!ローマの記念日、皇帝の日の日曜日を記念日としています。」と実際に神の教えを捨ててやったのです。

そうすれば、神の教えを捨てるという行動を通して、ローマ帝国に

ユダヤ人とは違う、神の教えを生きてない証拠があるからという

この命乞いのおかげで、迫害されないからです。

 

一方ユダヤ人は、紀元前2世紀のセレウコス朝シリア、ギリシャ帝国の迫害=神のトラーを生きることで処刑さたこと、同じことが、

ローマ帝国の迫害でもされたのです。

ユダヤ人だけは、どこまでも神の教えを汚すことに対して抵抗し、

70年には神殿崩壊された時、110万人のユダヤ人が処刑され、

9000人がローマの奴隷となったのです。

そして、それ以降、ユダヤ人は、徐々に世界へ散って、異邦人イエシュア信者と、完全に亀裂、分裂したのです。

 

考えてみてください。どうして、異邦人クリスチャンは聖書に書いてないことをしているのか?

どうして、イエシュアが教えた教えの方を捨てさせられているのか?

イエシュアが祝った、シャバットや祭りを全部捨てて、別物を祝っている、

その意味さえも、全く教えられてもいないのか?

聖書に基づき、聖書の記述だけに立ち考えてみてら、分かりませんか?イエシュアは、新しい教えや、メシア教など教えていません。

最初から、イエシュアはトラー、預言書、諸書に記されているからです。弟子にもそう教え直されたでしょう?ルカ24:25-27

 

聖書に最初から記された警告は、偽の教えなのです。

エデンの園の蛇の嘘に騙されるな!です。

そして、人間が作った宗教のおかげで、イエシュアを信じる異邦人は神の言葉、神の創造された記念日全て捨てさせられ、そして聖書に

書いてもない人間の思想、実践、宗教活動、記念日を熱心に

やっている、それが神を愛することだと、教えられてしまい、

そう考えているからです。

神を愛する人は、どうしなさいと、神が言われましたか?

 

ヨハネ 14:15 もしあなたがたがわたしを愛するならば、

わたしのいましめを守るべきである。

 

1ヨハネ5:2 神を愛してその戒めを行えばそれによってわたしたちは、神の子たちを愛していることを知るのである。

5:3 神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。

そして、その戒めはむずかしいものではない。

 

クリスチャンの間で教えられていることとは、イエシュアの言葉

聖書とは逆の教えです。神の教えを捨てよ!廃れた!律法に戻る気か!恵を無駄にするのか!と。

戒めとは、ギリシャ語訳では、エントレですが、ヘブライ語は

ミツヴァ、ミツボット(複数)神の教え=トラーに記された神の

仰せのことです。

メシア昇天後、神の教えが破棄され、廃れた!という偽情報全て

頭の中から削除、除去しない限り、人の編み出した思想に変換して

このように、イエシュアが語られた言葉、聖書に書かれている意味が

その通りには、通じなくなっているのです。

神の教えは、モーセの五書=トラー以外にない!神の言葉に、

人間が付け足し、差し引き、削除、プラス、人間の教えを加えてはならない!と神が警告している意味も、神の教えが廃れたという

嘘を信じるから、神の言われている言葉、教え、聖書に書かれていることをその通りのなど、読んでもいないのです。

別物の新しい、楽な教えが、昇天以降教えられたと、私はそう教えられ、信じていましたが、全部嘘!本当に無知そのものでした。

 

聖書ではないことを土台に、イスラエルの神を信じているから、

今や4万5000というキリスト教の宗派、多くのカルト的異端的思想が爆発的に浸透してしまったのです。

これは、別の課題なので書きませんが、私は2008年から、

西洋宗教の解説する聖書、偽情報、歪んだ聖書解説とその実践、

人間が作った宗教の活動、記念日、その他諸々から離れました。

 

聖書に書いてある通りに戻る!それは、教え、実践、生きる上での

全て、いい加減、偽物の教え=宗教の教えの支配、人による人の

考え、生活全部における侵害、無断潜入、操作、その他諸々に

辟易していたからです。嘘だろうこれ!と、ずっと思っていた。

それらの疑問は、正しかったと分ったからです。

カトリック信者で、訴訟を起こしたある女性が、司教に性的虐待を

受けていても、「神に選ばれたお方に逆らってはならないのだ。」

と考えていたと、これこそ洗脳そのもの。

罪を犯す、犯罪者!そんなものから、逃げなくてはならなかったのです。主の名を利用する、偽物が今や世界中に溢れているのです。

神の教えではない、人間が作った宗教をやらされていた!とはっきり

気がついたら、そこから出るのは当然。

その偽物の教えから脱出、出エジプトしたのです。

偽物の教え=偽の王、偽の神々の教えから脱出、決別した。

 

イザヤ52:11 去れよ、去れよ、そこを出て、汚れた物にさわるな。

その中を出よ、主の器をになう者よ、おのれを清く保て。

 

聖書の記述に基づいて、そして健全な生き方をしている人たちに触れたら、その違いはダントツ、明らかになってしまったからです。

 

とにかく、嘘を本当と言うことは、本当のことを知ってしまえば、

そんな偽証をすることに耐えられなくなります。

進化論を、クリスチャンも信じないでしょう?他の人にも、

人間は猿から進化したと、神の創造の事実を知ったら、そんな嘘を

2度と言えなくなるでしょう。

神の言葉が廃れた!という大嘘!これが、神の口から直接宣言された

聖書に記された証拠に立てば、大嘘など簡単に見抜けます。

でも、人間の教えに洗脳されているから、普通の教科書に7と書いてあったら7と読むのに、聖書に7とあったら1と読んでいるのです。

ぜひ、不思議に思ってください。

神の言葉、神は永遠に変わらない!と書いてあるのに、書いてあるのに

変わる、廃れた、終了!と信じ込める。

これが騙し、洗脳でなくて一体何なのでしょうか?

 

キリスト教でされる聖書解説は、人が編み出した思想を通して、

神の言葉を歪めて、曲げていることにも気がついていないと思います。

聖書に書いてある意味を、パウロや聖書記者が書いた通りに読んでもいないのです。

それは、神の言葉が廃れた!神の教えを律法という誤訳で呼び続け

それが、悪いものだ!と勘違いさせられているからです。

しかも、もし神の言葉が十字架で処分されたら、神の言葉は

1000%全て消えるのです。

言っている意味が不明だと分かりませんか?

誰かが死んだら、足だけ、手だけ、指だけ死んだなんてありますか?ないでしょう!全部が死んでなくなるのです。

それと、同じ大矛盾を信じているのです。

神の教えが廃れた、破棄された!と言い、同時に聖書信仰です!と

言う、それこそ意味不明な宣言、矛盾だらけな宣言なのです。

都合の良い神の言葉だけ、自分が理解すること、納得していることだけ、神の教えと信じてますと言う方がよほど正直です。

聖書を曲げて解説されている本当の原因、理由は、ローマ帝国時代

パウロの時代、それ以前にもさかのぼり同じ問題なのです。

 

偽の教え、偽教師、偽預言者、トラー=神の教え=預言者や記者

ユダヤ人達が神から与えられた教えをその通りに理解して来た人に

学ばないで、人間の思想で歪めた人の教え、先祖の言い伝え、

伝統の教えで、聖書を曲げた読むこと。

しかも、オリジナル、ヘブライ聖書に書かれたことなど、普通の

異邦人など学ぶ機会など、今迄は、皆無だったではないですか?

毎週、満遍なく、1年に渡り、ヘブライ聖書から聖書解説される

教育など、ないと思います。

4世紀以降、ユダヤ人と、そしてパウロのようなトラー学者、教師

聖書を正しく教えられることなく、ユダヤ人全て追放し、ローマ教の西洋教父が、人が理解出来ないラテン語翻訳の聖書だけを読み、

彼らの編み出した宗教の教えを通して、聖書ではない聖書解説してきたではないですか。

一般人には誰にも通じない、ラテン語という外国語の聖書朗読であり、ヘブライ聖書ではない翻訳聖書を、ただ読み上げて、その聖書解説は

教皇や司教が、聖書に書かれた通りではない、勝手な思想で、人に

聖書だ!と教え続けて来たでしょう。

その偽物の教えの数々に抵抗したのが、ルターだったのです。

でも、宗教改革後も、完全な軌道修正ではない、虚しい、中途半端な宗教改革だったのです。

聖書に書いてある通り、預言者、使徒、イエシュアやパウロ達が

教えた通りのヘブライのトラー=父の教えではなく、人間の思想で

神の言葉を破棄し、神の創造された記念日を全部捨てて、別物に

変えたものを、宗教改革後も同じように、聖書ではない、カトリックの教理を、クリスチャンが信仰の土台としていることでも、

分かりませんか?

それらは、イエシュアが教えた教えなどではありません。

正しくない聖書教育、その宗教の実践、先祖代々、ユダヤ人が家でトラーを父から教えられたような、そんな環境は、異邦人には全くなかったのです。

その代わり、人間が編み出した人造宗教の思想を、聖書を利用して

聖書を読みながら、別の教えに変換、又は神の教えを捨て、

変えて読み替えていることをしているのです。

クリスチャンがイエシュアが教えて、生きた通りの契約に根付いた

生き方を信じた最初から、教えられている人などいませし、今もしていません。

宗教の教え、活動、実践、儀式、習わし、記念日を代わりにやって

いるのに、気がついていないのです。それが本物、昇天後の正当な

神の教えだ!と勘違いしているからです。

聖書に書いてもない教え、神の教えが廃れ、神の記念日が廃れ

今は人の意見でいつでもシャバット、なんでもあり!

そして、文脈、内容から逸脱し、勝手な読み込みをしている。

パウロが、100%モーセの五書を信奉し、教え、生きているという

ことに関して、はっきり言って盲目状態です。

パウロが、モーセの五書を否定、変えた、トラーとは違う教えをしていることが、パウロの手紙に書かれていると思い込んでいるからです。