申命記6:17主が見て正しいとし、良いとされることを行わなければならない。
これ、創造主が創造主として、人が認めて生きることの基本中の基本なのです。
でも、エデンの園の最初から、人が神の言葉を無視、破り、神が言われたことではない、偽物の教え、声に騙された、それが罪=ズレが人の中に入り込み、神との隔たりの場所に飛び出した原因であり、
同じ罪を、ずっと宗教の教えは、繰り返し、手を変え品を変え、聖書ではない教えを作り続け、又は神が伝える言葉、教えを人間が勝手に定義しなおして、別物の教えに変形させているのです。
それが、神が警告している、禁じている人間の思想、偶像礼拝
宗教、高きところの礼拝、姦淫の罪、混ぜ物の宗教、ヤラべアムの罪と警告されているものです。
ヤラベアムはイスラエルの王なのに、神の言葉、神の祭り=仮庵の祭りを、第七の月ではない、第八の月、別の月の15日に変えたとあります。そして、レビ族ではない人を、祭司とし、エルサレム以外の
ダンとベテルに神の祭壇を作ったのです。
ローマ教はこれと全く同じ罪をした、しているでしょう。
神のシャバットを、第7日から、第一の日に変え、神の教えは終了したと偽情報を拡散し、そして、神のモアデイム全て捨てた!
今や同性婚祝福します!ソドムとゴモラ、神が警告した命が絶たれる
歪んだ生き方、神を信じると言いながら、罪を生きて良いと人に教えているのです。
これを神はいつまでも放置すると考えてはならないのです。
神が神の教えを、言葉を、記念日を破棄、終了したのではない!
人間が神の言葉を別物の教えに、すり替え、塗り替えて自分の考えで神の教えを再定義しなおしたのです。
このように書かれている意味を、神の教えは廃れた!と、これまた
人間の教え、神が人間に成り変わり、神の教えを退ける思想を
主張する人のせいで、神の教えが追いやられ、偽物の教えをずっと
宗教の教えは、イエシュアの名を利用しながら、真実だと思い込み堂々と声高々に主張し、人に教え続けて来てしまったのです。
神の伝える真実ではなく、人間が自分が考えて受け取れること、
自分の考えに叶うこと、自分の考えの許容範囲内のことを生きる!
としているのです。自己中心そのものなのです。神が神ではない。
神の権威を全く無視!人間が神の座に堂々と座り、聖なる父などと
いう、神の名を名乗っているのです。
神の言葉=聖書に書かれている事実から、神が伝える永遠普遍の真実に、気が付く人は、いるのです。
それが、世界中で起きているのです。
話が複雑に逸れるので、今は書きませんが、メシアニック運動は、
キリスト教のカリスマ派から出てきたものであり、それらの教えを
する人の間でも、正しく聖書を語る人の方が少数なのです。
こういう思想です。トラーは異邦人には関係ない教えだから、
別の方、あっちの方で、別にやっていて下さい。
ここはユダヤ人限定の場所ですから、みたいな考えです。
ユダヤ人にメシアを伝える目的のために出て来た運動だからです。
一方、メシアをまだ知らないラビが、聖書に書いてあることを、
正しく理解している人がいるのです。
どういう意味か?デイスペンセーション神学で、唯一正しく聖書を解説している点は、イスラエルに対する神の契約は変わらない、契約を受け取る民として全民族の代表とされたことは、変わらない!
この点だけは、聖書の事実通りで、正しく解説していますが、
イスラエルの神の進化論、神の言葉、神の業の進化論は全て人間の
思想、発想、空想にすぎません。それらは聖書ではありません。
そして、イエシュアをメシアと認識しないユダヤ人のラビが、
正しく神の教えを理解している人もいるのです。
イスラエルが契約を受け取る代表とされた理由は、全民族の父と選ばれたアヴラハムに与えた神の教え、契約、トラーの祝福を、ユダヤ人が独り占めする為ではなく、全世界へ同じ創造主である神の教え=
契約、トラーを正しく伝え、教え、生きて、共に神の1つの民として
神の創造の性質通り生きるためと、理解している数少ない人々もいるのです。
置換神学を主張する人は、一体何を言っているのか理解さえしていないのです。
契約は1つしかないからです。それを受け取り、正しく世界へ神の
性質通りの生き方をする役割を与えらたのがユダヤ人です。
そして、同じ契約に加えられた異邦人も血筋など関係なく、
同じイスラエルの神の大家族の一員とされているのです。
同じ家族は、同じ契約=神の家の家訓を生きるのです。
キリスト教、人の思想、仮説はこうです。シナイ山で与えられた以外の別物の新しい契約を異邦人が受け取る代表者とされた!
2つの別の契約、プラス、異邦人が契約を受け取る代表として選ばれたなど、聖書のどこに一体書かれているのでしょうか?
そんなこと、そんな偽情報、1つも聖書には書かれていません。
偽預言者の聖書ではない経典に勝手に記されていても、それは聖書ではありません。
そして、異邦人など契約に根付く生き方などイエシュアを信じていても、最初から全くしていません。
そういう人が、契約を受け取る代表などになるわけもないのです。
神の教えは破棄された!契約を捨てて、神の教えを破ることを信条とする人が神の契約を受け取る代表?そして、神が与えた永遠普遍の
契約に根付いた生き方さえしていないことに気がついていないのは、
代替え=人間の教えをやっているからです。
ローマ帝国、西洋人が編み出した宗教の教え、実践、儀式、慣わし
記念日を、本物の神の本物教え、記念日の方を捨てて、すり替えているでしょう。
それは、昇天以降は、神の教えが廃れ、新しい教え、新しい契約
新しい記念日を生きるようになったのだと、聖書に1つも書かれていない空想を根拠とした人が作った宗教が、神の教えなどと教えられているからです。
もちろん聖書を利用しているから、ある部分は神の伝える真実は
ありますが、土台が、神の言葉が廃れた、神の教えは変化する!
神の贖いの方法も時代ごとに違う、聖霊が住まうことが始まったのは2000年前だ!聖書とは異なる、異端的思想を土台とした人間が
神の言葉を変え、神の教えの中に人の思想を盛り込み編み出した人造宗教信仰なのです。
純粋な神の言葉を土台とした、信仰などではない。
大勢、大衆が、聖書ではない、ズレた教えをしている中で、ズレた
教えが、本物!と言い続け、偽物を本物、善を悪、悪を善ということが、当然だ!人権を侵害するのか!と、全く話をすり替えてしまう人々がいる。進化論が普通に受け取られる中で、それは嘘!と言っても、神が伝える真実が、ほぼ通じないのと同じなのです。
神の言葉、神の性質、神の業の進化論を、ローマ教は教えているのです。
神を「試してはならない!」と言われているのです。
これは、何をしたのですか?金の子牛、人間が作った思想=宗教を
通して、神に近づいてはならない!
どこまで、やっても許してくれる?偽の神像を教えられて来たの
です。
神のミシュカン建設に関して、民が自分から望んで、その資材を
提供したのです。
出エジプト 35:5 あなたがたの持ち物のうちから、主にささげる物を取りなさい。すべて、心から喜んでする者は、主にささげる物を持ってきなさい。すなわち金、銀、青銅。
創世記15:13 時に主はアブラムに言われた、「あなたはよく心に
とめておきなさい。あなたの子孫は他の国に旅びととなって、
その人々に仕え、その人々は彼らを四百年の間、悩ますでしょう。
15:14 しかし、わたしは彼らが仕えたその国民をさばきます。
その後かれらは多くの財産を携えて出て来るでしょう。
既に神は、未来のアヴラハムの子孫、イサク、ヤコブの子孫がどうなるか、エジプトで奴隷となる、他の国に寄留すると預言しています。
伝えていました。アヴラハムはそれをただ聞くだけで、何も準備しないわけなどなかったと考えるのが妥当です。
自分の住んだ場所に、木を植えたでしょう。
では、皮 油、どこから来たのでしょう?
奴隷になることは、ヤコブも知っていたのです。
神に与えられた言葉、預言、それを理解する頭脳があるのです。代々、伝統、いつか奴隷から出た時に備えて集めて置いたのです。
エジプトから、もらった物がたくさんあるのです。
賢い準備、備えをしていたのです。
ミシュカン〜神の臨在が中心であり、12部族とその中に加えられた
少数の異邦人達の住まい方は、エデンの園での住まい方を教えているものです。
木、命の木を中心にヤコブの子らがぐるっと立っていることも同じです。
出エジプト15:27 こうして彼らはエリムに着いた。
命の水〜イエシュア 神=命の源である12の部族、そして、
ヤコブの12の子供の家族、70人、なつめやし。
天に真っ直ぐそびえて、両手を広げて神の前に生きる人たちを表す
それです。
メノーラ、契約の箱、金の祭壇など、神の家の中には神の意図する
意味する品々が置かれています。
神のミシュカンの中で使われている色にも、意味があります。
出エジプト 35:6 青糸、紫糸、緋糸、亜麻糸、やぎの毛糸。
出エジプト24:1 また、モーセに言われた、「あなたはアロン、ナダブ、アビウおよびイスラエルの七十人の長老たちと共に、主のもとにのぼってきなさい。そしてあなたがたは遠く離れて礼拝しなさい。
24:2 ただモーセひとりが主に近づき、他の者は近づいてはならない。また、民も彼と共にのぼってはならない」。
24:3 モーセはきて、主のすべての言葉と、すべてのおきてとを民に告げた。民はみな同音に答えて言った、「わたしたちは主の仰せられた言葉を皆、行います」。
24:4 そしてモーセは主の言葉を、ことごとく書きしるし、朝はやく起きて山のふもとに祭壇を築き、イスラエルの十二部族に従って
十二の柱を建て、
24:5 イスラエルの人々のうちの若者たちをつかわして、主に燔祭をささげさせ、また酬恩祭として雄牛をささげさせた。
24:6 その時モーセはその血の半ばを取って、鉢に入れ、また、
その血の半ばを祭壇に注ぎかけた。
24:7 そして契約の書を取って、これを民に読み聞かせた。すると、彼らは答えて言った、「わたしたちは主が仰せられたことを皆、
従順に行います」。
24:8 そこでモーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った、「見よ、これは主がこれらのすべての言葉に基いて、あなたがたと
結ばれる契約の血である」。
24:9 こうしてモーセはアロン、ナダブ、アビウおよびイスラエルの七十人の長老たちと共にのぼって行った。
24:10 そして、彼らがイスラエルの神を見ると、その足の下には
サファイアの敷石のごとき物があり、澄み渡るおおぞらのようであった。
24:11 神はイスラエルの人々の指導者たちを手にかけられなかったので、彼らは神を見て、飲み食いした。
24:12 ときに主はモーセに言われた、「山に登り、わたしの所にきて、そこにいなさい。彼らを教えるために、わたしがトラーと戒めとを書きしるした石の板をあなたに授けるであろう」。