神と共に住まう場所 神と共に住まう人 神の時は神が聖別されている | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

エデンの園を飛び出した。神の中に、神と共に住まう、涼しい風が

吹く、そこは素晴らしい、美しい、麗しい園。

エデン=喜び、歓喜という名、神ご自身そのもの、そこに人が住まうようにされていたのに、その状態から切り離されてしまったその後、神の元に戻る、エデンの生き方に戻ることを、地上で教えているのが、ミシュカンなのです。

 

シナイ山は、ホレブという名でも呼ばれ、その言葉は、「剣」という

意味のヘブライ語であり、エデンの園の入り口、命の木に繋がる場所を、ケラビムが炎の剣を持って、立っている。

ここに戻れ!とさし示しているものです。

それは、命の木、神の言葉、命の源であり、契約の箱の贖いの蓋の上の両端にも、ケラビムの像が羽でその贖いの蓋と呼ばれる蓋を

覆っています。

ここに命が宿っている!神=聖霊=神の言葉=イエシュア。

そうです。神の性質通りを皆が生きたら、そこはエデンでしょう。

でも、それを違反する人々で、傷つけあい、破壊しあい、分裂し続けている、エデンから遠く離れた人の生き方、それがずっと今に至るまで、続いているのです。

神と共に住まうように造られた人は、エデンに戻るのです。

神に造られた性質通りの人を生きることに戻る。

それを妨害し続けているのが、人間が作った偽物の教え、その生き方

なのです。

 

創世記3:24 神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、

回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。

 

キリスト教という宗教の教えでは、影は劣るものと教えられて

来ましたが、聖書では、影という意味はそのような意味ではありません。

影は、本体が存在しなければ、存在しません。

本体の性質そのものと一体であり、イメージ〜目に見えない神の実態を目に見える形で表すものです。

「わたしを見たものは、父を見たのだ。」と言われました。

それが、地上に来られた、父の影=性質通りのイエシュアであり、

イエシュアの性質通りの神の似姿=イメージ、本質、性質そっくりの人を生きる人を通して、神ご自身の性質そのものが、その人の生き様から現れ出る、それが地上での影の役割であり、神の子ら一人一人なのです。

その神の性質通りの人達が、神の性質とは違う、神が伝えていることとは違うことを考え、違うことを生き、神の創造された、神が聖別された時〜シャバット、モアデイムを汚す、破壊したのです。

別物を通して神に近づくことは、神ご自身の性質通りではない、

別物の影を勝手に地上で映し出す自己主張の生き方をしているのです。

神はなんでも、いつでも、人の勝手で決めて良いなどと、教えてもいません。パウロの手紙の内容を完全に読み違えている人達が、

パウロの意図とは全く関係のない、非聖書的=神の教えを人間が

否定しても良いという間違いの教えを人に教え続けて来たのです。

 

影絵というのがあるでしょう。本体は見えないけど、シルエット=影を通して、そのものが何か分かるのです。

見えない神、神の性質通りを生きるとは、神が伝えた通りを生きることなのに、それを人間が、完全に破壊し続けて今に至るのです。

イエシュアを信じているから、後は何でもOKなどと考えているならば、それは、神の考えとは全く一致していない、自分中心を教える

宗教の教えの考えと、思考、行動が一体化しているのです。

それは、イスラエルの神の性質ではない、別物です。

それが、偶像というものであり、偶像礼拝をして、イスラエルの神を

礼拝したイスラエルの罪が、聖書には書かれているのです。

私達、異邦人含め、全て神に戻った人に対する禁止、警告なのです。

それは、異邦人に対しても、同じ警告なのです。

血筋、人種別に別の教えなど、ないからです!2つ別の教え、

時代ごと、人種ごとに神の教えが違うという大嘘に目覚めない人には

何を言っても、偽物の教えから、神の言葉=聖書の方を曲げて解説し続けているだけなのです。

 

神から婚姻契約を受け取る時、モーセが山の上〜天の中に入って

行って、もう死んだかもと思ったのです。

それで、自分たちの慣れ親しんだ、エジプトで学んだ異教の神々の

偶像礼拝のシンボルである、金の子牛を、金を火で溶かして作り、

「これが自分たちをエジプトから導き出した神である!」という

爆弾宣言、行動をしたのです。

 

出エジプト 32:4 アロンがこれを彼らの手から受け取り、工具で型を造り、鋳て子牛としたので、彼らは言った、「イスラエルよ、

これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である」。

32:5 アロンはこれを見て、その前に祭壇を築いた。そしてアロンは

布告して言った、「あすは主のである」。

 

彼らは、エジプトでこのようなものを作る技術を持っていたのです。

それが、彼らの仕事だったからです。

そして、同時に、エジプトで学んだ太陽神信仰、偶像礼拝のその

シンボルは、牛です。ローマ皇帝コンスタンチヌスも、同様にこの

太陽神を信奉、そのシンボルが牛だったのです。同じです。

 

そして、子羊の血、過越で初子が死を免れ、エジプトの王の子孫

息子は絶たれました。偽物は、絶たれたのです。

本物〜イスラエルの神の命を継承する、神の言葉を受け取り生きる人は死を免れて、その家は、死が入り込まなかったのです。

そして、そのような体験をして、新しくされた人〜種無しパンを

即座に作り、腰に帯を巻いて、その晩エジプトを脱出したのです。

そして、エジプトの王は、イスラエルを去らせると言ったのに、

気が変わり、ひるがえり、エジプトの軍隊全部を率いて、イスラエルを追って来たのです。

エジプト軍から逃げている最中に、神は不思議な命令をイスラエルに

します。

 

出エジプト14:1 主はモーセに言われた、

 14:2 「イスラエルの人々に告げ、引き返して、ミグドルと海との間にあるピハヒロテの前、バアルゼポンの前に宿営させなさい。あなたがたはそれにむかって、海のかたわらに宿営しなければならない。

 

詰まり、引き返す、追手であるエジプト軍に向かって戻るということです。理解不可能でしょう。

そして、導き出された場所が、2つの場所に挟まれた場所に宿営するのです。

この場所から、紅海を渡ることになるのですが、ここまでの一連は、

エジプトの奴隷から、贖い出された。子羊の血の贖いを得た。

過越をして、新しくされた人として、エジプトを出た。

その後、エジプトを体は出ても、今迄の生き方は頭脳、記憶にその

まま残っていますから、結局、偽物の教えに戻ることをする可能性があることを、ここで教えているのです。

ピハ=口 ヒロテ=自由、バアルツフォン、=隠されたもの、北の

神、偽の神、サタンを表す言葉です。バアル〜偽物の神々、隠された神。イスラエルの神ではなく、偽物の神=人間が作った宗教に聞いて生きることをしてしまう。結局それが起きたのです。

 

ここで、「祭」とあるのは、ハグです。

イスラエルの神の祭りは、過越、シャヴオート、仮庵これらが、祭り=ハギムなのです。

警告された通り、偽物の神々〜偶像、自分たちの考え、エジプトで

学んだ太陽神の礼拝を通して、イスラエルの神の祭りをやった!

これ、何を神が人に警告しているのか、理解しないとなりません。

 

イスラエルの神の教えではなく、異教の神々、人間が作った宗教の

神々の慣わし、自分たちの手で作った金の子牛を通して、イスラエルの祭りをする!やっていることに、これを読んで、宗教の教えが、

それをやっているということに気が付かないとならないのです。

 

ヤラべアムの罪とは、そのことだからです。

1列王記12:28そこで王は相談して、二つの金の子牛を造り、

民に言った、「あなたがたはもはやエルサレムに上るには、

およばない。イスラエルよ、あなたがたをエジプトの国から導き上ったあなたがたの神を見よ」。

 

大祭司であるはずのアロンが、神の言葉を曲げて、異教の神々の

慣わし=金の子牛を通して、神の祭りを祝ったこと。

それを、ヤラべアム王は、ここで、同じ罪、2つの金の子牛を作り

アロンと同じことを宣言していることに注目してください。

イスラエルをエジプトから導き出したのは、この金の子牛ではなく

神ご自身なのに、こんなことをやっているのです。

宗教とは、これをやっているのです。

イスラエルの神の伝えたこと、事実とは違う、人間の編み出した金の

子牛を通して、別の祭りをしているのです。

 

2列王記10:29しかしエヒウはイスラエルに罪を犯させたネバテの子

ヤラベアムの罪、すなわちベテルとダンにある金の子牛に仕えることをやめなかった。

2歴代史13:8今また、あなたがたは大軍をたのみ、またヤラベアムが造って、あなたがたの神とした金の子牛をたのんで、ダビデの子孫の手にある主の国に敵対しようとしている。

 

神の教えを人が変えて、人間の思想を盛り込んだ人間が作った混ぜ物の宗教の正体、問題の根は、ずっと聖書に警告として書かれているのです。人間が、神の言葉、教え、記念日を変えた!

 

ダニエル7:25彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、

かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時とダアト<トラー=

神の教えに記された、戒め、至上命令、教え、道徳的な強い命令、

任務、果たすべき義務、布告、命令、判決>とを変えようと望む。

聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。

 

これを、ずっと歴史の中で出現する帝国がやり続けている、

イスラエルも同じ罪を犯して来た、その警告が書いてあるのです。

 

古い教え、今は関係ない!新しい教え、キリストの律法を生きるのだ!と、聖書ではない、聞いたらそれらしく聞こえてしまう解説が

されていますが、神の教えに、古い、新しい2つ別物などない!

と理解しない人が、人間の思想を通して、歪んだ間違った聖書解説しているだけです。

神の教えは、最初からずっと永遠に変わらないのです。

聖書には、神の教え、モーセの五書しか書かれていません。

そして、その神の言葉、教えに、人間が改造、付け足し、差し引きをすることを、厳重に禁止警告しているのです。

そして、神はイエシュアが昇天以降別物の教え、別の贖い、別の救い

別の許しが出て来たなどと教えてもいません。

エデンの園の最初からずっと同じです。

イエシュアを通して以外、誰も父のもとに戻ることなどできない!

それが永遠の真実だからです。過去の人、エデンの園から、神の贖い赦しの方法は同じ!神の前に、神が見ている通りの罪を告白し、

神に義とされた、義の衣は、神ご自身が用意された子羊の血の代価だからです。

その義の衣を神から着せられて、エデンの園から出たのですが、

イエシュアは、ずっと彼らと共に居たことが、書かれているのです。

 

ミシュカン建設をするのに、どこからその材料が出て来たのでしょう?

エジプトを出る時、イスラエルに様々な物品がエジプトから渡されていたのです。

 

出エジプト 12:35 そしてイスラエルの人々はモーセの言葉のように

して、エジプトびとから銀の飾り、金の飾り、また衣服を請い求めた。
12:36 主は民にエジプトびとの情を得させ、彼らの請い求めた
ものを与えさせられた。こうして彼らはエジプトびとのものを
奪い取った。

 

申命記6:16 あなたがたがマッサ=<ためす>でしたように、

あなたがたの神、主を試みてはならない。

6:17 あなたがたの神、主があなたがたに命じられた命令と、

あかしと、定めとを、努めて守らなければならない。

6:18 あなたは主が見て正しいとし、良いとされることを行わなければならない。そうすれば、あなたはさいわいを得、かつ主があなたの先祖に誓われた、あの良い地にはいって、自分のものとすることができるであろう。

 6:19 また主が仰せられたように、あなたの敵を皆あなたの前から

追い払われるであろう。

 

人間が作った、人間の考えを混ぜて、神の言葉を廃れた!と主張する宗教の教えは、神の教え=トラーなど、務めて守ってもいない。

気にも留めていない、神の教えを捨てる人には、神の考えは伝わらないのです。

神が何を命じているのか、神の教えを捨てた人には、分かるわけなどない。人間の考えで、道徳的なこと、人間が作った宗教活動を

やっている、それが、神の教えだと思い込まされているのです。

神の最初の警告は、偽の教えによる騙しです。

騙されるな!嘘の教えに聞いて、神の言葉を捨てるな!!!

それを、ずっとやっているのです。