まむしの末は 神の言葉を曲げた生き方をする | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

イエシュアは、「失われたイスラエルの羊」の元にだけ遣わされたと

言われました。

人が失われた状態とは、エデンの園の最初と同じです。

神の内側から、外側に飛び出すこと。

霊的にも、物理的にも、神から切り離され、神の性質を生きることをしない状態のことです。この世と同化している生き方であること。

聖別された人の生き方、イエシュアの性質を生きてない状態です。

 

神に創造され、神の性質通りに造られ、神の中、エデン=喜び、

そのような状態の中にだけ住まうように造られた人間が、

神の内側から外側に、物理的にも、霊的にも、関係でも飛び出して、外側に中に閉じ込められたままの状態です。

神から、離れた状態〜失われていると言うこと。

神に取り戻された人でも、神の性質から離れた思想、行動、生き方を

すれば、名ばかりで、神から遠い距離の場所に追いやられた状態に

なってしまうのです。神と遠い関係〜希薄な間柄になるのです。

 

その状態とは、何か。本来の性質を生きられない、不自由、奴隷状態これが自由ではない状態なのです。

神の教えや、ルールや、家訓が取り去られて、今は何でもOK、自分の考えを自由に生きれる聖霊時代などと主張し、平気でそれが神が伝える新しい教え=真実の如くに解説されていますが、それらは、

神の言葉、定義では、「無法」神の教え無しの世界、罪を生きることであり、罪の下、罪=ズレに縛られた生き方をする奴隷になることなのです。

世界の富を牛耳る権力が、司法、警察を買収し、この世のありと

あらゆる罪を犯すことを謳歌していても、起訴されない。

いや、そんなズレた生き方をして、人本来の平安、幸せはないのです。

結局悪魔、罪の支配下、奴隷になる生き方は、「たとえ世界を手に

入れても、何の得があるのでしょう?」と言うことだからです。

 

人は、神の性質からズレたら、神が与えた本来の祝福、幸せ、満足

は得られないからです。本当の生き方を出来ない、イコール、偽物を生きて、不完全燃焼状態になるのです。

犯罪を犯す程ズレなくても、同じです。

神の性質から、離れた生き方は、結局、欠損しかないからです。

見た目には、反映、幸せと思われるけど、事実は空虚。

呪いとは、自分の考え、生き様が、自分自身の身に破壊を招くこと

神の目から、価値のない存在、神の国では、一番無価値、蚊帳の外

になると、イエシュアが言われた言葉は、モーセの五書の中で

教えられている、命と死、祝福と呪い、どちらを選び生きるのか?

という教えの中でしっかり伝えられている事なのです。

 

悪は、全て神の創造、神の性質とは真逆のことを人にするように促します。悪、悪霊は、神の創造の性質、デザイン、構造、機能とは

違うことを、人にやらせます。これをしっかり覚えておく必要があります。

神の性質通りではない、他の性質、構造のもの、特に神の反対である悪=神の性質、意図に反した事を行うことに、人を促します。

そして、その性質は嘘、フェークです!神の言葉を疑わせ、人が神の権威に座り、勝手な教えを、神の教えであるが如くに語るのです。

「今は神のこの教え、廃れた、無効!神の古い教えは異邦人に関係ない。時代ごとに、人間が変化させて良いのだ。」

これら全て嘘、聖書に書いてもない大嘘です。

 

人間が神になりかわり、別の霊の代弁者になっている思想であり、

聖書ではありません。自分で聖書を読まない、人間の思想で聖書に

書いてあることを、曲げて考える人には、神の伝える永遠普遍の真実は今目の前に書いてあるのに、その記述を曲げているでしょう。

イエシュアを信じると、数字も文字も書いてある通りに読めなくなるのでしょうか?

神の教えを否定する、反する、終了という、人間の思想を生きる。

そこから、良いことなど1つもない、毒蛇が飛び出るだけです。

イエシュアは、契約〜イスラエルの神の家の家訓を受け取り、

それを世界へ伝える代表者である、イスラエルの元にまず来られた

のです。イエシュアはクリスチャンの世界で語る西洋思想のように

変化する神、変化する神の言葉、2つの家、家族=異邦人イスラエルは別!などと、教えない、正しい、誠実な神です。

それは、神の教え=神の家に住まう生き方=家訓=契約=トラーを

知らない異邦人のところに行っても、話が通じないでしょう。

 

イスラエルは、誰が否定しても、神の教え=福音、エデンの状態に

戻ることを、世界へ正しく、神が伝えるその通りに伝える役割を

与えられた代表者です。

その人達、大家族の長男は、神の教え、契約に根付いた生き方を世界の中で示したから、バビロン、アッシリアに捕囚の民として、

厳しい訓練を受けることになってしまったのです。

 

人の内側にあることを口が語る、行動で表すと、イエシュアがリーダーに対して、何を考え生きてるのかと、叱責しているだけなのです。

ユダヤ人が、契約の民であるから、その人達へ、イエシュアは神の

教えに戻り生きることを、熱心に伝え、呼び戻しているのです。

 

今イエシュアが来られたら、全く同じことを言われるでしょう。

神の教えを捨てる生き方をする人たち、そう教える人に対して。

人に神の言葉を捨てるように教える人たちに対して。

人に神の言葉が変化した!LGBT受け入れましょうという人達に

対して。

神の教えを捨てよ!いや捨てよとは言わず、神の教えは終了しました、十字架で破棄されました、異邦人には関係ありませんという

2つの家=群れ思想と、神の教えは人種ごと、時代ごとに違うという

聖書とは100000%関係のない、イエシュアが教えた教えとは

真逆なことを、堂々と大声で語り続けているからです。

神は、神の時が来られたら、偽物の教えを全て一掃するのです。

それらは、イエシュアに属する真実ではないからです。

そのように、神の教えからズレた一部の人に対して、イエシュアが

向き合い、悔い改めを促している箇所を、ユダヤ人全体がそのような行動、思想、態度をしているのだと、勘違いした思想が浸透したのです。

ある人種に生まれた、生物学的にその民族は、イコール全員悪!と

考えているのです。ルターが晩年、反ユダヤ思想、反トラー=モーセの五書にひるがえり、ヒットラーがホロコーストで実際に行った

残忍な行動の全て、それらはルターが自身の書に書いたものを、

ヒットラーが、ルターの考えを自身の教科書として、全て実行したのです。

ユダヤ人殲滅は、神のみ旨である!これ悪霊ではなくて、

何なのでしょうか?

リーダー、教師、権威と呼ばれる人が、ズレることはたくさんあります。だから要注意なのです。聖書とは違う思想を語る、行動する、

人に教える、イコール、それらは神から出た教えではない!生き方ではないと、聖書から識別できる聖書理解が一人一人に必要なのです。

今この世界は、偽情報、偽の教え、偽教師で溢れているからです。

 

偽の教え、混ぜ物〜半分本当、半分嘘の教えには決して迎合しない。

イランの中にも、残りの民はいるのです。リーダーが腐敗し、

悪を働いているだけなのです。市民が国民が皆リーダーのやることに

賛同しているのではないのです。むしろ反対して、辟易しているのですが、弱い力の市民は対抗能力がないだけです。

去年の暮れ、イラン政府に対抗した人々、特に大勢の若者は、天安門事件の時と同じように無惨に、政府軍により殺害されたのです。

日本では、そのようなニュースは、余り報道されなのです。

反ユダヤ思想、そして、ユダヤ人が教えることは、悪から来るという定番の位置付けがされてしまったのです。

ユダヤ人が解説する聖書は、腐敗、堕落していると定義付けられてしまっているのです。

ユダヤ人の教えは、霊的に危険である、ユダヤ人は、真理を取り扱う人として信頼してはならない。

これらが、検閲基準、センサーシップとなり、彼らに対する評価

判定の土台になり、ユダヤ人イコール悪い、毒蛇、まむしの末であるからと迫害へとつながっていったのです。

 

マタイ23:29 偽善なトラー学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、

わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を

飾り立てて、こう言っている、

23:30 『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の

血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。

23:31 このようにして、あなたがたは預言者を殺した者の子孫であることを、自分で証明している。

23:32 あなたがたもまた先祖たちがした悪の枡目を満たすがよい。

23:33 へびよ、まむしの子らよ、どうして地獄の刑罰をのがれることができようか。

23:34 それだから、わたしは、預言者、知者、トラー学者たちを

あなたがたにつかわすが、そのうちのある者を殺し、また十字架に

つけ、そのある者を会堂でむち打ち、また町から町へと迫害して行くであろう。

23:35 こうして義人アベルの血から、聖所と祭壇との間であなたがたが殺したバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上に流された義人の血の報いが、ことごとくあなたがたに及ぶであろう。

23:36 よく言っておく。

これらのことの報いは、みな今の時代に及ぶであろう。

 23:37 ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。

23:38 見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。

 23:39 わたしは言っておく、『主の御名によってきたる者に、祝福

あれ』とおまえたちが言う時までは、今後ふたたび、わたしに会うことはないであろう」。

ある特定の一部のパリサイ派、サドカイ派、議会のリーダーに対して、叱責しているのであり、ユダヤ人全員に対して話しているのではないことは、この箇所を読んでも明らかです。

そして、ゲヘナとは、実際にエルサレムにある場所なのです。

1世紀の時代、悪人、処刑された人、身寄りのない人が、葬られる

場所でした。その跡地が、今もありますが、そこでピクニックをしている人もいます。

イエシュアは、契約の中にある民に対して、契約用語で話しているのです。悔い改めないなら、リーダー達にも破壊、破滅が来ると。

申命記に記されている通り、命を選ばない、イコール、自分自身の

行動で、自分自身に呪いをもたらすと言っているのです。

 

婚姻契約=神の大家族の家訓=モーセの五書=トラーに記された生き方に戻れ!と言っているのです。

ユダヤ人という民族だから、イコール、皆が悪者であるなどと

書いてもないのです。

37節では、イエシュアが彼らを呼び戻しているのです。

この箇所、23章全体を読むと、「ああ」という嘆きが何度もイエシュアの口から出ているでしょう。

嘆き悲しみ、預言者が自分の民に、嘆きかなしみ、呼び起こしているのです。

契約の中にある、イエシュアから彼ら神の教えに反する生き方をしている人たちへの叱責であり、ただしているだけなのに、ユダヤ人、

悪いと、聖書を書いてある意味通りに正しく読まない、クリスチャンの世界で解説される聖書解説は、聖書とは違う教え、解説がふんだんに混ぜられてしまっているのです。

聖書解説の土台が、人の思想だからです。

神の言葉を、人間が編み出した宗教の思想、神学で読み解くから、

聖書に実際に書かれている意味とは、ズレた解説をしてしまうのです。

人間が、神の言葉自体を曲げているのです。

人の伝えるメッセージでも全く同じですが、特に神が伝える神の言葉を一点一画、どの箇所でも人間が手を付け加え、差し引きしてはならないこと、黙示録の最後の最後にトラーに、何度も書かれた同じ警告が記されています。

人が神になり代わり、神の教えは廃れただの、異邦人には関係ないなど、メシアニックジューと自称する人達でさえ、そのように反トラー思想を人に教えている教師達がたくさんいるのです。

いや、その多くは、結局カリスマ運動、カリスマ派であり、

ユダヤ人にメシアを伝えよう運動をしている人です。

異邦人は関係ないから、蚊帳の外!と言う人も大勢います。

トラーを、そのまま生きてもいない人たちがいる。

結局、神の伝える1つの家族、1つ神、1つの家訓を生きる1つの

大家族に戻るという、神の伝える壮大な修復計画を、聖書から

正しく理解していないからです。最後は1つ!とあるのに。

 

100%純粋な神の教えを教えていない、生きてない人が大勢いるのです。

ユダヤ人イコール、皆がトラーを正しく理解し、教えているのではない。同時に、ユダヤ人イコール、全て正しい、間違っているという

十把一絡げ的な、間違った考えを捨てないとなりません。

日本人が100%皆同じことを考え、生きているわけではないのと同じです。クリスチャンの間でも、同じでしょう。

 

自分のメッセージを、人に託したのに、自分が伝えた内容を、少しでも変えられてしまったら、他の人に伝えたメッセージの意味は、

伝言を伝える相手には、自分の意図は正しく伝わらないことは、

簡単に理解できませんか?

今日会おうね!と言って、本当は明日なのだ、などと言われたら、

その会見の日、約束の日を間違って伝えられ、会うことが出来ません。

そんな簡単なことが、分からなくなる、それが人間が作った、人が

神に成り代わって偽情報を拡散させ続けている行為なのです。

それが、西洋宗教の教えで、拡散されてしまっているのです。

神の言われていること、神の深いところにある考え、真理、真実を

人に見せなくさせる妨害、それが人間の編み出した思想であり、

置換神学、デイスペンセーション神学=神と神の教えの進化論偽仮説なのです。聖書に書いてもないこと、聖書に根拠もない思想を

進化論と同じように、真実だと言い続けているのです。

只のフェーク思想です。

そんな思想を通して、聖書を解説されてしまうから、今やクリスチャンは、罪が罪とも教えられず、人権問題だ!などと、問題の本質を

すり替えられて、罪を罪とも考えさせない、神の言葉から意識を完全に逸らされる作戦にハマっているのです。

有名牧師や国会議員、教師がLGBT擁護などと言っているのです。

おぞましい罪に同調しているのです。

歪んだ偽のイエシュアを世界へ、発表して、偽物、悪霊の代弁者になっている。

最悪なのは、罪を罪ともしないで、ゆるゆるな態度、言動、行動で

罪を助長するグループ、教師、伝道師、牧師がいるのです。

それらの教えを、擁護する行為、神に敵対する行為であることを

聖書から理解しない人が、そのような罪を拡散しているのです。

聖書によれば、それらは全て偽の教えであり、神に追放されます。

神は、ソドムとゴモラの人に情けをかけましたか?彼らが悔い改めないと明らかになったから、義人が一人もいないから、ソドムとゴモラを硫黄の火で、一掃したのです。ノアの時代も同じです。

神は長い年月忍耐され、そしてこれまで!というタイムリミットを

設けているのです。神に対する偽証、神の教えを否定し、人間が

神の教えは廃れたという大嘘に対する忍耐にも、神の定めたリミットがあるのです。

無感覚状態〜神の言葉を捨てているから、そんなこと起きるわけなどないと考える状態=神の教えに目覚めていない危険な状態なのです。