聖書の中に、イエシュアがユダヤ人の間で議論している時、
「毒蛇、まむしの末」という言葉を使っていますが、一体誰を指して語っているのでしょう?
イエシュアは、ユダヤ人、生まれつき、血筋、イコール、「毒蛇」と言っているのでしょうか?
ある一部のリーダー、ある特定の人、その場所に居て、イエシュアと
議論していた人達のことなのです。それらは誰ですか?
パリサイ派、サドカイ派のリーダー達です。
毒蛇という言葉をどうして使うのでしょうか。
これらは、蛇、騙すもの、神に敵対するもの、全部繋がっているのです。
神の教えを生きない、神の伝える生き方とは異なる性質のことを
人に教え、生きている人、それが「まむしの末」という言葉の意味です。人種ではない。何の実態、何を信じて、何を生きているのか?
です。
ヨハナンは、悔改めにふさわしい実を結べと言いました。
「毒蛇」聞いたら、その言葉は、ユダヤ人以外の人達には、
この言葉はどう聞こえますか?
ユダヤ人、イコール、悪者、毒そのもの、毒蛇と聞こえるのです。
現実に、ユダヤ人は、もっと毒を生み出す人達であり、毒蛇だという思想に基づき、ユダヤ人は危険、歪んだ聖書解説をする、彼らの
性質は腐敗している、危ないから近づくな!彼らユダヤ人に対して
バイオレンスを働いても良い、Okなのだ!と、是正してしまっているのです。
これは、日本人には、分からない感覚です。
今世界で起きているイスラエルとイランの間の戦いは、神とサタンの
戦いです。これを混同してはならないのです。
イランに住む、一般市民は、まむしの末を生きるリーダーなど
誰一人として望んていない。ペルシャ=イラン、 ハマン、ハメネイ
ユダヤ人を殲滅することが、人生の目標である人から、断固として
聖別された民は立ち上がり、自己防衛しなくてはならないのです。
サウル王の罪、アマレク人を取り残したこと、これは今に至るまで
続いているのです。
本当の敵は、イスラエルの神とその民に敵対するアマレク人のように、イスラエルの神と神の民に敵対する、それらは最も凶悪な存在だと聖書には書かれています。
この間のシャバットの朗読箇所は、出エジプト27−30、
その箇所との関連箇所、申命記25:17–19, 1 サムエル記 15、
アマレク人に関しての箇所だったのです。
神の言葉が、人に誤解され、人を殺める武器になるのです。
クリスチャンの間では、聖書、神の言葉ではない、人間の思想が
神の教えだという偽情報が浸透しています。
置換神学もそれです。ユダヤ人はこのようにイエシュアにも拒絶されて、契約を失った民であり、更にはキリスト殺しだ!と言われてしまっているのです。
置換神学では、ユダヤ人は契約の民から外され、その代わりに異邦人の手に、新しい別の契約が渡ったのであると主張しますが、聖書にはそんな事は書いてありません。
よく調べれば分かりますが、西洋宗教、人間の作った教えは、
聖書が根拠ではなく、誰かの発想、思いつき、思想を土台としたものが、あたかも神が言っている、聖書に書いてもないのに、書いてあるように語り続けているのです。
2つ別契約も、2つ別の家族、イスラエルと異邦人、そんな分裂思想は、聖書には1つも記されていません。
なぜなら、神の壮大な修復の計画、契約は、元通り、1つに修復すること
土から造られた同じ人が、1つ神の元に、1つ大家族として、
神の性質=トラーに記された、神の創造の性質通りを生きる!
これが、最終ゴールであるのに、人間の思想は、神の言葉ではない
「異邦人には関係ない」という、聖書ではない、分裂思想を語り続けているのです。人間創作空想ファンタジーのシナリオそのものです。
しかも、契約を受け取った代表になったのだ〜と言いながら、契約を受け取る代表の意味さえ、全く理解していないのです。
異邦人は、契約を受け取る代表などではありません。
事実、契約に根付いた生き方など、イエシュアを信じならが、
実際に生きてもいないのです。
契約に根付いた生き方を、信じた最初から、生きていない!という
ことにさえ、全く気がついていないのです。
それは、人間が作った宗教の教えを信じて、それを生きているから、気がつけないのです。
契約を受け取る代表者は、神が提示した契約=イスラエルの神の民の大家族の家訓、生き方を捨てた生き方など、決して出来ないのです。
その代償は、トラー、預言書、諸書にクリアーに記されているでしょう。
バビロン、アッシリアに攻められて、約束の地を追放されてしまった。長男、契約を受けとる代表者は、神の言葉を曲げた教えや
生き方を、全世界の前、そして弟、妹=異邦人に示してはならないからです。
神の家の中に、別のシステム、構造、生き様、風習、慣わし、
記念日など持ち込めない!ということにさえ、聖書を読んでも
気がついていないのです。
それは、人間主体、自己中心思想だからです。
人が、勝手に決めて良い!と言い続けているでしょう。
しかも、シナイ山の契約を終了、否定した、別の新しい契約など
聖書のどこにも、記されていません。
聖書に記された永遠の事実は、
1)神の家の家訓=契約=トラー=神の教えは、
シナイ山で与えられたトラー=モーセの五書以外にありません!
2)異邦人は、ユダヤ人を退けて、異邦人を別の契約=存在しない
契約を受け取る代表者などと、神はしてもいません!
このように、空想ファンタジー思想、それが人間が作り出した宗教の
思想であり、実際には、聖書に書いてもないことを根拠として、
聖書ではない、人間の思想を通して、聖書の事実を歪めて解説されて
来ているのです。
クリスチャンはこう言います。
契約を失ったのは、ユダヤ人はまむしの末だからだと、この2つの
概念、思想は、合体し、ペアになっているのです。
この箇所では、ユダヤ人という、生まれ、血筋のことなど話していません。
ヨハネ3:7 ヨハネは、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けようとしてきたのを見て、彼らに言った、「まむしの子らよ、
迫ってきている神の怒りから、おまえたちはのがれられると、だれが教えたのか。
3:8 だから、悔改めにふさわしい実を結べ。
血筋がユダヤ人、イコール、全員が神の言葉、教えを理解し、
契約に根付く生き方をしているのではないでしょう。
神の民にされた、聖別されているという意味は、血筋によるものではないからです。聖別された人は、神に聖別、新しくされた人の実態を
実際に生きている人のことです。
そして、異邦人も同様に、イエシュアを通して、父の元に戻された
事実があるでしょう。その人、イエシュア=ユダヤ人メシアを通して
父の元=創造主、イスラエルの神の元に戻った人は、もれなく
神の家の一員とされるのです。それには、ユダヤ人になる改宗儀式などをしなくても神の家の家族にされる!それが事実なのです。
聖別された人なのに、神の性質=教え=トラーに記された
神の教える生き方をしないで、神の教えを捨てよと教えられ、
実際に神の教えを捨てる人は、イエシュアに属する神の聖別された
人とは名ばかりの実態がないもの、空虚、行いの伴わない空の信仰とヤコブでも警告していることと同じです。ヤコブ2:16-20
イエシュアの言葉でも、分かるでしょう。父をそっくりそのまま
地上で表す為に来られた。父とイエシュアは一体であり、イエシュア
の生き様、言動、行動を見た人は、父を見たと言われたのです。
子は、父の考えと異なることを発言したり、行動しません。
父の言われた通り、言われたことだけをする!とイエシュアも言われました。
父の言われたこととは違うことをする、それはユダヤ人だろうが
異邦人だろうが、父=イスラエルの神=イエシュア=聖霊の実態を
反映して生きてなどいない、いや実態が歪められ、曇って、別物の
影=宗教の教え=人間の教えを生きて、別の影が地上で動いているのです。
パウロの書簡でも、それはクリアーに叱責されているのです。
血筋、イコール、自動的に神の民になる、民として生きているという
ことにはならない!と言っているのです。
実態に伴う生き方をしない人は、イエシュアの性質を反映して
生きてはいない、別物の影を地上で勝手に映して、動き回っているだけということです。
異邦人も同様に、イエシュアを通して父の元に戻ったら、生まれ
血筋は関係なく、天の国の一員、父の者とされた人なのです。
ID、血筋、生まれによるのではない、その人が神の民とされた後、
どう生きているのか?という責任、契約の中に加えられた人としての責任、自覚をもち、神の伝える通りの生き方をしているのか、してないのか!?それだけが、議論のポイントなのです。
神の大家族の性質、生き方通りをしているのか、してないのか?
実を見て、木を知るとは、まさにそれなのです。
父の実態をイエシュアがそっくりそのまま教えて生きた通り
父の教え=トラー=契約に根付いた生き方をしているのかしてないのか?
神の家の一員に相応しい生き方を、神の子らはするのです。
名ばかりのなんとか〜では、意味がありません。
神の子ら、神を愛すると言いながら、神が伝える生き方を捨て、
人間が考えた教えを生きること、これも、神に敵対することを
知らない間にやらされているのです。
知らない間だから問題なのです。聖書を正しく読み、教えられれば、聖書ではないこと、神の言葉は廃れた!という大嘘、偽情報に
読めば簡単に気がつけるのですが、嘘とそれによる洗脳はすごいです。
人を盲目、偽情報、偽の教えで洗脳し、神が伝える永遠普遍の言葉
教えが通じない状態にさせられてしまっているのです。
特にリーダー、特権階級、神の教えを知っていると考えるこのような
ラビ達のように、教える人こそ、本当に注意して自分で聖書から
真実を読み取ろうとしないなら、伝統の教え=人の教えが神の教えだと勘違いし、神の言葉に逆らうことをしているということに、気がつけないのです。
当然、ユダヤ人は、契約を受け取る全民族の代表として選ばれた
12:23 すると群衆はみな驚いて言った、
「この人が、あるいはダビデの子ではあるまいか」。
12:24 しかし、パリサイ人たちは、これを聞いて言った、
「この人が悪霊を追い出しているのは、まったく悪霊のかしらベルゼブルによるのだ」。
12:30 わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、
わたしと共に集めない者は、散らすものである。
12:31 だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。
12:32 また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。
しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。
12:33 木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければ、その実も
悪いとせよ。木はその実でわかるからである。
12:34 まむしの子らよ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして
良いことを語ることができようか。おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである。
12:35 善人はよい倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。
12:36 あなたがたに言うが、審判の日には、人はその語る無益な言葉に対して、言い開きをしなければならないであろう。
<神の教えに反する、神の教えを捨てよ!廃れた!という発言も
同じように重たい責任、審判があるのです。神の言うことを、
人間が塗り替えて、別物に歪めているからです。>
12:37 あなたは、自分の言葉によって正しいとされ、また自分の言葉によって罪ありとされるからである」。
ユダヤ人ではない 言葉、語り口、リーダー、道徳心を失っている
問題は、これらのリーダー達の言動、態度、行動、生き様なのです。
12;24は、 ユダヤ人は、 生まれつき、悪い、腐敗している
イエシュアは、パリサイ派ある一部、宗教リーダーの人に対して
話しているのです。
全てのユダヤ人だ!ということにされて、行動、振る舞いではなく
ユダヤ人=イコール悪となったのです。
悪〜悪を働き、語り、悔い改めないままいることです。
ユダヤ人だから、生まれつき、悪ではない。IDではない。
生物学的遺伝ではない。
ユダヤ=悪とされた 危険! ステレオタイプ固定概念、先入観
自分の空想イメージに当てはめた思い込み=ユダヤ人というのが
できたのです。
人を巧みに操り、操作し、信頼できない人種だ!
ユダヤ人であることで、彼らに対して、正しく語られないのです。