神の教え 言葉を捨てるように人に教える罪は重い | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

イエシュアは、姦淫の現場で、イエシュアにより救い出された女性に「2度と罪を犯さないように」と言われました。姦淫の罪OK,LGBT

OK、罪やり続けてもOK!と言いましたか?

その罪を続けたまま生きていたら、呪い、悪いことが身にふるかかるからです。

一体、いつから、聖霊が内側に住む人が、神の禁じている罪を罪ではないと、人に教えるような風潮に染まっていったのでしょう?

ローマ帝国です。いや、祭司達も、人々に神の聖別を教えず、トラーを正しく教えない罪をしたことが、預言書に記されています。

国の政治、独裁者の決め事に迎合した異邦人だからです。

今も以下に記された罪を、リーダーがやり、人に犯しているのです。

 

昇天以降と以前は、教えが違うという大嘘、偽情報を通して、

考えるから、創世記〜マラキに書かれていることは、自分には関係ないと、他人事のように、読んで、神が自分に今語っている同じ真理であるという理解が出来ないのです。

 

エゼキエル22:26その祭司たちはわがトラーを犯し、聖なる物を汚した。彼らは聖なる物と汚れた物とを区別せず、清くない物と清い物との違いを教えず、わが安息日を無視し、こうしてわたしは彼らの間に汚されている。

 

これは、最初から同じです。イスラエルは契約を受け取った民なのに

高きところ=偶像礼拝、異教の神々の礼拝場で、彼らと同じように

モレク神に子供を捧げ、同時にそれでイスラエルの神を礼拝していた

混ざり物の礼拝に染まってしまったのです。

罪を罪とも認識できない、それは、神の言葉は廃れた!それぞれが

考える解釈が大事だ!と人が神になり変わる行為、西洋宗教本質そのものを学んでしまって、それがOKだとされる。

議論の余地がないのです。神がNoと言われたら、同時にYesにはならないのです。

同性婚NO、LGBTは、神の創造の性質に反しているからNOと言わなくてはならないのに、有名伝道師、教師までもが、今や神の教えを

正しくなど教えておらず、ゆるゆるの思想を述べている。

この世と交わり、同調し、シンクロ、迎合している世も末なのです。

クリスチャンの中で、罪を犯し続け、それをやめない人は、

どうなるのかトラーにはっきり記されています。追放される。

 

神の教えを捨てる人は、神に伝える罪の定義、基準を捨てているから

何が罪なのかも、判別できない、識別できない状態になってしまっているのです。

神の伝える人の生き方、罪の定義、聖別の定義全て、永遠に同じです。

パウロもトラーに書かれた事実を書いています。

追放されてしまうのです。他の人が危害、汚染を被るからです。

羊の中に狼は招いてはならない!という、基本中の基本。

神の群れで、汚れた行為を継続する人は、神の宮、神の群れの

評判、聖別を汚して世間にイエシュアを誤ったメシアとして

伝えてしまう!これを、理解しないとならないのです。

 

本気で悔い改めをしようとしない人には、助ける余地はないのです。

そして、イエシュアを信じない、一般の人を正すのは無理です。

神社仏閣に油をまいて清めた人の思想、行動と同じです。

 

イスラエルの神を知らない人達は、どんなズレた生き方もしますし、そのような人達に対して、思想、行動をいきなり正すことを、

するなど、人にはできないことなのです。

最近ニューヨークで逮捕された日本人医師、神社仏閣に油をまいて

清めたと主張する人は、隣の国出身のカルト系キリスト教の教団の

人で、聖霊に導かれてやったと言っていました。

聖霊に導かれたと思うのは、主観的なのです。

自分の考えで、建造物損壊罪を犯しただけです。

聖霊に導かれて、どれ程ズレたことをしたか、経験は誰でもあると

思います。

聖霊に導かれた〜その人が、罪を犯す?聖霊が内側に住むのに、

罪を犯し続ける?それは、聖霊=神の言葉に聞いてない生き方を

しているだけです。

聖霊に導かれて神の教えを捨て、人にもそう教え、神の創造された

記念日全て捨てて汚す?これ、聖霊に導かれていないのは明らかです。神の教えを正しく理解していない事は、明らかなのです。

部分的に聖書の真理を教えているだけであり、後は神の教えを捨てた思想、生き方、人間が作った思想宗教を教え、生きている。

その事にも、気がついていないのです。気がついら、その場、その教え、その思想、生き方から即座に離れるからです。

 

聖霊は、神の言葉=聖書に記された神の教えに反する教えは、

1つもしていませんし、永遠にしません!

聖霊は、神の言葉に記されているのです。神=言葉=イエシュア=

聖霊であることが、聖書の最初から最後まで記されていることに、

盲目なだけです。聖霊が神の言葉を、人を介して記したのです。

言葉で全てが造られているのです。神の性質=言葉に反した生き方を

人がやっているだけなのです。

その聖書の記述とは違う教え、解説をしているのが、人間が編み

出した思想、宗教、聖書ではない神学なのです。

聖書ではない、聖書に記されていない、それらは全て神の教えでは

ない、人間の考えです。自分で聖書を読んで、何が聖書に書かれて

いて、何が聖書に書かれていないのか、はっきり把握しないとならないのです。それが無い場合、人間が作った宗教、人間の教え、

人の思想が神の教えだと、簡単に騙され続けてしまうからです。

 

神は神の教えを人が捨て、神が罪と言われることをして良い、

神の聖別を汚す行為をして良い、神の記念日を汚し、いつでも人間が

決めた日に変えて良い、人間が作った記念日が今や主の日、聖日で

あるなどと、1度も人に教えていないどころか、人が神のトラーと、神の記念日を汚すことを、断固として禁じているのです。

神の教えに反することではなければ、やれば良い。

その場合、人に迷惑なことはしてはならない、他者の、家族の時間帯を考えないといけない、その他考慮しないことは、たくさんあるでしょう。

行動自体が悪くなくても、人に迷惑、負担をかける、家族を蔑ろに

する行動は取れない。

それは、成人であり、他者への配慮、家族を大事にする人なら

誰でも考えられる内容です。

毎週、3回ジムで運動しようと決めている人は、その人はそうすれば良い。そして、皆がそれをしなくても良い。

毎週、一回一食断食しよう、体に良いからとする人は、すれば良い。

それが、ローマ14に書かれた、断食の日はいつが良いか?という

議論している人に対して、それぞれが考える日をすれば良いという

パウロの提案です。

パウロは、人間の意見で、神のモアデイムを仕分けて、決めれば良いなどと、10000%教えていません。

その行為は、イコール、人間が神になり変わり、神の教えと神の記念日を塗り替えようとする、反キリストの行為そのものだからです。

パウロは、神のトラーを正しく人に伝える役割を与えられた使徒です。使徒とは、神により遣わされた人という意味であり、神の教え

トラーに反する西洋人がしたような神の教えを曲げる思想や、個人の

考えで、神の言葉を、曲げる、変える、否定する、捨てるような思想を1度も人に伝えなどいません。パウロの論点を、読み手が正しく

理解していないことが問題だからです。

その大きな原因は、異邦人はもともと神の教えを知らない、トラー

契約に根付いた生き方を知らない。プラス、西洋人ローマ帝国が

作った宗教のせいで、神の教えを正しく教えられていない、学ばない

その代わりに、人が編み出した宗教、思想、置換神学やアイルランド人が20世紀に作ったデイスペンセーション神学という人間の思想を通して、聖書を曲げて歪めた聖書解説だけを聞かされているから、

何が聖書に書いてあるのかさえ、正しく教えられていない、契約に

根付いた生き方さえ、イエシュアを信じながら生きていないのが

実情なのです。

神の教えではないことは、神が伝える罪ではなければ、その人が良いと考えることをすれば良いのです。

聖書には、何時に起きなさいとか、朝2時に起きないと霊的ではないとか、人にそういうことを強要する、そんな教えは書かれていません!

その人のライフスタイルに合った、最善の生活をすれば良いのです。

しかし、神は、神の暦では、第7日目がシャバットであり、月の1日が新月であり、第一の月の15日が、過越、種無しパンの7日間、

そして過越から3日目が、初穂=イエシュアに連なる新しい命を与えられたことを表す記念日。

そして、その時から七週間は、穂を数える週を過ごし、それが終わる

時、第50日目が、シャヴオート、神の民とされた聖別された人が

シナイ山で婚姻契約=トラーを受け取った記念日を祝う。

第七の月の1日は、ヨムテルア、角笛を吹く日。神の声、コール

王の王が来られる!警告サイレン、目覚ましコールです。

そして、その日から10日後が、大贖罪日。

大祭司である、イエシュアのされた業を皆で思い出す日です。

そして、15日から7日間が、仮庵に住まう7日間の祝宴の日で

毎日パーテイ、ご馳走、家族、友人、親戚と過ごす一番大きな祭りです。イスラエルだけが、神の契約を保持する民族として選ばれ

国全体で、この祭りを盛大に祝うのです。

そして、第8日目が仮庵の最後の日に繋がる記念日でありシャバットとして止まり祝う日です。永遠にイエシュアが統治する未来預言が

表されている日なのです。1日ではない。第8日仮庵の祭りが継続されること、永遠に続く事を表しているものです。

未来、イエシュアが戻られたら、全ての人が、神の創造された記念日

を祝うことに戻る!と預言されているのに、どうして無視されているのか?と考えた方が良いです。

今は人間が作った教え、記念日を生きて、未来はそれが全部廃れて

消えて、神のオリジナルの教え、記念日に戻る?そんなこと聖書に

書いてありません。

最初から、最後まで神の民、聖別された人は、ユダヤ人、異邦人

血筋に関係なく、神の教え=契約に根付いた生き方をし、

神の創造された記念日を生きる!と教えられているのです。

それを、無視、捨てよ!と言って、人に混ざり物の宗教をやることを帝国の勅令で強要したのが、ローマ帝国なのです。

2023年の10月7日がその記念日で、イランに雇われたハマスが

イスラエル集団殺戮テロを行った日です。

今回は、プリムの前にあるシャバット、2月28日、今から一週間前のシャバットに、アメリカ、イスラエルのイランの軍事設備施設

要人への攻撃、そこからのイランからのイスラエルへのミサイル攻撃始まりました。

ユダヤ人が契約の民から追放された、そして、偏見、先入観が

定番になっているのです。

パリサイ派、サドカイ派全員、偽善者と考えているでしょう。

ヨハネ 8:27 彼らは、イエスが父について話しておられたことを悟らなかった。

 8:28 そこでイエスは言われた、「あなたがたが人の子を上げてしまった後はじめて、わたしがそういう者であること、また、わたしは自分からは何もせず、ただ父が教えて下さったままを話していたことが、わかってくるであろう。

 8:29 わたしをつかわされたかたは、わたしと一緒におられる。わたしは、いつも神のみこころにかなうことをしているから、わたしを

ひとり置きざりになさることはない」。

 8:30 これらのことを語られたところ、多くの人々がイエスを信じた。

8:31 イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、

「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、

ほんとうにわたしの弟子なのである。

8:32 また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を

得させるであろう」。

8:36 だから、もし子があなたがたに自由を得させるならば、

あなたがたは、ほんとうに自由な者となるのである。

8:37 わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫であることを知っている。それだのに、あなたがたはわたしを殺そうとしている。

わたしの言葉が、あなたがたのうちに根をおろしていないからである。

8:38 わたしはわたしの父のもとで見たことを語っているが、あなたがたは自分の父から聞いたことを行っている」。

8:39 彼らはイエスに答えて言った、「わたしたちの父はアブラハムである」。イエスは彼らに言われた、「もしアブラハムの子であるなら、アブラハムのわざをするがよい。

8:42 イエスは彼らに言われた、「神があなたがたの父であるならば、あなたがたはわたしを愛するはずである。わたしは神から出た者、

また神からきている者であるからだ。わたしは自分からきたのではなく、神からつかわされたのである。

8:43 どうしてあなたがたは、わたしの話すことがわからないのか。

あなたがたが、わたしの言葉を悟ることができないからである。

 8:44 あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者で

あって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。

8:45 しかし、わたしが真理を語っているので、あなたがたはわたしを信じようとしない。

 <神の教え=トラーを信じない人は、イエシュアが語る言葉を捨て

言われたいる警告は通じないのです。イエシュアは、100%モーセの五書=トラーだけを話しているからです。神の教えが廃れた?

なんという悪、冒涜の教えが拡散されてしまったのか。。。>

8:46 あなたがたのうち、だれがわたしに罪があると責めうるのか。

わたしは真理を語っているのに、なぜあなたがたは、わたしを信じないのか。

8: 神からきた者は神の言葉に聞き従うが、あなたがたが聞き従わないのは、神からきた者でないからである」。

8:48 ユダヤ人たちはイエスに答えて言った、「あなたはサマリヤ人で、悪霊に取りつかれていると、わたしたちが言うのは、当然ではないか」。

 8:49 イエスは答えられた、「わたしは、悪霊に取りつかれているのではなくて、わたしの父を重んじているのだが、あなたがたはわたしを軽んじている。

8:50 わたしは自分の栄光を求めてはいない。それを求めるかたが別にある。そのかたは、またさばくかたである。

8:51 よくよく言っておく。もし人がわたしの言葉を守るならば、

その人はいつまでも死を見ることがないであろう」。

<わたしの言葉=父の教え=トラー=モーセの五書に記された神の教えのことをイエシュアは言っているのです。>

 8:52 ユダヤ人たちが言った、「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今わかった。アブラハムは死に、預言者たちも死んでいる。

それだのに、あなたは、わたしの言葉を守る者はいつまでも死を味わうことがないであろうと、言われる。

8:53 あなたは、わたしたちの父アブラハムより偉いのだろうか。

彼も死に、預言者たちも死んだではないか。あなたは、いったい、自分をだれと思っているのか」。

8:54 イエスは答えられた、「わたしがもし自分に栄光を帰するなら、わたしの栄光は、むなしいものである。わたしに栄光を与えるかたは、わたしの父であって、あなたがたが自分の神だと言っているのは、そのかたのことである。

8:55 あなたがたはその神を知っていないが、わたしは知っている。もしわたしが神を知らないと言うならば、あなたがたと同じような偽り者であろう。しかし、わたしはそのかたを知り、その御言を守っている。

<イエシュアは、御言=トラー=モーセの五書=父の教えを守っていると言われた。どうして、クリスチャンは、イエシュアが守った

御言=トラーを捨てよ!と教えられ、実際にそうしているのか?

8:56 あなたがたの父アブラハムは、わたしのこの日を見ようとして楽しんでいた。そしてそれを見て喜んだ」。

残りの民は最初から存在します。

最初から同じ教え、同じ福音しかありません。

誰も、イエシュアの贖いの血、永遠の中に屠られた子羊の血の代価を
通して以外、父の元には戻れないのです。
そうすると、人間の思想が聖書では無いことがわかります。
生贄と呼ばれるコルバンは、人の罪を消さない、その目的でコルバンを捧げているのではないからです。
コルバン=イエシュア、目に見えない子羊の血の代価の事実を通してだけ、神の前に出られる、神と関係を持てる、新しくされた事実がある、その事実からだけ、神と関わることを、教えているのがコルバンだからです。