神の家に以前の家の生き方を持ち込み神と神の大家族とは共存はできない | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

一週間が巡ると6日で、労働、創造、作業の時が止まります。

6日の日没です。それが、金曜日の日没です。

この時になると、理解していなくても、誰もが体も止まるモードに

なり、緩みます。

神がこのように、神の時、暦を創造されたのであり、人間が時を

創造し、時を区分する事を決められるものではない。

人間が神の時、モアデイムを創造などできない、作り替えることも

できない事実からだけ、考える必要があるのです。

 

エデンの園で起きた、最初の事件と同じです。

人は、神により自由意志を与えられて、リモコンで操作するような

ロボットに造られていません。

 

相手=神の考えを聞く 聞いた通りを受け取り、それを自分の信条とする。行動で、相手の意図を尊重することを表す、生きる。

遺言通りに執行するのと同じ意味、態度が必要なのです。

問題は、神に創造された人間であるのに、その身分、成り立ちの

境界線を乗り越えて、神に造られたに過ぎない身分の人間が、

神と同等、対等の立場、権限を持とうとしたことが、問題の根なのです。

自分が誰か、自分が神に造られたという自己像を捨てて、別物〜神に

成り代わる思想、行動をする。

これは、LGBTも全く性質の同じ問題なのですが、神の創造された事とは違うことを考え、行動すること、神が言われた事を、

人間が塗り替える事、これが問題の根なのです。

蛇の誘惑の1つに、こうあったでしょう。

これを食べると、あなたは神のようになると。

それ、嘘でしょう。神は人を、神の似姿、そっくりそのままに似せて造られたとあるからです。

創世記3:5

それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」

 

「神はあなたから、大事なものを隠しているよ。

あなたはそのままでは実は、まだ不完全で、足りないんだよ。」と。

嘘でしょう。神の似姿通りに、完全な存在として造られた事実があるのです。

この嘘、偽情報は、今でも蛇の囁きでしょう。

どれ程、蛇の囁きを信じて、貶められ、落胆させられ、自分を卑下し

自分をダメな人と思わされていると思いますか?嘘に聞き入って、

神の伝える本当の自己像=イエシュアと共に復活した新しくされた人になっているよ!という神の語る事実を、本当は信じてないのです。

 

神が永遠の中に完結している完了された贖いの業で、人を神の元に戻すため、新しくされた実態を既に与えられているのに、自分の感覚、フィーリング、体験、行動、思考を基準として、「私は未だ罪人。」と言い続けるように、宗教の教師が教えているでしょう。

自分が誰か分からない人、神の完全なる贖い、完了の業を信じない人には、他者に、神が与えた本当の自己像を教える事などできません。

自分が誰か分からないまま、彷徨って、自分探しをしている人に

他者を手引きすることなど出来ないからです。私が誰か教えて?と

その人が内側から叫んでいる。

神は、自分の感覚、ズレてしまう体験、行動、フィーリングに頼れ!

などと言っていません。

神がされた業、完全、イエシュアと共に死に、イエシュアと共に復活したその事実を、たとえズレたとしても既に与えている!という

神の提示した事実だけに立って!と教えているのです。

 

蛇の騙しは、トリックのやり方は、ずっと同じです。

人に嘘を刷り込み続けること、その中にちょっと真実も混ぜて語るから、嘘と本当の区別が付かない混ぜ物の教えを刷り込むのです。

そうすると、偽物を見させられているから、本物=神の語る真実が

見分けられないようになるのです。

目の前に書いてあっても、見えない盲目に陥るのです。

私達は自分の解釈、考え、理解、自己基準、自己判断、自己を見て、神のされた業を判断するのではないのです。

永遠の中に神ご自身が屠られた子羊の血の代価、その事実が永遠の

基準なのです。

神がされた業により、人は、完全にきよめられた、罪ゆるされた、

完全なるものとされた。

それは、2度と罪、ズレをしないようになったということではないのです。今日失敗しない、失言しない、イラッとしない、罪を絶対に

犯さないようになったということではないのです。

この違い分かりますか?私達は、贖われて、神の者とされても、

即座に、体は別物の朽ちない体は誰も与えられていません。

詰まり、以前の自分、実際に頭脳に先祖代々体験して来た自分が

知らない記憶までもが染み付いていて、それを肉に染み込まされて

生まれて来て、この世で、ズレた生き方をずっと今日まで、偽物の

学習して生きて来たその記憶は実際に頭脳にそのまま存在しているからです。

その脳回路は、新しくされた事実に立って、切り替える再学習が

待っているのです。神が魔法の杖で、一瞬で体、全ての記憶、

思考回路、生き方を一方的に変えるのではないのです。

無造作、野放図に生きて、神の教えに注意を払わないで古い人の

意識のまま、考え、行動、嘘を聞き続けたら、成長などできないからです。自分が、新しくされた人の実態を生きる以外、切り替えの手段はないのです。

今オリンピックですが、スポーツ選手を見ても分かるでしょう。

日々の訓練が実際にある。教科書読んだだけで、それで、その技術を体に取得出来るのではない、実際に練習して、テクニック、技術を

自分のものとして行く過程があるのと同じなのです。

 

2コリント10:5でパウロが短い言葉で解説しているのは、

荒野の40年、贖われた人が、新しい人として成長する秘訣を書いているのです。

魔法の杖の一振り、一発で、全部神があなたを変えますなどというのは、ないでしょう?

神の声=言葉=教えを聞いて、本当の自分を生きる再学習は自分が

やることだからです。

それが、聖書にずっと書かれているのです。

ノアも、アヴラハムも、ヤコブもそして、イスラエルの民=神の国の

民となった民族、国家全体で40年、荒野の旅をしたのは、

神の言葉=ダヴァルを、ミッドヴァ=荒野で聴き分けて生きる訓練を

させられたことでも、教えられているのです。

その中に、「救いの岩」イエシュアが付いて来た、神の臨在があり、火の柱と雲の柱にずっと導かれて、神にだけ供給、養われて生きた

40年の旅。40年とは命が巡るサイクルでもあるのです。

 

神が伝える、神が与えた本当の自己像=全ては過ぎ去り全ては新しくなった!と神が宣言することとは違う自己像を語る声は、

あなたは失敗したと、あなたはダメな人と言い続け、あなたは

信じた後も、所詮罪人、あなたに恵などありませんよ!と言う

嘘を蛇が頭脳の中でずっと言い続けるのです。

これ、ダビデも囁かれたことが、詩篇に記されているでしょう。

その声を遮り、神がされた業、神が伝える私達の本当の自己像を

宣言し続けないとならないのです。

罪人の自己像を頭にインプとする人は、罪人の自己像にぴったり

沿ってしか、行動、思考ができなくなります。

その場合、逆にずれることがたくさん出てくるのです。当然です。

自分は所詮罪人とだから しかたないと収まるからです。

罪が何か、ズレが何か、新しくされた人の事実を学習しないからです。

一方新しくされた人の自覚、自己像を生きる時、ズレが瞬時に分り

敏感になり、すぐ本当の自分に戻ることを練習し続けられます。

 

神の民とされた人は、独特な生き方に招き入れられているのです。

異教の神々の国に生きている人とは、違う生き方です。

天の国の祭司、神の宮と神の言われた事実を自称するならば、

その人達は、神が提示した契約の生き方に根付く生き方をする人で

あるという神が創世記〜黙示録まで一貫して同じことを伝えている

事実を、はっきり聖書から理解しないとならないのです。

 

問題をすり替えているのです。

神に創造された人の生き方の解説が、多すぎる、神が人に伝えることが難しい、厳しすぎる?そのような意識でしか、神が伝える神が

創造された人の生き方を聞くことができない思考回路こそが問題なのです。永遠をかけて、神との関係を築く、育むのです。

精密に作られたパソコンやその他の機器のマニュアルに、

機能の詳細が全て書かれている、多い=悪いとなりますか?

神が創造された神の性質=イエシュアそっくりに創造された人は

〜〜〜を生きて、〜〜〜〜を生きないと、その詳細を神が人に教えているのです。

そして、神ご自身がどんなお方であるのか、人に神の考え、人が

知る必要がある全てを伝えているのが、契約=モーセの五書=神の

教えなのに、それを捨てよ?なにがしろにしてよい?

完全に神とは違う偽物の声です。

神の家に住まう人は、神の家とは違う生き方を勝手に外から持ち込み、神と神の聖別された神と共存は出来ません!

問題は、神に創造された人間が「自分が神と同等の立場、基準、

中心判断の権威になることを主張して生きていること」なのです。

 

神が創造された世界、神が与えた神の大家族の生き方、神の家に

自分の考え=土足のまま勝手に上がり込み、神が神であることを

忘れ、人ではない神に、人はどう近づくか、関係を持つか、関わるかをはっきり神の家=ミシュカン、神殿の中に入ることで、神ご自身が人にはっきりと教えているのに、人間の考えを神の国=家の中に

持ち込み、神が提示した聖別を平気で汚す行為をしているのです。

 

神に家、神の臨在、神の国、神の前には、神が提示する生き方と、

人間が考えついた、ライフスタイル、生活システムは絶対に共存できないのです。水と油状態になるのです。

神に100%聞いて生きると言うことを、人は基本嫌うのです。

でも神のものではないものを、神に属さない思想、生き方は、

神の家には持ち込めないのです。

聖書に記されているこんな基本的なことを、理解していないのは、

神の言葉=トラー=契約に根付く生き方、教えを、ごっそり異邦人は捨て、捨てさせられて、神が何を人に教えているのか、神の家に

住まう生き方を、知らないままいるからです。

 

メシアを信じる、ユダヤ人の中にも、異邦人は蚊帳の外などと主張する人もいますから、聖書ではない聖書解説は、ことごとく多くの人を

通して、曲げて語られてしまっているのです。
もし、創造主、イスラエルの神が自分の神であるとし、神を神とする

生き方に切り替えたと言うならば、人間=ローマ帝国が作り変えた

教えを主、我が神の教えとする生き方は、本質的に共存できないし、両立しないのです。

そのようなことする事を、神が姦淫の罪と、はっきり言及し、断固

禁じているのです。

神の家に別物の教え、別物の儀式、別物の記念日、それらを通して

イスラエルの神に近づくこと、神と親しい関係に留まることなど

出来ません!とはっきり、神ご自身がお断りされているからです。

別物だからです。神が提示されている、生き方とは異なる、

イスラエルの神のもの、神に属するものではないからです。

我が家のやり方ではありません!ということと同じです。

 

イスラエル以外の国に住む場合、異教徒の国々であり、創造主である

神が提示する生き方、神の暦を実際に生きる民族は地上の国には

ありません。

これ、よく考えると、神の計画そのものが形ではっきり見えるものでもあります。

ユダヤ人という総称は色々な意味で使われていますから、これは、

反ユダヤ思想がなぜ起きたのか?というトピックの時に書きたいと

思います。

イスラエルの中に住む、契約の民は、それぞれ全ての人が神のトラーを意識して住んでいるわけではないのです。

しかし、政府が神の契約=トラー=神の教え、神の暦に沿って国を

司るということは、他の国ではないことなのです。

 

これで、イスラエルという国が際立って別の国とは区別されている

生き方をしていることは、彼らの実生活の実践、文化、記念日でも

見えるようになっているのです。

 

ヘブルという言葉がありますが、ヘブライ語では、イヴリ、

עִבְרִי という言葉です。

これは、水=イエシュアを通して贖い出された人のことを表しています。

「超えた者」何を超えましたか?私達全ての人は、エデンの園を飛び出して、神から切り離されました。エデンの園の外、神と隔たりの

場所の中に閉じ込められて、自力では神の元に戻ることなど出来ない場所でもがいていました。

全ての人がその状態なのです。全ての人が、実際にエジプトに住まわなくても、エジプト=偽物の神々、王、価値基準、人生目標、

偽の自己像の奴隷だった、今も偽物の教えの奴隷なのです。

その人の所、神は一人一人の所に来て下さり、私達は、その奴隷状態から、神により贖い出されて、死から救い出されたのです。

クリスチャンの教えでは、神の言葉を生きて義とされると言いますが、その人間の思想は、聖書ではないことが、はっきり記されています。

誰一人、努力や行いで、神のもとに戻ることができない!それが

書かれているのです。神の購い、救いは、永遠の中に完了し、

その事実は時代ごとに変わりません。神の業の進化論を語るのは

アイルランド人ダービー教、デイスペンセーション神学を信奉する人の思想であり、それらは聖書ではありません。