ヘブル 1:1 神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時にいろいろな方法で、先祖たちに語られたが、
1:2 この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を造られた。
終わりの時、イエシュアが到来したらそれはもう、終わりの時代なのです。
そして、イエシュアにより、預言者により神が語ったこと、
神の教えを、神の性質通りに生きることを、イエシュアを通して
人が初めて目撃、体験することになった!と言っているのです。
それまで誰一人として、トラーが肉体となって、神のトラー
人間の本来の生き方そのものを、人の間で、地上で生きて、
お手本を示せる人は誰もいなかったからです。
イエシュアが来たから、今迄とは別の新しい教えが出現した
古い教えが破棄された!という、幻想、空想、人間の編み出した
偽物の教えを全て捨てない限り、聖書、神の語る永遠不変の神の言葉の真実は、偽情報を信じる人の頭脳に届かないままにります。
古い教えと言いますが、神の教えは全部丸ごと1つ、トラーで
あり、モーセの五書が神の教えの完全版なです。
それ以外の神の教えはありません!しかも、人間が神の教えを
付け足し、差し引きするな!と神が警告していることを、
ギリシャ帝国、ローマ帝国が反キリスト行為をやり続けたこと
クリスチャンは理解しないとなりません。
人間が神の教えを捨てる行為!変える行為!死に匹敵する罪!
と聖書に書かれているのに、罪の定義を捨てる人は、何が罪なのかも、分っていないまま、勝手なことを言い続けているのです。
クリスチャンが、マタイ以降しか読まないのに、神の教えの全貌
など、分かる訳ありません。そして、トラー=神の教えの全貌を学ばないまま、プラス、神の教えを生きていないのに、何が神の教えか、分かるわけなどないのです。
部分的に知っているだけです。そして西洋宗教の教え、教理、
実践、記念日、儀式をやっているだけです。
聖書を立ててみても分かるでしょう。
マタイ〜黙示録は、聖書のたった25%しかないのです。
そこには、神の教えの完全版、トラーの全貌は記されていません。その中には、トラーに反する教えや、トラーを破棄せよ!
と勅令を出した、ローマ帝国皇帝の思想、教えは記されていません!その中には、ローマ帝国が作った、日曜礼拝も、クリスマスも、イースター祭りも書かれていません!
自分で読んでみて、分かるはずです。
読んでも、分からないという言い訳などできないのです。
書いてないことを、書いてある書いてあると教えられ続け、
書いてもない人造宗教の伝統を実践しているから、書いてあると思い込んでいるだけなのです。
そして、神は今は、人間がどの日を神の記念日にしても良い
ローマ14のパウロが人の慣し、神の教えに反していないけれど
断食や、菜食主義は、神の教えではないから、人がそうする
理由、信仰の浅い人は、偶像に捧げた肉を知らないで食さないために、野菜だけ食べる、又は断食をどの日にするのかの議論など
神の教えなどではないから、その人が良いと思う日を決めてやれば良い!と言っているだけなのです。
それなのに、神の記念日、シャバットや祭りを、人の意見で勝手に作り替えて良い!というでたらめ、ローマ帝国が勝手にやったことへのサポート的思想を解説していますが、それ完全に神の
教え、パウロの語ることと100%逸脱した間違った聖書解説です。
神は、神の教え、神のモアデイムを人が汚すことへ断固として
抵抗、厳重警告し、「わたしの聖別を汚された」そのことを、
嘘である!とご自身で証明する!と預言しているでしょう。
はっきり言って、異邦人も、イスラエルが犯した同じ罪を、
やっているのに、気がついていないのです。
エゼキエル 22:8 あなたはわたしの聖なるものを卑しめ、わたしの安息日を汚した。
36:22 それゆえ、あなたはイスラエルの家に言え。主なる神はこう言われる、イスラエルの家よ、わたしがすることはあなたがたのためではない。それはあなたがたが行った諸国民の中で汚した、わが聖なる名のためである。
36:23 わたしは諸国民の中で汚されたもの、すなわち、あなたがたが彼らの中で汚した、わが大いなる名の聖なることを示す。
わたしがあなたがたによって、彼らの目の前に、わたしの聖なることを示す時、諸国民はわたしが主であることを悟ると、
主なる神は言われる。
神の前に罪、聖別を汚す行為!そういうことをしてはならない!と言われているのに、神の教えを捨てる人には、神の教え、
警告は全く通じない状態になっているのです。
神の教えを捨てる行為、それは神が伝える聖別の定義、罪の定義を根こそぎ人間が自由に言い換えている!ということに気がついてないのです。
偽情報=神の教えは廃れた!というその大嘘が、ローマ帝国皇帝の勅令であり嘘!と気がつけば、嘘の方を捨てて、神の言葉に
戻ることができます。神の言葉を捨てる、危険な区域に頭脳が
思考回路が侵入している!と気が付かないとなりません!
神の言葉は変わりませんから、神は聖霊を通して書かれた言葉
聖霊ご自身を通して、真実を神の言葉から教えてくださいます。
神の教えが廃れた!と偽情報を信じ込んでいる人には、神の言葉は届かないのです。
神の教えを破棄、終了、厳しい律法!という人には、神の教えや、神が定めたモアデイムを祝う意味、意図など分からないままになるのです。
イエシュア=トラー、言葉、神の教え!ということが、見えない
盲目状態で、知らない間に、イエシュアご自身に対して、敵対
させられているのです。サタンが裏にいるからです。
本当に神が言われたことを理解できれば、神ご自身である言葉を否定することは、2度とできない、やりたくない!やってはならない罪!と理解できるようになります。
クリスチャンが嘘、進化論を本当と言えなくなるのと、全く同じことです。真実を知れば、嘘は言えなくなるからです。
部分的に、そして、その人が信じる西洋宗教の教派、教団の思想を通して語られる聖書解説が本物!と信じているのです。
サドカイ派も、復活を信じていないと書いてありますよね。
サドカイ派が復活を信じなくても 復活は事実でしょう。
クリスチャンが、神の言葉は永遠に廃れない、変わらないと
信じていなくても、 神が伝える通り、イエシュア=言葉=トラーであり、神の言葉は永遠不変であり、神はトラーを生きよ!と人に教えているのです。
おかしいでしょう。どうして、人間主体になり、神の言葉を人間が捨てて良い!変えて良いなどと、神が教えるのですか?
神の言葉に付け足し、差し引きするな!と逆を警告しながら、
真逆を言う神?分裂思想の、頭おかしい神でしょうか?
そんな神は、聖書に書かれている神ではない。
誤訳、解説、間違った聖書解説で、聖書に書かれていることを、正しく学ばない教師が、こぞって聖書ではない、神の教えを否定する、終了!という、ローマの思想、デイスペンセーション神学、聖書ではない教えを語り続けてしまっているのが実情なのです。
偽情報を信じる人が、神の教え、招きを捨てて、退けて、その
代わりに、人間コンスタンチヌスが作った人造混ぜ物宗教の教え
伝統、儀式、記念日を通して、イスラエルの神に近づくことを
やっているのです。
神は何でも良い!違う教え、異教の神々、女神の教え、記念日と交わり、混ぜても良い!神の教えを捨てて、神のモアデイムを
捨てて、別物で神に近づいても良い!などと言ってません。
それどころか、それらの行為を、「わたしが、世界の人々の間で汚されている!」と訴えているではありませんか!
神の教えが廃れたという偽情報を信じる人は、そのような神の
言葉を全部都合が悪いところを、消しているのです。
そして、ユダヤ人だけの教え!古い廃れた教え!今はその教えは
無くなった!と勝手なことを言い続けているのです。
神の教えを人がどう受け取り、考え、拒絶して 捨て、
人間の教え=別の教えに聞き入り、混ぜ物を生きていても、
それにより、神が人に押し切られて、混ぜ物を受け取ることなどしないのです。
神が伝える永遠不変の真実は 変わりなどしないのです。
全ては、人の側の問題です。神の言われることを捨てる、無視
する、人間が編み出した教えとも気がつけず、いや気がつけるでしょう。聖書を読めば、人間の教えを混ぜたら、矛盾だらけに
なってしまうことを、知りませんでした!などと言えません。
小学校低学年の読解力があれば、何が書かれて、何が書かれていないのか分かるはずでしょう。
七を1と勝手に読みかえ、神の言葉は永遠に廃らない!と神が
言っているのに、廃れた、破棄された、終了!と言い続け、
その偽情報、大嘘を信じられる方が、不思議なのです。
神の教えが廃れた!と偽情報を信じ込んでいる人には、神の言葉は届かないままになります。そして偽情報に騙されたまま、
神の前に冒涜、罪を知らない間に、生き続けてしまうのです。
分かれば、イエシュアに逆らう冒涜行為、したいなどと思わないのです。分からないから、知らないまま、やっているのです。
部分的に神の教えを知っていても、それは、その人が関わる
宗派、教団、教理の思想を通して語られる聖書解説であり、
イエシュアが教えられた教え=トラーではありません!
神の言葉を、自分の中の宗教体験、宗教教理で 塗り替えた
別の教えの聖書解説を聞いて、実践しているだけなのです。
歌舞伎が フラダンスになるのと同じ現象です。
醤油が、トマトケチャップになるのと同じ。
別物!になってしまっているでのです。
イスラエルの神に属さない、生ぬるい、混ぜ物、姦淫の罪とは
神の教えに、別物を混ぜてイスラエルの神に近づいたイスラエルが犯した罪で、ずっと教え続けられているのに、その事実に気がつけないのです。聖書=トラー=神の教えを捨てているからです。
だから聖書は聖書を書いた預言者が意図する意味、意図する
文脈、意図する内容そのまま、その通りを知らないと真実は見えないのです。
その証拠に、クリスチャンが、集まるのをやめないで!とパウロが 言っているのは、日曜礼拝やクリスマス、イースターであると、空想しているでしょう。
ヘブル10:25 ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、