2  ヨム キプル イエシュアが教えられた通りに イエシュアの再臨を準備する | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ヘブル 1:1 神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時にいろいろな方法で、先祖たちに語られたが、

1:2 この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を造られた。

 

終わりの時、イエシュアが到来したらそれはもう、終わりの時代なのです。

そして、イエシュアにより、預言者により神が語ったこと、

神の教えを、神の性質通りに生きることを、イエシュアを通して

人が初めて目撃、体験することになった!と言っているのです。

それまで誰一人として、トラーが肉体となって、神のトラー

人間の本来の生き方そのものを、人の間で、地上で生きて、

お手本を示せる人は誰もいなかったからです。

 

イエシュアが来たから、今迄とは別の新しい教えが出現した

古い教えが破棄された!という、幻想、空想、人間の編み出した

偽物の教えを全て捨てない限り、聖書、神の語る永遠不変の神の言葉の真実は、偽情報を信じる人の頭脳に届かないままにります。

古い教えと言いますが、神の教えは全部丸ごと1つ、トラーで

あり、モーセの五書が神の教えの完全版なです。

それ以外の神の教えはありません!しかも、人間が神の教えを

付け足し、差し引きするな!と神が警告していることを、

ギリシャ帝国、ローマ帝国が反キリスト行為をやり続けたこと

クリスチャンは理解しないとなりません。

人間が神の教えを捨てる行為!変える行為!死に匹敵する罪!

と聖書に書かれているのに、罪の定義を捨てる人は、何が罪なのかも、分っていないまま、勝手なことを言い続けているのです。

 

クリスチャンが、マタイ以降しか読まないのに、神の教えの全貌

など、分かる訳ありません。そして、トラー=神の教えの全貌を学ばないまま、プラス、神の教えを生きていないのに、何が神の教えか、分かるわけなどないのです。

部分的に知っているだけです。そして西洋宗教の教え、教理、

実践、記念日、儀式をやっているだけです。

聖書を立ててみても分かるでしょう。

マタイ〜黙示録は、聖書のたった25%しかないのです。

そこには、神の教えの完全版、トラーの全貌は記されていません。その中には、トラーに反する教えや、トラーを破棄せよ!

と勅令を出した、ローマ帝国皇帝の思想、教えは記されていません!その中には、ローマ帝国が作った、日曜礼拝も、クリスマスも、イースター祭りも書かれていません!

自分で読んでみて、分かるはずです。

読んでも、分からないという言い訳などできないのです。

 

書いてないことを、書いてある書いてあると教えられ続け、

書いてもない人造宗教の伝統を実践しているから、書いてあると思い込んでいるだけなのです。

そして、神は今は、人間がどの日を神の記念日にしても良い

ローマ14のパウロが人の慣し、神の教えに反していないけれど

断食や、菜食主義は、神の教えではないから、人がそうする

理由、信仰の浅い人は、偶像に捧げた肉を知らないで食さないために、野菜だけ食べる、又は断食をどの日にするのかの議論など

神の教えなどではないから、その人が良いと思う日を決めてやれば良い!と言っているだけなのです。

それなのに、神の記念日、シャバットや祭りを、人の意見で勝手に作り替えて良い!というでたらめ、ローマ帝国が勝手にやったことへのサポート的思想を解説していますが、それ完全に神の

教え、パウロの語ることと100%逸脱した間違った聖書解説です。

神は、神の教え、神のモアデイムを人が汚すことへ断固として

抵抗、厳重警告し、「わたしの聖別を汚された」そのことを、

嘘である!とご自身で証明する!と預言しているでしょう。

はっきり言って、異邦人も、イスラエルが犯した同じ罪を、

やっているのに、気がついていないのです。

 

エゼキエル 22:8 あなたはわたしの聖なるものを卑しめ、わたしの安息日を汚した。

36:22 それゆえ、あなたはイスラエルの家に言え。主なる神はこう言われる、イスラエルの家よ、わたしがすることはあなたがたのためではない。それはあなたがたが行った諸国民の中で汚した、わが聖なる名のためである。

36:23 わたしは諸国民の中で汚されたもの、すなわち、あなたがたが彼らの中で汚した、わが大いなる名の聖なることを示す。

わたしがあなたがたによって、彼らの目の前に、わたしの聖なることを示す時、諸国民はわたしが主であることを悟ると、

主なる神は言われる。

 

神の前に罪、聖別を汚す行為!そういうことをしてはならない!と言われているのに、神の教えを捨てる人には、神の教え、

警告は全く通じない状態になっているのです。

神の教えを捨てる行為、それは神が伝える聖別の定義、罪の定義を根こそぎ人間が自由に言い換えている!ということに気がついてないのです。

偽情報=神の教えは廃れた!というその大嘘が、ローマ帝国皇帝の勅令であり嘘!と気がつけば、嘘の方を捨てて、神の言葉に

戻ることができます。神の言葉を捨てる、危険な区域に頭脳が

思考回路が侵入している!と気が付かないとなりません!

 

神の言葉は変わりませんから、神は聖霊を通して書かれた言葉

聖霊ご自身を通して、真実を神の言葉から教えてくださいます。

神が言われること、神を純粋に求める人には、神=聖霊が、
神ご自身、聖霊が書かれた言葉、永遠不変の真実から、真理を
求める人に、必ず神が語っている真実を、求める人に必ず明らかにして、教えてくださいます。そして、それはエデン=喜び、
神の中親しい場所に戻ることに直結すること繋がります。
 

神の教えが廃れた!と偽情報を信じ込んでいる人には、神の言葉は届かないのです。

神の教えを破棄、終了、厳しい律法!という人には、神の教えや、神が定めたモアデイムを祝う意味、意図など分からないままになるのです。

イエシュア=トラー、言葉、神の教え!ということが、見えない

盲目状態で、知らない間に、イエシュアご自身に対して、敵対

させられているのです。サタンが裏にいるからです。

本当に神が言われたことを理解できれば、神ご自身である言葉を否定することは、2度とできない、やりたくない!やってはならない罪!と理解できるようになります。

クリスチャンが嘘、進化論を本当と言えなくなるのと、全く同じことです。真実を知れば、嘘は言えなくなるからです。

部分的に、そして、その人が信じる西洋宗教の教派、教団の思想を通して語られる聖書解説が本物!と信じているのです。

 

サドカイ派も、復活を信じていないと書いてありますよね。

サドカイ派が復活を信じなくても 復活は事実でしょう。

クリスチャンが、神の言葉は永遠に廃れない、変わらないと

信じていなくても、 神が伝える通り、イエシュア=言葉=トラーであり、神の言葉は永遠不変であり、神はトラーを生きよ!と人に教えているのです。

おかしいでしょう。どうして、人間主体になり、神の言葉を人間が捨てて良い!変えて良いなどと、神が教えるのですか?

神の言葉に付け足し、差し引きするな!と逆を警告しながら、

真逆を言う神?分裂思想の、頭おかしい神でしょうか?

そんな神は、聖書に書かれている神ではない。

誤訳、解説、間違った聖書解説で、聖書に書かれていることを、正しく学ばない教師が、こぞって聖書ではない、神の教えを否定する、終了!という、ローマの思想、デイスペンセーション神学、聖書ではない教えを語り続けてしまっているのが実情なのです。

 

偽情報を信じる人が、神の教え、招きを捨てて、退けて、その

代わりに、人間コンスタンチヌスが作った人造混ぜ物宗教の教え

伝統、儀式、記念日を通して、イスラエルの神に近づくことを

やっているのです。

神は何でも良い!違う教え、異教の神々、女神の教え、記念日と交わり、混ぜても良い!神の教えを捨てて、神のモアデイムを

捨てて、別物で神に近づいても良い!などと言ってません。

 

それどころか、それらの行為を、「わたしが、世界の人々の間で汚されている!」と訴えているではありませんか!

神の教えが廃れたという偽情報を信じる人は、そのような神の

言葉を全部都合が悪いところを、消しているのです。

そして、ユダヤ人だけの教え!古い廃れた教え!今はその教えは

無くなった!と勝手なことを言い続けているのです。

 

神の教えを人がどう受け取り、考え、拒絶して 捨て、

人間の教え=別の教えに聞き入り、混ぜ物を生きていても、

それにより、神が人に押し切られて、混ぜ物を受け取ることなどしないのです。

神が伝える永遠不変の真実は 変わりなどしないのです。

全ては、人の側の問題です。神の言われることを捨てる、無視

する、人間が編み出した教えとも気がつけず、いや気がつけるでしょう。聖書を読めば、人間の教えを混ぜたら、矛盾だらけに

なってしまうことを、知りませんでした!などと言えません。

小学校低学年の読解力があれば、何が書かれて、何が書かれていないのか分かるはずでしょう。

七を1と勝手に読みかえ、神の言葉は永遠に廃らない!と神が

言っているのに、廃れた、破棄された、終了!と言い続け、

その偽情報、大嘘を信じられる方が、不思議なのです。

神の教えが廃れた!と偽情報を信じ込んでいる人には、神の言葉は届かないままになります。そして偽情報に騙されたまま、

神の前に冒涜、罪を知らない間に、生き続けてしまうのです。

分かれば、イエシュアに逆らう冒涜行為、したいなどと思わないのです。分からないから、知らないまま、やっているのです。

 

部分的に神の教えを知っていても、それは、その人が関わる

宗派、教団、教理の思想を通して語られる聖書解説であり、

イエシュアが教えられた教え=トラーではありません!

神の言葉を、自分の中の宗教体験、宗教教理で 塗り替えた

別の教えの聖書解説を聞いて、実践しているだけなのです。

 

歌舞伎が フラダンスになるのと同じ現象です。

醤油が、トマトケチャップになるのと同じ。

別物!になってしまっているでのです。

イスラエルの神に属さない、生ぬるい、混ぜ物、姦淫の罪とは

神の教えに、別物を混ぜてイスラエルの神に近づいたイスラエルが犯した罪で、ずっと教え続けられているのに、その事実に気がつけないのです。聖書=トラー=神の教えを捨てているからです。

だから聖書は聖書を書いた預言者が意図する意味、意図する

文脈、意図する内容そのまま、その通りを知らないと真実は見えないのです。

その証拠に、クリスチャンが、集まるのをやめないで!とパウロが 言っているのは、日曜礼拝やクリスマス、イースターであると、空想しているでしょう。

 

ヘブル10:25 ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、
ますます、そうしようではないか。
 
預言書、詩篇を読んでも分かるように、集まるとは、聖なる
集会、ミクラコデッシュであり、レビ記23章に記された
神のモアデイムの事以外にありません!
空想で読み込みしている、ローマが作った宗教の伝統、実践
慣し、記念日を空想して聖書に書いてある意味を、正しく読み
取っていないのです。
パウロが1コリント7、11章で語っているのは、過越の祭りの
祝い方、種無しパン=マッツア=要らないものが削ぎ落とされた
人になっている事実から、話しているのです。
過越の祭りを祝わないクリスチャンには、パウロが語っている
意味の全貌は通じないのです。
でも、字面を読み、そして11章に、「聖餐式」が書いてある!
と読み違えている、こういう聖書の曲がった読み方をするのは、
自分たちの宗教、人が作って神の教えを塗り替えた実践を通して
それを土台に考えて、聖書を正しく教えられず、曲げて読んでいるのが原因なのです。過越の祭りを祝わない人は、イエシュアが教えた本当の儀式、過越の祭りの晩餐でされる儀式をやってもいないのです。
マタイ〜黙示録で、全ての人は、トラーを生きて、神のモアデイム、シャバット、新月、春と秋の祭りを祝ったことしか書かれていないのに、そこには日曜礼拝、クリスマス、イースター
レントが書かれていると空想して読んでいるでしょう?
自分で聖書を読み、そこにはローマ帝国教、カトリックやキリスト教で教えられている、トラーが破棄されて、日曜礼拝、
クリスマス、イースターを祝う、又は人間が考えるそれぞれが
選ぶ日を聖日にして良いと、神は教えてもいない。人が考える日
イコールそれは、神の考えではない!という証拠そのものです。
人間が作った宗教は、本当は最初から存在してはならないものなのです。
聖書に戻ろう!というならば、そのように実際にして、神の教えを生きることに戻らないなら、それは口先だけの宣言になります。
神が言われた通り、神の教え通り、神が伝えている通りを生きる。聖書を聖書に記された通りのことを生きる!
それが、生きること、キリスト、イエシュア=トラーを生きる!
と言っているのです。
神を愛する人は、神の仰せ、トラーを生きる!と書いてあるのに
クリスチャンには通じていません。
私たちは、人間の編み出した宗教の教えや、人造宗教記念日、伝統を生きるのではなく、イエシュアそのものを反映させる、トラー、神の教え、神の創造されたモアデイム、イエシュアご自身である神の聖別された特別な会見の日を、神が言われた通りに祝う!
この中に喜び、エデン、神との特別な出会いが用意されている!と神が約束してくださった祝福なのです。
以下、以前に書いた記事を、アップします。
秋の祭りの一連は、未来再臨を表す、イエシュアの永遠の統治を表す祭りなのです。再臨、再臨というならば、油ー神の教え通り
目覚めて、神が言われた通りを生きて準備して!とイエシュアは今言われています。
明日の日没から、木曜日の日没までが、ヨムキプルです。
この聖会の終わりに、再びショーファーが吹かれるのです。