ヨムキプル 神の深い教え イエシュアの業が凝縮されている | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

一年の中で、神の子らが全員同じように、神の伝える罪=ズレ=的はずれな生き方に関して考え、神の前に、そして罪を犯した

相手に対して告白し謝罪し、話し合い、修復する機会が、ヨムキプルです。

どれほどの人が、一言謝らないことで、修復しないことで、関係が完全に壊れてしまった体験をしているでしょう。

罪は、神とお互いを本来の姿、関係から隔ててしまい、そして

お互いを傷つけて、関係を破壊されてしまう要素です。

神はどの罪をも忌み嫌うことを覚えておかなくてはなりません。

それらは、全てイスラエルの神に属さないものであり、私達も

同様に、神に創造され神の性質通りに造られた人に、属するものではないからです。

 

大贖罪日。イエシュアが再臨されることを、待望している神の子らならば、神が伝えていること、神の言葉=教え=神が神の子らを呼び出して招いている日を、「無」と考えるのは、どういう

意識状態でいるのか?と考えてみる良い機会でもあります。

神の言葉を聞いていない、知らない、どういう状態でしょうか。

 

昨日の日没から、今日の日没迄が、2024年のヨムキプルを迎えました。

そして、今日は、婚姻契約の要約である「10の言葉」の最後を

考える、神の教えを考える、神の言葉〜教えを通して、神の子らが全員神の前に出て、ズレを考え、軌道修正〜悔い改め、神の

言葉に戻り生きる決意をする日でもあります。

「隣人の家を、むさぼらない」とあります。ヘブライ語では、

ハマッドという未来形תַחְמֹ֖דで、Lo 〜しないと書かれています。

この「ハマッド」という言葉、「むさぼらない」とは、どういう

意味でしょう。

他人のものを、切望する、不法に欲しがる、手に入れたがる、

他人のものを自分のものにしたい〜などの意味があります。

神の性質に造られ、イエシュアにより新しくされ、神の婚姻契約の命〜教え、言葉に忠実に生きているあなたなら、あなたは、

貪ることをしない!と教えているのです。それはあなたではないから、あなたはしない!契約の命に根付いて忠実に生きていないあなたなら、たとえイエシュアを信じていても、あなたは、神の教えのどれをも違反することが出来てしまいます。むさぼることができてしまいます。神の言葉、教えに違反して生きることが

可能になってしまいます!と言う警告です。

 

神の言葉=聖書=婚姻契約の要約を短く表したものが、「10の言葉」であることを書きました。

聖書=神の言葉が1つとして全部繋がっていること、人間の体と同じく、体の臓器全て、心、感情、頭脳、霊的なこと、全部丸

ごとで一人の人として造られたように、神の性質、神の言葉も

全て1つで完全であり〜シャローム=欠けのない状態であることを、神の言葉を知って行くと見えてきます。

 

「神の顔=実態の上に別の顔=別のイスラエルの神像を置かない。」これと、「偶像を作らない」は同じ要素です。

神の伝えることではなく、人間が発想したものを、自分の考える形にして作り出し、思想にしてそれに仕えること。

ぴったりと繋がっています。

そして、それが次に、「神の名をみだりに唱える」〜これも、神の実像ではないこと、イスラエルの神ではない実態を、神が伝えた言葉とは違う、別物としてイスラエルの神を語る、発表する、他者へ、別物のイスラエルの神像を表示し伝える〜それらは、

空虚、虚偽、虚無、イスラエルの神の実態が無いものだから、

そのようはことは、神の子であるあなたがやることではない!

そのような無=空虚を伝えない。

ずっと一番最初の冒頭の警告「別の顔を置かない」と繋がって

いることが分かります。

そして、次は何でしたか?神の子らの本質、性質そのものである、神が創造された記念日の中心、「シャバット=第7日目=安息日を覚えて聖なるものとせよ」〜覚えるとは、実際に行動してそれを祝うことです。

それを、聖なるものとせよ!と神が神の子らに伝えています。

神に造られた人、イエシュアにより神に贖われた人は、もれなく

神の婚姻契約の中に生きることに招き入れられ、神の大家族の

一員となった人は、神が創造された記念日〜シャバット〜記念日の中心であるもの、その他の神のアポイントメント=モアデイムに、神の前に共に出て祝う!これが、神の花嫁として与えた

永遠の印だから!と、神の口から直接に伝えていることを、

クリスチャンは聖書に書いてあるのに知らないままだと思います。

これ、1世紀後半以降から、ローマ帝国、そして異邦人初代教父達〜神の言葉を変える、捨てることを平気で出来てしまう思考回路の人たちの手により、神の言葉や記念日を祝うことを、禁じられました!これ、本当に知れば、神の言葉を生きず、神の記念日を生きない理由は、単純に人間由来であり、神が伝えたこととは

真逆の罪を犯している!ということに、気がつけるはずです。

なぜなら、神の仰せのどの箇所も破るように教える〜それは罪であり、神の国で一番意味なしの存在になる!とイエシュアも警告しているでしょう。マタイ5:19

シャバットを破る、捨てる、汚す、死に匹敵する罪!と神が言っていると言う理解、自覚がない。神の言葉=罪の定義を捨てる人には、神の言葉、教えは通じないだけなのです。

それが、異邦人クリスチャン達の間で、ずっと2000年近くに

渡り、教えられ、実践され続けてきているのです。

神の言葉、教え、記念日を人間が変えることは、神の仰せなどではありません!神はその罪をヤラべアムの罪と言い、断固として

禁じているのです!

聖書に基づき考えない場合には、神の言葉=完全で誤りのない

永遠普遍の言葉が、その人には通じなくなる!その通りです。

それが、個人でも集団でも、そして宗教団体に属する世界中の

大勢の人でも、それは、数に関係なく、神の言葉を理解して

生きている、生きてないは、その個人の考えによる、選択による

行動なのです。

でも、賛同する人の数が多いから、それが神の言葉を変える力などにはなりません。賛成投票の数で、神の言葉が正しいかどうか、人間が決められることなどできないからです。そして、神が伝える真実、真理は、永遠に変わらないのです。人間の考えや、力や圧力により、神の言葉、記念日は変えられるものではない!だから、いくらローマ帝国やカトリック=初代西洋教父達や、

そして16世紀以降も、同じ思想を継承したプロテスタントが

実践していること、教えていることが、聖書の記述、事実、神が伝えている真実ではないならば、それらは永遠に神の言葉、聖書の真実などには、変化しません。こんな簡単な聖書の事実が通じなくなってしまったのは、偽科学や進化論と同じ、人間の思想が、大衆をに浸透し偽の教えで頭脳、思索が乗っ取られて、聖書ではない、人間の嘘の思想が真実であると盲目的に信じられてしまったから、それらの嘘を覆すのが困難になっただけです。

シャバットは、創世記から、黙示録まで全て、第7日目です。

永遠に同じ!イエシュアがエルサレムに戻られたら、神の記念日

レビ記23章を全世界が祝うようになる!と預言されています。

クリスチャンの世界では、神の言葉は個人個人が今は自由に変えて良いと、神の言葉ではなく、人間の思想が教えられているので

目の前に「シャバットを聖別し覚えて祝う」のがあなたですと言われても、その神の言葉、声がその人には届かないだけです。

人の思想という、耳栓、目隠しがされているからです。

神の教えは全部1つで繋がっています。人の体が全部の臓器があって1つ完全な体として機能するのと、全く同じことなのです。

それら神の教えは、神に創造されたあなた、神の性質通りにイエシュア、子羊の血で贖われて、新しくされたあなた、そして、

あなたが神の言葉〜婚姻契約の命に留まる生き方をしているならばという状態、つまり、神の伝える言葉を神の意図通りに生きているなら、あなたは、シャバットを覚えて、守り、生きて

イスラエルの神〜イエシュアが呼び出しているから、イエシュアと、そして神の子らと第7日目を聖別して祝う!それが、神に創造された本来のあなたを生きることなのです!と神があなたに

伝えているのです。

そして、次は、「父母を敬う」とあります。これも繋がっています。神の言葉=神の顔=神の実態通りに生きている人は、父母を

神の意図通りに量り、その通りに親に対応して生きると言われて

いるのです。

そして、殺さない、姦淫しない、盗まない、偽証しない、隣人のものを、不法にほしがらない、それはあなたではないから、全部

神の性質通りに創造されて、イエシュアにより新しく造り変えられた人の性質だから、それがあなた、それはあなたのすることではないと、教えている、全て神の言葉は、1つとして全部繋がっています。

だから、人の思想のように、人間が勝手に神の言葉を仕分ける、

判定する、選択するとは、人間が神になる、そして神が神であることを、忘れさせる生き方そのものです。

神は人に何がズレ=罪なのか教えています。そして、神は罪を

とことん忌み嫌う〜神の性質に反しているから!と、人に教えているのに、罪を犯すことは今は可能です!と異邦人教師は教えていることに、気がついていますか?

神の言葉のどの部分でも、違反する行為は、神の教え=言葉、

婚姻契約の命に生きる全体に対して違反し、結局、神に対して

違反し、人を破壊する行為であることに、まるで気がついていないからです。これ、それ、あれの罪は犯しても良い!なんてそんな教え、蛇の声が出どころです。

 

食べることくらい、そんなちっぽけなこと、それがなんなのさ?

いや〜人間の命は食べることで支えられています。神の性質は、神の口から出た言葉を食べて生きて、支えられ本当の生き方が

できるのです。体、心、魂というヘブライ語はありません!

ネフィッシュ=いきるもの、全て丸ごとで、生きるもの!です。

ギリシャ語=ギリシャ哲学思想が、翻訳に入ってきたために

異教思想の言葉で、ネフィッシュという言葉が、体、心、魂、

精神などという分裂した翻訳になっているだけです。

 

神が伝えた「あなたは知識の木から食べない!」それはあなたではないから、あなたの食べ物ではない!レビ記11章のきよくない清掃目的で造られた動物は、あなたの食べ物ではない。エデンの園での神の言葉=教え、警告と全く同じなのです!同じ神の声=言葉、教えです!それは、あなたの体、神の前に聖別を汚し、動物と人間の間を行き来するウイルス、菌を生み出し、その菌を環境に排出させて環境を破壊し、あなたが撒き散らした菌で他者をも病気で汚染し苦しめるから、それはあなたはしない!と

言われたことと同じなのです。

 

アダムとハヴァが、食べてはならない〜あなたの食べ物ではない

と言われたこと、難しくない、簡単でしょう?1歳児でも分かる。それ位何なの?と、今も同様にクリスチャンが考えて、神の言葉を軽くあしらい、神の言葉は今は関係ない、無視せよと教えられているけれど、神の言葉、真実を無視して生きることは、罪=ズレであり、実は重たい代償があるのだと神の言葉を無視する人には、理解できないだけなのです。

自分の体、聖別が侵されても、自分が気がついていないだけ。

人が食べるべきものではないものを、アダムとハヴァ食べたから、全人類が、神から切り離されて、罪に汚染される今の世界が来たということを、神の言葉から、本気で考えないとならないのです。

神はどの罪も、今も全ての罪を忌み嫌う!それは、神に造られた人の性質ではないから!神の性質とも反しているから、受けいれない!と教えている事実を、神の言葉から考えて、あなたは誰かあなたはどう生きて、どう生きないのかと、神の永遠普遍の言葉から、学ばない限り、人は神に違反し、勝手に自己流に生きるだけになります。

神の言葉を生きることを、律法主義という異邦人は、思想が異教神思想の異教徒思想を持っているからです。異教徒には、イスラエルの神の教えは異物だから、神の言葉が理解できないのです。

最初の警告〜エデンの園と同じ警告!神が言われた通りを生きて!と神が言われる言葉を無視する全ての、思想、行動。

それが、神の顔=実態を、別の顔=人間の哲学思想宗教で覆い隠すものの正体であり、人の思想、教えが、ズレた生き方に繋がることを、教えています。

ヨムキプルの中で教えられている内容は、本当にリッチ、豊かで

深く、現代の西洋思想で考える場合には、見えないものがたくさんあるので、古代の人々が理解していた通りに戻り、考える、

学び直す必要があるものなのです。

大贖罪日が終われば、今度は後に全部過去のことは置いて、

仮庵の準備をするのですが、内容がたくさんあるので、ヨムキプルに関して、追って記事をあげていきたいと思います。

 

続く