ヨム キプル イエシュアが教えられた通りに イエシュアの再臨を準備する | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神が創造された本物、生粋、永遠に代々、未来イエシュアが

地上に再び戻られ、イエシュアが王の王としてエルサレムの神の

家から世界を統治する時代になったら、全世界が神の創造された

モアデイムを祝うようになる!と預言されています。

 

「わたしの祭り、記念日!」とイスラエルの神は人にそう神の

モアデイム=記念日を紹介しているのに、ユダヤ人だけの祭り

記念日とクリスチャンが神の言葉を遮り、別の証言をしているのです。神が言われた通り、復唱してください。

神は神の子ら全てを、神のモアデイム、アポイントメントの日

に呼び出し、招いています。クリスチャンは、その日が何か

その意味が何か、その日を知らないし、祝ったこともない、油がない状態、神の教え、トラーを生きていないということにも、

気がついていないのです。

異邦人の世界では、神の教え=トラーを教えられないまま、

浸透した教えは、ローマ教=人間が神の言葉を廃れた!と

主張した思想が土台の人造宗教です。日本に伝えられたのは

パウロが教えたヘブライのトラーとは異なる、ザビエルの

イエズス会の教えです。

そして、創造の最初から、神が教えられている教えは変わりません。時代ごとに、進化、変化しません。

最初は、神に選び出された個人、アダム、ノア、アヴラハムの

ように、神から直接同じ神の教えを聞かされていたのです。

 

聖書は全て「婚姻契約用語」で話されているので、西洋人が

作った宗教の教えや、伝統、記念日、そして慣しを空想して読んでも、書いてある意味が正しく見えてこないのです。

聖書に書いてあることと、宗教思想が語ることが違うからです。

 

ヨハネ1:1 初めにがあった。言は神と共にあった。

言は神であった。

1:2 この言は初めに神と共にあった。

1:3 すべてのものは、これによってできた。

できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。

1:4 この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。

1:14 そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。

わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。
 
ヨハナンは、ヘブライ人です。トラーを熟知し、生きて、
そしてトラーを語っているのです。
言葉=神=イエシュア=聖霊という事実を、理解している人に
書いているのです。
これを読んで、ヘブライ人なら、すぐ神のミシュカンと繋げられるのです。その言葉でヨハナンは話しているからです。
 
クリスチャンは、言葉=神とは読み取っていません。
そして、怒りの神と教えられ、イエシュアが来られて初めて
めぐみとまことが与えられた!と勘違いしているのです。
トラーに書いてあるでしょう。神がどんなお方か、人に紹介しているのに、神の言葉を捨てる人には、神が語る永遠不変の真実は
伝わらないままになっているのです。
 
出エジプト34:6 主は彼の前を過ぎて宣べられた。
「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、
いつくしみと、まこととの豊かなる神、
 
はっきり書いてあるでしょう。しかも、神はローマがダービーが
主張するように、性質を、変化、変身せる神などではありません!いい加減、嘘から目覚めないと、神が伝える真実をかき消し
拒絶し、捨てる、冒涜の罪の泥沼にハマったまま、神を誤解し
奥深いところで、神への不信、敵対心を持たされ続けていきます。
言葉=神=イエシュア=聖霊=廃れた=破棄された=死んだ!
これ、聖書が語る神ご自身のことではありません!
 
全てのものは、神の言葉で出来ている。
そして、言葉そのものが命!イエシュアそのものです。
それが、歴史の途中で廃れたという前代未聞の大偽情報を、
異邦人は信じ込まされて、聖書に記された事実が見えないのです。
神ご自身である言葉を、ヘブライ語で表されてもいない律法と
神の言葉を呼び、そして、神の言葉に対して敵対心を持つように仕向けられてきました。
神の恵で、古い、悪い、呪いの縛り、人が生きられない厳しい
おきてを、神が十字架に付けて葬ってくださったのに、その古い教えに再び戻って生きて義とされよう!そんなことをするなかれ!今は古い教えから解放され、自由に生きれる時代になったのに、古い教えに戻るのは恵を捨てた生き方だ!と、神の教えに
真っ向から敵対する教えを神の教え!と信じているのです。
 
しかも、神の教えは義とされる為に与えられたのではありません!神の一方的な購いの業=子羊の血の代価で義とされた人
花嫁として娶られた人に与えた、神の家の尊い家訓、花嫁の
性質にぴったりの麗しい生き方を教えられ、与えられ、イエシュアの性質通りを生きる、新しい生き方に招かれたのです。
その理解がごっそり抜けて、神の教えに敵対心をもち、牙さえ
向いているのです。
言葉=トラーが肉体となったとあります。イエシュア=トラーが
肉体となった!ヨハナンが語る意味を、クリスチャンは捉えていません。
字面だけ読んで、なんとなく分かったつもりでいるだけです。
でも、ヘブライ人なら、トラーを知る人なら、イエシュア=
トラーそっくりそのままが地上に現れ出て、トラーが地上を生きた!と理解しているのです。
だから、1世紀の人は、イエシュアの事を、「ザ トラー」
生けるトラー、ハ トラーと呼んだのです。
 
そして、イスラエル の神を、「場所」ハマコムと呼ぶのです。
それは、神ご自身の中に人が造られ、人が住う場所は、神の中
神の実態、言葉である!と理解しているからです。ミシュカンを
通して、それを教えられているからです。
 
そして、最初から神は人と共に住まわれるお方であることを、
ミシュカン=神の移動式神殿、ミシュカン=神が住う場所を
通して、イスラエルに教えていたのです。
それが、モーセの五書に記されているでしょう。
実際、ミシュカンには神の臨在があったのです。
イエシュアの中、イエシュアと共に住うことは、このミシュカンを通して、実体験を通して、教えられたのです。
契約の箱の中に、神の臨在があった。雲と火の柱を通して、
神の臨在を見た。そして、荒野を付いてきた水を湧き出す岩は
イエシュアそのもの!と理解して、トラーに記されたことを
知っているのです。同じことが、聖書の最後に書かれています。
 

黙示録21:3 また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、

「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、

人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、

 

幕屋とは、ミシュカン、イエシュアご自身です。イエシュアが

私達の住う場所であり、未来、永遠にイエシュアの中に住うこと

最後にヨハナンが書いているのです。

仮庵の祭り、秋の祭りの一連は、イエシュアの再臨と、未来

イエシュアが永遠にこの世界を統治されることを表している

預言的祭りなのです。

 

σκηνὴ ギリシャ語では、スキネと訳されていますが、ヘブライ語はミシュカンです。シャハンという言葉は住うという言葉と

繋がっています。神が天幕を張る!人のためにミシュカンを張り

共に神が住う!と言っているのです。

神の臨在が宿る場所、その中に人が住う。

神ご自身が、私達の住う場所。神の性質ぴったりに、

神の中に住う人は生きるのです。

 

翻訳だと全く見えませんが、神ご自身が神のミシュカンを張る。

ご自身の中に、人を住まわせる!テントを張り、その中に人が

住う!と書いてあるのです。イエシュア=ミシュカン。

それが仮庵の祭りで表されているのに、異邦人は未来預言成就

イエシュアが到来する準備を、神が伝えている通りに全然実践

していないのです。

再臨、再臨と言うだけで、神が伝えている生き方をして、

イエシュアの再臨を準備して待つ!と言うことをクリスチャンは全くしていないのです。

眠った5人の花嫁、油がない、トラーを実際に生きていない、

神の教えを生きていない、神のモアデイムで神との聖別された

会見をしながら生きていない、眠った状態だ!とイエシュアが

警告しているのがそれです。

 

40という数字は聖書にたくさん出て来ます。命が育まれ生まれ出る、生まれ変わることを意味している数字です。

荒野で40年とは、1年のモアデイム、神との会見、命のサイクル、神の教えを生きて、詩篇1にあるように、油を持って目覚めて生きていた5人=トラーを生きた花嫁で例えられるような

生き方をしていない、それを40回、40年繰り返した人達は、

約束の地に入れませんでした。

それが40年繰り返されたことで、神の教えを生きていないことを教えているのです。

神が何を教えているのか、トラーを知らない、生きない人には

神の教えていることは、通じないままになっているのです。

 

これ、クリスチャンの間で、全く誤解された解説がされている

代表例の1つの箇所でもあります。

    ヨハネ1:17 トラーはモーセをとおして与えられめぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。

     

    怒りの神の時代、律法時代は、聖霊が人の中に住まわないから

    律法を生きた!でも、恵はキリストによりもたらされて、

    モーセの律法は廃れた!聖書=神の教え、言葉に無理な解釈を施して、自ら破滅を招いている!というペテロの言葉が全く

    響かないのです。

     

    この意味は、モーセを通して神が与えた婚姻契約の生き方、

    そこに記されているのは文字です。文字、字面だけ読んでも

    それは、人に命を与えないでしょう。

    神の教え、言葉=トラー、神の性質そのものの実態人が生きれる

    ようにされたのは、イエシュアです。

    命を与える、電源に繋がる!新しく生まれ変わり、イエシュアの性質通りを生きれることに戻ったことは、イエシュアご自身の業、子羊の血の代価、購いを通して与えられた!と言っているのです。

    モーセが書いた文字ではなく、モーセが記したイエシュアその

    ものを通して、人が生まれ変わり、恵を与えられ、そして、義とされ、以前の肉の人は、イエシュアと共に死んだ!これは、

    文字ではなく、その中に書かれたイエシュアの実態を通して

    人の内側に与えられた!と書いてあるのです。

    神の厳しい律法が廃れた!という根拠にしている、間違った聖書の読み方、解説を教師がし続けているのに、全く気がついていないのです。

    でも、今の時代、それに気がつく多くのクリスチャンの教師が

    続出し、聖書を正しく学び直す!ということを、しているのです。私たちに求められていることは、神の語る教えを、言葉を

    丁寧に忠実に、神が伝える意味通り、書いてある通りに学び知ること!そして、神の教えている通りを生きることです。

    神は、神の教えに夢中になり熱心に探り求めて!と言っているのに、通じてないでしょう。神の言葉を慕い求める、それが神を

    求めて生きよ!という意味なのです。

    神の言葉を捨てよ捨てよ!という蛇の声がビンビン頭脳に響き、その偽情報で毒をもられている、例のあの薬物と同じ効果があるのです。人を殺す!壊す!神との隔たりの壁、疑いを作る!

    人の性質ではない、人間の教えを取り入れたら、本当に不具合が

    生じます。似て非なるものを、本物!と騙されて、神の教え

    神の招いている聖別された特別な祝宴を、ずっと全部ミス、逃して知らないまま生きているでしょう。

     

    クリスチャンの中で、この10日間、イエシュアが教えられた

    通り、ヨムキプルに向けて、神の意図通りに過ごして、明日の

    聖会を迎える!ということをしているのでしょう?

    第7月の1日、9月22日に、目覚ましコールの角笛を聞いた人はいるのでしょうか?

    それをしている人は、神が今も同じ教えを語り、神が定めた日に

    自分を呼び出していることを知っている人たちが、神の招きに

    応答して、実際に神が伝えることを生きているのです。

    40年。1年の神のモアデイム、神の教えの中に生きる人

    詩篇1のように、水のほとり=イエシュアの教え=トラーに

    どっぷり根付いて生きる人は、御霊の実が時がめぐると実る。

    あざけるもの、イコール、神の教えを蔑ろにして捨てる人は

    神のデザインした通りの生き方はできず、もみがらのように、

    風が吹いたら吹き飛ぶ!と書いてあるのです。

     

    太古、エデンの園から、神は預言者=神の言葉を託した人たちを

    通して、口頭で神の教えを伝えました。

    それが、創世記に記されている人々であり、モーセを通して

    正式に神が文字で記された婚姻契約を与えたのです。

    でも、エデンの園から、神の教えは変わりません!

    原始福音、進化福音などありません!最初から、永遠の中から

    救いの方法は同じ!永遠の中に屠られた子羊の購いを通して

    以外、誰も父の元には戻れない!と、イエシュアも言っているでしょう。それは、トラーにある父の教えを通して、人に解説していることに、気がついてください。

    イエシャアは自分が思いつきであれこれ、人に教えているのではないのです。100%全て父の言葉、トラーを根拠に父の教え

    トラーを教えている!という事実に目覚めてください。

    福音書以降には、ほんの少しの神の教えしか書かれていないのです。そこだけを読んでも、しかも西洋人が作った宗教、聖書とは違う思想を通して聖書を空想で読んでも、神の教えの全貌は見えないのです。

     

    続く