教えられてきた教えが純粋な神の言葉 聖書ではない | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

申命記 30:11 わたしが、きょう、あなたに命じるこの戒めは、

むずかしいものではなく、また遠いものでもない。
 
<ここにある通り、むずかしくないとあります。
これは、パラという言葉で、隠されたとか、意味不明、難しい
謎、そんなものではない!と神が言っているのです。
その理由が、次にあります。遠いものとは、רָחוֹק ラホックと
言う言葉で、離れているものではない、距離があるものではない。その理由の解説が、次の節にあります。

 

 30:14 この言葉はあなたに、はなはだ近くあってあなたの口に

あり、またあなたの心=頭脳にあるから、あなたはこれを行う

ことができる。

 

<ここに書いてある、「近く」とは、生贄と訳されているコルバンと同じ言葉、近づく、引き寄せられると言う意味であり、

腹の中を表す言葉です。

詰まり、それは、神の言葉で記された神の仰せは、近い=腹の中=あなたの性質そのもの!である。

神の性質に造られた本物のあなただから、その事実に引き寄せらえる方法は、神の真実な言葉を通して、本物の自分を知る、

本物の生き方を知る、その手がかり=神ご自身、聖霊イエシュアである言葉を捨てる人は、その事実に近づけない!と言うことなのです。

これは、神の祭壇の前のコルバンを通して、神と対話することにも繋がっているのです。

本物のあなたに近寄る、引き寄せられる。それはイエシュアの

購いの代価で新しくされた事実!それを神に教えられているのです。

あなたの性質そのもの=言葉だから、それを生きれる!と言っているのです。翻訳だけ読んで、しかも、キリスト教が語る、神の

教え終了ありきと言う大嘘のフィルターを通して、聖書を読めば

最初に書いてある部分を自由自在に捨て、自分に都合良い

納得いく箇所だけ拾い出し、それを神の教えと思うでしょう。

最初の部分と言うのは、マタイ〜黙示録には、神の教え=トラー

モーセの五書の完全版は、重複されていないのです。

だから、ほんの一言で語る裏には、トラー、預言書の何章と言う箇所に記された内容を一言で言っているのです。

トラーを知る人には、たった一言、イントロを聞いただけで

何を話しているのか、何の曲かと全体が分かる理解をしている人に、その様に話しているのです。

マタイ以降だけを読んでも、神の教えの全部はとてもではないけれど、見えませんし、書かれている教えの意味さえ、トラーを知らない人には、空想で解釈するだけで、正しく本来の意味は

見えてこないのです。

神の教えは全部丸ごとで、完全、シャローム、欠けのないもの

詰まり、神は神が造られた人がどう生きるのかの、完全版

マニュアルを神は人に与えて教えているのに、それを端折る人は、あれもこれもそれも自分に与えられた祝福された生き方である、その大部分を捨てることをしているのです。

 

しかも、神が教えていることの大部分をクリスチャンは知らない!端折って、教えられていないのです。いや、知ろうともしていないのです。トラー、聖書にはすごいことが書かれている、

その祝福を味わえないまま、宗教の教えで、命が潰されてしまうのです。辟易するでしょう。人間が作った宗教の、人間の教えの宗教活動やら、スローガンをやらされてしまう。

自分が誰か本当に喜べない、分からない。

 

宗教が、シャバットと言う神の語る中で重要、婚姻指輪、神との

関係を表す目で見える神との特別な祝宴会見の日、神が神である事を人が認め、感謝して受け取り、神のいう通りを生きる!

と言う基本中の基本をなし崩しにしているのが、西洋宗教が

塗り替えて、別物を編み出した教えなのです。

 

申命記30:15 見よ、わたしは、きょう、命とさいわい、

および死と災をあなたの前に置いた。

 

<命とさいわいとは、神の言われた通りを生きると言う中に

ある。死、神が言われることとは違うこと!神の教えを無視し

人間の悟りで、人間の勝手に編み出した生き方を選び、神と

隔たりができる。

災い=鎧兜、安全な囲い、塀、境界線を自分でぶち壊す行為を

する人は、自分で自分のした行為によって、災いを自ら招き入れる事をする!と言う意味の警告です。

神の教えを捨てる行為は、本当に愚かな行為!と言う自覚、理解がないのです。人間の教えに聞き入っているから、神の言われることが頭脳に響かない。別の周波数に合わせて、雑音がガーガー

入り、別の周波数の声=人間の教えの声が自分の頭脳に高々と

響き、それが聖書と勘違いしている現象が起きているのです。>

 

 30:16 すなわちわたしは、きょう、あなたにあなたの神、主を

愛し、その道に歩み、その戒めと定めと、おきてとを守ることを命じる。それに従うならば、あなたは生きながらえ、その数は

多くなるであろう。またあなたの神、主はあなたが行って取る

地であなたを祝福されるであろう。

 

申命記30:19 わたしは、きょう、天と地を呼んであなたがたに

対する証人とする。わたしは命と死および祝福とのろいをあなたの前に置いた。あなたは命を選ばなければならない。そうすればあなたとあなたの子孫は生きながらえることができるであろう。

 

神は命を選びなさい!と人に教えている。命=神の言葉、神の

教え通りを選び生きる事を選びなさい!

人間が伝える宗教の教えの方を捨てる!

宗教の教えは、神の教えを破棄せよ!と教える、これ、蛇の声

そのものです!

 

神が命じる!と言う神の仰せを捨てよ!と言ったのは、蛇、

エデンの園の中にちゃっかり忍び込んでいたでしょう。

その蛇は、神の教えではない、混ぜ物を教えをする。

半分嘘、半分本当らしく言い、神の言葉の方を人に疑わせたでしょう。この神の言葉を聞いた人の中に、異邦人も入っているのです。約束の地〜やがて神の家、天の国が地上に降りて1つになる日が来るのです。イスラエルではないから、関係ない!と言う人は、その人はイエシュアとも関係ありません!と言っていることにはっきり気がつかないとなりません。

神の家族、神の契約、神の家、家訓は永遠に1つしか存在しないからです。異邦人も、同じイスラエルの神の家に招きいれられたのです。

宗教の教えは、神の教えに別物の教えを混ぜることをずっとやっていると、はっきり目覚めれば、嘘が嘘、神の言葉が真実!と気がつけます。

神が言われる通りを生きる人は、祝福され、安全に守られる。

人間の教えで、自分を歪めたり、自分が誰か分からない、人に

あなたはどんだけダメな罪人と言われ続けているそれが嘘!と

分かる様になります。

ずれる、イコール、ズレた、罪に引きずられる!それは、本物の自分をその時生きてない!という事、本物の自分は罪を犯せないと教えられているでしょう。死んだ自分の生きた記憶のまま

感情に任せて行動するから、ズレるのです。

だから、パウロは、全ての思索をキリストイエスにあって

捉えて生きて!とローマ12:2で言っているのが、それです。

 

ズレに直ぐに気がついて、戻る〜神が伝える通りを生きることに

戻る!それをするだけ、日々の絶え間ない学習、訓練。

同じです。熟練した職人、スポーツ選手、芸術家、常にその道を

極める生き方を続けるから達人になるのです。

それと同じ。神の子らは、常に神が伝える神の性質=イエシュア

が生きた通りを生きる、それにより成人に成長し、御霊の実が

結果として自分の中に実る。

そして、約束の地、神の国にいずれ皆住う。

そして、神の国、イエシュアが治める国に住う全ての人は、

神の家の家訓を生きる!トラーを生きる!それがエレミヤ31章の未来の預言、再更新され続けている同じトラー、婚姻契約を

生きる時代が来る!と言う預言なのです。

 

クリスチャンの世界では、神の教えを捨てた、別の教えを未来

皆が生きて、日曜礼拝、クリスマス、イースターを祝うと考えていませんか?又は、霊の様にフワフワ体も消えて浮遊するなど

空想しているのです。

今やってる記念日全て、それらはミトラ神の教えが混じった

人間が作った記念日、祝い日であり、イスラエルの神に属するモアデイム=アポイントメント神が呼び出した聖別された記念日ではありません!神が創造されたモアデイムではない。

それらは未来全部消えるものと書いてあります!

異教の神々の教えを生きる人は、誰一人としていなくなる!

神の家、神殿には商人=偽物の教えを売る人はいなくなる。

 

イエシュアが地上でされた業、教え、全て永遠から完了済みで

あり、タナックに全て記されているのです。

その事実を、残りの民は待望していたのです。

イエシュアが来られて、イスラエルをローマ帝国の弾圧、迫害から救い出し、神の義で統治される時代が来ることを待っていたのです。

それらの人は、苦難を受けるメシア、最初の到来という意味を、正しく理解していなかったのです。

イエシュアの業、子羊の血の購いは永遠の中に完了済みであり

2000年前に人が初めて、罪許されて、聖霊を受けた!という

偽情報を捨ててください。

聖書を正しく学び、読み取る人は、聖書は、タナック、モーセの五書であり、それを解説する預言書、諸書であることを理解しているのです。

そして、そのタナックの中にこそ、メシアの全貌が記されているのです!

だから、その事実を理解していた残りの民が、タナックに記されたメシアを待っていたのでしょう。

クリスチャンの世界で教えられる様な、神の教えを破棄せよ!

十字架で神のトラーを破棄して、自由に楽に生きれる教えに変えた!とか、異邦人とイスラエルは2つ別の群で、2度の再臨が

あり、クリスチャンだけ永遠に天に消え、天を治め、ユダヤ人は永遠に地上に残り、地上を治めるのだ、そんな教えは、聖書には

書かれてなどいません。偽教師の教える、偽の教え、パウロも

警告している、神の教えとズレた、神の教えの方を否定する、

偽物の教えは終わり時の時代には無数に蔓延るからです。

そんな聖書に記されていない、架空の教えを教えるメシアであれば、それは聖書=タナックに記されているメシアとは異なるから、偽メシアと、タナックを知る人々から、判定されるのです。

 

人が、メシアに気が付ける手がかり、神が伝えることが真実であると照らし合わせられる証拠は、神が伝えた永遠不変の言葉以外にないのです。それなのに、聖書とは違う、変身する神、変化する神の言葉時代ごとに変化する神の教え、人種ごとに違う教え??

ユダヤ人のトラー教師である私の先生がこう言っていました。

それは、学生時代、クリスチャンの牧師とクリスチャンが

集うグループで、こう言っていたと言いました。

「厳しい律法から解放された〜!」と、そして皆が拍手喝采

大歓声が起こったそうです。

ユダヤ人から見たら、律法、本当の言葉、ヘブライ語は「神の教え、指導、インストラクション」という意味なのに、トラーを

知らないクリスチャン、トラーを生きたこともないクリスチャンが、厳しい律法から解放された〜言う発言が意味不明であると。

 

そうですよね。クリスチャンは、神の教えを正しく教えられず、神が何を生きよと教えているのかもを良く知らない、なぜなら、神の教えは廃れた!と捨てているからです。

そして、トラーを一度も生きたこともない人達が、神の教えを

正しく知らない、一度も生きたことも、神の創造された永遠に

祝われる記念日を祝ったこともないし、祝わない。

そんな異邦人クリスチャン達が、神の教えから解放された?と

いう、意味不明な事を言っているからです。

神が神の教えを、人間が自由自在に仕分けて生きて良いと教えているという、聖書に書かれていない大嘘を教えられているのです。

ローマ帝国が編み出した空想話を、クリスチャンは聞かされ続けているのですが、それは聖書ではありません!!!

神が神の教えを否定する教え!神が神の教えを捨てよ!と人に

教えた?イエシュアが罪を犯せと人に教えた?きよくない動物を

食せ!聖別を汚し、罪を犯していいと教えるメシアは、それこそ偽メシア、偽預言者です。それこそが、偽物の教えなのです。

 

信じた最初から、聖書を正しく教えられて来なかった代償は大きいのです。神の教えではなく、人間が作った西洋宗教の教えで

聖書=神の教えの方を曲げて解説されているのです。

そして、聖書を教える教師を、自分の側では全く選べなかったし、聖書に書かれている本当のことを知る手がかりもなかった。

なぜなら、もしどこかの音大に行きたいならば、行きたい大学の

この教授に習えば良いとか、どこかの大学の医学部に行きたいなら、どの予備校に行くのが良いとか、普通に知っていて、情報を詳しく得ていて、教師を自分が選べるのです。

 

でも、聖書に関しては、聖書を正しく知らない人に聖書を習うということが、避けられない状態だったのです。正しく教えない

教師を、権威として認めなくてはならなかった。

選ぶ様な環境がなかったからです。異邦人で、パウロの様に

ヘブライのトラーに熟知し精通し、そして生きている。

そしてイエシュアが教えた通りの生き方をし、神のモアデイムを先祖代々幼い頃から祝っていると言う教師など、今までは異邦人の中にはいなかったからです。いないでしょう。

皆キリスト教の教えを生きている。でもそれは、イエシュアが教えた教え、トラーや記念日とは違う。

 

不思議に思った方が良いです。どうしてだろう?と。

それは、ユダヤ人と異邦人が、4世紀以降、ローマ帝国のせいで

完全決裂し、異邦人が、ローマ帝国が作った混ぜ物宗教の教えを

生きる路線に、切替移行したからです。それが事実。

だから、聖書ではない聖書解説をする教えだけが、浸透し、今迄を過ごしたのです。