黙示録1:19 そこで、あなたの見たこと、現在のこと、今後起ろうとすることを、書きとめなさい。
の御使であり、七つの燭台は七つのカハール(エクレシア=神の声に応答し呼び出された人々の群れ)である。
2:10 あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。
見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、獄に入れようとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう。
ここにある7つの教会とは、カハール、エクレシア、群れは、
ユダヤ人の群れであると正しく読み直してください。
異邦人の群れではない。トラーを知るユダヤ人達。
ヨハナンが語る、トラーや預言書を異邦人は、今でも知らないでしょう。
7つのカハールは、異教の神々文化に影響を受ける場所にいた
現トルコ周辺に住んでいたユダヤ人に当てて、ヨハナンはトラー預言書から警告しているのです。
異邦人に、トラー預言書から話しても、トラーを知らないから
何を話されているのか通じません。
1世紀当時のイエシュア信者は殆どがユダヤ人、パリサイ派の
ユダヤ人であることを、正しく知って黙示録を読み直してください。
1世紀のローマ帝国の迫害を理解して、黙示録を読めば分かります。ローマ帝国による迫害は666、反キリストそのもの。
歴史の中で繰り返し起きていることなのです。
紀元前2世紀にギリシャ帝国にされた迫害と同じです。
トラーを生きることを禁じられ、神の記念日、シャバットや
祭りを祝うことを禁じられ、強制的に豚を食べさせられ、
汚れた行為、聖別を汚すことをさせられる。
それに抵抗するユダヤ人は、ことごとく処刑されたのです。
詰まり、トラーを生きる人たちが全て処刑されたのです。
処刑された人が、天の神の祭壇で、いつ神がこのように
トラーを生きることを禁じ、迫害し続ける人たちを、神の義により正しく裁いてくださるのか?と書いてあるのが、黙示録6:9-10
です。
黙示録6:9 小羊が第五の封印を解いた時、神の言のゆえに、
また、そのあかしを立てたために、殺された人々の霊魂が、
祭壇の下にいるのを、わたしは見た。
6:10 彼らは大声で叫んで言った、「聖なる、まことなる主よ。
いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者に
対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」。
それが黙示録に書かれている、666、獣の刻印、反キリスト
大淫婦、バビロン、龍と書かれている、神の言葉に敵対し、
否定し、神の教えを生きることを禁じる勢力、神の記念日を変える勢力のことなのです。
神に敵対する思索、思想、主張、行動は、自分の目に叶う生き方=これが人間が編み出した宗教、それが例えキリストという名を使っても神の教えではない、異物、異教の神々の思想、慣し
記念日を混ぜたものにすり替えた。
それを、それぞれが勝手に発想、考える、それぞれの目に叶う
ことを、それぞれが思うままに勝手にやり続けている、
それが神に敵対するもの、神の言葉、教えを否定する者の思想の根底にあるものなのです。
ダニエル書に記されたことは、紀元前2世紀に実際に行なわれた
666、反キリストのしたことです。
それがダニエル11章に記されています。
反キリストの思索、行いは歴史の中で繰り返され続けていくのです。そして、反キリストの特徴をダニエル書で短く書いているのです。
ダニエル 7:25 彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時とトラーとを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。
イエシュアの業で、神が人を新しくしたことを最初から神が
人に教えているのです。2000年前に初めて福音が伝えられたと勘違いしてはなりません。
トラーには最初から、エデンの園から同じ、購い、救いが教えられているからです。
そして、神の伝えられた通りに、神の前に出ること。
供物とは、コルバンというヘブライ語で、「近づく、引き寄せる」
という意味の言葉です。
神に近づく行為と、供物というのは1体なのです。
これは、シャバットも同じです。創造主が誰であるか、神の
言われることを人はその通りに受け取り忠実に再現して生きるのか?これが、神との関係を結ぶ根本、根底なのです。
でも、人間が作った混ぜ物宗教は、神の伝える神との関わり
関係の性質を根本から変えることをし続けているのです。
神の言われることではないことをやる!神が言われたこととは違うことをする!エデンの園の騙しと全く同じ。
神の言葉を曲げる、遺伝子組み変えと同じです。
本体=イエシュア=神の実態を、地上で人の生きること=影
が正しく表さないで、別物の影を映し出すことをさせられているのです。
神の栄光、義、聖別と分かったようで実は意味がはっきりと説明できない、自分の中で考えているだけの概念がたくさんあるのです。
神の実態を地上に映し出すには、神が言われたことと違う
遺伝子組み換え、コピー品を生きたら、それはイエシュアの
実態を正しく映し出していないのです。
神の教えを否定する思想は、人間が作った宗教=ローマ帝国皇帝製造の偽物の姿、生き方を映し出し、神の教えではない、
人間の教えを代弁していることに気がつけば良いのです。
聖書を利用しているから、100%聖書=神の教えと思うのは
間違いです。神の言葉を利用して、人間の思想を語っている
それが人造宗教なのです。
イエシュアが言われた父と一体である。父の言われたこととは
違うことを言わない、しないと言っているでしょう。
クリスチャンは、イエシュア=言葉を否定し、ローマ皇帝を
代弁している冒涜に気がついたら、はっきり分かったら偽物
まがい物、嘘とは完全決別します。
本物=神の教え、言葉に戻る!当たり前のことなのに、通じないでしょう。それほど擦り込み、洗脳、騙しは深いからです。
カインとアベルのコルバンが書いてありますが、どうして
カインのコルバンを神が拒絶したのでしょう?
神が言われたこととは違うことを、カインがしたからです。
モーセが岩に告げよ!と言われて、2度岩を叩いたことで、
約束の地に入れなかった。厳しい神?いいえ、神を人の前で
代表者が正しくリプゼント、表さない行動をする人は、そのように厳しく退けられるのです。
それは偽物だからです。イスラエルの神を汚す行為だからです。
人の世界でも、自分が伝えたことと違うことを他の人に言う人を
信頼などできないでしょう。大事なことを託さないでしょう。
伝えたことを忠実に、伝達してくれる信頼できる人に頼みます。
同じことです。普通に考えてみたら良いのです。言ってもない事を、神が言った、やったと言う人を神が退けるとあります。
当然でしょう。神ご自身を、神が伝える神とは違う変化する神
変化する神の言葉などと言うローマ帝国教の虚偽をクリスチャンが吹聴している。それは神に対する偽証そのものです。
その嘘を、時が来たら神が完全排除、阻止するのです。
これまで!と言う時にその嘘を神ご自身の聖別、栄光のために、人間の嘘を証明するとあるからです。
イエシュアも同じことを言われたのです。
神のトラーを捨てる人、否定する人、無視するように教える人
天の国では無意味、無価値な存在だ!そして、神の教えを捨てることを、アノモス=無法者とイエシュアが警告し、わたしは
あなたを知らない!とイエシュアがそう言われたのです。
そのイエシュアの言葉の意味は、あなたと私とは婚姻契約の親しい関係にはありません!と言う意味です。
そうでしょう。旦那の言葉を無視する妻!夫の言うことを無視して、隣の旦那の言うことは忠実に聞く妻などは、親しい関係ではあり得ないでしょう。婚姻関係の前提を破る=夫の言うことを無視して勝手なことを言い続け、やり続けているからです。
神の言われる通りをすると言うこと、これが真実であり、
ずれた人間が神の言葉に忠実に生きることを、日々訓練されるのです。自分の好きなように、やりたいからやる、食べたいから
食べると言う野生動物のような生き方はやめる。
神の性質通り、目的通りに分たれた人は、神が創造された本来の
性質を生きる、それは神が伝える通りを理解して、生きることを
通してそれを知ることができるのです。
神のデザインと反することをする、イコール自分を破壊、害を
もたらすことだからです。
エデンの園の教訓!あなたが食べるように造られていないものを
食べない!と言われて、食べたいから、目にうるわしく見える
から、食べたいと言う感情に任せて、神の言われることを無視。
これ今もずっとやり続けているのです。自分の考えで、自分の
異教徒文化の習わし、みんながやるから分からない。
神の教えを否定する宗教の教えを聞いているから、神の言葉が
書いてあるのに、その通りに読み取れない。
聖別を汚すことをやり続けて、神の目にはずれて生きている。
アベルは、神が言われた通りの初子、最善、傷のない子羊を捧げたのです。カインは、大地の収穫物で普通のもの、初穂ではないものを神の前に出したのです。
神が言われることとは違うことをしたから、退けられたのです。
この違い分かりますか?どうでも良い普通のものを捧げた。
神が言われた通りにしない。最良のものを保存し続ける、神の前に出し、後世の収穫に繋げることを理解していない。
神の前に捧げるものは、最良のもの、初穂、初子とあるからです。牛や羊の高価な動物が買えない人は、鳩、又は収穫物を
捧げよと教えられていますが、それらは全て初子、初穂、
最良のものを捧げるように教えられています。
神が強欲だから、人に最高のものを要求しているのではなく、
私たちは誰か?をコルバンを通して教えているからです。
シミも、傷もない子羊イエシュアにより、同じようにイエシュアと一体になった人は、シミも傷もない新しく、神の前に欠陥のないものとされている事実を、コルバンを通して教えているのです。
常にその自己像を土台に、神の前に出てきなさい!と教えられているのです。
だから、許された罪人とか、以前の自分のズレた行動、生き様を名前、タイトルとして伝えている人がいますが、それは神の
されたことを否定する冒涜的、又間違った自己像を他者へ発表しているのです。
神の創造されたデザイン通りを取り戻された人は、神の性質通りを生きる、その生き方がモーセの五書に記されているのに
ローマ帝国皇帝が、それを捨てよ!トラーを生きたら処刑!
と言ったのは、666の手先だからです。
福音は、神の教えの全て、そして特にシャバット、新月、
祭りを通して、イエシュアの実態と、イエシュアが地上でされる預言的事実を教えているのに、クリスチャンはそれを捨てるよう
ローマ帝国にされてしまったのです。
もし、そんな教えをされなければ、イエシュアと同じように
1世紀、聖書に記された人たちと同じように、シャバット
新月、祭りを祝い、神の言われた通りの教えを生きることをして、異教徒文化の汚れた生き方から完全決別する生き方を
信じた最初から知ることができたのです。