人間の作った宗教は所詮偽物 コピー品にしか過ぎない | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ローマ皇帝コンスタンチヌスの、神の教えに反する主張の続きです。

彼の主張が、人造宗教の土台となり、神のトラーを捨て、彼らの宗教、太陽神、ミトラ教の教え盛り込んだ、別物の宗教が4世紀に

作られた事実を、はっきり知れば、何を教えられてきたのか、

自分で追求、突き止めることができます。

純粋な神の言葉を捨てた、宗教の教えは、所詮偽物です。

 

「だからこそ、皆さんもご存知のとおり神の摂理は、私たちが適切な是正措置を講じ、統一した慣行を確立するようにと指示されたのです。

そこでまず、主を殺した父殺しの民(ユダヤ人)とは何の共通点も

持たないように状況を変えることが望ましいと考えました。

第二に、西方、南方、北方のすべての教会、そして東方の一部の教会で守られている規則は、極めて適切です。したがって、現時点では、ローマ市、イタリア全土、アフリカ、エジプト全土、スペイン、

フランス、ブリテン、リビア、ギリシャ全土、そしてアジア、ポントス、キリキアの各教区で広く一致して守られている規則を、賢明な

あなた方にも喜んで受け入れていただくことが、私たち皆にとって

適切だと考えました。」

 

主〜父殺し=ユダヤ人!これはカトリックの中でも、今も教えられ

浸透している教えです。クリスチャンもこれを1度は聞いたことが

ありませんか?ユダヤ人と何の共通点を持たないという意味は、

神の教えを生きるな!という遠回りの言い方なのです。

その代わりに何をクリスチャンは生きるか?ローマ帝国皇帝が

作った人間の宗教〜太陽神〜ミトラ教、偶像、偽の神々の教えに

まみれた偽物の宗教を生きよ!と言われたのです。

これ、神の前にどういう意味であるか、神の言葉を正しく理解する人は分かるのです。姦淫の罪!神が最も忌み嫌うと言われたこと~混ぜ物

異教の神々のシンボル、儀式、教えを通してイスラエルの神を礼拝すること、それをローマ帝国は人に強制的にやらせたのです。

 

「この解決策をあなたが慎重に検討すれば、きっとご満足いただけると確信しました。特に、大多数の会衆が前述の地域に位置しているだけでなく、私たち皆が、常識が求めるもの、そしてユダヤ人の偽証とは一切関係のないものを共に求めるという、最も神聖な義務を負っていることを考慮したからです。

しかし、簡潔にまとめると、最も神聖な復活祭を同じ日に厳粛に執り行うことが合意によって決定されました。

これほど神聖で重大な事柄に相違があるのは、全くもって不適切で

あるのです。奇妙な誤りとは一切関係がなく、正しい道から逸脱することもないこの選択を採用することは、全く称賛に値します。」

――歴史家エウセビオスが口述したコンスタンティヌス大帝の『教会への手紙』より

 

詰まり、ローマ帝国皇帝は、神の教え〜トラ〜など知らない無知

何を言っているのか分からないまま、破滅を招いた人です。

無理な解釈を施し、トラーに何が書かれているのか知らないまま

自分の考えで、異教神の要素〜まざりもの〜姦淫の罪、不純物を

混ぜて作った、偽物、偽造宗教。

 

そして、神が忌み嫌う行為をし、神の聖日を汚すよう教え、

神の聖別を汚す生き方、神の言葉を捨てて、ローマ帝国勅令の教えを生きさせられ、今に至るのです。

 

エゼキエル22:26 その祭司たちはわがトラーを犯し、聖なる物を汚した。彼らは聖なる物と汚れた物とを区別せず、清くない物と清い物との違いを教えず、わが安息日を無視し、こうしてわたしは彼らの間に汚されている。

 

マラキ2:5 彼と結んだわが契約は、生命と平安との契約であって、

わたしがこれを彼に与えたのは、彼にわたしを恐れさせるためである。彼はすでにわたしを恐れ、わが名の前におののいた。

 

2:6 彼の口には、まことのトラーがあり、そのくちびるには、不義が見られなかった。彼は平安と公義とをもって、わたしと共に歩み、

また多くの人を不義から立ち返らせた。

 

2:7 祭司のくちびるは知識を保ち、人々が彼の口からトラーを尋ねるのが当然である。彼は万軍の主の使者だからだ。

 

2:8 ところが、あなたがたは道を離れ、多くの人を教えてつまずかせ、レビの契約を破ったと、万軍の主は言われる。

2:9 あなたがたはわたしの道を守らず、トラーを教えるに当って、

人にかたよったがために、あなたがたをすべての民の前に侮られ、

卑しめられるようにする」。

2:10 われわれの父は皆一つではないか。われわれを造った神は一つではないか。なにゆえ、われわれは先祖たちの契約を破って、おのおのその兄弟に偽りを行うのか。

 

エゼキエル36:20 彼らがその行くところの国々へ行ったとき、

わが聖なる名を汚した。これは人々が彼らについて『これは主の民であるが、その国から出た者である』と言ったからである。

36:21 しかしわたしはイスラエルの家が、その行くところの諸国民の中で汚したわが聖なる名を惜しんだ。

36:22 それゆえ、あなたはイスラエルの家に言え。主なる神はこう

言われる、イスラエルの家よ、わたしがすることはあなたがたのためではない。それはあなたがたが行った諸国民の中で汚した、

わが聖なる名のためである。

36:23 わたしは諸国民の中で汚されたもの、すなわち、あなたがたが彼らの中で汚した、わが大いなる名の聖なることを示す。わたしが

あなたがたによって、彼らの目の前に、わたしの聖なることを示す時、諸国民はわたしが主であることを悟ると、主なる神は言われる。

36:24 わたしはあなたがたを諸国民の中から導き出し、万国から集めて、あなたがたの国に行かせる。

36:25 わたしは清い水をあなたがたに注いで、すべての汚れから

清め、またあなたがたを、すべての偶像から清める。

 36:26 わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。

36:27 わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて、わが定めに歩ませ、

 

ヨシュア 23:7 あなたがたのうちに残っている、これらの国民と交じってはならない。彼らの神々の名を唱えてはならない。それをさして誓ってはならない。またそれに仕え、それを拝んではならない。

 

神の警告は、異邦人へも全く同じなのです。これをずっとやっているのです。

なぜなら、神の教え、罪の定義、聖別の定義は永遠普遍だからです。

神の言葉が変化したという大嘘を吹聴するのは、ローマ帝国皇帝の嘘を、神の言葉だと勘違いして信じているからです。

そんなこと、聖書のどこにも記されてもいないのです。

イエシュアの言葉やパウロの手紙を正しく知らない教師が、ローマ

帝国皇帝の教え〜神の教えを捨てよ!ユダヤ的なこと全部排除!と

いう勅令に基づき塗り替えられた偽物の教え、聖書ではないことを、

信じ続けているから、何を神の言葉から言われても通じなくなってしまったのです。進化論を信じることを全く同じ。

神の言葉の進化論=偽の仮説を信じる信仰なのです。

 

クリスチャンは神の言葉が破棄された!という嘘を、聖書に書いて

あることに照らし合わせず、人間の思想=ローマ帝国の勅令により

作られた偽物の教えに照らし合わせて、神の言葉の方を削除し、

捨て、人間の教えを土台にして、神の言葉のあれ、これ、それ、

自分に納得できることだけ、取り入れて生きているのです。

そして宗教が編み出した伝統の教え、儀式、記念日をやっているのです。それはイスラエルの神から出たものではないのです。

 

ここでのローマ皇帝の議論は復活祭=イースターですが、

元々、聖書=神の教え、記念日にイースターなど神の教え、仰せの中にはないこと、聖書からはっきり知らないとなりません。

ローマ教の作った全ての記念日は、その裏には異教の神々の祭りが

あるのです。意図的に、神の記念日を作り変えたからです。

大衆、太陽神、ミトラ教、土着宗教、大衆が馴染んだものを土台に

その上に上塗り〜神の教えを加えた、パクリ、まがいもの、神が

禁じていることを、堂々とやってのけたのが、神の言葉に違反する

ローマ帝国皇帝。神の言葉を人間が塗り替えて良い!というずれた

意識、ずれた思想の人が、作った宗教だからです。その目的は、自分のローマ帝国拡大、支持されるための政治的策略だったからです。

 

太陽神の日=皇帝の日=日曜日。

クリスマス〜ミトラ教、太陽神、異教の神々の冬至の祭り。

イースター=異教の女神、多産を祈願する春分の時期の祭り。

それらを、キリスト教的意味を付け加えて、パクリ変えただけ。

ハロウインも同じです。ケルト人の悪霊祭り〜死者の祭りを、

聖人の祭りに、作り変えたものです。

 

イースターではなく、神の子らは神が創造されたシャバット、新月、祭りを生きるように招かれ、その中にイエシュアの復活を表す

「初穂」の日は、創造の最初から、神が神の子らのために用意された記念日が創造され備えられているのです。初穂の日にイエシュアは

復活されたのです。

 

今も同じですが、どうして人間が、時代に沿って神の言葉を塗り替える権威を持っているなどと主張して、それが嘘!偽物!とイエシュア信者が気がつけないのでしょうか?

神の言葉を捨てているから、神の教えを正しく理解していなのです。

 

人間が、「神の教えのあれ、それ、これは終わり!」と発言した時点で、それが神に対する、違反、罪、冒涜であることを、聖書から

理解しない人は、どのようにも、神の教えを変えて行きますし

その罪、違反に気がつけないままになります。

神の言葉、教えを捨てるという意味は、神が伝える罪の定義、聖別の定義を捨てているのです。

だから、神の前に何が罪なのかも、分からないままいるのです。

それは、人間の教えを信じて、神の言葉を退けているからです。

堂々巡りなのです。人間の罪の根は、神の言うことを退けること。

その行為は、実は神を神と認めていない行為なのです。

自分よがりの聖別、自分よがりの信仰〜そして、神の言うことを捨ててて、自分の考えを生きているのです。

極め付けは、神の言葉を人間が真っ向から塗り替えて、神のデザインを塗り替え、結婚を禁じたり、独身を強いたり、そして果ては

LGBT、そして、牧師が子供や信徒を性的虐待するなどの犯罪に手を染める。闇の世界は、神の言葉を無視することから、起きる!という大原則をはっきりと知らないとならないのです。

 

サタンは、神の子らをターゲットにしています。

神に熱心に付いていこう、神の教えを生きよう!とする人の意識を

神の言葉、真理から逸せて、別の教えを放り込み続けています。

だから、世の中、偽物の教えが蔓延して、そして神の言葉を塗り替える宗教、置換神学や、デイスペンセーション神学、それらが聖書ではないということを、聖書から識別できない人が、神の言葉を否定する

冒涜を語り続けているではないですか。神の言葉は終わり、神の言葉

は変化すると、ずっと言い続けているでしょう。それは罪、偽証、

冒涜だと、全く気がついていないのです。

 

どうして、神が言われること、神の言葉が永遠普遍と言われた言葉を

捨てて、人間が作った宗教〜偽物の思想などを土台としているのだろうと不思議に思わないのか。そう、いつも堂々巡り。全ての原因は、人間が神の言葉を勝手に仕分けて、塗り替えて、別物の教えに変えたり

神の言葉、教えを捨てている、それが罪が人の中に入り込み、

神を汚し、自分の聖別を汚していても全く気がつけない、本当の原因なのです。

サタンは巧みです。人を分からないように、騙し破壊して行きます。

蛇は透き通っている、というヘブライ語、巧妙、ずる賢いと翻訳にはありますが、透明〜分からないように、人を神の言葉を捨てさせ、疑わせ真理から人を遠ざけ、神が与えた本来の祝福された生き方を生きられないように、妨害し続けているのです。

 

聖書を教える牧師、教師の口から、神の言葉は廃れた!と平気で聖書ではない、嘘の教えが言い続けられ、そして神の民の生き方を知らないまま、ローマ帝国の作った宗教の教えを人に伝え続けて、その宗教の教えに邁進させられている。

これって本物ではない。偽物、コピー品の教えを生きている!

と気が付く人は気がついて、それが今世界中で、おおきなうねりになっているのです。

なぜなら、聖書は聖霊により書かれて、真実を求める人は神の言葉を通して、聖霊が聖霊が記した永遠の真実、真実にはっきりと、人の目を開いて、嘘から目覚めさせることをしているからです。

終わりの時代には、それが起きると預言されているからです。

 

汚れたものから脱出し、神の純粋な教え、言葉に戻る、それが本当の安全な場所に生きること、本当の軌道修正、クリスチャンがいう

本当の悔い改めとは、神の教えに戻り、ずれた生き方を全部捨てて

訂正、修正して生きること、それが本物だからです。

 

偽物の染まったあかを落とせば、神の祝福を存分にエンジョイできるからです。