ローマ帝国皇帝の作った人造宗教 コンスタンチヌスの主張は神の教えを塗り替えるもの | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

イエシュアが荒らすいむべき者に対しての警告し、黙示録でヨハナンが書いているバビロン、大淫婦〜荒らすいむべきものの特徴は、

ダニエル書に記された預言、ギリシャ帝国がやった、同じ荒らすいむべきもの、神のトラーと神の「時」を塗り替えるものと同じ。

 

神の言葉に敵対し、神の民〜契約を保存、ガードして生きる人たちに対する迫害に対して警告した通り、同じことがローマ帝国に於いて

既に1世紀から行われ続けて来ました。

 

異邦人クリスチャンの間で、一般的に信じられている教えは、もちろんある部分は聖書の真実もありますが、神の言葉を否定〜終了〜破棄という神が語る事実=聖書とは全く異なる教え=ローマ帝国の勅令、

4世紀にローマ帝国皇帝により作られた人造宗教を信奉しています。

 

純粋な神の言葉ではない、神の言葉を否定して、異教の神々の

教え、シンボル儀式をふんだんに取り入れ、異教神の祭りを神の

記念日とすり替えて、浸透させた宗教。イスラエルの神〜神の言葉=聖書由来すものではない、人間由来の宗教の教えが、今に至るまで

続いているのです。

大衆が、権威を持つ人が主張すること、長年語り継がれて継承されている教えが、常に正しいのではなく、神の言葉で伝えられる永遠普遍の真実〜聖書に記されていることが本物であり、揺るがない永遠の

真理なのです。

その原則を揺るがしたのが、ローマ帝国教の教え〜人間が神の言葉を否定、塗り替えて勝手に作った教え、思想です。

 

4世紀のコンスタンチヌスの言葉からも、どれほど神の教え=トラーに対して敵対心を持っていたのかが、分かります。

神から、神の教えを受け取った契約の民であるイスラエルが、とにかく憎いのです。だから、トラーとは違う思想を言うのです。

 

以下、鉤括弧の部分は全て、皇帝コンスタンチヌスの言葉です。

 

「私たちは救い主から別の道を授かりました。私たちの聖なる宗教において、私たちは正当かつ正確な道を歩み始めました。」

 

⚪︎別の道〜それは、トラーに記された神の教えではないという意味です。

⚪︎私たちの聖なる宗教〜これは、イスラエルの神の教えではなく、

人間が作った彼ら、ローマ帝国の人造宗教です。

 

⚪︎正確な道〜正確な道とは何ですか?

神の教え=トラー=イエシュアの命の実態を生きることが正確な道であり、ローマ帝国皇帝の作った人間の宗教を生きることは、

曲がった道であり、神が伝える本物の道ではありません。

それらは、正確な道=イエシュア=トラーだからです。

イスラエルは、神が伝える教え、トラーを生きないで、別物に頼り

別物の教えを生きて、迷い出たのです。

 

イザヤ30:15 主なる神、イスラエルの聖者はこう言われた、「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」。しかし、あなたがたはこの事を好まなかった。

30:18 それゆえ、主は待っていて、あなたがたに恵を施される。

それゆえ、主は立ちあがって、あなたがたをあわれまれる。主は公平の神でいらせられる。すべて主を待ち望む者はさいわいである。

 30:19 シオンにおり、エルサレムに住む民よ、あなたはもはや泣く

ことはない。主はあなたの呼ばわる声に応じて、必ずあなたに恵みを施される。主がそれを聞かれるとき、直ちに答えられる。

 30:20 たとい主はあなたがたに悩みのパンと苦しみの水を与えられても、あなたの師は再び隠れることはなく、あなたの目はあなたの師を見る。30:21 また、あなたが右に行き、あるいは左に行く時、

そのうしろで「これは道だ、これに歩め」と言う言葉を耳に聞く。

 

引き続き、コンスタンチヌスの主張です。

 

「一致団結してこの道を歩みましょう。尊敬すべき兄弟たちよ、

あの忌まわしい交わり〜ユダヤ人達から身を引こうではありませんか。彼らの教えなしには私たちがこれらのことを正しく守ることが

できないなどと彼らが自慢するのは、実に愚かなことです。

主を殺害した後、正気を失い、理性的な動機ではなく、抑えきれない衝動に突き動かされ、生来の激怒が導くままに突き進む者たちが、

一体何について正しい判断を下せるというのでしょうか。

だからこそ、この件においても彼らは真理を理解できず、常に極度の誤りを犯し、適切な矯正を行う代わりに、同じ年に過越祭を二度祝うのです。

 

⚪︎ ローマ帝国皇帝は、とにかく、神の純粋な教えではなく、彼らが

考えたミトラ教の教えをふんだんに混ぜた教え、そして、神のトラー

教えではないものを宗教にしました。そして、ユダヤ人と完全決裂しよう!と主張したのです。皇帝の言葉=イコール勅令、法律であり、誰も逆らえないものなのです。

ここで、分かるとおり、ローマ皇帝が神のトラーとは違う別の宗教

を作り、契約の民である、トラーを知る人たち、パウロのような

トラー教師達から、完全決裂しようぜ!と決めたから、今のように

異邦人は、ヘブライ聖書も知らない、神の記念日も知らない、祝わない、そして、神の教えの代わりに、神の教えが廃れた、ユダヤ色ある一切合切、ユダヤ的なこと、ユダヤ人と関わるのはやめよう!と、

皇帝の勅令に従って完全分裂の道〜2つ別の群れへになることへ、

移行して行ったのです。

昇天以降、神が神の教えを破棄したというのは嘘です。そんなこと

聖書に書いてもありません!聖書に書いてあるのは、昇天以降も、

トラーを熱心に学び、ガードしてトラーを生きていたのがイエシュア信者です。

そして、全ての人がシャバット、新月、神の過越の祭り、秋の仮庵の祭りを変わらず祝っていた記録しか聖書にはないのに、書いてもないことをあるが如く、空想、神話を信じ続けているのが宗教の教えに

洗脳された思考回路なのです。

 

コンスタンチヌスは、神が創造された神のモアデイムを理解していなかったことは、明らかです。

 

「では、なぜ私たちは、重大な誤りに染まっていると認められている者たちの例に、倣うべきなのでしょうか。

同じ年に復活祭を二度祝うことを決して許すべきではありません。

 

重大な誤り?コンスタンチヌスの方が、神の教えを知らないまま

神の教えを曲げる間違った聖書解釈を披露しているのです。

ここに復活祭りを2度祝うと書かれています。

復活祭りなど、聖書には最初からない祭りであることを、はっきり知って下さい。日曜礼拝もクリスマスも聖書にはない祭り、教えです。

神が創造された記念日は、春は過越の祭りです。

過越の祭りの7日間=それは種無しパンの祭りでもあり、その真ん中の日を、「初穂」を捧げる記念日があるのです。

この日にイエシュアが復活されて、そしてその「初穂」はイエシュアを表すものであり、新しい命を表すものであり、初穂祭りの中に

イエシュアの復活〜新しくされた人の事実、それ以外に、種無しパンの7日間の中で、過越の子羊の血の贖いの代価で「新しくされている人」の事実をずっと教えている、神が創造された記念日があるのです。

そしてその祭りの後、7週間〜新しくされた人を教える、穂を数える

7週間の時期があるのです。

その7週間の間に復活のイエシュアが弟子達に現れ出たでしょう。

そして、新しくされた事実を生きる7週の終わりが、春の最後の

都上りの祭り、シャヴオートなのです。

この祭りは、小麦の収穫祭であり、最上の小麦で種ありパン2つを

神の祭壇に捧げられる日。そして婚姻契約を正式に花嫁となった

人たちが受け取った記念日なのです。

復活祭も、聖書にない名前ですが、聖霊降臨祭も異邦人が作った名前であり、シャブオートは、聖霊が初めて人の中に住まうことが始まった祭りなどではありません!

このコンスタンチヌス皇帝と同じように、クリスチャンの世界では

勝手に創作した、祭りや教えを語り続けて、それが聖書だと勘違いしいるのです。

祭りの趣旨が違うのです。神の花嫁とされた人が、婚姻契約を

受け取ったのです。その時点でも分かる通り、神の教えを生きて

聖霊を受け取る、義とされるという、クリスチャンの世界で語られる聖書解説は、聖書ではない、聖書とはズレているのです。

神は、神の民、聖なる民と神がした人たちに与えたのが、神の国

家の家訓=婚姻契約であり、これは、神の教えを生きて義とされる

聖霊を与えられる、そんな目的のためになど、与えられていません。

誰一人、何かをしたから、義とされる、救われる、聖霊を受け取れるのではないからです。神が提供した無償の代価〜子羊の贖いの血の

事実を、信仰により受け取る、その方法以外にはないのです。

誰も、イエシュアを通して意外誰も父のもとには戻れない!と

イエシュアも言われた通りが、真実だからです。それなのに、なぜ

神の言葉とは違う、人間の思想を言い続けるのですか?

婚姻契約は、神に義とされ聖別され、神の民とされ、花嫁とされた人が、神の家に迎え入れられた。その人たちは、異教徒の教えとは違う、神の家の新しい生き方、神の家の文化、しきたり、生き方、

神の民の記念日、祭り、宴会、祝宴を祝う、それが神の民である印であると、神が教えているのです。

 

普通に考えても分かるでしょう。夫の家に嫁ぐ。王室のように

普通の一般人とは違う生き方が、ロイヤルファミリーにはあります。それと同じく、神の聖なるロイヤルファミリーに入った人は、

1から、ロイヤルファミリーの生き方を、神=夫に教えられる。

それが嫌なら出て行けば?とイエシュアが言われたでしょう。

マタイ7:21-23

人間が作った記念日は、神が神の花嫁に与えた関係を表す「印」

ではありません。そのような人間由来の記念日、祭りは宗教〜

皇帝コンスタンチヌス由来の人造であり、イスラエルの神に属する印ではない。宗教を信奉する人のシンボルなのです。

 

「しかし、たとえこれらの考慮があなた方の目の前に提示されなかったとしても、あなた方は勤勉と祈りの両方によって、あなた方の純粋な魂が、このように完全に堕落した人々の習慣と何ら共通点を持たないように、あるいは、そのように思われないように、依然として注意するべきです。」

 

堕落した人?ユダヤ人?神の教えを汚す生き方をすることこそが、

堕落、腐敗された生き方であると、神は教えているのです。

人間が神になり代わり、勝手に神の教えを破棄、終了、塗り替え

今は人間の意見で仕分けて良いという最大にして冒涜な偽物の教え

そんなことを、イエシュアを信じる人が言い続けている、

その嘘、偽りの妄想から覚める時が来るのです。

 

「これも考慮すべき点です。このように重要かつ宗教的な意義を持つ

事柄においては、わずかな意見の相違も極めて不敬なことです。

救い主は、私たちの解放を記念する日をただ一つだけ残されました。それは、ご自身の最も聖なる受難の日です。また、ご自身のカトリック教会が一つになることを望まれました。」

 

受難の日、それは過越の祭りです。

神は人造宗教を作れ!などと言っていません。それを禁じています。

神の言葉に人間が手をつけることを、ずっと断固として禁じています。

申命記4:2 わたしがあなたがたに命じる言葉に付け加えてはならない。また減らしてはならない。わたしが命じるあなたがたの神、

主の命令を守ることのできるためである。(申命記12:32)

 

黙示録 22:18 この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、

わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。

22:19 また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神は

その人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。

 

ローマ帝国教の思想〜人間が神の言葉に付け足しすること、

これは死に匹敵する罪であり、神の言葉、罪の定義は昇天以降も変わらないことを、聖書から知らない人が、分からないままローマ皇帝の

主張を信じて神に対する違反、冒涜をしているのです。

 

「その教会の信徒たちは、たとえ様々な場所に散らばっていたとしても、神の御心によって、一つの霊によって守られています。皆さんの神聖な性格にふさわしい良識をもって、同じ日に断食を守りながら、別の人たちが祝祭を祝うこと、また復活祭の後、ある人たちが祝祭や喜びを祝う一方で、別の人たちが定められた断食を行うことが、

いかに嘆かわしく不適切であるかを考えてみてください。」

 

これを読んだだけでも、コンスタンチヌスは、自分が何を言っているのか全く分かっていない、神の言葉を正しく、知らない、理解などしていないことが、証明されてしまうものです。

断食は、神の仰せにはありません!!!復活祭など、聖書にはありまません!神の子らは、人間が作った復活祭=イースター(異教の女神)の名前がついた春分の多産を祝う女神の祭りを変えた祭りではなく、神が創造された、「初穂」=イエシュアが復活された日

祝うように、最初から神が人に教えられているのです。

 

続く