イエシュア昇天以降は、今迄聞かれた教え〜トラー=婚姻契約=父の言葉=イエシュアご自身=聖霊、聖霊により記された神の教えが
廃れた、又は異邦人には関係ないという、ローマ帝国が作った勅令
思想、宗教、教理の教えが、ローマ帝国支配下の国々に住んでいた
異邦人クリスチャンの間に4世紀以降一気に浸透して行きました。
これは、ローマ帝国の勅令の法律厳守〜モーセの五書を生きるのを
禁じる神が創造された記念日、シャバット、新月、過越、仮庵の祭りを祝うことをローマ帝国の法律で強制的に禁じたからです。
364年のラオデキヤ会議では、人間が神のシャバットを汚せ!その日に労働せよ!と神の教えに敵対する冒涜の勅令を教理としたのです。そして、神の記念日とは関係のない、ローマ帝国の土着宗教、太陽神の日、サン太陽の日、日曜日を神の記念日とし、その日に労働するなかれ!と人間が決めたのです。
神に対する冒涜、罪とは、神の教え=トラーに違反することであること、このような神の教えに対して無知で、冒涜的な行為を平気でする神のみ旨からずれた人々が人の上に立っていた。教父、皇帝、教皇、司祭達により神の言葉をなし崩しする教えが、次々と、宗教会議に
より決議され続けて結果が、今の人造宗教の結末なのです。
LGBTQでも、なんでもOK。時代にあった教えに乗りましょうと言うのが、ローマ教皇の宣言であり、プロテスタントの牧師達も同様にそのような教えに賛同している、神が忌み嫌われることを平気で人に
伝える世も末、ソドムとゴモラ状態。
聖書ではない教えを、教師がするという、これこそもう自分で聖書に
戻る以外に、真実を発見する方法はないのです、
でも神は真実なお方ですから、神の言葉を変えていない。
神の言葉に正しく立って、神の言葉を否定、変更したという教えは
全部嘘である事実にだけ立って、臭い箇所=間違った聖書解説をされた箇所は、見聞きしている解説とは違う!ということを、知れば良いのです。
紀元前160年代のギリシャ帝国で行われた国の政策、勅令と同じ
ダニエル11章に預言として記された反キリスト、神の教えと、
神の記念日を塗り替える、神に敵対する者に賛同する行為なのです。
これはエデンの園から同じ、神に敵対するもののやる行為です。
神の教えを曲げ、塗り替え、別物に変えて、人間の教え〜宗教〜
聖霊とは違うものを生きることに誘導する勢力のことが、預言されているのです。
これは、何度も繰り替えし、歴史の中で起きていることで、これからも起きることなのです。
神が神の教えや記念日を変えた!という、偽情報を全部完全に削除して、聖書を読み直して下さい。人間、ローマ帝国、ローマ皇帝、
ローマ教皇、西洋教父、司祭達人間が法律で、又宗教会議で神の教えに反する教えを編み出しそれらを宗教教理にし、全員が偽の教えに従い生きるよう勅令、法律作り、強制執行し続けた!という、歴史の
事実に目を開いて下さい。
クリスチャンの世界で語られている教えは、神の教えを削除、破棄
終了したという聖書とは真逆、全く違う土台の思想に照らし合わせて聖書解説がされているので、聖書に書かれていないことを本当であると信じ、聖書に書かれていない記念日や祭りを実践し、今に至っているのです。神の言葉の進化論、人間が作った教えを取り入れているのに、その事実に全く気がついていないままなのです。
異教徒思想のキリスト教というのがありますが、異教徒要素、シンボル、教えだけではなく、問題の根は、神の言葉が廃れたと否定する
その思想の土台を、まず根こそぎ破棄、撤去、取り除かない限り
中途半端にパン種=嘘の教えのあれこれの一部を取り除いても、結局偽の教えは残ったパン種からどんどん膨れ上がり続けてしまっているのです。
神の言葉に戻ろう!と言いながら、神の言葉は捨てれた律法で悪いから、戻るな〜!と、こんな同時矛盾をよく平気で言っているのかと
考えたら良いのです。神の教えに戻ることを、阻止するのはサタンである!とはっきり聖書から覚えておいてください。
神の教えに古いも新しいも、変化も移りゆく影もない!とはっきり
何度も説明しているのに、偽の教え、聖書ではない思想を信じる人には、それが通じていないのです。
クリスチャンの間では、神の創造された記念日は呪いの律法で廃れた
古いものなので、昇天以降祝うのを神が終了されたと、聖書に1つも書いていないことを、聖書であると信じ込んでいるのです。
福音書、使徒、パウロの手紙、その他の手紙も、全てそこに書かれているものは、トラーの抜粋の解説であり、100%モーセの五書の
短い説明です。
使徒20章で、パウロが日曜礼拝をしているなどと、とんでもない
勘違いをするのは、1)聖書を正しく知らない 2)ヘブライ聖書に何が記されているのか知らない 3)ヘブライ人 イスラエル、パウロが何者か理解していない 古代ヘブライ人が理解していた通りの聖書の理解が無い 5)人間の作った宗教の教えで聖書を読み解いている。聖書解釈の基本がずれている 聖書は聖書で読み解くという
大原則を捨てている 6)聖書に登場する人全てローマ帝国〜人間が4世紀以降に作った人間宗教ローマ教を知らない
7)神の創造された記念日の全て、祝い方、その日の意味を知らないからです。
使徒20章では、過越、種無しパンの祭りの7日が終わって、
穂を数える7週間〜シャヴオート(第50日目〜ペンテコステ)
出エジプトしてから、7週後、シナイ山で婚姻契約を正式に受け取った記念日である祭り、小麦の収穫祭でもある、その時のことが記されているのです。
パウロが日曜礼拝など、神の記念日とは別物の宗教の記念日を編み出すわけもないし、そんなことも実際にしていません。日曜礼拝は、
太陽神信仰のローマ帝国、ローマ皇帝がユニバーサル教を作った後に出て来たものです。
ラオデキヤ会議で、正式に決めたものであり、人間が決めたもので、
神とは何も関係のない、人間が勝手にやったことなのです。
全部偽物、まがいもの、人間の作り物である事実を、直視すれば良いのです。神は人間が作ったものを、褒め称え、よくやった!などと
決して言いません。
そのような行為を、神は姦淫の罪、吐き出す、忌み嫌う、人間がわたしの記念日を汚した!と言われているのです。なぜ神の教えや記念日を捨て去り、無効と考え、人が作った物を尊重しているのか、人が作ったもの=偽物とまずはっきり知れが良いのです。
人間の作り物なのに、それが神の教え、本物と完全に勘違いしているのです。そして、神は神の記念日、モアデイムを神の子らが汚すことをずっと警告しているでしょう。黙示録の最後にも、同じように
神のトラー教えを捨てる人々への警告が、はっきり記されているのです。
そうですよね。もし人間の編み出した教えを神がOkするならば、神は嘘つきであり、人間主体であり、神は神ではなくなります。
それこそが律法主義、人間の手で編み出した金の子牛、その子牛が
素晴らしければ素晴らしいほど、神は喜ぶ?それこそが、人間の
作った宗教の教えで、イスラエルの神とは何も関係ない、無法を
働くもの、あなたを知らない、出て行け!とイエシュアご自身の口から語られた厳しい声、言葉が耳に届かないのです。
それは聖書ではなく、空想のジーザスを想像しているからです。
なんでも許してくださる優しいジーザス。聖書を読まないとならない理由は、偽物が何か分からなくなるからです。
マタイ7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
7:22 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。
7:23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法=神の教え=トラー=モーセの五書無しを働く者どもよ、行ってしまえ』。
知らないとは、婚姻関係にある親しい間柄、裏も表も知り尽くす関係を表す言葉なのです。詰まり、神の子らは、神が提示する婚姻契約=トラーを根拠、土台に関係、契約を結んでいるから、それに反する
生き方をする人は、神の親しい婚姻契約の中にはいない生き方だと
言っているのです。でもそのようには、全然クリスチャンの耳に響かないでしょう。
空想、脳内ジーザスではなくて、聖書に記された神、イエシュアは
偽物、異物、混ぜ物をどれほど嫌うか、偽物を慕う人をどれほど妬むか、書いてあるので調べて理解しないとならないのです。
偽物=聖霊ではない、別の霊=悪霊だからです。
パウロが、結婚を禁じることは、悪霊の教えと言っているでしょう。
神の教え、デザインとは異なることを言うのは、悪霊、神に敵対するもの教え、仕業だからです。人間が人間に結婚を禁じる。
そんなことで、多くの人が、偽物の縛られ、それが崇高な生き方だと
気の毒に騙され続けて行くのです。人の教えは人間を不自由にするのです。
神の祭りは全部収穫祭です。イエシュアの命に連なる人々が、増え広がり成長することを表しているものだからです。
神の祭りを祝う、パウロが使徒20章で、過越、種無しパンを祝ったとある意味は、レビ記23章の神のモアデイム〜アポントメントの日の全てを祝う、その中心がシャバットであり、それを祝った証拠であるということを、クリスチャンは正しく読み取れないのは、何が
聖書に書いてあるのか理解していないからなのです。
人間が作った宗教=ローマ教、ユニバーサル教が作り変えた教えが
神の教えだと、完全に誤解している、そしてその教理、人間が神の言葉を変えて良いと考えているから、聖書=神の言葉を曲げ続けて
神の教え、神が創造し神の子らを招いている記念日を捨てて、
別物にすり替えられていることにも、全く気がついていないのです。
1コリント5章、11章で、パウロがコリントに住んでいるユダヤ人のイエシュア信者の群れ、その中に異邦人も加わっていた人たちに、
昇天以降、20年も後に、同じ過越の祭りの祝い方、過越の晩餐、
セーダルを祝う意味、心構え、態度を教えていることに全く気が付かないまま、ローマ教が変えた日曜日礼拝にやる「聖餐式」をパウロが教えていると完全に勘違いして読んでいるでしょう。
詰まり、西洋人の作った宗教の伝統、文化、教え、記念日に照らし合わせて聖書を読んでいるから、書いてある意味通りに正しく読み取っていないことが起きているのです。
パウロがここで、過越を祝うことを教えているとは、イコールこの
コリント在住のユダヤ人の群れは、シャバットをはじめ、新月と全ての春、秋の祭りを祝っている証拠であり、全ての祭りを祝っているということがはっきり証明されているのです。
昇天以降も、ずっと神の教えは変わらず、神の記念日は永遠に変わらないからです。
しかも、イエシュアが昇天された後は、過越の晩餐でイエシュアが
ワインを飲むと言われた通りだからです。
全世界が、神の記念日、祭りを祝う日が到来する預言がはっきり
されているのに、それを聖書から読み取っていないのです。
イエシュアが再臨された後は、人間が作った宗教の教えや記念日は、全て完全に消えるのです。
偽物の教えを売る商人は、神の家=神殿からいなくなると書いてある通りだからです。
エレミヤ31章にある、新しく更新される契約=シナイ山で与えられた婚姻契約は、ユダの家と、イスラエルの家だけに対して与えられ
更新れるのです。その同じ婚姻契約に、全ての人が加わり、参加し
生きる、神を知ろうと誰も言わない。それは、腹に頭脳に面も裏も
神の教え、トラーを知り尽くした、頭脳に割礼がされている人々だけが、神の家族として神の家で神の家訓を大家族が生きると預言されている、それがエレミヤ31:31の新しい〜新しく更新される同じ
婚姻契約の未来預言だからです。
クリスチャンは、完全に神の言葉、記念日を誤解してこの箇所を取り出してこう言います。古い祭りを神は憎むと。
神はご自分が創造された、神の子らとの会見の日、祭りを憎むのでしょうか?
ご存知のように、イザヤ1:14参照聖句でよく目にする箇所があります。クリスチャンはこの聖句を読んで、「主はこれらの祭りを憎んでおられたではないか」とクリスチャンは意味を正しく理解しないまま、古い教えは廃れた証拠だとこのように言います。
なぜなら、こことイザヤ1:13-14を見ると、神は民の供え物、香、
新月、安息日、そして集会を「無価値なもの」と神が呼んでいるからだと主張します。
神は、これらの集会に集う人々の不義を耐えられないと言われています。イスラエルの礼拝を「わたしにとって重荷」とさえ呼んでいます。
ですから、もしこの箇所が、神が神の祭りが廃れた証拠であると
取り上げられるなら、それに対する弁明が必要だと言えるでしょう。答えが必要だと。その答えは何でしょうか?
答えは、文脈の中にあり、文脈が答えです。
文脈はイザヤ1:10から始まり、1:21まで続きます。
イスラエルの歴史について少し話す必要があります。ソドムとゴモラは、アブラハムの時代、死海と呼ばれる場所の近くにあった二つの古代都市でした。
神の裁きが下った時、彼らは全て硫黄の火で焼き払われましたが、
もし彼らに手を差し伸べなかったなら、それは彼らにとって大きな
災いだったでしょう。
アブラハムが神に、もしソドムとゴモラに50人の聖なる民がいれば
滅ぼさないでほしいと懇願し、少なくとも10人の聖なる民がいれば
ソドムとゴモラの滅亡を猶予すると交渉した時のことを思い出してください。そして何が起こったでしょうか?使者が到着し、ソドムから
4人を連れ出して、ロトとその家族だけが生き残りました。
黙示録にもこのことが記されています。ソドム、つまりソドムと呼ばれる場所に関するこれらのメッセージは、イザヤ1章の「この場所は、主が望んでおられるのとは全く異なる道を歩み、ソドムとゴモラと同じようなひどい状態になっている」という呼びかけと非常によく似ていて、並行しているのです。
続く