12日、土曜日日没が今年の過越の祭りのスタートです。
記事をまとめてUpしましたが、付け足しで記事を載せて行きたいと
思います。家の中のパン種除去掃除をしながらやっています。
色々なところに、パン種〜ハメッツ、要らないものが潜んでいることを発見します。やってみると分かります。イースト菌、パン、パン粉
クッキー、クラッカー、ケーキなど、イースト菌が入っているもの
全て除去します。普段気に留めない場所に、それらが潜んでいるのです。冷蔵庫、冷凍庫、戸棚、引き出し、部屋の隅。
自分の中に、イエシュアの性質とは異なる肉の性質、思考回路が
たんまり潜んでいることを、日々発見し、あかりを照らされているのです。それは、パン種除去掃除と全く同じです。
過越祭は元々「無酵母パンの祭り(ハグ・ハマツォット)」と呼ばれていました。だから、使徒20では、除酵祭と訳されていますね。「過越祭」という言葉は、祭りで捧げられ、食べられる犠牲の子羊を指していました。ペサハの中心的なテーマは解放と奴隷状態からの
解放であり、そのため祭り全体は「ゼマン・へイル・ヴ・テイヌ」(私たちの自由の時)または「私たちの解放の季節」と呼ばれています。
この祭りは、特別な食事「セーデル(seder)」(「順序」を意味する)によって特徴づけられ、また祭りの7日間、一切のイースト菌
(ハメーツ)を食べないことで守られる祭りです。
普通の人なら、何それ?と思う、不思議な祭りでしょう。
本来、祭りの食事(セーデル)は初日のみでしたが、ディアスポラ(ユダヤ人の故郷の地からの離散、イスラエル以外に住む人達)
以降、多くのコミュニティでは、ペサハの初日と2日目の両晩にセーデルを行います。これは、伝統です。
ペサハ前の安息日は、シャバット・ハガドル(偉大な安息日)と呼ばれます。これは、特別なハフトラー=預言書が、主の最終的な贖いにおける偉大で畏敬の念を抱かせる日を指し示すためです。
(マラキ書3:23 [日本語版4:4]参照)。
このように、ペサハに入る前から、私たちの関心は,既に未来の贖いに向けられているのです。
1. 準備:家からすべてのパン種を取り除く
「ハメーツ」とは膨張剤(パン種など)を指し、ペサハ(過越祭)の伝統では、祭り初日前夜(すなわちユダヤ歴ニサン月13日の夜、又はユダヤの日数の数え方では14日の始まり)に、家族で家の中に
残ったハメーツを探す「ベディカット・ハメーツ(家の中のパン種捜し)」が行われます。この時までに、何週間もかけて家を徹底的に
清掃しておくのが習わしです。
特に小さな子供たちが探せるように、わざと少量のパン(ハメーツ)を隠しておくこともよくあります。探す際には、ろうそくの明かりと羽根を使い、たとえ小さなパンくずでも見逃さないように、注意深く探し、その後処分するのが伝統的な方法です。
2.ペサハ(過越祭)前の数週間は、家の中を徹底的に掃除・清掃する
絶好の機会となります。クッションの下など、パンくずが隠れていそうな場所も念入りに掃除します。また、冷蔵庫の中も、ハメーツ
(膨張剤)を含む食品を取り除きながら、徹底的に清掃します。
ユダヤ人コミュニティで行われるこの「ハメーツ除去のための大掃除」が、いわゆる「春の大掃除(spring cleaning)」の起源となったとする説もあります。このような徹底的な清掃は、トーラーの仰せに基づいています。過越祭の7日間、ハメーツを食べることは禁じられているだけでなく、共同体の内にハメーツが目に見える形で存在することさえ禁じられているからです(出エジプト記13:7)
パン種(ハメーツ)は時に罪の象徴とされています。
(Ⅰコリント5:7)。家からハメーツを一掃することは、個人としても家族としても、心に宿している「取り除くべき罪」を真剣に考える
絶好の機会となります。
しかし特に出エジプト記の文脈では、ハメーツは独特の象徴性を持っています。通常、パンを膨らませるには時間が必要です。
ところが神は、イスラエルをエジプトから「急いで」導き出されたため、彼らにはパンを発酵させる時間がありませんでした。
(出エジプト記12:34参照)
このため、彼らは種なしパンを食べたのです。
このことから、ハメーツは「エジプトに留まること」を象徴し、
種なしパンは「神が与えた贖いに与かること」を表すと解釈されます。おそらくこの深い意味こそ、過越祭の期間中にハメーツが禁じられている根本的な理由なのでしょう。
セーデルの晩餐の順序は「ペサハ・ハガダー」に細かく定められています。「ハガダー」とは「物語」や「伝承」を意味し「世代ごとにこの物語を語り継ぐ」(出エジプト記12:42参照)という精神を体現したものです。
セーデルは儀式的な要素と正式な食事の両方を含みます。
伝統的に、最初のセーデルは家庭で家族や招待客と共に行われます。特に貧しい人々など、本来ならペサハを祝う機会に恵まれない人々を家に招くことは特別な名誉とされています。ユダヤ人コミュニティでは常に、ペサハを祝いたいと願う全てのユダヤ人がその機会を得られるようにすることが目標とされています。
お金を取り分ける〜クリスチャンが、トラーの教えの「十分の一
献金」と、そのような箇所だけ取り出して教えていますが、
宗教団体への寄付ではなく、1)シャバットや祭りのために取り分ける。全ての人が神の記念日の晩餐にあずかれるためのもの。
2)土地を所有しないレビ族の祭司を支えるもの
神殿の為の運営費
3)イスラエルの国の税金
そのようなものが、本来のお金を取り分けておく意味なのです。
しかも10%ではないのです。
3)ラビたちの解釈によれば、過越祭(ペサハ)の最初の2日間はともに「ヨム・トヴ」(聖なる祭日)とされ、最終日も同様に祭日として
扱われます。トーラーの規定では、最初の日と最後の日だけが安息日とされ、通常の労働が禁じられます。しかし、ラビたちはディアスポラ(離散地、諸外国)での祭りがエルサレムと確実に一致するよう、祭りの初日を2日間に拡大する慣行を確立しました。
第二日の特別な意義
過越祭(種なしパンの祭り)の2日目は、伝統的にイスラエルの民が
紅海を渡った日とされています。この日を記念して、特にハシディム派のユダヤ教徒の中には、床に水をまき、その周りで歌い踊る習慣を持つ人々もいます。これは紅海の奇跡を象徴的に再現する行為です。
ペサハ(過越祭)の意味は極めて深遠で重大です。イスラエルを
エジプトの奴隷状態から救い出したこの出来事は、聖書全体における「贖い」の原型となっています。神はご自身の「伸ばした腕」と
大いなる力で、ご自身の民とされた者たちを贖い出されました。
この物語の最初から最後までが、神の主権的な選び、代価の支払い、贖いそして祝福という神の御業を明らかにしています。
ペサハの物語は単なる歴史的事件ではなく、神の救いの計画全体を
映し出す「生きた譬え」です。過越の子羊の血が門柱に塗られたように(出12:7)、キリストの血は信じる者すべてに救いをもたらします。このように、ペサハは物理的解放の記念であると同時に、究極的贖いであるキリストを指し示す預言的な祭りなのです。
そして、この贖い、救いは永遠の中に既に完了、完結されているのです。
「伸ばした腕」:出エジプト記6:6に登場する神の力強い救いの表現
贖いの原型:福音書以降の使徒の書簡ではキリストの十字架が
「より優れた贖い」として対比されていますが、本体と影です。
目に見えない神の実態、贖いを表すもので、同等の意味なのです。
(Ⅰコリント5:7、Ⅰペテロ1:18-19)
予型論的解釈:タナックの出来事が、福音書以降使徒の書簡の真理を前もって示すとする聖書解釈法
ヨハネ1:29でバプテスマのヨハネはイエスを「世の罪を取り除く神の小羊」と宣言)
1世紀のユダヤ人達は、タナック、モーセの五書、預言書、諸書から
メシアを知っていたのです。永遠の中から、子羊の血の贖い
、イエシュアの業は完了しているからです。
4)ペサハの期間にパン種(ハメーツ)が禁じられていることには、少なくとも二つの重要な意味が込められています。
(1) 罪の問題に対する神の贖い
パン種が時に罪の象徴とされるように(Ⅰコリント5:7参照)、
神が成し遂げられる贖いは究極的には罪の問題への解答です。
過越の子羊の血によって、神は私たちを罪から完全に贖い出されます。この血が家の門柱に塗られたように(出12:7)——私たちが一日に何度も通り過ぎる「門」は人生の象徴です——それは、正しく聖なる神の怒り、裁き、判定から私たちを覆い、守ります。
神は罪を軽々しく見過ごすことはできません。なぜなら、罪は人を
神から隔てるものであり、本来の関係に留まれない要因だからです。
罪に対して裁きを下さなければなりませんが、過越の子羊の「代償的」性質は、贖いを成し遂げるための「身代わり」という神の備えを明確に教えています。
(2) 急ぎでエジプトを出たことの記憶
パン種がないことは、私たちがパンが膨らむのを待つ余裕もなく急いでエジプトを出たことを思い起こさせます(出12:34)。同様に、
私たちも悪から即座に、速やかに離れ、不義の中に留まることを拒まなければなりません。「エジプト」を脱出し、約束の地に安住するまでは満足してはならないのです。
代償的贖い:過越の子羊はキリストの型として、罪の代価を支払う
身代わりの役割を表す
門柱の血:信仰による神の保護の象徴(ヘブル11:28)信仰義認。
約束の地:究極的には神の国の完成を指す(ヘブル11:16)
このように、ハメーツ禁止の規定は、罪からの分離と神の救いの緊急性という二重の真理を鮮やかに描き出しています。ペサハの物語は、単なる過去の記憶ではなく、今日の私たちに対する神の招きなのです。
ペサハ(過越祭)の最も重要な意義は、代償として犠牲となった小羊の血によってイスラエルの家が守られたという教えにあります。
この祭りはメシア・イェシュア(イエス)の完全な予型(ひながた)として、ヨハネが「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」
(ヨハネ1:29)と宣言した言葉を理解するための教育的役割を果たしたのです。
血の門柱の深い意味
過越の小羊の血が塗られた門柱(出12:7)は、神の民の「信仰のしるし」として機能しているのです。信仰義認です。
この血を見て、神は「裁きを過ぎ越す」という救いのパターンを
確立同じように、キリストの血は信じる者を永遠の裁きから守るものなのです。贖い、救いの方法、福音は永遠の中から同じで1つです。時代ごとに変化するという思想は、聖書を正しく理解しない
思考回路から生まれる、聖書に反する異物の教えです。
(Ⅰペテロ1:18-19)
年間祭儀の教育的意義
・毎年のペサハ祝賀が、メシア的贖いの概念を民に刻み込みました。
・「無傷の小羊」(出12:5)の要件が、キリストの完全さを予示
(ヘブル4:15)
・家ごとのコルバンという個人的適用が、個人的救いの必要性を示唆
(註:イェシュアはヘブライ語で「イエス」救いを意味し、当時の
ユダヤ的文脈を強調する表現)
このようにペサハは、単なる歴史的記念ではなく、神が準備された
究極の贖いを指し示す「生きた預言」でした。昇天以前も、
そして昇天以降も2000年にわたって繰り返されたこの祭りは、
まさに「神の小羊」が現れるための教育的土台を整えていたのです。過去も今未来も私たちは、永遠の中に屠られている過越の小羊が指し示していたキリストの十字架を見つめ
(Ⅰコリント5:7)、その血によって永遠の解放を受けることができます。