神に聞いて神の伝える通りを生きるなら安全に守られる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

2025年1月1日、アメリかの西海岸も、もう2025年になりました。日が巡るのが一番遅いのは、ハワイ辺りなのですね。

そして、一番早く日が昇るのは、キリバス共和国。

 

このブログ記事を書く前、2008年以前の私は、西洋宗教〜

キリスト教という教え〜翻訳聖書だけを読み、人の創作した

宗教の思想〜デイスペンセーション神学思想を通して解説される聖書解説のみ、だけを聞いて、信仰生活をしていました。

それが本物!と思っていたし、教師や牧師が、本当には聖書を

知らない!などとは思うわけもない、知る由もない。

巷に流れるクリスチャンの教えしか知らないし、それが昇天以降初めて神が人に明かされた新しい教え、本物の福音だと教えらていたからです。

私の中には、聖書に書かれた本物ではない、空想のジーザス像、アメリカナイズされた青い目のジーザスで、ローマ化した教えの古い教え=呪いの律法から解放するために、十字架でキリストは亡くなって昇天されたと教えられていました。

でも、それは聖書に記された事実などではなかったこと、

2008年以降に初めて知ることになったのです。

でも、いっぺんには、分からないのです。なぜなら、私の思考回路は、聖書ではない教えの脳回路の枝が張り巡らされていて、

教えられてきた思想に照らし合わせて考えていることをいつも

してしまうし、何が聖書で、何が人の作った教えなのか、見分けられなかったからです。深いところ、問題の真相迄分からない!

しかも、神が神の言葉を変えたのではなく、神の言葉を変えたのは、1世紀後半以降の異邦人〜しかも、教師=西洋教父の仕業

だったこと、プラスローマ帝国の勅令であったことなど、

そんな事実、クリスチャンの中で教えられないし、語られないでしょう?人間の仕業だったんだ!と知ったのは、ヘブライ聖書を知り、歴史の中で起きた、人間がやった神の言葉への破壊、

迫害、反ユダヤ思想、反モーセの五書=反神の言葉思想、

それらはサタンが出どころ、エデンの園から同じであったことを知ったからです。しかも、イエシュアを信じながら、反ユダヤ

思想、反神の言葉=反トラー=反モーセの五書をやったルター。

プロテスタントの父が、そんなことをしたこと!普通の人なら

もっと簡単にできるのです。でも、全ての問題の根は、神の言葉=トラーを、正しく教えられていない、聖書を本当には知らない!ということなのです。

世界中で、異邦人〜ユダヤ人のようにヘブライ聖書を知らない、

幼い頃から、イエシュアがされたように、ユダヤ人が代々して

きたように、トラーを教えられ、トラーに記されている生き方をし、シャバットや祭りを祝って成長したなどという体験がない人達、それが異邦人です。新参者。

西洋宗教の教えで、日曜礼拝、クリスマス、イースターしか知らないでしょう。聖書を読んでいても、何が、いつが神が聖別された、神の子ら全員を呼び出している本物の聖日なのかも知らない。

神の教え=律法は廃れた〜という教えを、日曜日に教会で聞く

そういう背景の異邦人達が、イザヤ56:4-7に書かれた、神の教えを愛し、神のシャバットをガードする異邦人〜神の宮〜祈りの家に招き入れられるという預言通り、元に戻る!ということをしているのです。

同時に、ユダヤ人も、2000年前に来られたあのイエシュアが、

タナックに記されたメシアであると発見している!

まさに、終わりの時代、預言された通りのことが、今ずっと起きているのです。

ぜひ識別しなくてはならないこと、知らなくてはならないことがあります。殆どのクリスチャンは、こう考えていませんか?

聖書の最初の箇所〜タナック=モーセの五書、預言書、諸書には

ユダヤ教〜古い教えが書いてあり、イエシュアが地上に来られた後は古い契約は廃れて新しい契約になり、以前とは違う教えになったと、そう疑いもなく信じているでしょう?

だから、旧約聖書、新訳聖書などという名前を、異邦人が付けたのです。そのタイトルは神が付けたものではありません。

このような不適切なタイトルのせいで、古い教え、新しい教えという固定概念を人の頭脳に植え続けてしまっているのです。

 

反モーセの五書=詰まり神に敵対する教え、神の言葉に敵対するものの本当の正体は、エデンの園に忍び込んだ、サタン。

人に嘘で騙し、神の教えに敵対させる生き方に誘導する。

サタン〜嘘つき、人を騙す、人を破壊する存在です。

だから、イエシュアが、ペテロが神の言葉、計画に反することを

語った時、「下がれ!サタン!」と言われたでしょう。

ペテロがサタンではなくて、ペテロはサタンの策略を口にしたからです。イエシュアに付いて生きる人は、神に反すること、神の言葉に

反する教えをしたら、それも同様、サタンのプランに加担しているという、重篤な危険を知らないままいるのです。

だから、神の言葉に敵対する思想は、神に属さないものであるので、全て一掃しないとならないのです。頭脳から、嘘の教えの種を完全に取り除く、神の言葉に敵対する教えは、どんな小さなものでも、嘘、罪であり、必ず罪は根、芽を生やすからです。

必ず人を破壊、腐敗させ、罪の道へ誘います。

旧約新訳というタイトルを付けたのは、サルディスのメリト。

2世紀、100−180ADに居た、カトリック教会、東方正教会の

司祭です。異邦人の特徴は、モーセの五書〜ヘブライ聖書を

知らない、原語で記されている本当の意味を知らない、

古代の預言者や、イエシュア、弟子達、パウロ、ユダヤ人のような

教育を先祖代々受けていないこと、背景が、先祖代々異教の神々の

思想で育った人達であることです。

 

だから、異邦人の世界では今迄、イエシュアを信じながら、ヘブライ聖書で、神の言葉を教えられる教育がない、聖書に書かれた本物、

オリジナルの神の教えを生きない、神の創造された記念日を知らない、祝わないという、不思議なことが継承されてきてしまったのです。 聖書を満遍なく学ぶ、得に最初の部分を学ばない、教えられていないので、本当に狭い狭い範囲のことしか、語られていないのです。 福音書以降だけを主に読み、しかも数節取り出して、ランダムに教えられるだけでは、意味が分からないままになっているのです。

しかも、その中に記されていることの内容、情報に欠落して

聖書に書かれている意味とは違う解説をされてしまっているのですから、神の言葉が終了したとか、聖書に書かれていることを、書かれた意味通りに伝えられていないのです。

福音書~黙示録には、異邦人が考え出した=反トラー、反ユダヤ思想が書いてあるのではないことを、絶対に把握しないとならないのです神が神の言葉に敵対しない、聖霊が書かれた言葉を、聖霊は、

敵対、訂正、否定などしません!おかしな思想を通して、聖書を歪めて解説されていることに気がついて下さい。

 

聖書には、宗教の教えが書いてあるのではなく、読めば分かる通り、神の教え=トラー=父の教え=婚姻契約=神が創造された人の本来の生き方が書いてある!神の言葉は、完全であり、純粋な神の言葉、

教えが書かれているだけです。そして、創世記~黙示録には、1つも矛盾や、神の教えが古い、新しいと相反することが1つも書かれていない!その事実が見えていない人たちが、聖書を曲げて、変えて、

神の教えを自由自在に、削除、付け足し、神の意図していないことを、人間が勝手に、神に成り変わり、神の言葉を勝手に終了、破棄、無用!などと、恐ろしい冒涜を言い続けているのです。

神の教えの完全版は、福音書以降には、再度全部記されていません。

ある教師が、福音書以降のある箇所には、これこれの教えは書かれていないので、その教えは今は廃れましたなどと解説していますが、

本当に正しい聖書の理解に欠けた人が、事実を知らないまま聖書を

曲げて語れば、それは正しい聖書解説ではなく、人の思想を語って人に間違いを教えているのです。

 

それは、神の言葉を遮るサタンの声そのものであり、神の声ではないのに、ジーザスを信じながら、同時に神に反する行為をさせられていることに全く無知なままなのです。聖書とは違うことを解説している!その事実を把握してください。福音書以降には、モーセの五書とは違う教えなど1つも書いてありません。モーセの五書=トラー、

父の教え、婚姻契約に生きる詳細を否定した、削除した教えなど1つも書いてないのです。

福音書以降が、なぜ聖書の25%なのか、それは最初の箇所の

註解に過ぎないからです。

西洋宗教は、純粋な神の言葉〜聖書に、人の思想が混ぜられたものです。ユダヤ教は、口伝律法なる、人の考えで編み出したルールを生きる教えが混ざったイズム〜宗教です。

西洋宗教は、神の言葉を退けた思想が土台。そして、神の言葉に、

人間が作った宗教の教え、文化、異教神の教え、シンボル、思想まで混じったものなのです。

西洋宗教の多くの教え、実践、儀式、記念日は、聖書とは違うものにされてしまっているのは、そのせいです。そして、異教神のシンボル、異教の神々の祭りに交わる、偶像が取り入れたのです。

その偶像、人を神と同等に祀りあげる、そんなものはヘブライ聖書では、罪、禁じられているものなのに、考えないのです。

伝統で継承されているからです。

神は異物を吐き出そう!と言って警告しているのに、通じていないのです。なんでも今はキリストの血で許されるから〜ゆるゆるOkぐいらに考えているからでしょう。免罪符思想。

いや、私も何も考えていなかったです。私は、神が伝えている

教えの意味を、人の思想を信じていたから、聖書の事実に気がつけないままでした。

今日はハヌカの最終日です。イエシュアが来られる前、ギリシャ帝国に、偽物の神々に仕え、神が禁じた生き方〜汚れた動物=

その代表である豚を食べ、その血を飲み、偶像にひれ伏し拝む。

これをしない人は、全部処刑されました。

もしそのようなことが、今起きたらどうなるのでしょうか?

支配するものが伝えることをやらなければ、追放、処刑。

1世紀当時も同じだったのです。ローマ帝国による、神の言葉

モーセの五書=トラーを生きることを禁じ、神の記念日を祝うこと、割礼も禁じた!同じだったのです。

異邦人は、迫害、処刑を逃れるために、「はじめの愛」=トラーモーセの五書、神の教えを捨てたのです!黙示録2:4

そして70年代の神殿崩壊。

その結果、110万のユダヤ人が殺害され、9000人が奴隷、

それ以外のイスラエルの人は、皆イスラエルから追放され、世界中へ散って、1948年まで、イスラエルは国を持たない国民だったのです。

どうしてそこまで、イスラエルは自衛権を否定され、迫害されるのか?その答えは、サタン!サタンは、神の計画を潰し、神の

教えを生きる人を潰そうと、最初の最初からしているでしょう。

国と国の間には、色々な複雑な事情がありますが、裏にあるプランは、シンプル、サタンの破壊が目的なのです。

それを、人間が実行しているのです。

人は神の教えを無視し、病気や疫病を招き、環境を破壊し、

水や空気を汚染したのは、神が言われる通りに、神が創造された

世界をガードせず、治めないからです。

エデンの園で、神がアダムに伝えた通り、神の創造された創造物の

性質通りをガードして生きる、耕すという言葉は、礼拝と訳されている本当の元の言葉です。神のデザイン、意図通りを生きることそのものこそが、礼拝なのです。

それを人間が破壊しているのです。

しかも、イエシュアを信じる人が、自ら神の言葉を否定して、

人の編み出した西洋宗教の思想を語っているとも気が付かないまま、神の言葉を曲げて伝え続けて今に至るのです。

イスラエルの神は、クリスチャンが言うように、途中で変身し

途中で神の言った言葉を変えるような神ではない!

聖書にそれが書いてあるのに、どうして気が付かないのか?

それは、翻訳聖書には不適切な翻訳があり、元の言語の意味も

見えずに、真実が埋もれて、その言葉の意味も、知らなければならないさまざまな情報に欠けて、人の思想の解説を通して、聖書を考えてしまっているからです。

 

それなので、誤解されれ読み込まれている、福音書以降に記された

箇所、クリスチャンが、神の教えが古くて廃れた〜と完全に間違った聖書解説をされている箇所1つ1つを、再検証しています。

神の言葉は、クリスチャンの言うように、呪いの律法などでは

ありません。神の教え、言葉を、廃れた古い律法と言っていますが、

不適切な名前、表現です。

神の言葉で語られる内容を知ったら、本当に神の虜(とりこ)になります!

どんなに神が良いお方なのか、分かるから、魅了されます。

それが神の言葉なのです。人を神から絶対に離れさせない臍帯のようなものなのです!それが分からない人達が、神の言葉に対して、

呪いの古い廃れた律法〜、無用だ〜!と言い、教師がそんなズレて

曲がった思想を教えているのです。そしてそのズレ=罪に、聖書から

気がついていないのです。

つまり、神の言葉が密のように甘く、どんなに麗しい生き方を

人がするように造られているのか、それが私たちの本当の性質生き方なのか、そんな教えをしている人が知らないからなのです。

 

サタンは巧みです。騙しが得意!しかも、賢いというヘブライ語は悪い言葉ではありません。だから、蛇のように聡くとあるでしょう。でも、蛇はそれを、間違ったやり方〜人を騙すために

ずる賢いことをした。騙した!!!騙されている!

神の言葉は古い律法、廃れた〜嘘に騙されていると、神の言葉から気が付く人は、蛇の嘘から抜け出せます!嘘はあなたを縛り

奴隷にします。人の教え、宗教の奴隷。

神が伝えることを本当に知ったら私たちがどのように素晴らしく

神に造られ、愛されて、それを生きてしまうから、それを妨害している!と気がついて下さい。

そして、聖書とは違う教えは、聖書を教える人の口から語られてしまっているという事実を知って下さい。普通の人は、聖書を教えないからです。神学校で、神の言葉、教えを否定する教えを、次世代の教師、牧師になる人に教え続け、それがずっと継承されているのです。

ユダヤ人の世界は少なくとも、聖書を正しく理解すれば、神が

変身したり、神の言葉が変化するなどという、異邦人の思考回路の

ようなものはありません。彼らの間で問題になるのは、神の言葉を

どのように生きるのかの実践に於いて議論されるのであり

異邦人のように、神の言葉を曲げない。書いてある神の言葉を

人間が曲げることは、死に匹敵する罪、冒涜であると聖書に書いてあるからです。詰まり、異邦人の世界に浸透したのは、1世紀のローマ帝国の迫害、モーセの五書を生きるのを禁じた勅令で、異邦人はオリジナルの神の教えから決別し、西洋人が作った宗教の教えです。

ローマ帝国の目に叶う教え〜日曜日=太陽神の礼拝日、サンデー、

ローマ皇帝を崇拝する日を、神が創造した安息日と入れ変えて、神の教えの方を捨てて、適当に人間が神の言葉をアレンジして良いという、西洋人発想〜反モーセの五書=神の言葉、反ユダヤ思想から来る教えに移ったのです。

キリスト教の祭りの裏には必ず異教徒文化、異教神の祭りが存在しているでしょう。冬至、春分。異教神、異教女神のシンボルまで取り入れて祭りを飾り祝っているのはそれです。

だから西洋宗教カトリック、ローマ教であり、プロテスタントも同じ西洋宗教の思想を土台としていて、イエシュアが教えたトラーとは

異なる思想、教えを土台とした実践をしているのです。

異教神の高き所で、イスラエルの神を礼拝。

 

でも、神が神の言葉、記念日を変えたという嘘を吹き込まれ、

それを信じてしまっているのです。嘘はやめよう!真実だけに

戻り、その上で、自分が何をどう生きるのか軌道修正する。

神の前に神の伝えることを聖書から受け取り、知る!という

選択、悔い改めが必要なのです。

皆が、大衆が、2000年近くやっていても、それが神が伝える真実ではないものならば、永遠にそれは神の前に真実ではない!という、単純な事実を知らないとならないのです。

 

神を愛する人は、神が伝えた生き方をする!とイエシュアも言われたでしょう?あなたは、何を選んで生きますか?という問いがあるのです。

神があなたの前に、「命と死」を置いた。選択を与えたのです。

でも、「あなたは命を選びなさい!」と言われたのは、神の伝える

通りを聞いて、生きなさい!という意味なのです。

当たり前に当然!神が言われることが正しく、人にとり最善、

神の意図通り。神の言われ事と違うことを生きる=ズレる!

隔たりができる、本来の関係に留まれなくなり、人の教えの奴隷に

なる!神が与える自由〜本当の自分を生きられない、人の教えに縛られて窮屈になるという結果になるのです。

 

 

続く