2024年の終わりに振り返る | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

グレゴリオ暦、2024年12月31日、最後の日になりました。

1年の中、それぞれの、この世の人生の旅路の途上、色々な事があった事でしょう。

どの道を通っても、そこには主が共におられた、主に出会う体験を

信じる人は、主を知る事ができる幸いがあります。

そして、全ては主の完全なる計画の中!

これを、知って生きる。それは、全てを神の目から見て生きる、

この世にあって、この世のものではないという実態通りを生きる、

それが、約束の地に向かって進んだ荒野の旅路、仮庵=朽ちる体に

主が住まわれている事実で、この世の旅路を生きる訓練の日々です。

 

この世のどんなものでも、人が満たされる事がない理由は、それは

私達がこの世〜目に見える世界ではなく、目に見えない世界、神の

性質、イエシュアの性質、言葉で造られて、見えない世界に生きる

ように造られているからですね。

物理的なものでは、満たせないイエシュアそのもの〜高貴な性質に

造られているから、別ものでは満たされるように造られていないからです。

人は日々見聞きし、触れるものに多大に影響を受けてしまうものです。自分はそんな事はないさ!と思いながらも、先祖代々DNAに染みついた異教徒思想があるのです。

それが伝達されているのです。

神さまって、人にたくさん困難、試練を与えて、にっこりともせず、

いつも無表情?個人的には隔たりのある場所にいて、遠く上から、

しかも上目線で眺めている。いや、見張っている?

私達が苦行をするのを望んていると、多くのクリスチャンでさえ、

密かにそう思っている人も大勢いるのです。

だから、神のために必死に頑張らなくては〜、必死にお捧げしなくては〜活動しなくては〜、いつも宗教活動、何かをしていなくては?

楽しみ喜びではなく、実は苦行の方がしっくり納得が行く。

私達は、人が考え出した、スローガンや、目標、宗教活動をするために、神に呼び出されたのでは、ありません。

神が創造された一人一人、意図通り、神の前に喜び溢れて生きる。

それは、本来の性質通りを生きて、神の言われた通りを生きる以外に

できないことなのです。

普通に生きる。置かれた場所で、それぞれが生きる。

自分を大事にし、家庭を守り、家族、仲間を助け、支えて、神の言われた通り、神の意図通り日々生きる!それが、礼拝の本当の意味なのです。

 

アバが、子供らに楽しみ、喜び、サプライズを用意して待っている、

一緒に高らかに笑って、一緒に手を取り喜んでくれる、そんな神を

想像する方が難しいのではないのでしょうか。

この4年間で、世界がガラッと変わり、悪が堂々と表に現れ出てきたのを察知する人はしていると思います。

最近の日本でも、皆誰のために動いているのか、知る人ぞ知る。

そして、兵庫県知事を貶めるクーデター計画をやっていた人が失敗し、マスコミに流される嘘だらけの情報、意図的な偏重報道など、

テレビばかり見ていると、バカになるよと親に言われた昔を思い出します。

真実を語るべき人達が、誰かに支配されて偽情報を流す。

真実は、自分で探すしかないのです。

インタビューでも、勝手に切り取りして、相手が話している意図が

全く逆に取られるような事を平気でします。それが記事になったり

報道ニュースになったりと、すごいトリック、手口を使ってきます。

こんなのは、絶対に信用に値しないものであり、真実を語る人は皆

追放されて行くのです。

 

これは信仰の世界でも同じです。純粋な神の言葉〜教えではなく、

神の言葉を曲げる、否定する、削除する、無効とする人間の思想を

土台にしている信仰は、本当に砂の上に家を建てるとイエシュアが

言われた通りのことをしてしまうのです。

神が伝える真実、真理ではない教え=人の思想を土台にして、聖書が曲げられて語られている!と、聖書を教える教師や、牧師や、教皇が知らないで話しているのです。

聖書は完全なる神の言葉であると、聖書を掲げて宣言している人も

必ずデイスペンセーション神学、神の言葉はこの部分、あの部分

無効になりました〜というでしょう?おかしいと気がついて下さい!

聖書に登場する人は、誰一人としてそんなこと教えない、宣言しない

実践していないのです。

そんなことを言う人を、聖書では何と言っていますか?

偽教師、偽預言者!です。

 

パウロが警告していた、別の福音〜グノーシス主義、禁欲主義そして

人の哲学思想の教えを強要してくる、そのような偽の教えに注意せよ!と言っているのであり、神の言葉を生きるように教える人〜

偽の教えとクリスチャンは勘違いしているのです。

 

人は神のDNA=イエシュアのDNA通りに造られています。

そのイエシュアが地上で生きたのは、神が創造された人の性質通り

それが、モーセの五書に記された人間の生き方!父の教え、契約

トラーに記された生き方全てなのです。

 

人の体がDNA、たくさんの細胞、器官で造られているのに、この部分は要らない、機能しなくて良い、そんなのあり得ないでしょう。

神の言葉は、人の生きる全ての領域を網羅して教えているのです。

それらのに、人間が勝手にこの部分は要らない、これは無効と、

神になり代わり勝手に言い出したのが、1世紀後半なのです。

ハヌカの裏にあったギリシャ帝国〜反キリストは、反モーセの五書=

神の教えを生きることを禁じました。

そして、エルサレムの神殿を乗っ取り、ゼウス神像を建てて、そして

神の祭壇を汚れた豚、汚れた動物の代表である豚とその血、肉汁で

おぞましい行為で汚したのです。

それだけではなく、イスラエルに対しても同じように、ゼウス神像を

拝み、神が禁じる汚れた動物、人間が食するものではない清掃動物

ウイルス、菌、ゴミの宝庫である豚をイスラエルが食する、その血を

飲むように強要したのです。もし、それをしない人は、全員処刑!

そうなったらどうしますか?異邦人なら豚など、普通〜に食べます。

イエシュアを信じるクリスチャンも、神が禁じている豚は今は食せるようになったとイエシュアが言った(マルコ7章)を、完全に読み違えて、意図的に挿入された翻訳を読み、神が禁じたものは、永遠に

人間の食べ物ではないという神の言葉を正しく理解していないので、

そんなものは食べてもなんとも感じないのが普通です。

クリスマスやイースターのテーブルにポークハムや、ロブスター

エビフライや牡蠣、ウニが出てくるでしょう。

神が人に禁じた食べてはならない汚れた動物で、神の記念日を祝う。

昨日、家族から連絡があり、食中毒になったと言っていましたが、

汚れた動物食した結果のノロウイルス、食中毒であり、そして一緒に

住んでいる家族にもウイルス移して、苦しめてしまうのです。

シンプルに、神が食べてはダメ!あなたの食べ物ではないと言ったら

それは永遠に変わらない。清掃動物〜掃除機のゴミ袋を食べているのと同じだと分かれば、それらを避けます。神の知恵は人を賢い生き方に導くのです。神の言葉を無視するから、空気、水、川、海が、病原菌で汚染されているのです。

神の言葉〜教えが、変化したという「嘘」を信じるから、神の言葉が

書いてあっても読み取れなくなっているだけです。

神が創造した世界、人はどう生きるのか、しかも衣食住など基本中の基本〜何を食べて、何を食べないように人は神に造られているのか

神が伝える言葉が、人の教えの根が蔓延って、書いてあっても、それは今の自分には関係ないと本気で信じ込んでいるのです。

神は人を守るため、人が神の創造された世界を安全に、フルに喜び楽しみ生きるように造られて、それを伝えているのに、神の声=言葉が

通じない。神は沈黙などしていません。聖書は神の言葉とクリスチャンも信じているのでしょう?肉声ではない、文字で記された〜神ご自身が伝えた=聖霊により預言者たちが書き記した、神の言葉=教えが

はっきり書かれているのに、書いてある通りに読み取れない、

み言葉が頭脳に通じない、飢饉なのです。

 

同じイスラエルの神を信じながら、聖書だけに立たない限り、空想の

ローマ化されたイエシュア像を信じてしまうのです。

 

人が考えなくてはならないのは、神が神の言葉〜聖霊により人を通して記した教えを、どうして人が否定しているのか?

その矛盾に気が付く必要があるのです。

 

続く