ハヌカ 聖別された人は偽物の教えに同調 融合 同化できない | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

25日は、クリスマスを祝うカトリックの友人達に午前中会って、

そして夜は、我が家でハヌカを祝いました。

この日から、8日ハヌカを祝います。イエシュアも祝ったハヌカの

意味を知りながら、考えながら、この時期を過ごすのです。

この世と同化できない、聖別された人、この世にあってこの世のものではない人の生き方を、イエシュアがトラーを通して教えたのです。

 

この時期は、学校に通う子供達は冬休みで、雪遊びやお祭りシーズンの雰囲気が十分に楽しめる日々です。

日本は、クリスマスは企業はお休みではないですが、夜はパーテイや

居酒屋さんなど、年末、仕事納めも今日辺りで花金、賑やかで、楽しいでしょう。

クリスマスは世界中が誰でも知っていて、お祭りとして祝っても、

ハヌカの祭りは、知らない人は、全く知らないものです。

そして、ハヌカは、イエシュアが来られる160年前に起きた、

シリア.ギリシャ帝国が支配する、全ての国々をヘレニズム化する

計画、イスラエルに於いては、ユダヤ人にモーセの五書=トラー=

契約の命を生きる事を禁じて、ヘレニズム化、ギリシャの神々、

ゼウス神を拝み、そして、イスラエルの神が禁じている汚れた動物〜その代表である豚を食べさせる。神に対する冒涜と、神の宮である

自分自身の聖別された宮を汚す行為をさせる。

エルサレムの神殿も乗っ取り、ゼウス像をその中に建てて、祭壇に

豚をささげ豚の血と肉汁で神殿を汚す、トラーの巻物に豚の血を注ぐそのような冒涜行為をギリシャ帝国は、イスラエルの神とユダヤ人に対してしたのです。

それに反乱を起こした、ハスモニア一族、マカバイというニックネームが付けられた、マタテイアスとその兄弟達、そして少数のユダヤ人が立ち上がり、ギリシャ帝国に対して戦い、反乱を起こしたのです。

無防備なゲリラ軍隊です。ダビデと同じです。

その戦いに、イスラエルの神が勝利させてくださったのが、

マカバイ戦争その記念であるハヌカが祝われるようになったのです。

これが、イエシュアが地上に来られる前に起きたのです。

それが、第九の月の25日。その日に神殿が乗っ取られ、その同じ日に神殿を取り戻したから、キスレブの月の25日を記念日として、

8日間、ハヌカを祝うようになったのです。

ユダヤ人のヘレニズム化。

ヘレニズム化〜人間の思想哲学です。これは調べれば色々とありますので、クリスチャンも人の思想、哲学に少なからず影響を受けているものなのです。

そして、イエシュアが昇天された以降に起きたのが、ローマ帝国に

よるヘレニズム化、同じく、神の言葉〜教えを生きる事、神の創造された記念日を祝う事を禁じ、その結果異邦人はヘレニズム化された

宗教を作り、彼らの考えに融合、同調、同化したのです。

これは、もう一度起こります。いや既に起きているのです。

ボーダーレス思想、神の創造のデザインを生きる事に反対し、なんでも良い、境界線の無いボーダーレス。

 

レビ記23章に記された神が創造された記念日があります。

それらは、イエシュアの業〜福音の業、そして全て、実際に地上で

起きた出来事〜イエシュアがされた業、そして未来にこれから起きる

再臨の一連とイエシュアの永遠の統治を表して教えている、

預言的記念日、祭りなのです。

 

ハヌカとプリムは両方共、レビ記23章に記されていない記念日で

福音を網羅する、イエシュアの業を表す、神が神の子らを全員呼び出している記念日ではないのですが、それらはイエシュアも祝った、

軍隊、敵からの勝利に関する祭りです。

プリムは、ハマンのユダヤ人殲滅作戦を、神が完全阻止された事件から神が救い出された事を記念する祝い日です。

エステル記を読むと、その歴史の史実が記されています。

その中には、1つもイスラエルの神という言葉が出てきませんが、

ユダヤ人、モルデガイを通して、そしてモルデガイの助言通りを

命をかけて実行した、エステルによる、ユダヤ人救出作戦を、神が

イスラエルに勝利をもたらし、ハマンがユダヤ人殲滅を企んで、

モルデガイを処刑する為に自分が用意した木に、ハマン自身がかけられて処刑されたのです。

神がこの戦いを成功させた記念の祭りなのです。

マカバイ1、2巻にハヌカの裏にあった背景や歴史の史実、そして、

プリムの祝いの意味が書かれたエステル記を読む事を、お勧め致します。

レビ記23章の神が創造されたモアデイムも、プリムやハヌカの祭りも、全て子供が中心、次世代へ神の言葉を教えて、楽しいゲームや

お話を語りながら、神の教えを伝える祝い方をします。

そして、祝い事には、ご馳走、美味しい食べ物!がつきものであり、盛大に祝います。

クリスチャンの間では、十一献金などという教えがありますが、

聖書に書いてあるものは、イスラエルの国に対する税金、

神殿を保存し運営するため、そして、モアデイム〜シャバットや

祭りの時に、皆が捧げ物をし、食べて飲んで喜び楽しみイスラエルの神がどんなに良いお方であるか知るように!と神が言われた通り

その祝いを盛大に、いつも食べられない豪華な食べ物や飲み物を飲んで祝うために取り分けておくお金なのです。

そして、後は貧しい人、寡婦やその子供達のために、皆が取り分けて

与える〜誰も貧しいものがイスラエルの間にないようにと、神が教えた通りなのです。

ハヌカの祭りも他の祭りも、子供達は学校でそれに関連するものを

手作り作業します。

ハヌカでは、ハヌキアという9本のキャンドルスタンドを使います。

ただのキャンドルでも良いのです。神殿の中に置かれるメノーラは

7本の金の支柱ですが、ハヌキアは、9本です。左4つ、右4つ

そして、真ん中に、サーバント〜仕えるものの役割のキャンドル、

シャマッシュ〜ヘルパー、介助役、サーバントという意味のキャンドルがあります。このキャンドルに火を付けて、毎日1つずつ、右から

キャンドルを灯します。2日目には2本と一つずつ増やして行きます。

ドレードルというゲームもしますが、これはヨーロッパに居たユダヤ人達が、ユダヤ人以外に意味を知られずに、マカバイ戦争の勝利を

ゲームを通して語る、学ぶ、遊ぶ遊びを考えてものが継承されています。

2019年、あの計画された疫病が流行る前の12月にイスラエルの

行き、初めてハヌカの祝いを体験しました。

エルサレムにも数日滞在して、神殿周辺で友達の知り合いのグループが企画した旧市街をめぐって色々と教えてもらう行事に誘ってくれました。エルサレムの神殿周辺を皆で散策しならがら、旧市街のハヌカの灯りで綺麗な景色や、旧市街の中の重要な場所に連れて行ってもらって、色々と教えてもらうイベントに参加しました。

エルサレム旧市街の中では、マカバイ兄弟扮する人達が居たりして

寸劇を見る事が出来て、記念撮影などもしてもらえました。

本当に楽しかったです。光の祭典。

 

ヘレニズム哲学思想を調べて行くと、マカバイ戦争紀元前167−

160年辺りは、ヘレニズム化ユダヤ人のヘレニズム化、それを

ヘレニズム、ユダヤ教などと呼んでいます。

そして、1世紀後半、同じように反モーセの五書=反キリスト、神の言葉、教え、記念日を生きる事を禁じた、ローマ帝国もギリシャ帝国と同じ迫害、同調、同化、彼らの思想、宗教に融合させる事が起きたのです。

何ども書いていますが、西洋人が作った宗教は、ローマ帝国の同調圧力の産物です。ヘレニズム化したから西洋宗教が生まれたのです。

ヘレニズムキリスト教です。

 

キリストが過越の祭りで処刑され、初穂で昇天されて、福音が人に

初めて教えられ、贖い、救い、赦し、聖霊が人の内に住まう事が、

歴史上初めて、人に実現したとそう考えているでしょう?

でも、それは聖書に記された事実ではないのです。

永遠の中から、この世の礎が出来る前から、私達は神の中に選ばれて居たと書かれているのです。

最初から同じ。全ての残りの民は、エデンから出て、同じ福音、同じ救い=イエシュアを知って、贖われ、救われ、許され、祝福され、

聖別された神の民とされ、聖霊を受けていたのです。

それが、モーセの五書に書かれているでしょう。

モーセの五書を解説する、預言書、諸書に全てイエシュアが至るところに記されています。

アヴラハムも、イエシュアを知って、イエシュアが地上に来られる

その日、そして未来、イエシュアが統治する世界を見て、楽しみ、

喜んだと、イエシュアが人々に言われたではないですか。

神は無から有を生み出すことができる、神には、ご自分が造られた

時間や空間に制限などされないのです。石ころからでも、アヴラハムの子孫を造る事ができるとイエシュアが言われた通りです。

全ては、神が創造されたから、神の時も神が創造されたからです。

そして、使徒行伝の記録は、古い教え〜モーセの五書から、

新しい教え〜新しい契約〜モーセの五書とは違う教えが伝えられる

過渡期であるなどと、新約聖書学者であり神学校の教科書に彼の著書が使われていますが、M.テニー博士が言われましたが、それ誤情報です。教師が正しく聖書を知らない、解説していない、そういう問題が

あるのです。科学者が進化論を教えるのと、全く同じ偽情報を信仰の世界でも同じようにされてしまっているのに、教師が教えるから、

それが聖書の真実だと信じ込むのです。パレスチナという国は歴史上地上に存在などしていないのに、この著者は、パレスチナが存在したと、教科書で解説しています。

 

使徒行伝は、神の言葉=教えが変わる変化の途中など、記されても

ありません。聖書には、モーセの五書以外の教えなど、1つも書かれていません。同時に、神の言葉=トラー=モーセの五書の教えを否定、削除、無効とする教えも1つも書かれていません!

今の世界、普通でも察知出来ますが、この世を支配する力の圧力で

皆がそれらの言う事を聞いて、やらされるドリル〜訓練をさせられていると気が付く人は、気が付くのです。

一方的な命令〜これを法律や憲法で押し通せるように、改正しようと策略しているでしょう。

この数年の出来事も、自然災害と思われる事も、全部闇の世界のプラン。災害時に、一方的になんでも国のリーダーが決め、人民を支配できるシステム。

そして、善を悪、悪を善とされてしまう、神の創造のデザインを全部

なし崩しにする、ボーダーレス。

日本の牧師やクリスチャンも、こぞって寛容に『罪』を支持する。

もうずいぶん前ですが、カナダとアメリカで放映されていたテレビ

番組、テレビで日曜の礼拝が見れる番組がアメリカには多くありました。今やネットの時代ですから、ライブで色々やっていますが、

15年前くらいは、テレビしかありませんから、テレビを見ていたら

何の宗派か分かりませんが、ゲイの牧師、司祭が聖書のメッセージをしているのを見て、ドン引きした事がありました。

そして、日本のキリスト教の新聞?の記事がネットに出ていて、

東京のプロテスタント教会、名前は覚えておりませんが、その群れの牧師がゲイであり、群れにカミングアウトした。

そこに集う群れの人々がそれを聞いている写真を見て、一瞬かたまりました。それ以降、その群れはどうなったのか?解散したのか。

それとも、ゲイ牧師をリーダーとして、集い続けているのか。

罪を生きながら、同時にイエシュアに仕える、聖書を語る、そんな

矛盾が出来るのか?罪を罪とも認めない牧師。しかも、群れのリーダーがゲイなのです。牧師にはゲイの男性のパートナーがいる。

その人が牧師で、神の言葉を語る???頭が混乱します。

聖なる宮〜イエシュアが住まう人は、罪に生き続ける事はできない。

今や同性婚の人が、養子縁組や、片方がドナーを用いて子供を出産し育てる、考えただけで異常な世界を、皆が受け入れるソドムとゴモラの時代。コリントに記された異邦人信者の不品行、腐敗の世界。

これ、聖書トラーでは、追放、処刑でしょう。もちろん、今の時代にそれぞれの国が、神の基準を執行していないだけで、日本にも

以前姦通罪なるものが、1947年まであったでしょう。

罪〜死に匹敵する罪は、他者を破壊するのものだからです。

 

罪を、教師が率先して生きて、周りの人を汚染する。

神のデザインに反した生き方は、異常であり、正常ではない。

狂った生き方を人に教え、必ず周りを汚染、破壊します。

ローマ帝国のヘレニズム化も、最後はLGBTQで、帝国が崩壊したのです。

あるクリスチャンは、それを受け入れるのが、愛などと勘違いしているのです。

聖書に記された神が伝える愛の定義は、神の提示した婚姻契約の生き方〜トラーに記された契約の愛の全部を生きて、お互いをガードし生きる事であると、神がはっきり教えているのに、どうしてこうなるのか?それは、神の言葉が廃れたという蛇の嘘を土台にしているからです。信仰の土台がずれていたら、崩れるからです。砂の上に建てた

家は崩れるからです。

クリスチャンの世界で語られる愛とは、それぞれの空想、想像で話しているのです。自分の宗教の教えで教えられる教えが、愛の定義。

聖書に書かれている事とは、違うものなのです。

空想のメシア像、空想の神の言葉や、罪の基準。

聖書に記されていないことを、土台、基準、元にしているからです。

なぜなら、神の言葉〜契約の愛の生き方は廃れた〜今はそれぞれが

考える通りを生きる、自由で恵みの時代だと、聖書にも書いて無い、意味不明な事を信じて、言って実践しているからです。

だから、このように神が伝えている罪を罪とも、聖書から認識できず、罪を生きる事をサポートする、容認、又は許容する、それが愛と言っているのです。

神を知らない普通の人がそうならば、それは仕方ないのですが、

イエシュアを信じる群れにいる人々、しかも、リーダー自ら罪を生きる腐敗不品行の生活をしながら、人に一体何を教えるのでしょうか。

神の言葉を自由に勝手に仕分ける生き方を教えるのです。

そのような事が、あってはならないというのは、神の言葉、教えを

知る人ならば、理解できます。

罪は周りを必ず汚染します。神との隔たりの場所へ、人を導きます。

罪とは、神との隔たりそのものだからです。だから、罪=ズレたままでいたら、神との壁、隔たり、距離ができるのです。本来の関係に

留まれなくなるのです。

罪=ズレ=本来の性質とは、異なる生き方は、神との隔たり距離を

造る、それがエデンの園=神の中から追放されたことで教えられているのです。

神ご自身=聖霊=イエシュアが内側に住まう、神の宮は、神が聖別

された通りを生きて、ズレを取り入れて生きられないのです。

それは、神が伝えるどんなことでも同じです。

これこれは〜あなたのすることではありません。それらをするようにあなたは造られていません。これこれは〜あなたのすること、

そのようにあなたは造られているから、造られた性質通りを生きるのが、人の本当の生き方だからです。

ズレた生き方は、必ず不具合、神との隔たり、エデン=喜びが消えます。そのようなズレをお手本に見る子供達は必ず影響を受けます。

だから、そのような罪〜ズレを生き続ける人は群れから絶たれる、

追放されなければならないと書いてあるのです。

 

しかも、罪、ズレた思索、行動は、イエシュアの名を汚す行為そのものだからです。

世界へ、世の光ではない、世の闇を伝え、偽のイエシュア像〜

イスラエルの神を伝えてしまいます。

神の言葉、教えに戻るつもりがない人は、助けられない。

クリスチャンの言葉で言えば、悔い改めない、罪の生活を続ける場合は、周りが汚染されるから、羊がやられないために、羊を守るのが

羊飼いの役割です。

これから、益々世界は狂って行くでしょう。神の言葉を生きる事を

禁じられるでしょう。クリスチャンの世界で、1世紀後半、神の

言葉、教え自体を西洋教父達自ら生きる事を禁じて、ローマ帝国に

同調しそのように、教えてしまった事を覚えておいてください。

神が神の言葉を終わらせた体になって、真相を変えられて伝えられていますが、それは嘘です!

人間が、神の言葉に手を加え、付け足し、差し引きしたのです。

 

それを、神が神の言葉、トラーを破棄したと、クリスチャンは教え

続けてしまっているのです。

もう、神が伝えていない嘘を、神が言ったと伝達する時代は終わり。本物〜真実と、嘘がはっきり分かれる終わりの時代が来たからです。