クリスマスで使われる様々なシンボルは、異教神の祭りから取り入れてものです。
ヒイラギも、サトゥルヌス神と結びついた神聖な植物です。
サトゥルナリア祭の期間中、ローマ人はヒイラギのリースを作り、
幸運を祈る贈り物として交換しました。
<ドアに飾られたクリスマスリース>
初期のキリスト教徒は、サトゥルナリア祭とユール祭の期間中に
クリスマスを祝い始めましたが、新しい宗教〜ローマカトリック教を実践した為に、迫害されることも多かったのです。クリスマスが
サトゥルナリア祭と重なった日にしたのは幸運でした。
キリスト教徒は、自分たちの宗教が作ったクリスマスの祝いを、
サトゥルナリア祭で隠蔽することができました。
キリスト教徒は、別の祭り〜クリスマスを祝っている事を発見されるのを避け、サトゥルナリア祭を祝っているように見せるために、
家の周りにヒイラギのリースを飾り始めました。これにより、他の
キリスト教徒が、クリスマスを祝っているのを見分けることができ、神聖な祝日を祝うために何か良いことをすることができたと考えていました。やがて、異教徒が減るにつれて、ヒイラギはサトゥルナリア祭ではなくクリスマスのシンボルになりました。
詰まり、元は異教の神の祭りのシンボルであったものを、キリスト
教徒が取り入れて使い、異教徒が減って、クリスチャンがサトゥルナリア祭に被った祭りを、キリストの誕生日として祝い、異教神の
シンボルを継承し続けたということなのです。
私たちはローマ人から多くのインスピレーションを受けており、
ツリーの飾り付けは単なる借用した伝統です。
サトゥルナリア祭の間、ローマ人は宴会をし、酒を飲み、贈り物を
交換しました。また、家の外の木に小さな金属製の飾りを掛けました。これらの小さな飾りは、神、サトゥルヌス、または家族の守護聖人を表していました。
初期のゲルマン民族は、冬至の間中、神オーディンを称えるために、果物やろうそくを使った同様のツリーの飾り付けの伝統を行っていました。別の祭りであるユールにもツリーの飾り付けの伝統がありました。キリスト教徒は、ツリーの飾り付けを飾り、ろうそく、果物と
融合させて、クリスマスツリーの飾り付けを 1 つの豪華な伝統にしたようです。
クリスマスツリーは、特にクリスマスの世俗的な側面を取り入れた
非西洋社会において、世俗的な伝統と宗教的な伝統の融合を象徴しています。
世界中の国々、異教徒の国もクリスマスを受け入れて祝っている、
イスラム、仏教の国にもクリスマスツリーが今飾られているのは、
全部この異教神由来の融合、商売、利益ともマッチしているものだからです。
又、異教のルーツとキリスト教の慣習の受け入れに関する議論にも
対処しています。
アメリカのカーク カメロンという俳優で伝道師である人が、
クリスマスをキリストに取り戻すというような映画に出ていましたが、それは、無理でしょう。
神の教え、原則に反した事をして、異教神のシンボル、異教徒の祭りのシーズンに便乗させて、結局その生誕日は、異教神のシンボルや
儀式が取り入れられてしまったら、コップの水の中に一滴の毒が入っただけで、その水は完全に汚染されてしまうのと同じ効果があるのです。
異教の神々の儀式、シンボル、祭りごとに、キリストを繋げようという発想自体が、神の教えからズレた、神が禁じている行為なのです。
神の言葉を捨てる場合、古い箇所に書かれているのは、廃れた教えと
思っているのですが、イエシュアが教えらたのは、100%モーセの五書=父の教え=トラーだけです!
クリスチャンは、愛が大事!と言いますが、神が定義している、
教えている「愛」とは契約の愛〜アハヴァ〜トラーに記された
神の聖なる民となった人が生きる生き方全てを、愛と言っているのです。
だから神の教えのどの箇所を捨てる場合、神の与えた婚姻契約を
ビリビリ破り捨てて、神の言われる事を理解しないまま、
聖なる民の生き方を知らないまま、異教の神々の慣わしに染まったり、異教徒のように生きてしまっても、気がつけないのです。
純粋な神の言葉、教え、神が創造された記念日には全てが入っていて
異教神のシンボルや、意味付けなど1つもないものを、神が人のために創造し用意されているのです。
最初の間違いは、神が伝えた代々永遠に祝うわたしの記念日と、神が言われた事を、初代キリスト教徒〜異邦人達が退けた事に始まるのです。
<クリスマスの伝統の異教的起源>
歴史が豊かで祝祭が盛んなクリスマスの伝統は、多くの場合、ユール祭やサトゥルナリア祭などの古代の異教のルーツに遡ります。装飾品や電飾で飾られた象徴的なクリスマスツリーは、冬至を祝う古代ゲルマン民族やローマの習慣に由来しています。
同様に、キリスト教のもう 1 つの主要な祝日であるイースターも、
春の祭りと結びついた異教の起源を持っています。これらの伝統は、世俗的慣習と宗教的慣習の魅力的な融合を強調し、現代の祝祭がいかに古代の異教神、異教徒文化の慣習と深く絡み合っているかを示しています。
今や、クリスマスツリーも、万国共通の冬の飾り物となっています。
キリストの誕生は事実であり、人々が知らなくてはならない事ですが、残念なのは、それが、聖書の記述のない12月25日とされている事、そして、動機は純粋でも異教の神々の祭りのシーズン、異教神の礼拝のシンボルや儀式を利用して、キリストを伝えようとした事です。
キリストを伝える為には、嘘でも不真実でも良いから何でも利用しよう、大衆受けするものに変化させようという発想は、異教徒思想そのものです。
クリスマスもイースターも世界中が祝う祭りで、その意味もキリストとは関係ないものになっています。
クリスマスは、プレゼント、ご馳走、そしてサンタクロース。
イースターは、イースターバニーにイースターエッグ。
そして、個人的には、クリスマスを祝わなくなりましたが、その理由も敢えてクリスチャンの友人に直接は言いません。
家族とクリスマス時期を過ごす、お正月を過ごす、みんなでご馳走を
食べる、もしくは一緒にクリスマス礼拝に参加したとしても、
それは、キリストの誕生日だから、神が礼拝するように命じているからではないという事は、自分の中で知っていれば良いのです。
余計な事を言って、楽しい交わりを壊してはならないからです。
そして、家族と友人と楽しいクリスマスの晩餐、お正月の祝いの宴を
楽しめば良いのです。
ユーロログの意味が何か知っていても、そのユーロログの形をした
ケーキを食べても、それは汚れた食べ物なんて思うわなくても良いのです。
気にしなくては行けないのは、神が食べてはダメ!と言われたもの
ポークや馬、鱗のない魚や、貝やえびタコ、カニなど、そう言うものを食べないというのを、気にした方が良いのです。
どうして日曜礼拝に教会という場所に行かないのかと、聞かれる事もあり、その場合は、イエシュアがされていた通りの、イエシュアが
教えてガードしてと言われた、イエシュアとの特別な関係に入れられた「印」として与えられた、シャバットや記念日を祝うからと答えます。聖書に書かれた、神が仰せになっている聖日〜レビ記23章を祝うからと言います。もちろん、深い理解などしませんが。
どうして、ハムサンドを食べないのか、ベーコンを食べないのか、
一緒に食事をする場合には察知され、聞かれたりします。聞かれたら話しますが、神が教えている教えの意味は殆ど通じません。
以前は、同じ家族〜妹に逆ギレされて、ずっとその事で問い詰められて、辟易した経験がありますが、最近は尊重してくれます。
自分たちと同じ事をしない、違う事をすると、違和感を持つのです。
考えたら分かるのですが、神は人に神の創造された世界、人の食べてはならないもの、食べては良いものを教えているのです。
それは、昇天以降も全く変わっていません。食規定が廃止されたと
勘違いしているのは、完全なる聖書の読み違え!によるのです。
マルコ7、使徒10も、コロサイ2も、ローマ14も、どの箇所も、
今は何でも食べて良い!などという話など1言もしていないのです。
神は、人に人に害になるもの、体に悪いもの、神の宮を汚すもの〜
それは肉体も霊も同じですが、それらをはっきりと伝えています。
しかも、それは聖別を教えるものであり、神の宮である人は、霊的にも聖別を、けがれた動物で汚すことは、許されていません。
イエシュアも使徒も、1世紀聖書に登場するユダヤ人や、イエシュア
信者達は、神の教えを知っていましたから、汚れた食べ物を、人間の食べ物などと誰も考えていません。
でも、イエシュア信者の異邦人〜神の教えを知らない人は、汚れた
動物を食し、異教神の神殿で豚を捧げ、血を飲み、異教神の神殿娼婦と多産を願う儀式、不品行をして交わっていた。
それほど、異邦人は神の教えを知らないままだった、イエシュアを信じますと言いながら、神が伝える罪をしていた警告が書かれているのです!
クリスチャンは、異教神の神殿に礼拝しない、神殿娼婦と不品行も
しないと分かるけれど、豚は食べてもいいじゃないと思うでしょう?
それは、全部神の前に罪であるとはっきり教えられていて、使徒15章の、パリサイ派の長老のイエシュア信者も、それらは神に禁じられているから、やめてください!と教えているではないですか。
聖書を読んでも、読み取れないのは、自分に関係にない教えと思っていることは、全て頭上を通りすぎて、何が教えられて書かれているのか理解できないからです。
だから、神の宮の神殿に、豚など捧げられないのです。
ネズミと豚を食べるものは、絶え失せると未来預言として、警告されているのです。イザヤ66:17
エルサレムの神の神殿の祭壇に、ギリシャ帝国がイエシュアが生まれる160年前に、ゼウス神と、豚を祭壇に捧げて、豚の血と肉汁で
神の宮を汚し、そしてユダヤ人もゼウス神に伏拝、豚を食べることをさせ、それを拒否した人全員処刑したのです。
そのような神への冒涜に生きる事を、強要され、ヘレニズム思想と
ゼウス神信仰に同化させられた事件が、マカバイ戦争が起きた原因であり、神がイスラエルに勝利を与えた記念日が、ハヌカなのです。
反キリストの雛形そのものが、教えられている、それがダニエル11章に預言されていて、その通りになったのです。
神が禁じた食べ物を人が食するから、疫病、病気が発生するのです。伝染病でなくても、けがれた動物を食すると、人には害、内臓を痛め色々な病気になる原因でもあるのです。
そして、伝染病では、環境汚染水汚染をし、そのウイルスが又それらの動物、海の生物を食する人を通して、ウイルス、菌がばら撒かれ
続けているという悪循環が起きているのです。
それって、愛だと思いますか?自分の健康を害すること、そして他者にも病気を移して苦しめる事、それは人が食べてはダメなのものを
食べて、家族に周囲に病気を移す。
このような行為は愛などではないと、分かりませんか?
全て、神が禁じている事は、どんな事でも神が創造された人のデザイン、性質ではない、それはあなたのすることではない、それをするようには、造られていませんと教えているのです。
それをするから、自分を人を破壊していくのです。
でも、アダムとハヴァ、エデンの園で、あなたの食べ物ではないという食べ物を、神の言葉を無視して退け、蛇が食べてみな〜とそそのかした声の方を信じて取って、蛇の言う通りにした、それをずっと続けているのです。
半分は神の教えを生きて、半分は神の言葉を退けて生きる、アンバランスで、不健全な生き方をしているのに、気がつけないのは、神の
言葉は破棄されたという人が作った教えの嘘を信じているからです。
自分の頭脳に2つ別の教えの種を蒔き続けてしまっているのです。
神の言われる教えを、シャマ〜聞いてその通りに生きる人は、安全に守られます。ノロウイルスや胃腸炎、インフルエンザに、自分が食べたもので羅漢し、人にばら撒くきっかけをしなくて済みます。
でも、そういう事をする人から、移されてしまう、被害には遭いますよね。
そんな単純な事実が、分からなくなってしまうのです。
人の言う事を信じて、神が言う教えを、厳しい律法、戒律だなどと
言う意識を刷り込まされているからです。
今日はクリスマスと、ハヌカ両方が一緒の日になりました。
ハヌカは聖書の暦の第9日の25日、この日に神殿がギリシャ帝国に略奪され、汚されて、そして同じ25日に、イスラエルが神の神殿を
取り戻したので、この日に祝うのです。グレゴリオ暦では、毎年日にちが変わりますが、大体11月終わりから12月に来ます。
今年は、遅い12月25日から、8日間を祝います。
光が世にこられた事、イエシュアの誕生は事実ですが、12月25日は事実ではありません。
光の祭典と呼ばれるこのハヌカ、神の宮である一人一人は、イエシュアの光を世界へ映し出すメノーラです。
メノーラは、神殿に置かれる7本の金の支柱です。
神の光を映し出すのは、神の性質通りを生きる事を通して、それが
実現するのです。イエシュアの姿、見えない神の性質は、神の性質どおり〜神が教えた通りを生きる人達を通して、見えない神が、人に
見えるように、人の生き方を通して現れ出るのです。
だから、神の宮である人は、神の言葉を捨てたら、神の事実を表す影
地上で神の性質を反映して移す鏡とはなれなくなってしまいます。
イエシュアも祝ったハヌカ。神の宮である人たちは、自分で神の宮を
汚す生き方はしないのです。
Chanukah Sameach !