汚れた動物で自分を汚してはならない 神が聖であるから人も聖別されて生きる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

クリスチャンの世界で解説されている神の言葉、教えが変更された、食規定が変更されたという根拠にしている箇所は、全て間違った読み込み、聖書に書かれた言葉、意味とは遥か彼方にかけ

離れた非聖書的解説であり、そのような不真実、偽情報を根拠に神が神の言葉を変更したなどとしている箇所を一掃します。

 

神は、神のトラーをどの箇所でも破るなら、神の教え、トラー

全体を破ることであると教えているのです。詰まり、神の似姿〜イエシュアそっくりの性質に造られた人は、〜を生きる、〜をする、そして、〜を生きない、〜をしない、それがあなたの性質だからですと、教えているのが神の言葉です。

それを、神の性質に反する生き方を1つでもしたら、それは本来の生き方からずれていますと言っているのに、気がついてください。

パソコンの取り扱いで、製造された意図通りに扱うのに、

水をかけたらそれだけで壊れるでしょう。それと同じです。

本来の性質を生きない、それがズレ=罪なのです。

難しい掟、縛り、悪い律法などという、偽情報を刷り込まれ続け、神の言葉を本来の意味で、言語に書かれている意味通りに

教えられてもいない、外側から神の言葉を上部だけ眺めて見て、中身を知らない、どんな味がするのか食べたことがない、そんな状態でいれば、神が伝えている意味など理解できないまま、

人の思想で、神の言葉を憎むよう、敵視するように仕向けられていることに、気が付いてください。

 

マルコ7章、ローマ14章、使徒10章、コロサイ2章などを取り出して、それらの箇所が食規定が変更になった根拠である!と解説していますが、その箇所では、1つも神が禁じている動物を食して良い=罪を犯してOKなどと神が人に伝える訳など10000%ない、違う事を話している事に、原文に記された意味から知らないとなりません。先生は聖書を知っている?科学の先生が進化論を教えているということを、いつも念頭に置いて、間違った教育、情報を刷り込まれた場合、教師が間違ったことを生徒に教えることがあると覚えておいた方が安全です。

生徒は、教師を選ばないとならないのです。

マルコ7章は、既に書きましたが、ある翻訳では、マルコ7章に

「イエスは全ての食べ物をきよいとした」という文を挿入して

います。でもそれは、異邦人創作挿入文章であり、ギリシャ語の

原文には存在しないものです。

イエシュアが、例え、もし全ての食べ物はきよいと言われたとしても、それらはレビ記11章に記された、きよい動物〜タホーである、人が食するために創造された人の食べ物のみが、人間の食べ物の全てであり、きよくない=タメー、ギリシャ語では、

「アカサトス」と書かれた、神が食する事を禁じている動物を

指して、きよめられたなどと語る事は、聖書のどの箇所にも書かれていません。

レビ記には、神が人の為に食す目的で造られた動物、同時に神の宮の祭壇に捧げることができる動物、人が食するものではない

動物、同時にそれらはもちろん神の宮の祭壇に捧げられない動物の全ての規定が記されています。

それらの神の教え、規定、基準は永遠に変わりません。

イエシュアは豚やネズミがきよい動物に進化、変化するために、命の代価を払ったのではありません。

動物も人間も変化、進化しません。

当たり前のことが、全然通じなくなってしまう、それが宗教の教えなのです。

清掃動物、スキャベンジャー、陸空海のゴミ、菌、ウイルス、

死骸、腐肉を食べるそれらの動物の性質全てを調べたら良いのです。

1953年、アメリカのジョンホプキンズ大学で、神がトラー、レビ記11章に記した人間が食するものではない動物の全てを

調べ、研究し、それら、アカサトス、タメー、清くない動物は、全て害、毒そのものであることを、研究結果から証明されているのをご存知ですか?100を超える病原菌やウイルスは、

豚肉を食べることに関連していることを知っていますか?

清掃動物は、消化器官が未熟であり、体内にゴミ、毒、菌、ウイルスを溜め込む性質に造られているのです。なぜなら掃除機、

ゴミ溜めが目的で造られた、文字通りきよくない動物だからです。そして、それらの動物は、屠殺するような体の構造ではない、屠殺したら、苦しめてしまう構造なのです。動脈が脳に2本繋がっていて、一気に屠殺できない体だからです。

神の教えに反する、動物を苦しめることはしてはならないのです。

エビや貝もゴミを集める海の掃除機です。体に全部ゴミ、ウイルスを溜め込みます。エビとゴキブリは同じ種類の動物で、同じ味がするそうです。ゴキブリ〜汚いと分かるでしょう。

貝、エビも同じなのです。

毒を溜め込む、それはあなたではありませんと、霊的な意味も

同時に、神はそれらの生物を通して教えているのです。

人の口には美味しいもの〜腹には苦い。

神が何と人に教えているのか知りたいなら、神の言われる通りを聞く、知りたくないなら神の言葉を無視して、自分に何が害毒であるか、知らないままになる。神の言葉を無視することは、本当に愚かな行為です。なぜなら、創造主だけが、人に人がどう生きるのかの全てを伝えられる存在だからです。神の言葉を捨てるように教える人の教えに聞いたら、破壊されます。

そして、聖別は食べ物、生きること、そして神の記念日、

モアデイムを通して教えられているのです。

 

もし、それらの動物を調べたら、それらのゴミ、清掃動物を2度と食べたいなどと、普通の感覚、理解があるならば、神を知らない一般の人でも、躊躇して食べたいとは思わなくなるでしょう。

全ては、神の教えを知らない、無知からきているのです。

神の言葉を捨てる、神が人に与えた生きる上での知恵を捨てることなのです。

食べ物のに関して、考える前にこの箇所を知らないとなりません。

 

1ペテロ1:15 むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。

 1:16 聖書に、「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。

 

福音書以降の聖書記者、使徒達は1000%全て、モーセの五書、そしてその解説の預言書、諸書のみを指して語っていることを決して忘れないように読んでください。

この箇所は、どこの箇所をペテロは解説しているのでしょうか?

 

レビ記11:43 あなたがたはすべて這うものによって、あなたがたの身を忌むべきものとしてはならない。また、これをもって身を汚し、あるいはこれによって汚されてはならない。

11:44 わたしはあなたがたの神、主であるから、あなたがたはおのれを聖別し、聖なる者とならなければならない。

わたしは聖なる者である。地にはう這うものによって、あなたがたの身を汚してはならない。

11:45 わたしはあなたがたの神となるため、あなたがたをエジプトの国から導き上った主である。わたしは聖なる者であるから、

あなたがたは聖なる者とならなければならない』」。

 11:46 これは獣と鳥と、水の中に動くすべての生き物と、地に這うすべてのものに関するおきてであって、

 11:47 汚れたものと清いもの、食べられる生き物と、食べられない生き物とを区別するものである。

 

人が何が人間の食べ物であり、そうではないか、区別できるために、神が人に教えているのです。

聖別された生き方、神が聖なるものであるから、人もけがれた

食べ物で身を汚してはならないと、はっきり教えられているのです。

レビ記11:47に、イスラエルの神の契り〜婚姻契約の中に

加えられた人は、神の伝える通りの生き方、聖別された生き方をする!

それが、神の花嫁として、神の大家族の中で生きる、神が人に

与えている条件なのです。そして、それらは食べ物を通しても

教えられているのです。エデンの園と同じ、何が人の食べ物で、何が人の食べ物ではないか、汚れた清掃動物を食べながら神の意図通りの聖別は保てないからです。周りの人にも汚染、病原菌を撒く行為だからです。それこそが異教徒そのものの生き方、無差別に、神の言葉からの識別なく、なんでもかんでも食べる食生活文化であり、神の教えに無知で気が付かない、使徒15章の異邦人イエシュア信者がやっていた事と同じことを、し続けているのです。

神は神の子らが、無差別に汚れたものを食するような、悍ましい生き方を教えていません。

それは神は最も忌み嫌うとはっきり伝えているからです。

ペテロは、この箇所も考えて話しているのです。

同じことが語られているからです。

イザヤ 52:11 去れよ、去れよ、そこを出て、汚れた物にさわるな。

その中を出よ、主の器をになう者よ、おのれを清く保て。

 

汚れたもの〜アカサトス、タメー 汚れた動物、食べ物、同じ

意味です。

神の言葉をどの箇所でも、人間が勝手気ままに神になり代わり、捨てる、削除する、変形した違う教えに変えるように教える、

そんな教えを聞き続ける場合には、神の警告、教えは耳に頭脳に届かなくなります。

愚かな生き方、賢くない生き方を続けて、神の前に聖別を汚す

行為が何かも理解できないまま、神の目に罪を行い、今はなんでもありだよ〜という、異邦人の編み出した偽の教え、それは罪に扉を開く行為そのものです。本来の生き方からズレた生き方が、

今は神の教えなどと、とんでもなく誤解したままになります。

脳内ジーザスはローマ化した、聖書に書かれてもいない、人に

罪を奨励する神に変形させられています。

それは人の教えの空想のメシアであり、聖なる神の性質とは違う神像を語る偽の教えであり聖書などではない!!

これら以下は未来預言です。タメー、アカサトス=汚れた動物を食すること、神は永遠に禁じています。聖なる民の生き方ではないからです。神は汚れたものを忌み嫌うと、はっきり教えています。冗談、寓話で話しているなどというすり替えをやめてください。神はこれを本当に意味して言っているのです。
 

イザヤ 65:4 墓場にすわり、ひそかな所にやどり、豚の肉を食らい、憎むべき物の、あつものをその器に盛って、

66:17 「みずからを聖別し、みずからを清めて園に行き、その中にあるものに従い、豚の肉、憎むべき物およびねずみを食う者はみな共に絶えうせる」と主は言われる。
66:23 「新月ごとに、安息日ごとに、すべての人はわが前に来て礼拝する」と主は言われる。
 
神が伝える汚れた動物=人間の食べ物ではないもの全て 毒です!
アカサトス、タメーな動物は人間の食べ物ではない!
こんな簡単な永遠に変わらない事実が分からないのは、異教徒として育ち、神の教えを知らない異教徒文化で慣れ親しんだ生活習慣だから、神の教えに対して違和感を感じているから、拒否したという自分の都合であるということを、認識してください。
1953年のジョンホプキンズ大学の、デビッド、マクト医師が、これら聖書に書かれた神が伝える動物全て、害毒であり、
神は科学者かと言っていますが、そうです!神が創造主です。
そして、きよい動物は、全て人にとり良い食べ物です。
 
鱗のない魚は、毒を体内の直接吸収する構造です。鱗のある魚は
鱗で菌、ウイルス、毒を防御しているので、きれいなのです。
これらでも霊的意味を同時に教えています。神の言葉、鎧兜に
守られている人は、害毒が外から侵入しない。目、耳から侵入しても、それらを吟味して吐き出す。これが反芻する動物の性質からも教えられているのです。神は賢いです。私たちが誰であるか、毒、嘘を食べて生きられないから、それらを取り入れるなかれ!とピッタリ1体である食べ物を通しての教えなのです。
鱗のない魚は、毒を吸収して、その肉に毒が溜まります。魚自体は影響を受けませんが、その魚の身を食べる人は、害毒を受けてしまうのです。
鱗のない魚、うなぎ、なまず、フグ、ドジョウ、穴子、太刀魚、タコ、イカなどです。
食に関する教えを聞いて、それ食べたら地獄に落ちるの?などと本質からズレたことを考えないでください。
神は人に、人にとり何が害毒な食べ物であり、聖別を汚すものであり、何が安全であり、神が造られた人が食するのにふさわしく健康を保つものなのか教えていることを、理解してください。
そして、それらの行為が、他者へも病気を移し、環境にウイルスをばら撒き、汚染する行為であることを知らないとならないのです。牡蠣を食べてウイルスに汚染され、食中毒になり、周りにもウイルスを羅漢させる、そんなことよく聞くでしょう。
ノロウイルスなど、それそのもの。貝から来る。
イスラエルが神の教えを破り、汚れたものを食したら、疫病が
蔓延し、命を落としたのです。神は人を愛するから、人にとり
危険なもの、人の食べ物ではないものを、はっきり教えているのに、親の言う事を信じない子は、親の言葉を無視し、危険なことをする、それをずっとやっている、奨励しているのです。
神の教えを生きない、無視する〜神との隔たりができる、賢く無い生き方、神の知恵を捨てた生き方、本来の生き方からずれて、神の性質を生きれない、本来の健康を破壊する、単純な理由です。
どうして、神に禁じられている事を敢えてしたいのか?と考えれば良いのです。子供が親に言われた事、律法、縛りつけと考えるのか、親である神が自分を愛して、自分を守るために教えてくれると、正しく神の教えの意図、真意を理解しているいるのか、
その違いだけです。
豚 繊毛虫症、食中毒、ウイルス、病原菌の宝庫であり、豚は
汚れた動物の代表として書かれているでしょう。
豚の中に悪霊が入って行った。
豚の餌を食べるほど落ちぶれた放蕩息子。豚に真珠。
豚が何を表しているのか、聖書から理解すれば良いのです。
汚れ、タメー、アカサトス、の代表。

 

申命記14:2 あなたはあなたの神、主の聖なる民だからである。主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。

14:3 忌むべき物は、どんなものでも食べてはならない。

神の声が聞こえない人には、聞こえない。神の言葉を絶対と信じない人は、破壊されてしまうのです。

人が編み出した、神の言葉を捨てる教え〜1世紀後半以降の
西洋教父の教えに塗り替えられてしまい、神の言葉を生きることを西洋教父たちが、人に禁じて、ローマ帝国と同調したのです。
そんな教えは、聖書ではない!と知らないと危険なのです。
人が神に成り代われますか?
そんなこと、神は人に許していませんし、可能ではありません。
神の言葉を蔑ろにするように教える人は、天の国で最も無意味、無価値な存在とイエシュアが言われた通り、神の国、家族を守り
建てあげる邪魔をするからです。

 

左側の動物はアカサトス、タメー、きよくない動物であり、人間の食べ物ではないと神は教えています。エデンの園で神の教え
知識の木からは食べてはだめ、それ以外は食べて良いと言った
神の言葉を疑い、信じず、反対のことをしたら、死、罪が入ったことと同じことをどうして繰り返すの?と考えれば良いのです。
そして、コイノスとは、汚された、普通のという意味で、
汚れた手で触ったら、きよい食べ物でも汚れるという人の思想のことです。
 
左がきよくない動物、人間の食べ物ではないと神が教えています。右がきよい動物、神が人が食するように、創造された動物です。
うろこがない、甲殻類、そして蹄が分かれて、反芻する動物、
どんな鳥類が食べられないのか、地を這う動物は食せない、
その他、どんな動物が人間の食べ物か、そうではないか、
レビ記11章を読めば分かります。にわとり、鴨、アヒル、うづら、鳩、七面鳥は食べられます。そして、そこに書かれた神の教えは変わりません。人間が毎日全く進化、変化しないのと同じ、それらの動物も進化変化しないからです。
 
 
 
  1.  ノロウイルスは、二枚貝の中腸線に蓄積されています。
  2.  ウイルスを持った二枚貝を人が食べることにより、ウイルスが人へ移行します。ウイルスは人の小腸内で増殖し、糞便とともに排出されます。(この時感染した人に胃腸炎の症状が現れます。)
  3.  便とともに排出されたウイルスは、河川を経由し海へ流れ出ます。そして、また、二枚貝に取り込まれます。