神が伝える永遠の真実だけを聖徒は語り生きる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

時代ごとに、福音の真実がより明らかにされていく。

だから、今の時代の方が、救い主が来られたことで、別の新しい教えがされて、贖い、救いをより深く理解していると、考えていませんか?

実は逆なのです。古代の人の方が、神のミシュカン、神殿を通してイエシュア=救いの意味を、よっぽどより深く理解していたのです。

それは、モーセの五書、預言書、諸書を読めば明らかです。

エデンの園の最初から、同じ福音が伝えられていたからです。

そしてイエシュア=救いの意味を、五感を通して、実体験を通して、神の家の中で、様々な事を教えられたからです。

 

イエシュアが到来したら、別の福音、別の教えが登場したという

空想は捨てないとなりません。永遠の中から同じ教え、福音が

イエシュアを通して、地上で証明されただけだからです!

アヴラハムが世界へ出て行く、使徒2章以降、エルサレムから

異邦人へ、世界の四隅へ大々的に同じ福音〜神の教えが伝えられるために、行く、同じ意味、同じ内容なのです。

 

異邦人の世界で解説されている、数々の聖書箇所が、聖書とは

関係ない教え、大体、神の言葉を否定して解説していること自体が聖書ではない!と気が付かない解説が、聖書と信じ込んで

聞いている時点で、危険信号であると、気が付かないとならないのです。

世の中、嘘だらけ!力あるもの、メデイアを通して、人を偽情報で洗脳できる事、今は目が開かれた人なら、理解できるでしょう。

人間に、神の言葉を、曲げる、変える、削除する権威も、力も

ない!という、永遠の真実に立って、神の言葉を少しでも曲げる

解説は、聖書ではない!ということを覚えておけば、何が聖書的な解説で、何が聖書とは違う解説をしているのか、それだけで

見分けられます。

細かい内容は分からなくても、人の思想を通して語られる聖書解説、イコール聖書の事実とはズレている!

と分かるだけで、本当か嘘か識別することができます。

問題なのは、半分本当、半分嘘!神の教えに、人の思想が混ざった教えです。

その1つが、イスラエルと異邦人を分裂される、デイスペンセーション神学や、置換神学などの教えです。それは聖書ではありません。

そのような人間発想の思想を信じる人には、聖書に書いてある重要な記述を平気で読み飛ばしてしまうのです。

神がシャバットが7日と教えているのに、シャバットは今は、

1日、いつでも良いのだ!などと、勝手気ままな人の発想が聖書と異なる事でも分かるのです。嘘はやめよう!

私達、聖徒は、神の語る真実を語らないとならないのに、嘘〜

人の作った教えを、混ぜて教えている!それに気が付かないと

ならないのです。

 

神は最初から、イスラエルと異邦人が1つであること、全ての人が神の中に1つの大家族〜もとのデザインに戻って生きることを

教えています。

契約は2つありません!婚姻契約は、シナイ山で与えられた

トラーだけです!それが神の大家族の生き方、神の創造された

人間の生き方、それ以外にないからです。それ以外の契約など

実際にありません!福音書以降は新しい契約では、ありません。

中身もモーセの五書と同じ契約であり、モーセの五書に対する

短い註解、解説、後書きです。

モーセの五書〜トラーに書かれたことを、実際にイエシュアが

神の意図踊りの意味で教えて、生きて手本を見せた。だから、

人類今まで経験しない本物の愛=契約の愛=トラーに記された

生き方をみたと、書いてあるのです。

 

出エジプト20:10 七日目はあなたの神、主の安息であるから、

なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。

 

イエシュア含め、福音書以降に登場する全ての人、イエシュア

信者もそうではないユダヤ人も、皆モーセの五書を生きていました。

ユダヤ人は、異邦人を異物=野生の動物、汚れた動物、きよくない人種=契約の民ではないと、考えている多くの人がいました。

確かにそうです。生まれつき契約の民として、遺伝子的には生まれていなくて、神の教えから遠くはなれていたと、エペソ1、2章に書かれている通りだからです。

でも、神はアヴラハムを通して、全世界に人に同じ、贖い、救い

そして、同じ契約に記された大家族に加えられて、同じ神の教え

神に創造された本来の人間の生き方に戻ることを、与えたのです。

それが、ずっと聖書に書かれているのに、昇天以降、教えは変ったとか、異邦人には神の教えは関係ない!という、クリスチャンの思想は聖書ではないのです。考えれば考えるほど、それは理論的にも成り立ちません。同じ人間、同じ構造。神の創造は変わらないからです。完全に、人間の作った宗教の教えに乗っ取られています。

そんなこと、聖書のどこにも、実は書いてなどありません。

蚊帳の外にいる、イエシュアを信じない異邦人に対する取り扱いが、少し違うことは書かれていますが、同じ契約の民に、加わった異邦人は同等にイスラエルと同じ!とずっと教えています。

 

申命記5:14

七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたも、あなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、牛、ろば、もろもろの家畜も、あなたの門のうちにおる他国の人も同じである。こうしてあなたのしもべ、はしためを、あなたと同じように休ませなければならない。

 

出エジプト12:19 七日の間、家にパン種を置いてはならない。

種を入れたものを食べる者は、寄留の他国人であれ、国に生れた者であれ、すべて、イスラエルの会衆から断たれるであろう。

<神の家族が、神の言うことを聞かない〜蚊帳の外になります!ということです。一人でも家族の中に、家族の輪を乱す別の行動をする人がいれば、家族の輪が壊れ、しかも、神の教えを破ることをする、イコール周りにも、悪い影響、破壊をもたらすから、

追放されてしまうのです。>

 

 12:48 寄留の外国人があなたのもとにとどまっていて、主に過越の祭を守ろうとするときは、その男子はみな割礼を受けてのち、近づいてこれを守ることができる。そうすれば彼は国に生れた者のようになるであろう。しかし、無割礼の者はだれもこれを食べてはならない。

<過越の子羊〜今は神殿で捧げられていませんから、普通に家でローストした子羊は食べます。割礼は意味があることを、はっきり教えています。しかも、モーセも子供に割礼を施していない事で、色々と問題があったのです。

これは、天国に行くとか、地獄に行く、クリスチャンの世界で

考える思想ではありませんから、論点をすり替えないように

しないとなりません。それほど、神が伝えことには意味があり、

重要である!永遠普遍であるという事実が、シンプルに記述されているだけです。>

 
民数記9:14 もし他国の人が、あなたがたのうちに寄留していて、主に対して過越の祭を行おうとするならば、過越の祭の定めにより、そのおきてにしたがって、これを行わなければならない。あなたがたは他国の人にも、自国の人にも、同一の定めを
用いなければならない』」。

16:10 そしてあなたの神、主のために七週の祭を行い、あなたの神、主が賜わる祝福にしたがって、力に応じ、自発の供え物をささげなければならない。

16:11 こうしてあなたはむすこ、娘、しもべ、はしためおよび町の内におるレビびと、ならびにあなたがたのうちにおる寄留の他国人と孤児と寡婦と共に、あなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所で、あなたの神、主の前に喜び楽しまなければならない。

 

レビ記16:29 これはあなたがたが永久に守るべき定めである。すなわち、七月になって、その月の十日に、あなたがたは身を悩まし、何の仕事もしてはならない。この国に生れた者も、あなたがたのうちに宿っている寄留者も、そうしなければならない。

 

申命記16:13 打ち場と、酒ぶねから取入れをしたとき、七日のあいだ仮庵の祭を行わなければならない。

16:14 その祭の時には、あなたはむすこ、娘、しもべ、はしためおよび町の内におるレビびと、寄留の他国人、孤児、寡婦と共に喜び楽しまなければならない。

 

レビ記17:8 あなたはまた彼らに言いなさい、『イスラエルの家の者、またはあなたがたのうちに宿る寄留者のだれでも、燔祭あるいは犠牲をささげるのに、

17:9 これを会見の幕屋の入口に携えてきて、主にささげないならば、その人は、その民のうちから断たれるであろう。

22:17 主はまたモーセに言われた、

 22:18 「アロンとその子たち、およびイスラエルのすべての人々に言いなさい、『イスラエルの家の者、またはイスラエルにおる他国人のうちのだれでも、誓願の供え物、または自発の供え物を燔祭として主にささげようとするならば、

 

民数記15:14 またあなたがたのうちに寄留している他国人、またはあなたがたのうちに、代々ながく住む者が、火祭をささげて、主に香ばしいかおりとしようとする時は、あなたがたがするように、その人もしなければならない。

15:15 会衆たる者は、あなたがたも、あなたがたのうちに寄留している他国人も、同一の定めに従わなければならない。これは、あなたがたが代々ながく守るべき定めである。他国の人も、主の前には、あなたがたと等しくなければならない。

15:16 すなわち、あなたがたも、あなたがたのうちに寄留している他国人も、同一のトラー、同一のおきてに従わなければならない』」。

申命記31:12 すなわち男、女、子供およびあなたの町のうちに

寄留している他国人など民を集め、彼らにこれを聞かせ、かつ

学ばせなければならない。そうすれば彼らはあなたがたの神、

主を恐れてこのトラーの言葉を、ことごとく守り行うであろう。

 

申命記14:21 すべて自然に死んだものは食べてはならない。
町の内におる寄留の他国人に、それを与えて食べさせることができる。またそれを外国人に売ってもよい。あなたはあなたの神、主の聖なる民だからである。子やぎをその母の乳で煮てはならない。
<この箇所、他国人〜イスラエルの神を信じない人達、イコール
神の家族の一員ではないからです。これは、ヘブライ語を読むと
分かります。>
14:29 あなたがたのうちに分け前がなく、嗣業を持たないレビびと、および町の内におる寄留の他国人と、孤児と、寡婦を呼んで、それを食べさせ、満足させなければならない。そうすれば、あなたの神、主はあなたが手で行うすべての事にあなたを祝福されるであろう。
 
レビ記17:15 自然に死んだもの、または裂き殺されたものを食べる人は、国に生れた者であれ、寄留者であれ、その衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れているが、
その後、清くなるであろう。

 

ここで書かれている言葉、他国人は、契約の民に加わっていない、異邦人のことです。詰まり、出エジプトした異邦人〜

でも、イスラエルの神の救い〜贖いを信じた人達とは違う人のことです。異教の神々を拝み続けいている人です。

そして、一方、プロセルトスと書かれている異邦人は、完全にイスラエルの神に帰依している、同じ契約の民として同じトラーを生きている人たちのことです。

使徒に、神を畏れる異邦人コルネリアのような人のことです。

 

続く