シャバットは創造主が造られた神の記念日 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

一週間、7日間が巡り又シャバットを迎えました。

シャバットを歓迎し、シャバットの主であるイエシュアを歓迎

祝福いたします。

今週も色々なことがありました。それぞれの生活の中で、日々を

過ごす中で同じ繰り返しでも、違う体験をします。

世界の中でも色々な事が起きています。得に友人、仲間の間では、イスラエルの状況とアメリカ大統領選挙、アムステルダムで起きた反ユダヤ暴動などで、皆が注目して話し合っています。

 

又4年前のように、不正が行われるのかと考えてました。確かに不正はありました。変な法律を作り、カリフォルニア州では、

投票に来た人に、身分証明書提示を求める事は違反であるというルールを設けたそうです。他のいくつかの大敗者が勝った州は、そのような違反のルールを適用した州です。

これ正に、不正選挙がされたのです。そして、投票用紙に二つの

四角があって、今回大敗した方の枠の1箇所に点が付けられていたそうです。そうすると、もしもう一方の方にチェックを入れると、無効になり、点が付けられて大敗者の方にチェックを入れると、有効になるというトリック。

でも結果は圧勝で決まったそうです。

これから、言論の自由を奪って来たプラットフォームの全てに

制裁を下す宣言をしていました。

日本でもそうですが、言論の自由を奪う、イコール誰かに都合の悪い事を言わせない規制です。

これは、1世紀後半の世界でも同じでした。ローマ帝国の統治下では、自由にトラー=神の教えを生きれない、語れない。

イスラエルの神のシャバット、記念日、祭りを祝えない。

だからヨハネは、黙示録でローマ帝国の監視を潜り抜けられるように、ローマ帝国、モーセの五書=イスラエルの神の教えを知らない人には、分からない「隠語」コード化した言葉で、黙示録は書かれているから、意味不明に聞こえるのです。

同時に、現代の西洋の世界、西洋宗教の教えで、意味が分からない用語で書かれている箇所の聖書を読んでみても、意味を全く

別物に取り違えて、聖書に書かれている意味を理解しないまま、勘違いしてしまう箇所がたくさんあるのです。

 

難しい事は分からなくても、イスラエルの神は異邦人が言うように、神の性質、人相、性格を変えていない。そして、神の言葉を

神は変えていない。神の教えも変えていない。神の記念日も

変えていない!これが、永遠の事実です。

今、私達の上に空が、足元に地が存続しているならば、神の言葉も同様に廃れない!神の言葉は永遠に廃れず有効であるという、強調表現で、イエシュアは神の言葉で、神の言葉は一点一画も廃らない!と、言われているのです。

その神の言う通りの真理、真実だけに留まり考えて行けば、今日も同じ変わらない神が、変わらない神の言葉から人に、真実を

教え続けて、神の言われる事を理解する、神が教えようとして

いる事を、発見し続ける事ができます。

 

有名な教師に聞いてみても、聖書と違う事を言うかも知れません。教師イコール常に正しい事を、常に言うのではないからです。

だから、イエシュアに聞けば良いのです。良い羊飼いである

イエシュアが、正しく私達に神の言葉を教えて下さいます。

イエシュアは何と言っていますか?イエシュアの教え、答えは

100%父の教え〜トラー、モーセの五書に記された事実だけを

答えて下さいます。聖霊により書かれた言葉=神=イエシュアだからです。イエシュアは神の言葉=父の教えは廃れた、変化したなどと言いません!永遠に言わない。神は嘘をつかないからです。ご自分の言われた言葉に、責任を持っているからです。

人間と神は違う!と言う事が、異邦人=異教徒育ちの人には

結局分からない、ピンと来ないからです。

 

イスラエルの神は、人に神が創造された世界を生きる事の全てを人に伝えています。創造主〜イスラエルの神は、人間が考えるように、途中で気が変わるような神ではありません。

聖書に書いてある事〜神が宣言し伝える、本物のイスラエルの

神像、神の性質を別物で伝えている教え、それが人間の肉の思想で考えている教えです。

神の顔の上に、別の顔を乗せない!あなたのために!と神が

人に伝える言葉を、信じる人、信じない人は、いつの時代にも

います。

神の言われた事を、言ってもいない意味に曲げに曲げ続けています。

今日は、神が創造されて、永遠の中から既に選び出している全ての神の子らを呼び出し、止まり、祝う日です。

「シャバット」と神が、週の中の7つの日で唯一聖別し、祝福し、特別な名前〜シャバットと名付けている日です。

他の日は、全部普通の日で、ヘブライ語では、1〜6日までは、ヘブライ語では全て数字で呼ばれるもので、名前はありません。

私達異邦人も、イエシュアを通して同じイスラエルの神の元に

引き寄せられ、取り戻された人々は、イスラエルの神の1つの

大家族の一員です。教会というクリスチャンが考える異邦人独自の新しい別のグループ、家族は神の家族の中にはありません。

全ての人が1つの大家族に加えられ続ける事実しか、聖書には

記されていません。その大家族のメンバーは、皆全て同じ、神の教える神の創造された人の生き方に戻る!それを、人が認めたくない、人に取り都合悪い教えは、全部古い律法と言い続けている、又は、神の伝える言葉=聖書とは違う事、人が作った教えや、記念日を祝う事を伝え続けてしまっているのです。

 

ある人は、「今はどの日も安息日と信じます。」と言います。

それは、その人が聖書とは違うことを信じているだけであり、

それは人の意見にすぎないものです。聖書=神の教えではなく、

人の意見、思想を信じますとその人は言っているだけなのです。

聖書には、はっきり永遠の事実、真実書いてあるからです。

聖書に記された事実を信じません!と言っている発言なのです。神の教えとは反することを唱える人の意見は、神の前に何も意味がありません。真実でもありません!神が言っている事を、人は聞いて、認めて、生きる〜それが神の創造された人の生き方である事を、すっかり忘れているのです。人間の思想、人間至上主義

哲学を信仰に取り入れているだけなのです。

 

神は何と人に伝えていますか?聖書に書かれている真実だけを繋げるのです。アヴラハムは、全世界の父とされるために、神から選び出されました。その理由は、信仰によりイエシュアを通して父の元に戻る〜信仰義認は、アヴラハムに与えられた契約です。その契約、祝福は、全世界の民族に同じように、全民族の父で

あるアヴラハムを通して与えられると、神が人に伝える通りを信じるのです。

誰でも、イエシュアを通して神の元に戻った人は、信仰により

アヴラハムの子孫であり、イスラエルの神の家族の一員であり

同じ契約を頂いて生きる神の大家族です。そして、その人たち

イスラエルと異邦人は、天の国の祝福の共同相続人となったと

いう事実からだけ、考えるのです。

 

神が創造された世界は、イスラエルだけの為に創造されたのでは

ありません。全世界の民族〜神が永遠の中から選び出された子らの為に、世界の全てを造られたとあります。神の教えは、イスラエルだけを守り、祝福するために与えらたものでもありません。

そして、神は第7日目に止まられたのであり、第一日目に止まられたのではありません。西洋神学思想は、神の創造の事実、実態を、神の言葉を否定して認めていないのです。変!ロジック〜

理屈、論理のかなわないことを、平気で解説しているのです。

いつ、神が創造をやり直したのでしょうか?第一目に止まり=

シャバットして、第2から第7日目を作業する普通の労働日と

神がいつやり直したのでしょうか?聖書の事実からだけ、考える訓練をしないとなりません。普通の日と、聖別された日を、神は完全に分けている事実、聖別の意味を理解しないと、神が伝える真実は見えません。

神の目的通りに分たれた、それが聖別です。人間が考える意見や思想で、神の創造の実態、事実、言葉は変化させる事など永遠にできません。人の意見、思想の世界を探っても、語っても

そこには真実は存在しない、空虚な空洞です。人が神の実態を無とする、間違ったイスラエルの神を世界へ伝えるものなのです。

神の言葉を否定する行為〜イエシュア=神=聖霊に反する行為である事が、聖書に記されているのです。どうして、神を愛すると

言いながら、同時に神の言葉を人間の意見で、人の芸術作品の

批評をするが如くに、神の言葉に反する勝手な解説をし、否定し続け、神の言葉をどれほど失礼に軽くあしらう事をしているのか、気がつけば良いのです。神の教えは、人間の意見で判定するものではないからです。人間が神になり変わる行為は、神に対する恐ろしい冒涜行為です。

神が言われた通りを、神に造られた人は聞いて、その通りを生きる〜それが人間に与えられた最善の選択であり、神の創造された性質通りの生き方ができる唯一の道です。

 

創世記2:2 神は第七日にその作業を終えられた。

すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。

2:3 神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。

 

出エジプト20:8 安息日を覚えて、これを聖とせよ。

20:9 六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。

 20:10 七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、

はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。

 31:16 ゆえに、イスラエルの人々は安息日を覚え、永遠の契約として、代々安息日を守らなければならない。

 31:17 これは永遠にわたしとイスラエルの人々との間のしるしである。それは主が六日のあいだに天地を造り、七日目に休み、かつ、いこわれたからである』」。

 

ある教師が、こんな事を言っていました。シャバット〜安息日を

破る事は「罪」ではありませんと言っていました。

このような発言をする場合、その人が神の言葉=聖書を正しく

理解していないため、そんな事を言える、発言することを覚えておいたら良いのです。人の思想に洗脳されて、神の伝える事実を

見逃しているからです。

そのような教師に聞いても、聖書の真実は見えません。だから

聖書=そして正しく教える導き手が必要なのです。正しく導くものがいなくては、どうして知る事ができますか?聖書に書かれた事をまず、正しく把握し理解する。その上で、聖霊が多くの事実を、深く深く永遠に続く真実を、神の言葉の中から教え続けてくださいます。

神が伝える罪の定義は、聖書には何と書いてありますか?

罪とは、神のトラー=教え=モーセの五書に記された神の教えに対する違反である!この創造主であるイスラエルの神が伝える罪の定義は、永遠に変わりません。

 

1ヨハネ3:4 すべて罪を犯す者は、不法を行う者である。

罪は不法である。

 

神の教えを破るように教えるもの〜天の国で全く無意味、神の前に価値のない最も小さい存在として、蚊帳の外!と書いてある通りがイエシュアの伝える真実なのです。

それなのに、クリスチャンの世界では、神が2000年前に罪の定義を取り払い、無法地帯を歓迎し、今は人間が中心で、人間の意見、判断で神の言葉を、自由自在に仕分けて良い時代になったと言うのです。祈れば、きよくない清掃、腐肉食動物がきよくなるという、全く道理、理屈に叶わない事を本気で信じて主張しているのです。聖書とは全く関係のない、ズレた教えを、1世紀後半から今に至るまで続けているのです。一世紀後半から、神の

言葉に違反する偽物の教えを主張した初代教父、ローマ帝国の

主張を異邦人は信じ続け、継承し続けているのです。

それは、1世紀後半当初もイスラエルに対してローマの政治的圧力があり、モーセの五書を実践する人には、死刑、処刑、投獄、重税が課せられたのです。異邦人イエシュア信者は、身の安全を守るために、ペテロがした事と同じこと、イエシュアの教え=

神の教えを否定し、ローマ帝国や、初代教父達が言い出した、

反モーセの五書、反ユダヤ思想、ユダヤ的なことを忌み嫌う思想に同調したのが異邦人であり、はじめの愛=トラー=神の教え、モーセの五書に記されたイエシュアが教えた教え先祖代々引き継がれて教えられた教えや記念日を、異邦人は捨てたのです。

「はじめの愛を忘れた」と黙示録2:4にあるのが、それです。

はじめの愛〜シナイ山で与えられた婚姻契約=トラー=神の教えモーセの五書に記されている教えの事です。ヨハネの言葉通り、

異邦人クリスチャンは、はじめの愛=トラーを捨てて生きよ!と

伝統的に教え続けているのです。

 

罪とは色々な種類の罪があります。これは、今細かく説明しませんが、罪全体は、どんな罪でも、ズレです。神に創造された人の本来の性質からズレて生きる事〜的ハズレと訳されている言葉通りです。神が唯一、何が神の創造された人の生きる道、性質か、

何が神の創造した人の生き方からズレているか、罪、義、聖別の定義ができるお方なのです。人間が神の罪、義、聖別の定義はできません。そのお方の教えを異邦人は捨てる!愚かな行為で、

危険な行為です。だから世の中、イエシュアを信じながら、

神の教えとはズレた教え、実践をして、果てはLGBTQなどまでを、牧師や教師や教皇が奨励してしまっているのでしょう。

 

アーチェリーの的の真ん中にある丸い的の中が、神の意図通りです。ヘブライ語のハターとは、アーチェリー用語でもあります。的から外れたら、ハタと言います。的の真ん中=その中でなら、何でもありです。でも、その的、境界線の外に少しでも外れていたら、それは的ハズレ=罪なのです。

罪と聞くと、即座に犯罪と考えてしまいますが、シャバットを

破る事は、神の家のしきたりを破る、人間の生き方とはズレた

生き方であると言う事を、神が伝えているのです。

生まれつき、イスラエルの神とは関係のない肉の生まれ、アダムとハヴァから受け継いだ、ズレ、エデンの外側に閉じ込められた

状態で生まれた人には、神がなぜこれほど、ずっと神の教えの

中心にシャバットを教えているのか、ピンと来ません。

意味が分からない、理解出来ないからです。人が理解出来ないからと言って、神が伝えている重要性、その真意は消えません。

でも、神の言う通りに実践して生きていくうちに、その意味が

体験的に分かってくるのです。

 

神の創造された記念日は、命に匹敵するほど重いたい「罪」で

あると、神は人に伝えています。こわ〜い教え!と思いますが、

それが事実です。神の教えは全て、神の子らを守るための鎧兜である!と理解しないとなりません。その意味は、それほど神の

創造されたシャバットを汚す、破る行為は、人の性質、生き方を破壊する生き方である事を教えているからです。それを人がどう言う意味なのか、理解できないだけなのです。

 

神の言葉は終了〜今はなんでも良いのですなどという、嘘を土台にしたら、神の伝える真実は、スタート地点から見えなくなって

行くのです。だから、良い羊飼い=イエシュアの声を聞く=神の言葉に書いてある永遠の真実だけに、意識を集中させて、人間の教え=偽の羊飼いと、神の言葉=本物の羊飼いの声とを、神の言葉から識別する訓練が必要なのです。赤ずきんちゃんの狼のおかあさんの声に騙されて、自分の命の扉を開いていはならないからです。

Shabbat Shalom

 

真ん中のBullseyeと呼ばれる的、命中点〜牛の目を射抜くという意味の赤い輪の中だけが、トラー!です。

赤い輪の外側は、ハタ=的ハズレであり、どんなに赤い輪に近くても、神の前には、ハタ=的外れなのです。