神が「定められた時」、秋のモアデイムが来ます。その最初の日は、ヨム テルア。角笛を吹く日の記念日が行われます。
これは、メシアが、地上に戻って来る時のリハーサルなので、
特にわくわくする祭りです。異邦人クリスチャンも、全員もれなくこの記念日に招かれています。イスラエルの神に、イエシュアを通して戻された人たち、パウロがエペソ2章で神の教えを説明した通り、同じ天の家族、同じ契約に加えられた、天の共同相続人!と教えているでしょう。神の言葉の真実に戻って、何を神に伝えられているのか、再確認が必要なのです。
西洋宗教の伝統の教えや、記念日、ならわし、儀式を全部一旦
忘れて下さい。それらは、人間が作った宗教の教え、記念日で
ありイスラエルの神のもの〜聖書に書かれているものではないからです。
この日、ヨムテルア〜「叫ぶ」日には、特別な名前が付いていません。「叫ぶ、宣言する、告げ知らせる」という意味の言葉、
「テルア」というヘブライ語で説明されている記念日です。
この日、今年は10月2日水曜日の日没に来ますが、この日は、
金曜日の日没ではなくても、シャバット=止まる日になります。
第7日目のシャバットと同様に扱い、止まり祝う日、聖日=主の日になるのです。
イスラエルは国全体で、神の創造された記念日を唯一祝い続けている国民〜神が選び出した聖なる民〜国民であり、地上で唯一
イスラエルの国だけが、国家全家をあげて神の創造された記念日を祝い続けています。同様に、異邦人でも、同じイスラエルの神に、ユダ族のメシア、王の王であるお方を通して、同じイスラエルの神の家族とされた人達は、もれなく神が創造された記念日を永遠に祝う招きを神から受けていることを、聖書から知って下さい。
テサロニケ人への第一の手紙 4:16 には、「すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる」
これは、預言書にも記されています。
ぜカリヤ9:14 その時、主は彼らの上に現れて、その矢をいなずまのように射られる。主なる神はラッパを吹きならし、南のつむじ風に乗って出てこられる。
では、この定められた時をどのように、神の子らは守り祝うのでしょうか。
創造主であるお方が、神の子らのために定められた時が何であるか、人間が2世紀以降、歴史の途中で、異邦人が作った宗教の
記念日や祭りではなくて、聖書に記されたイスラエルの神が、
永遠の中から、最初から創造された神の子らと祝う聖日、アポイントメントの日=呼び出し日の全を伝えています。
神が呼び出している記念日、祝い日、祭りは何なのか、知っていますか?
父なる神が、神の子らの為に、特別な祝宴を開いて、私たちを
特別に招待しているのなら、行きたい!祝いたい!と思いませんか?人が作って伝統的に祝われている宗教の記念日ではなく、
創造主であるお方が創造されて、神が人を直接呼び出して永遠に祝われる記念日と教えている、その記念日を祝いたいでしょう。
人間の作り物の教えや記念日ではなく、神が呼び出している神が創造された本物の記念日=アポントメントの日、神が神の子らと特別な祝宴、会合を設けている日!その日に参加しない人は、
神と特別な出会いを用意されているのに、全部ミス〜その機会を失うのです。
レビ記 23 章には、創造主である神ご自身が創造されて、神の子らの為に設けられ、神の家族となった人、ユダヤ人異邦人もれなく全ての人、皆を呼び出している特別なアポイントメントの日定めの時、祝宴の時の暦と、その聖日の意味が記されています。
クリスチャンの教えでは、イスラエルだけの祭り、律法(神の言葉が廃らた?嘘です)は廃れたから、今は記念日はいつでも、
なんでも良いと教えていますが、神はそんな事など、1度も言われていません。聖書にもそんな事書いてません。パウロのローマ14章の言葉〜人の意見に関する考えを勘違いしているのです。
神の教え〜神が伝えることを、異邦人教師の教えが、神の言葉から意識を逸らせ、はぐらかし、神が伝えることを生きる事を
邪魔、妨害しているのです。
神の聖日を人間が変えて良い?そんな思考回路は、異教徒異教神の教えに根付く異邦人思考回路です。神の言葉が完全であり、
絶対であり、変わらない!という理解がない人が考える思想です。
神は何と言われましたか?代々永遠に祝われるわたしの記念日!
と伝えています。聖書=神の言葉に戻ろう!
「父の定められた時」を守る準備をするたびに、私はいつもこの一節を読みます。なぜなら、ここに、それぞれの祭りが説明され、遵守するための指示が与えられているからです。
そして、その定めの時、アポイントメントの日の意味を、神が
教えていることをずっと考え続ける機会でもあるのです。
この場合、レビ記 23: 23-25 にこれらの指示があります
レビ23:23−25「主はモーセに言われた、
「イスラエルの人々に告げて言いなさい。第七の月の一日に、
厳粛な安息日を守り、ラッパを吹いて記念し、聖なる集会を開かなければならない。あなたたちは通常の仕事をしてはならない。
また、主に食物の供え物をささげなければならない。」
イスラエルとは、神の大家族の苗字です。イエシュアがイスラエルの大家族の長子、長男であり、イエシュアを通して父のもとに戻った人は、全て「イスラエル」という大家族の苗字、名前が与えられています。
異邦人クリスチャンは、イスラエルと読んで、自分は異邦人で、イスラエルではないから、関係ない神の教えであると、西洋教父、教師達が考えた教えを教えられ続けてきましたが、それは
聖書=神の言葉、教えなどではありません。
そのような考えでは、聖書全体、神の教えや約束全ては、異邦人には何の関係ありません!という事になります。
なぜなら、神の言葉はモーセの五書に全て書かれており、神の言葉は1つとして繋がれて一貫しており、神の契約は、神との関係に入った人全てに与えられているものだからです。異邦人もイスラエルも同じです。イスラエルは代表として、婚姻契約を受け取り厳重にガードして、人に正しく神言葉を教えて、実際に生きる
役割が与えられただけです。
異邦人には関係ない神の教えと言うならば、神の約束や保証〜
契約の中に記されている全ても、異邦人とは全く関係ありませんという事を言っているのに気がついていないのです。
異邦人思想のように、この部分は関係があり、この部分は無効などという神の教えは存在しないからです。あなたの体で、右手はいらない、左足も腎臓も要らないと言っているのと、同じだと
考えて下さい。体は全ての臓器が揃って1つ体、神がデザインした通りに機能するからです。神の言葉も全て全体が揃って、完全な状態、シャロームです。
そして、聖書=神の教えの土台、人が生きる上で神が教えている神の言葉の完全版は、モーセの五書です。他の聖書箇所は、全てこのモーセの五書を解説しているだけ!
神の言葉を正しく理解しない人が編み出した思想を、1世紀後半以降、異邦人クリスチャンは教えられてしまった代償なのです。
負の遺産。祝福、宝を奪われているのに、気がついていないのです。神は、神が伝えたことを、途中で変更などしません。
異邦人も共に、イスラエルの神の婚姻契約の中に加えられている異邦人も、イスラエルと共に創造主が招いている祭りを祝う!と神は、はっきり伝えています。神との関係にある人に与えられた印が、神の記念日だからです!だから異教徒は、イスラエルの神の記念日を祝わないでしょう。
イエシュアを通して父との関係に繋がれた人は、全て!この婚姻契約=シナイ山の契約を土台に花嫁として加えられている事実を
聖書から知って下さい。契約を違反生き方〜イコール神に逆らう花嫁としての振る舞いではない生き方をしている。
夫が伝える大事な教えや記念日を無視して、捨てて、別の夫が作った教えや記念日を生きる?そんな事、本当にしたいのでしょうか?
神の教えから、ヨムテルアのこの日は安息日であり、通常の仕事をしてはならないことが分かります。
これを読んでいる人、得に異邦人、イスラエルの国に住む人以外は、10月3日木曜日の昼間は休みではありません。
でも、10月2日の日没、夜には、この記念日を家で過ごせます。角笛、リコーダー、ピアニカ、ラッパを鳴らせるでしょう?おもちゃのラッパでも、ペーパータオルの芯を使っても良いでしょう。
近所迷惑ならば。
神に言われた事をやってみよう!と、実際に神の言葉、教えを実行する人、やる人は、必ず神が大きく報いて祝福して下さいます。
在宅や自営業以外、柔軟性のない雇用形態に就いている人は、
仕事を休むことができないかもしれませんが、もしあなたがそうなら、できないことを理由に、できることを妨げないように励ましたいと思います。
そう、1日は24時間あるのです。その中で、神の記念日を祝う時間は、少しでも持てるからです。イスラエルでは、神の祭りを
体感、体験できます。この違いは大きいですし、神の臨在を感じる事が直接できます。でも、同じ目的で諸外国で集まる、神の子らの中にも同様に、神は共に居られて、神が特別な出会いをして下さるのです!それを祝う時に、初めて何かが分かるのです。
神が呼び出した日を、祝わない人には決して分からない体験があるのです!クリスチャンも、よく例えて言うでしょう。
食べた事のない食べ物の味は分からないと。それです。
私たちは聖なる集会を開くように、つまり他の信者と集まるようにも求められています。これは、仲間、自分のグループ、友人、または家族でもかまいません。何人なら良いなんて、神は伝えていません。
もしあなたが一人だけなら、もう一度言いますが、
できないことで、できることを諦めないでください。なぜなら、ラッパ、角笛を吹く日は本当に守りやすい「定められた時間」
だからです。
レビ記 23:24 では、いくつかの翻訳ではラッパを吹く代わりに喜びの叫びが述べられています。そこに登場した元の言葉は、
音訳すると「テルーア」で、「叫び」または「吹鳴」「宣言」
「告げ知らせる」を意味します。この日を祝うには、外に出てショファール、ラッパを吹くか、父なる神に喜びの声をあげるだけです。家の中でも良いです。
空を見上げて父なる神に感謝と祝福の祈りを捧げ、見上げ、メシアが戻ってくる事を想像してみてください。
その後、喜びの声はごく自然に出てくると思います。
イスラエルの荒野で、アメリカ人がショーファーを吹く動画が
ありました。トランペット奏者だったのが、やがてショーファーを吹くようになったそうです。
イスラエルの荒野で、神の声が響き渡る。神の声=言葉=教えを
聞こうとする人に、神は諸外国にいる異邦人にも、同じように
語りかけ、大事な事を教え、神との特別な出会いを体験させて
くださいます。神は、神の言われる事を素直にガードする人を
本当に祝福し、報いて下さるお方です。親に言われた事を、子供がその通りにしたら、親は子供を褒めて、ハグし、報いたいでしょう。
それをしてくれるのです。そして、神のみ旨通りをずっと生きる、
励ましを与えるものです。神は良いお方だからです。
この日には、角笛を吹く、そして、ご馳走を食べる。
りんごと蜂蜜は伝統的に、神の言葉は甘く、そしてこの年も良いものになる事を祈るものです。
ロシュハシャナ〜一年のかしら、始まりとユダヤ人は名付けますが、秋の祭りが来ると、新しい農業のサイクルが始まります。
だから、新しい年というのです。
でも、その名は神が付けている名前ではありません。
子供達に、この日の意味を教える事ができます。そして、紙の筒などで、それぞれラッパ、ショーファーを作ったりする工作も
出来ます。
この時から、10日間、大贖罪日の聖日が来るまで、10の言葉に照らし合わせて、過去一年を振り返り、どのように生きてきたのか、神の言葉に照らし合わせて、ズレている事を軌道修正する時なのです。これは個人の悔い改め〜神の言葉に生きる事に戻るだけでなく、神の民全体でする、共同体の悔い改めでもあるのです。
伝統的に、この日に、イサクが縛られて屠られそうになる箇所を
読みます。いろいろと関連箇所をあげてみます。
創世記1:1-2:3 、22章、レビ記23、詩篇32章、139:23-24
ミカ7:7-20 イザヤ53 エレミヤ31:27-40
マタイ26:26-29、ルカ 24、1 コリント11:26
ヘブル9 ヤコブ 5:7−111ヨハネ1:5−10
黙示録22
アメリカ人クリスチャンがある時、神に導かれイスラエルの
角笛の音を知ってショーファーを吹くようになった動画です。
イスラエルが約束の地に入る場所、荒野が出て来ます。
祭りの到来を感じます。
去年のヨムテルアに上げた記事です。