ヨムテルア 角笛を吹くモエッド 聖日 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

レビ記 23:24 「イスラエルの人々に言いなさい、『七月一日をあなたがたの安息の日とし、ラッパを吹き鳴らして記念する聖会としなければならない。(民数記29:1)

 
聖書の暦の第七月の1日とは、新月になる日です。
その日は、神のモエッド=定めの日=アポイントメントの日、
神が神の子ら全てを呼び出している聖会の日です。
第七の月とは、9月〜から10月の秋の季節になります。
 זִכְרוֹן תְּרוּעָה ジカロン テルア、この日を、「記念して」
神は言われました。
「ショファー」が聖書に書かれた最初はどこあり、何でしょう?
出エジプト19章のシナイ山での出来事が最初です。
「シャヴオート」過越から7週後(ギリシャ語ペンテコステ=第五十)、神がイスラエルを初めて1つの聖なる民として、形成し全世界の中から唯一、イスラエルの神の聖なる民として選び出して、神の国、イスラエルという国家を正式に誕生させた出来事で、角笛の音が響き渡ったのです。
ここのシナイ山に居た人、出エジプトした人は、イスラエルだけではありません!異邦人も共に神の言葉を信じて、子羊の血を
鴨居に塗り、贖いだされ救い出された人も一緒にイスラエルの
聖なる民、国家の一員とされた事実を、忘れないで下さい。
神は、イスラエルの中に、異邦人も共に加えているからです。
この出来事は、神の声をなぞらえており、この警報を聞いた人々は震え上がった事が書かれています。天から聞こえる警報〜声、ブラスト、角笛の音。
この角笛の音は、神がイスラエルと契約を結んだことを思い出させることなのです。
聖書には、角笛とトランペットに関して多くの意味が書かれています。様々な文脈で約80回そのことに関して言及されています。
1)ミシュカン=移動式神殿の入り口にイスラエルの12部族を召集する 2)テントを張って先に進む準備をする、3)警告、告知、4)新しい王、建物、出来事、5)時代の就任、6)戦いの叫び、7)勝利の叫び、8)祭り、歓喜の音などです。
角笛の音を通して、神は民に心、意識、注意を神に戻すよう呼びかけるのものなのです。
春の祭りは、1)過越 2)過越からの7日間の種無しパン
3)初穂 4)シャヴオート
これら4つは既に地上で実際に行われた福音の業を表す記念日、祭りです。1)子羊の血で贖われ2)罪が削ぎ落とされ 
3)イエシュアの復活の命=聖霊を与えられ 4)花嫁とされ
正式に神との関係に入った婚姻契約の生き方を受け取った 
これらが春の祭りで表されているものです。
秋の祭りは、これから未来に起きる、イエシュアの再臨、そして
イエシュアが全世界をエルサレムから統治するする時代が到来すること、イエシュアの中に住うことを教えているものです。
1)角笛を吹く 注意喚起、王の到来を準備させる、告げ知らせる 2)大贖罪日 主の正しい審判、裁き
3)仮庵 永遠にイエシュアが統治する世界に住う 子羊の婚姻の祝宴の7日間そして第8日目の祝いの日は、イエシュアの中に、イエシュアと共に永遠に住うことを表す新しい時代に入る。
 
秋の祭りは、第七の月の1日から、始まります。この日だけが、
新月で始まる記念日です。
新月は、見えませんよね。新月の時は空が真っ暗です。
薄ら、月のかけらが見えてきたら、新月になったと分かります。古代は、現代とは違い、新月の日は、目で見ない限り観測できないので、その日が誰か分からない、その日が来る迄分からない。でも主の到来の時期は、目覚めている人は知っている。
なぜ?神は神の定めの日に、神が預言されたことを行った、
そしてこれからも行うからです。いつの年に、それが起きるのかは、誰も分からない、だから、ずっとその日を迎えるリハーサルを、神の子ら、神の教えに目覚めて準備しなさいと言われています。
7の数字に注目!この日は、今年水曜日の日没、10月2日になりますが、この日をシャバットとして扱い、止まり、祝います。
 
この日の祝い方を、後でアップします。角笛の音を知る民は幸いとあるでしょう!神の記念日、祭りの意味を知る民は幸い!
逆に言えば、神の祭り、モアデイムの意味を知らない、祝わない人は、神が与えた幸いを知らないままで生きている、と言う意味です。
異邦人は、神が創造されて聖別された日、神が伝えている聖書に記されている神が神の子らを呼び出している日、モアデイム定めの日=アポイントメントの呼び出し日と祭りを知らないまま、
祝わないまま、神の記念日の角笛の音が何か、2000年近く
教えられてきませんでした。神が与えている祝福、宝を取り戻そう!神は神の子らを、今も変わらずに異邦人含めて、全員呼び出しているからです。なぜなら、神の子らである人全てに神は
同じ記念日=印を与えていると聖書には書いてあるからです!
そして、それは永遠に祝われる「わたしの記念日」と神が伝え、
ユダヤ人だけの祭りなどとは書いてません!イスラエルだけが
世界中で主に祝うだけなので、ユダヤ人の祭りと勘違いしているだけです。誰でも、ユダヤ人メシアイエシュアを通して、イスラエルの神の元に戻ったら、あなたもイスラエルの神の大家族の一員であり、その大家族は同じ教えを生きて、同じ記念日を生きる!と神が教えています。聖書からその事実を知って下さい。
あなたも今日のシャバットにも、これから来る一連の秋の祭りにも、イエシュアに直接招かれている!
西洋教父が作った教え、人が作った宗教の教えではなくて、聖書=神の言葉、声に耳をすまして、聖書に書かれている通りの神の言葉を読んで、今日も変わらない神の言葉の方を、受け取って下さい。
あなたが、神のモアデイム〜アポイントメントの日を意識、
その日の祝いの意味を知ることを願い、そして、その日を神と人と共に一緒に祝う幸いを用意して待っていて下さいます。
人が作った教えは、イスラエルの神とは何の関係もない教えです。
それらが聖書に記された神の教え、神が創造された記念日ではないならば、どんなに長年、たとえ2000年近く語り継がれても、どんなに多くの人が祝っていても、それは神が伝える教えではありません。聖書だけに、照らし合わせる。人の作った教えに照らし合わせても神が語る真実は見つけられません。とてもシンプルでしょう?
聖書=神の言葉に戻ろう!と言うなら、本当にその通りにしないとならないのです。神が伝えている本当のことを知りたいならば、神の言葉だけに戻る。口だけで、実際はしない、行いのない信仰は意味がないと書いてあります。
神は人を惑わしたり、嘘を言ったりしません。永遠に祝われる「わたしの記念日」わたしは、あなたを呼び出し、共に祝おう!と神が言ったのに、後からそれはやめました、嘘でした、終了しました、昇天以降は、祭りや記念日は、いつでも関係ないから、人が勝手に考えて記念日作って自由に祝って!!などと、神は人に言いませんし、一度
もそんなこと言ってもいません。
赤ずきんちゃんのオオカミの声〜お母さんではない声は、聖書に戻れば見分けられるのです。
人の教えよ!さようなら〜の時代が到来したのです。
角笛の音は、神の声になぞらえています。神の言葉に注意を払って!人間の作った宗教の教えなど忘れて、神の言葉、神がされた事を思い出し、神の計画を心に留めるよう思い出させてくれるものです。
イスラエルの神が、私たちを神との婚姻契約に招き入れ、私たちイエシュアを信じた人は、その神の招きに同意したのです!神に対して、神のものとなる事に同意し、「はい」と答えたのでしょう?意味を考えて。神の花嫁となる人は、神が提示する婚姻契約の生き方をする!と言う条件付きの契約なのです。
神の言うことを無視して、勝手に生きたら、ズレて、罪に陥り
危険で、別物と交わってしまう危険があるからです。
私たち自身、一人一人の出エジプト〜奴隷から贖い出され、
救われ、神の者とされた「シナイ山」の出来事を思い出す機会でもあるのです。
この事実は、毎週7日目の「シャバット」でも思い出すのです。なぜなら、神の花嫁と正式された事、神との関係に入った印が、シャバットであり、シャバットを中心に、全ての神の定めの日=モアデイム=アポイントメント=聖日がデザインされて、神が呼び出している日に、神の子らは全員招かれて、神の記念日、福音の中核〜イエシュアのされた業を皆で思い出し、祝う事をずっとリハーサルするように、神が人に教えているからです。
神の時、記念日、福音は「7」を巡り教えられているからです。
7=完全、完結、完全、完了。
神の教えを捨てる、神の記念日を祝わない、大事な事を捨てて、
端折って生きているのです。
神を言葉の意味に注目し、しっかり意識を向けると、私たちは
神の計画に、神が伝えている本来の生き方にもっと集中できるようになります。神は今の時代を生きる私達に対して、そして、
今展開している神の目的と、計画を持っています。
そして神の意図通り、神の教える通り、神が伝えている言葉通りに、神と共に働く人々を探しています。私たちは神の指示〜言葉を聞き、この時代に於いても同じ神の言葉を理解するために、
神の実態=言葉に根付いた生き方を求める必要があります。
神は私たちを、この世界で神のラッパを吹き、神のメッセージを伝える者となるよう呼びかけています。
それならば、神が伝えている永遠普遍の言葉を曲げる事など
しては、神が意図している事など生きれません。
神は、常に今を生きること、自分の置かれた場所で、神の性質通り=神の言葉で教えられている実態通りを生きることを、教えているのです。
人が考えたミッションや、宗教活動をすることが、神に仕えることだなどと想像しがちですが、そうではないのです。
礼拝と訳されているその言葉が聖書の最初に出てきたのは、
エデンの園です。神の創造された園を、神の意図通りに管理し、ガードし耕す!עָבְדָ֖הּ アヴォダという言葉の意味、これが、
礼拝の本質です。神の言う通りに園を管理し、耕す!神が言われる通りを生きる!だから、何をしていても神に対する礼拝、
アヴォダという言葉です。神の意図通りに生きるならば、それが、神の前の礼拝=アヴォダなのです。
神の意図通りを生きる時に、神の前にトヴ=神の意図通りであり神に造られた本来の人の生き様になるのです。歌って踊って賛美して、神を礼拝する〜それを礼拝と考えてしまいがちですが、日々の、今この時に生きている生き方が、
神に対する生きた礼拝=アヴォダなのです。
それは、料理していても、野球観戦していても、友達と談笑していても、仕事をしていても、何をしていても、人が神の性質通りに生きる全てが、礼拝=アボダなのです。
そして、その生き方が、神の言葉で伝えた性質通りの生き方で
あれば、それは神の前に本物の生き方、本来神が造られた自分の生き方をしていると言うことなのです。
だから、神が伝えていないもので、別の教えでイスラエルの神を語り、生きて表現したら別ものになります。
人間が作った宗教の産物=別物の記念日を、イスラエルの神の
記念日、聖日、主の日であると言ってはならない。
その理由が分かると思います。神が創造されたものではない、神のデザインではない生き方〜それらは、イスラエルの神=イエシュアに属するものではなく、人間発祥のもの、人造だからです。
所詮、人間の作った金の子牛でイスラエルの神を拝んだ、イスラエルの辿った罪と同じことだからです。高き所の礼拝。
それぞれが神に与えられた人生の目的があり、自分の置かれた場所で、神の言葉通りに、根付いてしっかり神の子として生きること!
これが全てです。
職業や役割分担は何であれ、与えられたことを、イエシュアの
性質=神の言葉通りに根付いて生きることです。
そしてその時に、神は必ず神の考え、色々なことを教えてくださり、知恵を下さり、神の子らしく成長させてくださり、日々を
神の子として、地の塩、世の光として、生きることを教えられています。
ヨムテルアには、ラッパの音が鳴り響きます。
未来に、イエシュアが地上に到来する時も同じです!
それは、神から神の子ら全員に対する呼びかけであり、神の招き、招待なのです。
それはイスラエルの神を思い出すための呼びかけであり、神と
特別に会うための、神からの直接の招待なのです。クリスチャンはこの神の招きを、2000年近くも、知らないまま今日に至っているのです。クリスチャンも再臨を待っているのではないのでしょうか?
それならば、イエシュアが言われた通り、リハーサルをして準備する必要があるのです。
人々が悔い改めて神のもとに来る時間はまだあります。
悔い改めとは、戻る!です。イエシュアを信じているから、悔い改めは終わったなどと思うでしょう?人造宗教の教えから、神の
本当の教え=言葉に戻る!この本物の神の教え、言葉に完全に戻るという悔い改めが抜けているのです。
私達は、永遠の中に屠られた子羊イエシュアの代価で赦され、
受け入れられ、神の愛する家族に迎え入れらたのです。
イスラエルも、異邦人も同じイスラエルの神の大家族!この理解が抜けていませんか?デイスペンセーション神学は、神の教えとは違うことを語り、イスラエルと異邦人を分けて、2つの教え、
2つの別の記念日、2つ別の家族、天と地に分裂して生きるなどと教え続けているからです。それは、人の思想であり、聖書〜神が伝える真実ではありません!
イエシュアはマタイ28:19 で、この良い知らせ〜タナックに記された同じ福音を、全世界が聞けるようにするよう私たちに命じました。イザヤ書にもあります。

 52:6 それゆえ、わが民はわが名を知るにいたる。その日には彼らはこの言葉を語る者がわたしであることを知る。わたしはここにおる」。

 52:7 よきおとずれを伝え、平和を告げ、よきおとずれを伝え、救を告げ、シオンにむかって「あなたの神は王となられた」と言う者の足は山の上にあって、なんと麗しいことだろう。

52:8 聞けよ、あなたの見張びとは声をあげて、共に喜び歌っている。彼らは目と目と相合わせて、主がシオンに帰られるのを見るからだ。

52:9 エルサレムの荒れすたれた所よ、声を放って共に歌え。主はその民を慰め、エルサレムをあがなわれたからだ。

 
異なる種類のラッパの音が聞こえる時が来ます。

ぜカリヤ9:14 その時、主は彼らの上に現れて、その矢をいなずまのように射られる。主なる神はラッパを吹きならし、南のつむじ風に乗って出てこられる。

ある日、最後のラッパが鳴り響き、すべてが永遠に変わります。
悪と偽物、宗教の教えが世界を支配した時代が終わり、
イエシュアが統治する、皆が主を知ろうと言わなくても、頭脳に割礼がされ、神の教えを生きるシャロームな世界が来るからです。