明日の日没、10月2日の水曜日の日没から、神の定めの聖日、
アポイントメントの日が始まります。
この日は、1日だけのモエッド=アポイントメント=神が神の子らを呼び出している日です。
ヨムテルア〜叫ぶ日です。何が目的?再臨、イスラエルの神、
王の王を迎える準備をする!
神の言葉や記念日で、クリスチャン教師が教え続けているような、廃れた、終了したものなど1つも聖書には書いてありません!人の思想〜神学を書いた書には、そう書かれているだけで、
それは聖書の事実ではありません!聖書と違う教えは、世界中に浸透し蔓延っていますから、神が伝える永遠普遍の真実を知るためには、聖書だけに戻り何が書いてあり、何が書いてないのか、自分で確認することをしないとならないのです。
聖書=神が伝える言葉の事実だけに戻って、考えてみてください。クリスチャンも、メシア イエシュアの再臨を待っているのではないのでしょうか?そして、あなたもイエシュアを信じているならば、同じイスラエルの神の大家族の一員とされ、同じ婚姻契約を生きることに加えられたことを、聖書に記されている通りに知らなくてはならないのです。自分が誰か分からないままでは、神の意図通りには生きられないからです。神〜花婿の伝える教えを花嫁が知らなければならない、それが共同体〜天の共同相続人の生きる道だからです。全員共通して神の言葉を一致し、
理解して生きる!神はあなたをも、この神が創造された特別な
アポイントメントの日に招いて、再臨の準備をすることを、神があなたに今、今日、今年も来年もずっと招いて教えている、伝えていることに気がついて下さい!聖書だけに戻って!
異邦人クリスチャンの世界では、2世紀以降、人間〜ローマ帝国と西洋教父達の思想により作られた勅令、禁止令、ルールにより、神の言葉=モーセの五書を生きることを、全面的に禁じられたことを、ずっと記事に書いていますが、多くのクリスチャンの中では、その歴史の事実を全く教えられず、知りません!
教師も牧師も、本当のことをはっきりとは知らないのです。
なぜ神の言葉が変化したと、聖書にない教えを信じてい実践しているのか?なぜ1世紀聖書に記された人達が、生きたモーセの五書の教えを捨て、神の記念日をなぜ、聖書に記されている人たちと同じように、今は祝わわなくなったのか?その理由を知らないのです。全部、人が神の言葉に手をつけてしまった結果です。
本当のことを知ったら、聖書に基づき何が、真実か考え始めるはずです。イスラエルの神が、神ご自身の言葉を、昇天以降変更したと、聖書とは全く関係ない教え、西洋教父達、教師達に教えられてしまい、2000年近くも非聖書的=神の言葉ではない教えが浸透し、その教えを実践し、今に至っています。
でも、世界は確実に、イスラエルの神の言葉=真実=真理に目覚めさせられている、神が語りかける声=神の言葉に、多くの人達が気がついている現象が起きているのです。日本人には少ないと思いますが、他のアジア圏、ヨーロッパ、アメリカなどは、全然違います。
アメリカ人が、宣教師として、諸外国でキリスト教の教えを
伝えて宣教師を引退したあと、神の言葉〜トラーの真実の大発見をし、その後自分が導いた現地の人たちに、本物の教え=トラー=神の言葉の真実を語り教える!本当の聖書の教えに戻る!
神の言葉の真実と聖書に書いてある神の言葉は誤りがない、
完全であるということ、トラーを教える。間違った非聖書的教えの思想を全部正して、聖書を教え直している、そのような、
名もない人が世界の中には、いるのです。
多くの人に、神の言葉の真実を伝えている異邦人がいる現実が
あるのです。
これは今、今日に始まった事ではないのです。振り返ると、私も
16年前が始まりでした。神が神の時に、一人一人を呼び出し、神が伝える永遠普遍の神の言葉=教えを、神が聖書から教える!
正しく神の言葉を紐解く教師〜残りの民を、神はどの時代にも、
世界の中に確保しているからです。そうでなければ、宗教の教えに覆われて、何が本当で、何が神の言葉なのか、見分けられない。聖書があっても元の聖書=ヘブライ聖書に書かれた意味を
正しく知る人がいなければ、所詮人の思想で塗り替えた教えが
伝え続けられてしまうからです。
私が本物の福音、聖書に書かれているイスラエルの神、本物の
神像、イエシュア、神の言葉を教えられたのは、ユダヤ人から
でした。
神はイスラエルを選んだ理由はそこにあるからです。世界へ、
神の契約=教えを正しく伝え、生きて教える!それがイスラエルの役割と神が伝えています。そして、異邦人でも、同じイスラエルの神の家族になったら、人が作った宗教の教えではなく、聖書=純粋な神の言葉を伝えて、生きて、世界へ地の塩、世の光としてイエシュアの実態を生きて伝える!それが、メルキゼデクの位に属する=イエシュア、天の祭司の、地上の代理としての役割だからです。
聖霊=言葉です!神の言葉=聖霊を曲げる人には、聖霊=神の
言葉が伝える真実は伝わりません!人が作った教えなのに、神の
言葉、教えと思い込んでいる〜神の言葉は変化する!という思想から、神の言葉、教えの全てを教えられ考えてしまうからです。
長い間、何十年にも渡り徐々に、神の言葉の真実に戻る動きは、広がっていることなのです。
太古から語り継がれた同じ福音に戻る!
それは、神が神の子らに、神は変化しない、神の言葉も変わらない、廃れたない事実〜人間の教えが覆い隠した教えを、終わりの時代に明らかにすると預言された通りだからです。
律法は廃れた〜という異邦人スローガンを、「完全で誤りのない神の言葉、教え、指導、インストラクションは廃れた〜 呪いの神の言葉〜!」とヘブライ語の元の意味に変えて言ったら、変なことを言い続けていると、それだけでも気がつけるはずです。
変=人の教えだからです!神の言葉が廃れた、終了、破棄された〜それは、聖書=神の口から出た言葉ではなくて、人が作った教え、出どころがエデンの園の蛇の声だからです。だから、変!
ユダヤ人も、タナックに記されたメシアが2000年前に来られたイエシュアであると気がつき、異邦人も人間が変えてしまった神の言葉=トラーは永遠に神の完全で普遍な真実な言葉=教え〜人間の生きる道=イエシュアそのものである!と気が付く、
その軌道修正の時代、終わりの時代に今既に入っているからです。
人の教え〜神の言葉のどの部分でも否定する、蔑ろにする、終了破棄無用〜異邦人には関係ないという教えは全て丸ごと人間の教えであり、イスラエルの神の言葉、教えではありません!なぜ
そう分かるのでしょう?それは、神の口から直接出た言葉=
聖書、文字で永遠の証拠として記されているからです。人が神の言葉を、否定しようが、変えようが、全然そんなことなど関係ありません!そのことにより、神の言葉が影響を受け、変わるわけではないからです!神が人に、神の言葉は永遠普遍!変わらないとそう説明しているからです。だから、聖書だけに戻らない限り、人の思想に引っ掛かったまま、多くの人が広き門=人の教えから入り、人の思想の中で半分混ぜ物=人間が創作した宗教の教えに浸ってしまっているのです。
人の教えは辟易する、宗教の教えや、活動に疲弊している人が、皆離れてしまうのは、添加物満載の教えを聞いて、人の思想や
人の考えた活動を生きさせられているからです。
終わりの日に、神の真実な言葉=トラーが再び聞かれて、人々が神の真実な言葉=教えに気がつき、そして次の世代は神の言葉を忘れない!と預言されていることが起きているからです。
クリスチャンが、神の記念日を祝わなくなった理由は、2世紀以降、ローマ帝国の政治的、そしてそれに便乗した西洋教父達が神の言葉や記念日を生きることを禁じたから!それらのプロパガンダに乗らなくてはなならない政治的状態があったせいです。
今も同じで分かるでしょう。政府が決めた事に、同調圧力で同意させられ無理やり、やりたくない事をやらされる。悪を善、善を悪と嘘を吹聴され、毒盛り込まれて、命、体、健康を破壊される。LGBTQに同意させられ、神のデザインした性質を破壊し、人間の尊厳を奪われる。
マカバイ戦争でも、1世紀のローマ帝国の迫害圧力も同じでした。この事件は終わり時代に、もう一度起きるのです。
神の子らが、神の教えを違反した生き方をする、神に敵対するものの本当の正体は、神の言葉を捨てる〜ヘブライ語では666を
意味する文字〜捨てる!神の言葉を捨てることだからです。
イスラエルを支配したローマ帝国、ギリシャが神の言葉ではなく
異教の神々の要素を取り入れた偶像礼拝を、イスラエルに高き所の礼拝を強要、異教の神々の祭壇に捧げた豚を食することを強要し、異教の神々の偶像を拝み、神の記念日を汚すように強いられた。
政治的圧力と恐怖のため、多くのユダヤ人は妥協し、同化して汚れて婚姻契約の生き方を破棄し、罪に陥った歴史がずっと聖書には記されています。私たちへの警告として!
これを覚えておいて下さい。伝統で語り継がれる聖書概念や、
聖書解説は、聖書=神の言葉ではないものがクリスチャンの教えの世界に浸透していること!これは、ユダヤ人でも同じですが、聖書を曲げた教えや、人間の編み出した教えは聖書ではない!
至極シンプルな事実なのに、人はこの罪にエデンの園の最初の
最初から陥ったでしょう!
同じなのです!神の言葉に注意を払わない人々、神の似姿通り
完全に造られていたアダムとハヴァでさえ、蛇の言う言葉で、
何か付け足してしないと、自分たちは未だ完全な姿ではない、
神のようになれために、これを食べれば良いよ!騙されたでしょう?尚更、異教の神々の国に先祖代々育ち、異教徒思想が生まれる以前から頭脳に蓄積されている人に取ったら、イスラエルの神の言葉、教えなんて変えるのは朝飯前のことなのです。
神は神の言葉を生きることを禁じたり、否定したり、終了など
絶対にしない、今あなたの上に空があり、大地の上に住んでいるなら、神の言葉も同様に廃らない!という、聖書=イエシュアも
語られた言葉の方を信じてください。神が神の言葉を変えない、人間が勝手に神の言葉に人の思想で手を加える神の言葉、神の創造のデザインの遺伝子組み換えをしているだけである事実に、
気が付き、目覚める必要があります。
角笛は、喜び、神の声、神の到来を準備するものです。神が人にそう教えています!準備とは、人の頭脳、意識を、神の言葉にぴったり照らし合わせる軌道修正です。
この日から、10日間を、「畏敬の十日間」と呼びます。
ヨム・キプール〜大贖罪日に備えるためのものです
クリスチャンも神の言葉は完全で誤りのないもの、そして、再臨を待っているなら、その準備の仕方を神が教えています。それが、シャバットであり、新月であり、過越の祭りであり、仮庵の祭りなのです。それを、理解すれば、福音の真髄は理解できます。
10日間の最初の日はヨム・テルアの日、角笛を吹いて叫ぶ日、
警報、注意喚起、そして、神の到来を告げる、人々を目覚めさせる目覚ましコールでもあります。そして、その10日間の最後の日はヨム・キプールの日になります。
伝統的に、ユダヤ人は池、湖、川に言って、石を投げながら、今年を振り返り、神の言葉に生きることからズレていたそれらを宣言して水にそのズレを意味する石を投げ込みます。
そして、悔い改めとは、神の言葉に戻り、神が伝える通りを生きることを決意すること〜そう古い生き方を繰り返さない!悔い改めても、どのように新しい人として生きるかが分からない〜神の言葉、教えを理解しない場合には、又同じ生き方をしてしまうからです。水の中に石を投げる。皆が全員が、本当の意味で、神の言葉、教えに生きることに戻ったら、地上に天がそのまま反映されることになるでしょう!今自分から、自分の生活から、自分の家の中で、それを自分から始める!それが始めの一歩!です。
そして、それは大きなことに繋がるものです。小さいことに忠実大きなことにも忠実、全てのことを、神の言葉に根付き生きる〜それが人に取り全て!神が伝える本物の礼拝だからです。
ヨム・トゥルーアのショファールの響きから、今年の畏敬の十日間が始まります。
この日々は、シェモット=出エジプト記20章の「十の言葉」に一日ずつ集中することをお勧めします。翻訳では、十戒、10の戒律と訳されていますが、本当のヘブライ語の意味は10の言葉です。これらは、聖書全体の題目=タイトルであり、モーセの五書を通して、この10の言葉の内容を説明しているのです。
神の子らとされた人の生きかを、神が人に説明しているモーセの五書、そのタイトルが「10の言葉」です。
「十の言葉」のそれぞれについて瞑想するための考えはこうです。「十の言葉」は、神とその子供たちの間の契約の要約です。
契約は神の創造物の全てをガードし保護し、守るものです。
この10日間の焦点は、私たちの「創造主」としての神です。
ベレシット(はじめに)=創世記は、私たちの創造主が自らを
創造主として紹介することから始まります。
神が私たちと最初にコミュニケーションをとるのは、私たちの
創造主としてです。
創造主がいて、私は創造されました。
創造主の口から私が創造物であることを学ぶことは、私にとって知恵となるでしょう。私たちは皆、創世記 2:8、2:10、2:15 のヘブライ語で、神が私たちに明らかにしてくださったこと、
そして第 1 章の神の 「トヴ」 の定義を一緒に考え、発見しました。この 2 つの章から私たちが知っていることこそ、創造主の
創造を守る契約の要約として「十の言葉」の中で瞑想するものです。
続く