永遠の中に既に完結している、子羊イエシュアの完了の業、地上で完了の業を、2000年前に証明されました。
神が、天にある神の国を、地上でそっくりそのまま反映する聖なる国として選び出した場所=イスラエル、そして契約を代表として与えたイスラエルの人々の前で、タナックに記された通りの
メシア〜第二のアダムの生き方、契約の愛の生き方、そして究極の愛である、私達の代わりに全ての咎を背負い、罪無き方が罪となって死に伏したのです。
そして復活され、昇天されて、タナックに記されているように、私達は既に新しくされている聖なる民である事を、地上でも、
証明されたのです。
それまでは、言葉、文字だけにより伝えられていた現実が、
地上で実際に預言通りに行われ、人々に証明されたのです。
聖書に書かれたことだけでは、人間は信じないでしょう。
実際にそれが地上で表されたら、書いてあることが、事実であると人が認識するからです。
イエシュアの業を、2000年以前の人たちは、アヴラハム同様過去から未来にイエシュアの事実を見ていた、現代の私達は、
イエシュアを今から過去を見て、イエシュアが来られた事実を
確認しているのか、その違いだけなのです。
物理的な世界ではなく、見えない世界〜霊的な世界には時間制限はないからです!タイムレス。
目に見えない世界〜それは、物理的に地上で未だ起きていなくても、永遠の中に完結しているからです。時空を超えた事実だからです。永遠=神に繋がるとは見えない世界、物理的に手に触れることが出来ない領域に入っているということなのです。神と繋がる、その方法は、神の言葉神の言葉に根付いて神と対話=祈ることです。神の言葉を知る、学ぶ〜これは礼拝なのです。
誰かを知りたいと求めること、神を知るには、神が人に伝えている神の考えを知る!これが礼拝、神の前にひれ伏す、神が神であることを認識し、神の前に100%造られた存在である意識に戻ることです。神から教えられる。宗教の世界は、神に教えられると言いながら、実は人間が神をコントロールし、自分の都合の良いように、神の教えを変形しているのです。
だから、今この世にあって、朽ちる体なのに、聖霊が信じる人の内側に既に住まい、私達も同時に神の中=天の中にいるという、理解不能なことを、人に教えているでしょう。
神の中にいるというのを胎内にいる胎児を考えると見えます。
神の憐れみというヘブライ語は「胎」という言葉と同じだからです。この世の旅路で様々なことがあるけれど、実は神の中にいて
揺さぶられても安全に守られている。神の赦しなしに何事も起きない、誰も自分に触れられない。与えられたこの永遠の命、神との関係は誰にも奪われないのです。
人間の理解や頭脳を遥かに超えていることを、神が人に伝えているからです。
信じる人=聖霊を受けた人は、この世にあってこの世のものではない、聖別されて、この世とは境界線が敷かれ、目に見えないけれど、イエシュアという天の衣を着せられた、聖なる民と教えています。
神は永遠から永遠に存在し、イエシュア〜子羊の血の贖いの事実は永遠の中に完結しており、この世界の土台、礎が創造される前から存在していると神が人に伝えているからです。
イエシュアの贖い、救いはどの時代も、どの人種に対しても同じであり、いつでも有効であり、誰でもいつでも瞬時に神の元に戻れるからです。イスラエルの神は、選び出した人に、必ず神の側からアプローチして救い出してくださるお方だからです。
それは、この世界が造られる前に、既に屠られた子羊〜メシアの贖い、救いの業は完了されていたと書かれている通りだからです。私達も、生まれる以前から、いやこの世の礎が神により造られる以前から、それは永遠の中から、神により既に選ばれていたと言う、人が理解不能な事を、神が人に伝えているのです。
だから、神が言われる通りを信仰により受け取れば良いのです。
分断思想を全部削除、除去して、永遠の中で既に完結している贖いの事実を、信仰により受け取り、理解する。
人の考えや理屈で、神の言葉の方を曲げ続けているから、真理、真相が見えなくなるのです。摩訶不思議な教えと思うものは、人間の側で神の伝える真理、意図を理解していないだけなのです。
歴史線上に物事を分断してみる、思考では、永遠から、全てが
完了、完結している事実から神が話していることが、ズレて見えて来ません。
エペソ1:3 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、
1:4 みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、
1:5 わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。
デイスペンセーション神学〜異邦人思考回路の肉の目が見る思索で、歴史線上に、神の性質や神の言葉を、自由自在に変化させ、分断して考える、その分裂思考では、聖書に書かれた神の性質、事実、エハッド=丸ごとで1つ、シャローム=欠けがないことを
神が伝えていることが、歪められてしまいます。
これが聖書に記された、イエシュアが地上に来られる前に生きていた、古代の残りの民は、「見ないで信じるものは幸い」とイエシュアが言われた通り、神の言葉で伝えられた事実を、見えない事、見えない世界、霊的な領域の世界、未来に地上で起きる事、地上でイエシュアが屠られる前から、どの人も、神から直接贖い、救い、完了の業で新しい人を与えられる事を、信仰により
受け取ったのです。
救いの方法も、贖いの実態も、信じる人が聖霊を受けるのも、
どの時代もどの人種も同じなのです。ユダヤ人もアメリカ人も
日本人も皆、同じ人間なのです。人種により肉体的精神的構造が違うのでしょうか?日本人は心臓が3つで、アメリカ人は2つ?韓国人は目が5つで、イタリア人は肺が4つありますか?
みんな同じ人間、同じ体でしょう?同じアダマ=土=アダムから
全ての人が出てきたのでしょう?
古代の人たちも私達と同じ体、同じように、傷つき、喜び、様々なことを体験したのです。古代の人が、今目の前に現れても、
偽科学が言うように、別の人間ではありません!同じ人間!服装や、背格好は多少それぞれ異なっても、同じです。
でも同じ人間などと想像できないでしょう?
異邦人ルツがナオミの神=イスラエルの神=イエシュア!を、
信仰により受け取ったのも同じ!古代の残りの民は、イエシュア=約束のメシア=贖い、救いを、神に教えられて知っていたからです。タナックの至るところに、メシアが記されている。
福音書〜黙示録に書かれている人も、タナックしか聖書はないのです。弟子たちが、イエシュアに質問したでしょう?
「あなたが約束のメシアでしょうか?」と、なんでそんなこと知っているの?何を根拠にこんな質問が出来たと思いますか?
それは、タナックにメシアが記されているから、ユダヤ人達は、メシアが来られるのを、どの時代もずっと待っていた、メシア、イエシュアを知っていたからです!子羊の血の贖いの意味も、
新しくされた=聖霊を内側に受けることも、みんな知って、体験していたのです。
ヘブライ語のレビ記を読むだけで、それは全部記されています。
得に、神の祭り〜都上りの祭りには、メシアが現れると、ユダヤ人は知っていたのです。だから1世紀のローマ帝国は、祭りの時には、神殿があるエルサレム周辺は、厳戒態勢だったのです。
ユダヤ人が暴動を起こすことを恐れて。
事実、彼らユダヤ人がタナックから知っていた通り、イエシュアは、神の祭り=定めの時〜過越の祭りで、エルサレムに来られて過越の子羊として、処刑されたのです。預言された通りに。
そして、イエシュアは種無しパンの真ん中の日、初穂の日に復活し、昇天された。
過越の晩から始まる、種無しパンの7日間の真ん中の日が、
「初穂」の祝いであり、それはイースターという名前が付いた
祭りではないのです。種無しパンの週から、7週、7回のシャバットの後、婚姻契約を与えられた祭り=シャヴオート(ギリシャ語=ペンテコステ)が祝われた、祝われている、永遠に祝うのです。
古代の人がメシアを知らないと思っていませんか?2000年前に初めてイエシュアが来られて、メシアが認識されたと考えていませんか?だから、福音書以降には、キリスト教という教えが
書かれているのだと、勘違いしているのです。聖書の最初から
メシアは教えられて、福音書以降は、聖書の最初の75%書かれた短い後書き、解説です。
アダム、ノア、アヴラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、ダビデが、預言者達が、皆新生体験した〜神と直接出会い、同じメシア聖霊を受け取った事が、タナックに書かれているでしょう。
聖書を記した古代の預言者達は皆イエシュア メシアを知って書いているのです。現代の人たちより、彼らはよっぽど
深く神の言葉を理解して書いているのです。
そして、聖書に記されていない無名の人々も、神の言葉を聞いて理解した人は、同じイエシュアを信じて、聖霊を受けていたのです。
特定の人、特定の出来事が神により選び出されて、聖書に記されているから、誰でもどの時代にも聖霊を受けていた事実があるのに、ある人は、特別な人だけ昇天以前は聖霊を受けたと解説していますが、それはその人が考える単なる人間の思想に過ぎません。
聖書に記されているのは、誰もがイエシュアを通して神のもとに取り戻されている〜聖霊を受けて生きていることを、モーセの
五書の中から、最初から全部教えているからです。
みんな同じ。今の時代の人が、イエシュア=メシアを通して
神と出会うのと、古代の人も同じように、イエシュアを通して神と直接出会うのと同じです。
その事実を知らないのならば、それは、その人が聖書から読み取れていないだけなのです。聖書の最初の部分の75%を、書いてある意味通りに学ばないから、だから分からないままなのです。プラス、人の思想を土台〜神の言葉を歪める思想を土台に聖書を読んでいるから、ますます分からなくなるのです。聖書には、
翻訳では見えない事が満載、宝が詰まっています。海の下にある見えないエデンの園みたいに、上から〜翻訳からでは、隠されていて見えない。
古代の人など、未だ地上に来られていない、イエシュアに直接出会って、話している、直接イエシュアと顔と顔を合わせて祝宴していることまで、書かれてあるでしょう。残りの民はどの時代にも同じ、贖い救いをイエシュアを通して受け取っていたことが、
書かれているのです。同じです!どの人も、どの時代の人も
誰一人として、別の救いの方法、別の方法で神のもとに戻ることなどできないからです。
だから、古代は律法を生きることで、義とされたなどと言っている人の思想=神学は、聖書を正しく読みとっていないのです。
神の言葉を生きても義とされない。義とされたのは、子羊の血の贖いを受け取ったから、その事実以外に方法はない。そして新しくされた人は、義=道=イエシュア=トラーに記された神が伝える義を生きる!この違いを、はっきり識別して下さい。
何かをして神に近づく、何かをして神から特別な事をしてもらおうとする、何かをして罪滅ぼし、許されよう、義とされようとするのは、偶像礼拝、異教の神々に仕える異教徒の意識、思考回路、異教の神々との関わり方なのです。
神が共に住まう事を教えている、その究極が、ミシュカン=神の移動式神殿の中で、様々なことを通して教えられていたことを、理解すれば見えます!
約束の地に入った後、固定神殿が作られたましたが、その神の家も同じです。家族には、一緒に住まう家があるでしょう。
家族の家には住まう人がいて、家族がいる。神の家族とはどのように神とかかわり、どのように生きるのか?神の家の中で、実際に教えているのです。
聖書はエデンの園の中からメシアを伝えています。
イエシュア〜子羊の血で贖われ、許され、神のものとなり、聖霊を受ける、どの時代もどの人も同じと聖書の記述から理解すれば良いのです。
しかも、ルツは異邦人でありながら、イエシュアを生む祖になったわけですから。このユダヤ人と異邦人の混血には意味があるでしょう。神は最初から、ヨセフの妻がエジプト人であったように、ユダの嫁異邦人タマルを通して、イエシュアを生み出す家系が、混血であることが書かれています。婚姻関係で混血ではなくても、これは、異邦人でありながら、イスラエルと共に、近く住んでいたエジプトの人たち。異邦人でも、イスラエルの神を信じて生きていた人達の隣に住んでいて、モーセを通してイスラエルの神が伝えた、イエシュア=子羊の血の贖いを、神が言われた通りに信じて、過越の晩に子羊を屠り鴨居に塗った。
エジプトでは当時羊などという動物は、羊の犠牲は神であるクヌムに対しても冒涜と見なされていたので、家の前に子羊なんぞを置いてもダメだったのです。家の前で子羊を屠り、その血を言われた通り鴨居に塗って、死が通り過ぎた異邦人たちがいるのです。家の前に子羊を置く行為で、周りの人にバレバレ。
エジプト人なのに、イスラエルがしている同じことをしていた。
でも、神の言葉を信じて、行動した人たちは、神の義=子羊の血で覆われた人達は、死が過越したのです。
エジプト=奴隷、偽の神々の教え、生き方から、イスラエルと共に異邦人も同様に神の言葉を信じて行動した人たちは、イスラエルの神に導かれて脱出したのです。この事実を考えてください。
神は最初からイスラエルと異邦人両方合わさった1つの家族を
教えているのです。
そして、イスラエルと共に荒野の40年をイスラエルの12部族の中に共に加えられ、同じ部族として数えられて生きた。聖書に記されている事実を考えて、みれば良いのです。イスラエルと異邦人は関係ない、異邦人は契約を受け取っていないから、関係ない、そんな教えは、聖書を正しく読み取っていない人の思想なのです。
兄たち〜イスラエル、弟、妹=異邦人だからです。兄たちに着いて行った、弟=異邦人たち。同じイスラエルの神の家族。
続く

