2世紀以降に出現した、西洋教父達、英語では、Early church fathersと言いますが、彼らの間違った聖書解釈による教えは、反ユダヤ思想、反モーセの五書そのものです。
反ユダヤ思想、反トラー(律法と訳されている)思想など
クリスチャンの中にはない!と考えていると思いますが、ではどうして、神の言葉=律法は廃れた〜律法は古い呪いの教え、人を縛るものだ〜律法の戻るのか〜と聖書、神の言葉に反して言い続けながら、何も矛盾に感じないでいられるのだろうか?と考えれば良いのです。これこそが、反トラー=神の言葉思想こそ、
反ユダヤ思想の根なのです。
たくさんの誤解があります。クリスチャンの教えは、神の言葉を
生きて義とされる〜律法主義などと言っていますが、一体聖書のどこに神の言葉を生きることにより、人が義とされるなんて
神が言っていますか?そんなこと書いてないでしょう?
聖書を正しく理解していないまま、読んでいるのです。
神の言葉は救われるために与えられたと、考えている時点で
ずれています!それは、出エジプトの出来事でも教えています。
神の言葉を受け取り、子羊の血を塗った人達が、神に義とされた、過越の子羊の血で義とされた人達が、7週後のシャブオートで神と正式に関係を持った証拠として、神の婚姻契約=トラーを与えられたのです。
神のものとされた、聖なる民は、神の伝える教えを生きる!
この違い、ちゃんと理解すれば、ずれた思想から、脱却できます。
神の言葉を生きたら救われるのではありません。
人は、子羊の血の贖い、神が用意された、一方的なギフト、
贖いの代価によりのみ救いを受けた!ちゃんと理解していないとなりません。
そして、神のものとなった人達=聖なる民は、人間の言うように勝手な教え=神の言葉を、自分の都合、好みで、好き勝手に捨てて、取り入れて生きてはダメ!それこそが、罪です。
クリスチャンの世界で教えられているのは、罪を犯していいよ!と遠回しに言っているのです。神の言葉に違反する=罪に陥ること、本来のデザインとは違う生き方をする、ずれる事!!!
契約の生き方を捨てる、イコール神との関係が壊れ、罪に陥ることであると、聖書に記されたことを、正しく理解すれば良いのです。
神ご自身である言葉に、真っ向から反逆する考えを人が述べていても、それこそが昇天以降の正義と思いこんでいるのは、イエシュアが律法を廃止しに来た!律法という悪いものを生きること、律法を生きることで義とされることを、イエシュアが終了されたのに、再びそんな古い教えに戻るのは悪い!という西洋人が2世紀以降言い出した、反トラー思想をそのままを、言葉を変えて
言っていることに、気がついていないからです。
神の言葉、イコール、モーセの五書に書かれたものが完全版であり、神の言葉は、100%モーセの五書=婚姻契約=父の言葉であるのに、神の言葉で伝えられている基本中の基本、その理解が異邦人の思想の中にないのです。福音書以降の、どの教えを取り出しても、それは100%モーセの五書であり、福音書以降は、モーセの五書の大部分を破棄した教えである!などという、まやかしを信じさせられてしまっているから、神が伝えている永遠の真実が見えないのです。
福音書以降は、タナックの短い解説です。つまり、タナック=
を幼い時から聞いて教えられ慣れ親しんでいる人達に向けて
書かれている、モーセの五書を理解している前提で書かれている使徒が書いた書簡なのです。だから、預言者が書いた聖書の最初の部分75%を解説し、福音書以降は、預言者が新しい教えを記したものではないのです。
この違いが分かりますか?つまり、預言者が、神の言葉を預かり
書いて、それは完了し閉じているのです。創世記〜マラキまで。福音書以降は、閉じている聖書=預言者達が書いた書を、使徒達が解説しているだけ!聖書の短い後書きの説明であり、タナックとは違う教えやタナックを削除せよ!という教えなども、書いてなどありません!それでは、完全なる神の言葉に対して、遺伝子を分解し、ある部分を捨てた遺伝子組み換えの教えになってしまう、いや実際になっているでしょう!!それが人の編み出した思想=神の言葉を遺伝子組み替えした、神学なのです。
イエシュア=肉体をとって来られたトラー=神の言葉=神=聖霊である事実を、聖書から理解すれば、神の言葉のどの点にでも
反対する、イコール神に対して人間が冒涜的な挑戦を挑んでいるということに、聖書=神の言葉からはっきりと気がつけるでしょう。聖書の事実だけに基づいて、考え続ける、神の言葉を探り求める人に、聖霊は神の言葉の真実を教えて下さいます。
聖霊=言葉=永遠に変わらない!人間の教えと、神の教えを、
はっきり区別、識別できるようになります。
大体神に造られたに過ぎない単なる人間が、神の言葉に対して
物申す、神の言葉を人間主体で仕分け、削除、選ぶなどという、
その発想、大それた態度は異教徒、偶像礼拝そのものです。
人間が神に成り変わっている!ということに、聖書から理解していない大問題である態度、思考回路だからです。
2世紀以降に現れた、西洋宗教を作った異邦人教父達、パウロのようなトラー教師を追放して、ヘブライ聖書を知らない、正しく聖書を理解していない、このような人たちに、異邦人は教えられてしまったから、異邦人は神の言葉が変更になったと、疑いもなく信じて今に至っていることを、歴史の事実から発見すれば良いのです。
聖書ではない教えを、刷り込まれる弊害は、エデンの園から同じです。神の事実=実態=言葉から引き剥がされて、人の教え〜
宗教の教え、人間が改竄した神の言葉や教えを生きることに
すり替えられてしまっているからです。
ユダヤ教〜旧約聖書、キリスト教〜新約聖書、このような非聖書的な教えは全部排除してください。
聖書には、神の言葉に人の思想や考え、ルールや儀式を混ぜたもの、「ユダヤ教とキリスト教」が書かれているのではないからです。
こう言いたいのだと思います。聖書の最初の部分だけを読む人
プラス、聖書の最初の部分に書かれた約束のメシアをイエシュアと認めない人、ユダヤ教の人達、メシアが見えない人達が生きている教えが、旧約聖書だ〜。
福音書以降が、新しい契約と信じる人、ジーザスをキリストとしんじる人の教え〜、福音書以降に記された新しい教えが、キリスト教でクリスチャンが生きる内容が書かれていると言いたいのではないのでしょうか?
でも、今は2000年前に来られたイエシュアがタナックに記された本物のメシアを知らなくても、神の言葉教えに根付き生きているユダヤ人達がいるのです。そして彼らはメシアが来られるのを待っているのです。そしてクリスチャンは、メシアを知っていても、イエシュアが教えた教え=トラーを退けて生きているでしょう?
この違いがあるのです。だから、最後はユダヤ人もメシアを知り、神の言葉を退け追放した異邦人、はじめの愛=トラーから離れた人達も、同様にその間違いに気が付く!と預言されているのです。そして両者は1つ神、1つの家族になる!と預言されている。
ユダヤ人、異邦人両方、イエシュアを通して、神の元に戻り、
そして、全員が神の教え=婚姻契約=新しく更新された同じ契約トラーを皆が割礼された頭脳で生きる!と預言されています。
アダムから始まり、ノアやアヴラハム、イサク、ヤコブ、預言者達は、皆同じメシア=イエシュアを知って、聖霊を受けていたことが、タナックには書かれていますが、それらの人は「キリスト教」と言う教えを神から聞いていたのではないのです。
彼らが信じて生きていたのは、100%モーセの五書=トラーです。そして、聖書に書かれている全ての人が生きてた教えは、
モーセの五書です。神が神の言葉を生きよ!言うのは、モーセの五書に記された神の言葉、教えを生きよ!と福音書以降、イエシュア、パウロ達からも同じことを語っているのです。
クリスチャンが言う、神の言葉が大部分破棄されたもの=律法は廃れた〜と言う教えを信じて生きていたのではないのです。
聖書だけに照らし合わせると、その思想は、全部辻褄合わなくなって行く事が分かるのです。
そして、永遠から、エデンの園の最初から、救いの方法は1つ、イエシュア〜子羊の血の贖い〜永遠の中に屠られて完結している完了の業、それ以外にない!と言うことをはっきり把握しないとならないのです。2000年前迄は、生贄を捧げて許されたと勘違いしているでしょう?動物の血は人の罪を消すことはできない!と書いてあるのに。しかも神殿に行ける人はごく少数!
飛行機も車もないのに。今だって大変なのに。
レビ記を読む前提が最初からずれているから、このような誤解が起きるのです。つまり、モーセの五書に書かれている内容を、書いてある通りに教えられていないからそのような誤解をしているのです。
神の家〜地上で天の家を反映する場所、エルサレムにある神の家は、神の家族の生き方を教える学習体験の場なのです。
神の教えを知ったユダヤ人が、世界へ神の教えを伝える。
イエシュアの業の全てを、この神の家の中で実際にコルバンを通して、シャバット、祭りを通して教えていたのです。だから、耳あるもの目あるもの、残りの民は、同じメシアを神の言葉を通して、そして 実際に動物を屠ること、神殿に入る様々な儀式を通して、新しくされている人の生き方の実態、どのように神に近づくのか、どのような状態が命から切り離されている状態の生き方なのか、そして神の祭りの全てを通して、イエシュアの贖いの業、そして未来に世界がエデンの状態に戻り、神の教えを生きることを知っていたのです。
それがレビ記に記された内容です。
クリスチャンで、モーセの五書をヘブライ語で書かれた意味通りに学ぶ、教えられるなんて、実際には、ないと思います。英語の文学書を、日本語でしか解説されないのと、同じなのです。
全部、人の思想を通した、人の解釈で翻訳聖書から語っている、得に最初の部分なんて、教える人が学ばないから、何が本当に書いてあるのか、分かっていない、こういう状態にあるのです。
普通の世界で、教える人が教えている内容を知らないなんて、
ないのですが、宗教の世界ではあり得るのです。
クリスチャンの世界の教えは、贖い、救いは2000年前に初めて有効になったと考えて、そう教えられているでしょう?
そして、福音書〜黙示録には、モーセの五書とは別の、新しい別の契約など書かれていませんし、プラス、そこには、神の教え=トラーを削除せよ!破棄せよ!終了せよ!などといく神の仰せであると、クリスチャンが唱える教えも、1つも書かれてなどいません!全部空想=人間の思想で聖書を読み込みして、
聖書を人の思想で塗り替える解説がされているのです。
普通の人が書いた書物、文学書に対してもしないこと、著者の
意図、書いてある意味を曲げて解説するなど、あってはならないことなのです。
福音書以降に記された人たちは、100%モーセの五書、預言書、諸書だけを聞いて、教えられ、生きていたのです。
全部辻褄合わないでしょう?クリスチャンが言うところの、昇天以降の当時の人々は、モーセの五書とは違う別の新しい教えを聞かされたのではないのです。しかも、1世紀の人々、メシアを知る人知らないユダヤ人も、彼らが聞いた学んで生きていたのは、100%モーセの五書!
聖書が閉じられた後に、ローマ教〜ユニバーサルという意味の
カトリック、カトリックから派生したキリスト教と言う宗教は、それらは聖書には、記されていない教えなのです。
つまり、西洋教父達が主張したユダヤ的なこと全て排除〜トラーは廃れた!という教えは、聖書ではない、単なる人の思想だからです。
12使徒は、聖霊に満たされて大衆に「キリスト教」なるものを教えた人たちではありません!彼らは、人々に何を伝えたのですか?神の教え=婚姻契約=トラー、そしてそこに記されたメシア
人は、神の完了の業=子羊の血によりのみ、神により贖われ、
新しくされ、聖霊を受ける。新しくされた人達は、だれでもイスラエルの神の家族に加えられ、神の家族になった人は地の塩、世の光、聖別された天の大祭司、イエシュアに属する人として、
神の教え=トラーを生きる!と教えられているのです。
「イエシュアの救いの恵み」は、2000年前に初めて実現、有効になったのではありません。永遠の中に完結している、エデンの園から全く同じ!人が神の元に取り戻される唯一の方法は、
1つの救い=イエシュアしかないからです。
地上に実際にイエシュアが来られたのが2000年前、処刑され、復活された以降から、救いが実現したと思わされているのは、西洋哲学思想でヘブライの神の言葉を、ずれた思考回路、人の思想を通して読む事を教えられているから、ずれているのです。どの時代もどの人も、神と直に繋がれる!
それは、イエシュアが失われた人の元に、どの時代でもどの人種でも、生ける水として、到達して来てくださっているからです。
2000年まで、救いも、助けも許しも、祝福もない?
それって、どういう神ですか?聖書に書かれた、イスラエルの神=イエシュアとは異なる別の空想の神です。
聖書の最初から〜モーセの五書、預言書、諸書の中で、同じ救い=イエシュアは教えられていて、古代の人も同じイエシュア=永遠の中に屠られて完了している贖いを受けていたのです。
続く