前回迄の記事で書いた、神ではなく、異邦人教父達が、神の言葉を変え続けた!と言う事実から、以下に記す、一般的にクリスチャンの間で聞かされている教え=これらは全て人間が編み出した思想なのですが、それが何であるのか、聖書に基づき考えてみたいと思います。
私達が一般的に見聞きしている、キリスト教で教えられる教えが実は聖書とは関係のない、しかも、異教神由来の教えや儀式が
混ざった混入物、異物であることを、多くのクリスチャンは知らないままです。
伝統的に教えられて来た、キリスト教の教えで自分達が考えている、聖書だと思っているけれど、実はそれらは人の教え=空想で、聖書を読むから、聖書に書いてある事実が
見えないのです。
巷に流れる伝統的なキリスト教の教えは、聖書とは異なるものが多数、無数にあり、その教えを語る声の方が、聖書の神の言葉=声より大き過ぎて、神の言葉=声の真実が、かき消されているのです。神の真実は神の言葉で永遠から永遠に、神が文字として残した証拠を人に対して与えて下さっており、神の言葉の永遠普遍性を、神の言葉で証明しています。ですから、その神の言葉=
小川のせせらぎのようにずっとそこにあるけど、小さい音〜聞こうと意識しない限り、聞こえてこない、でもそれに耳を澄ませば、文字で記された神の言葉は、はっきりと聞こえます。
神の言葉だけに戻り、考えて下さい。、
古い箇所の教え、旧約聖書と異邦人がタイトルをつけた箇所、
創世記〜マラキには、ユダヤ教の教えが書かれていて、メシアの
贖い、救いを受けない人が信じている古い教えだと考えているでしょう?そして、新訳というこれまた異邦人が付けたタイトルの
箇所、福音書〜黙示録こそ、神が明かされていなかった奥義が
初めて人に知らされ、復活のメシアの命で、新しくされ聖霊を
受けた人たちの、新しい教えだと、考えているのです。
それらの、思想を全部排除してください。
そして、聖書には、最初から最後まで、同じ福音、同じ神の教え、同じテーマしか書かれていません。
問題は、神の言葉を分断し、旧約新訳と別物に分けて、それらの
書には、別々の教えが書いてあるという思想を植え付けられていることです。得に異邦人の世界では、聖書の最初の箇所をヘブライ語で熟知し学び続ける人は稀です。
なぜなら、異邦人教師が、聖書の最初の箇所は異邦人は学ぶ必要がない、生きる必要がないと率先して2世紀から今に至るまで
教えているのですから、そこに書かれたことをただ読んでも分かる訳がないのです。
中途半端な改革ではなくて、根こそぎ、土台が腐敗、歪んでいるから、そこから全部建て直さないとならないのです。
イエシュア=救いの岩=ペトラの上に建てるカハールとは、
岩=神の教えを土台としていることを知ってください。
害虫退治は、害虫だけを追いかけていてもだめです。害虫=偽の教えだけではなく、その大元の巣=害虫が出てくる巣、それは
神の言葉は終了、異邦人に生きることを禁じた、神の言葉を歪めた異邦人教父達の教えを、一掃し、イエシュア=トラー=永遠の救いの岩である、神の言葉を元の位置、元の立場に戻して、
この揺るがない岩の上に、人が生きることに戻らないとならないのです。
1世紀、イエシュアが教えていたのは、モーセの五書であり、
イエシュアが教え祝っていたのは、シャバット、新月、春、秋の祭りであり、日曜礼拝、クリスマス、イースターなど、誰一人、人の知るものではない、神はそんな西洋宗教の記念日を造られていない、人が祝うようにも一度も伝えてさえもいない、誰も祝っていませんでした。
イエシュアが生きていた時には、西洋宗教の教えの教えもまだ
出現してない。バシリカの上に十字架が建てられて、そこに
異邦人イエシュア信者が集い、日曜礼拝、クリスマス、イースターを祝ったなど、そんなものは1世紀にはありませんでした。
それらは西洋宗教の教えの産物、異教の神の教えや儀式、異教神の礼拝日、記念日が土台になった祭りを、異邦人教父達がパクって、ローマカトリック風にアレンジ作り変えたものだからです。
ハロウイーン=カトリックの全ての聖人の祭り=万聖節の祭りも、異教神=死者の霊の祭りのアレンジ、パクリ、同じです。
だから、異教徒も、全世界誰でも、皆それら祭り、クリスマス、
イースター、ハロウィンを祝うのです。
神の記念日は、イスラエルの神の言葉を信じて生きる人達により
祝われるもの。シャバットは神との関係の中に加えられた人が
神との関係にある印として与えられた!と聖書にある通りです。
西洋教父達が、モーセの五書=神の言葉に対して、真っ向から
反対し、モーセの五書を生きることを法律で禁じたのです。
こんな事がイエシュアを信じる人の中で、されてはならなかった作られてはならなかった禁止令、やってはならなかった神に対する違反、冒涜であるのです。
そんなに早く、神の教えから離れるのか〜と、パウロが警告した通り、異邦人の世界は、別の路線、西洋人が作った人造宗教の
教えに、2世紀以降移って行ってしまったから、聖書とは関係のない教えや、儀式、記念日が取り入れられて、逆に神の教え、神の記念日、儀式を追放したのです。
でも考えると分かります。正しく聖書を教える教師抜きに、勝手に爆走する生徒たち、それが今に続いてしまっているのです。
歌舞伎を知らないハワイアンフラダンサーが、歌舞伎の師匠なしに自分達流に踊りを変えて、アレンジしてしまうのと同じです。
この事実からだけ、考えてみてください。
聖書に関して、クリスチャンの間で聞かれる教えでは、一般的に、こんな風に説明されていませんか?
「神はユダヤ人とだけ契約を結んだのであり、異邦人は、
ユダヤ人ように神と契約を通して相互の関係にはありません。」
この解説、ある1面は正しく、その他は間違っています。
神は、唯一アヴラハムの子孫達へ、契約を与えました。
世界中の国々の中で、神が唯一契約を結んだ民は、イスラエルだけであり、世界の中で、唯一神が、神が創造された地を、契約=約束を通してアヴラハムとその子孫〜イスラエルに対して与えた
相続の地が、イスラエルの国なのです。
他の全ての国は、神が直接ある民族に、地上の特定の土地を与えたものは1つもありません。
それは、全世界〜異教の神々の教えに生きる人達と、神が選び出した民=聖なる民を区別している、分たれている事を教えるためであり、それが聖別です。神の目的通りの生き方を、地で反映して生きるために、取り分けられた=聖別された人々。
神の臨在が現れる中心、特定の1つの場所=イスラエルの国。
神の目的、神の意図通りを、地上の神の国=イスラエルで生きる。天の現実が直接地に反映する、聖別された場所を、聖別された人たち=神のトラーを生きる人達で治める国を、神が選びだしたのです。
だから、今も神のトラーを生きて、神の聖別された日を国中で
祝う事をする人達、国は、世界中に唯一イスラエル以外に無いでしょう?なんだかんだ言っても、クリスチャンでさえ、神の言葉が廃れたので、神の記念日も廃れたと信じて、違う教えや違う記念日を実践しているのですから。
イエシュアが生きていた生活とはまるで違う信仰生活。
イスラエルの神と、この世の神々。イスラエルという聖別された民〜異教の神々に仕える異邦人。イエシュア=トラーを生きて
地上に天の現実を反映させる人達、地の塩、世の光として世界の中で灯台の役割として輝き、イスラエルの神へと導く役割を与えらた人達と、異教神の教えに属する、異教神の教えや、文化、
異教神の礼拝をする人達。
その両者には、大きな境界線が敷かれて、神の目的通りに分たれている〜聖別されていることを教えるためでもあります。
白と黒。
もちろん、全世界のすべてを神が造られましたが、こうして唯一神の場所=神の臨在が宿る、神の聖なる民が、神の性質=トラーを生きるその中心、分たれた場所を地上で神が選び出しました。
だから、イスラエルの神は日本人の誰かを代表として、契約を
与えませんでしたし、同様にドイツ人も、韓国人も誰も直接イスラエルの神から契約を託された民として、選ばれませんでした。
でも、アヴラハムが選び出された理由は、「アヴラハム=全世界の民族の父」という意味の名前が与えられたアヴラハムが、神の契約〜信仰により義とされ、そして世界の民族の祝福の源になるという、任務が与えられたからです。
いわゆる、アヴラハム〜代表、イスラエルの神の家族の代表で、
異邦人全ては、アヴラハム〜イスラエルの弟、妹達なのです。
ですから、異邦人は契約に関係ないという教えは、神が伝えている真実を理解していない思想なのです。
なぜなら、異邦人でもユダヤ人でも、神の元に戻れるのは、
イエシュア=救いを通してだけ!これ以外に、救いの方法は他には無いからです。元に戻るのは、イスラエルの神、神のものとされた聖なる民は、神の教え=契約の命を生きること1つに戻る!
そしてイエシュアを通してイスラエルの神の元に取り戻された人全て、神との関係にある証拠、根拠、土台、神との関係に留まり生きるのは、この婚姻契約がある、婚姻契約に記された神が人に伝えている生き方を生きる!と言う大前提がある事を、クリスチャンは、聖書神の教えの事実を、正しくきちんと教えられていないのです。
神と関係がある!という、土台、証拠は、この神が与えた婚姻契約があるからなのです。
しかも、異邦人だから婚姻契約は、関係ないというならば、
それならば、「わたしはイエシュアとの関係はありません!」と言う事になることに、聖書=神の言葉から気がついていますか?
私は夫と結婚しましたが、夫の言うことではなく、自分の考えるところを、婚姻後の今も勝手に行動して、結婚している事実など忘れて、以前の通りに自由に生きます。
夫との記念日の日も共に祝いません!家族の記念日も、家族と
一緒になど祝いません!家族と一緒に行動しません。自分が考えついた、自分が気に入っ記念日を、それぞれ好きなようにやって他の仲間たちと祝います。家に帰らず、大事な記念日、花金も祝わず、仲間と飲み会にでも行きます。
神の1つの大家族は、それぞれが、バラバラなことを生きるように、神は教えてなどいません。それでは、神が教えている一致=一体への修復ではなく、分裂、機能不全の家族を形成することになる。現実に、神の言葉を捨てた人達は、迷い出て、その大元は夫婦、家族の破壊、崩壊です。神のデザインの崩壊が、今顕著に見える終わりの時代です。背教とは、アポスタシア、「元の姿から、離れて立つ」という意味の言葉です。
神の言葉から離れて生きる、それが背教です。
神の契約には関係ないという人は、イエシュアが言われる通り、「わたしはあなたを知らない!」と言われる事になるのを知っていますか?いつ、イエシュアが、この言葉を使われましたか?
「知らない」と言う意味は、知る〜婚姻関係の中にある、夫婦の関係の知る、裏も表も知り尽くす知る、関係にある知るという
言葉がなのです。だから、イエシュアが、神の教え=婚姻契約=トラーに記された生き方を放棄して、好き勝手に神の名を唱えて色々な不思議な奇跡や業をやっていても、「わたしとあなたとは何の関係もない!」と言っているのです。
マタイ7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
<父のみ旨とは、トラー=神の教えを生きること!神のみ旨、
神に直接語られたいと考えるなら、聖霊=神の言葉を読めば良いのです。
クリスチャンは、何か不思議、奇跡、インスピレーションみたいなことばかり語り、教えられますが、聖霊=言葉=神=イエシュアと聖書には書いてあることを、知れば良いのです。神の言葉に触れるイコール、神の考えに直接触れることです。>
7:22 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よわたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。
また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。
7:23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法=アノモス=トラーを捨てて働く者どもよ、行ってしまえ』。
神の契約=モーセの五書に記された事を無視して生きる人に対して、イエシュアは、「わたしは、あなたを知らない!」と言ったのです。
私のジーザスはそんな事など言うわけありません〜?と思っていませんか?それは、その人の脳内空想のジーザスであって、聖書に記されたイエシュアではないのです。
聖書に記された事実を、イエシュアが語れた事を、否定しないで読んでください。これは、イエシュアが言われた言葉なのです。
神の教えを退けて、好き勝手な生き方をする人は、わたしとは
関係ない!そうですよね。神が伝えていない、神の言葉を捨てよと言う人間の教え=異邦人教父、教師達が作った教えを勝手に生きて、その人達が作った儀式や記念日を生きる?それが今の時代のトレンデイで義なる生き方?それはイエシュアのものではなく、単なる人間、人が作った教え=異教の神々に属する異物のものだからです。
それらは、イエシュアに属さない!とイエシュアは言っているのです。
イエシュアを信じた人が、神の契約と関係ないと思い込んでいるのは、西洋教父達の教え=神の契約を捨てよ!と言った人達の
教えが、聖書=神の教えだと騙されたまま、勘違いしているからです。
神は、イスラエルと共に、イスラエルの神の言葉を信じて、子羊の血の贖いを信じて実行した異邦人も共に、エジプトから引き出し事実からだけ考えれば良いのです。
イスラエルと共に、10の災いを体験し、イスラエルの神の言葉をモーセが人々に伝えたことを信じて、「子羊の血=イエシュアの贖いの血による救い」を、エジプトで体験した異邦人たち。
最初から、「子羊の血で贖い出されて神の者=聖なる民とされる」ことが、教えれらている事実に目を留めて下さい。
続く