聖書には、最初の最初、創世記の最初から、終わりが書かれています。そして、聖書は一貫して同じ事を話しています。
同じメシア、同じ救いの方法=イエシュア、同じ福音、変わらない1つ同じ神の言葉、教え、それが聖書の真実です。
ダニエル12:13しかし、終りまであなたの道を行きなさい。
あなたは休みに入り、定められた日(複数)の終りに立って、
あなたの分を受けるでしょう」。
終わりの日とは、いつですか?
ダニエル12:13その時あなたの民を守っている大いなる君ミカエルが立ちあがります。また国が始まってから、その時にいたるまで、かつてなかったほどの悩みの時があるでしょう。
しかし、その時あなたの民は救われます。
すなわちあの書に名をしるされた者は皆救われます。
聖書は最初から最後迄、どの箇所も一貫して、矛盾がなく、同じ事を語っています。
クリスチャンの学者が、昇天以降は、イエシュアの贖いが完了したので、神殿のコルバン(動物の捧げ物)が必要なくなる為に、神殿が崩壊されたなどと解説していますが、その解説は、聖書とは異なるものであり聖書の記述の意味を理解していない事が、
原因です。コルバンは罪のための捧げ物が目的ではないからです。全て、学習ツール、天を実体験する体験型学習、地上の神の家でイエシュアの全てを教えられる、神の家族の生き方、修復の仕方、神とどのように関わり、近づくのか、目に見えない天の神の家の中での生き方を、実際に地上で教える事が目的だからです。神の家、神の臨在を中心に神の家族が全て生きる!
罪を仮に許される為に、動物が捧げられたのではないからです。
動物の血は、永遠に罪を消すことなどできない。代替えもできない。その事実を、聖書からまず知り、レビ記=聖書を読む前提がズレていることに気がついて、正しい理解に軌道修正します。
ローマ帝国が、エルサレムの神殿を破壊したのです。今までとは
違う教えが昇天以降、イエシュアによりもたらされたから、
神殿が70ADに、神により崩壊されたのではないのです。
そして、昇天以降も、神殿が無くなるまで、神殿は同じように
機能し、日々のコルバン、シャバットで、祭りで、そして、又は個人がコルバンを神殿に持ち込み捧げる事が、ずっと行われていたのです。
パウロが、モーセの五書に反する教えなどしておらず、パウロは100%トラー支持者であり、トラーを生きているという身の潔白を公にはっきりと証明するために、神殿での請願、コルバンを捧げて行われた事がはっきり記されています。使徒21章。
聖書の記述、真実に照らし合わせると、クリスチャンの世界で
語られる聖書の事実を曲げて解説する教えが、聖書ではない事は、聖書により証明されているのです。
クリスチャンも聖書は聖書で読み解くと言いながら、聖書を人間の編み出した教えで読み解いていることに、気がついていないのです。
そして未来には、イエシュアが再び確実に100%エルサレムに戻られるのです。
エルサレムに、イスラエルの神の神殿が再び存在するからです。
イエシュアはローマではなく、イスラエル、エルサレム、ご自分の選び出した国、地上で唯一聖なる場所の中心として選ばれた
場所に戻られるのです。ローマのジーザスではなく、ダビデ王の
子孫、ユダヤのメシア、イエシュアだからです。
未来は全ての人、世界は、このイエシュア、イスラエルに向かって生きるからです。
そして、イエシュアが再び来られたら、メシアがエルサレムの神殿から世界を統治し、神殿で同じように、コルバンが再び捧げられ、全世界が神の祭りを祝う為に、エルサレムに来ると預言されているのです。ゼカリヤ14章。
コルバン、生贄という不適切な翻訳がされていますが、コルバンは、「近づく、引き寄せる」という意味のヘブライ語です。
動物のコルバンを通して、メシアの業、神の元に新しい人として
引き寄せられている事実を、神が神殿の様々な儀式、シャバット、祭りを通して教えているのです。
聖書を読む前提、スタート地点がズレると、聖書に書かれている
真実が、神の意図からズレて、真相が見えなくなるのです。
イスラエルという小国、そして、ユダヤ人がこれほどまでに、
世界中から目の敵にされ続けているのか、その理由はシンプルです。
イスラエルという神の約束の民と、イスラエルという約束の地、国を通して、イスラエルの神が真実である事イスラエルの神が存在する事が、証明されてしまうからです。イスラエルの神が存在し、真実である揺るがない証拠だからです。
イスラエルの神に敵対する存在が、エデンの園の最初からあり
人がその敵対するものの、意図を遂行しているからです。
神に敵対する存在=サタンに取り、ユダヤ人と、そしてイスラエルという国が存続するという意味は、イスラエルの神の現実を
表してしまうものであるから、それは抹消、殲滅されなければならないと必死になっているからです。
でも、聖書には決定的な結末が書いてあります。
サタンは最後に敗北し、消える。最後の悪あがきの時代に、
今生きているのです。
終わりの時代に、偽物、サタンに加担するものと、そうではないものが、はっきりと分かれる事が預言されています。
悪と善、悪=神の意図から外れた全て、善=神の意図通りの全て
これらが、はっきり真っ二つに分かれて見える事が書かれています。
ダニエル12:10多くの者は、自分を清め、自分を白くし、
かつ練られるでしょう。しかし、悪い者は悪い事をおこない、
ひとりも悟ることはないが、賢い者は悟るでしょう。
毒麦と呼ばれるものは、見た目は麦のようでも、その中身が毒麦の生き方を選択し、神に敵対する事を発表し、行う人たちである
事が書かれています。イエシュアが直接、モーセの五書、預言書に書かれた事を、「毒麦の例え話」で説明したのです。
イスラエルは、苦悩、悩みの中を、ずっと歩む事が預言されていました。同じく、イスラエルの神に属する異邦人も、1世紀の時以上に、今迫害にあっているのです。
終わりの時は、分かれる、善と悪がはっきりと分かれる。
ダニエル、終わりの時とはいつですか?
そして最初に誰が終わりの時について、聖書に書きましたか?
モーセです。トラー=申命記4:30。
申命記4:30後の日(終わりの日、複数)になって、あなたが
なやみにあい、これらのすべての事が、あなたに臨むとき、
もしあなたの神、主に立ち帰ってその声に聞きしたがうならば、
あなたがた=イスラエルです。そして、同時に同じ契約に加えられた人々も、今の時代、ローマ帝国の時代よりももっと酷い迫害を受けているでしょう。イエシュアを信じて贖いを受け、救われた人は、全てイスラエルという苗字で呼ばれる、大家族の1人になったと聖書には書かれているのです。
今もローマ帝国時代と同じく、神の教えに根付いて生きる人は、迫害されます。そして、ローマ帝国時代と同じ、神の教えを主張すれば叩かれる、弾かれる、追放されるので、クリスチャンだと言いながら、牧師や教師でさえ、聖書とは異なる教えをし、
この世の教え、慣わしに同調する人々もたくさんいるでしょう。
その方が、人受けがする、逆風浴びないからです。
聖書ではない教えに同調するのは、知らずとも、それがクリスチャンの世界で浸透している、定番の慣わしの教えだからであり、聖書ではない、主流ではない、大衆が支持しない教え=それが
聖書の真実であるのにも関わらず、聞きなれない教えを主張すれば、同様に叩かれるのです。
それが、中世の世界のユダヤ人、カトリックに強制的に、無理やり改宗させられたことでも、分かるでしょう。
神の教え、聖書に書いていないメシアの実態、神の教えを捨てて
宗教の教えや、記念日などを生きるのは、神の前には完全なる裏切り行為であり、冒涜と神の言葉を知る契約の民なら誰でも分かるのに、クリスチャンには、神の言葉の意味が正しく通じないのです。
聖書に書いてある「契約の愛」の意味を理解していないから、
なんでも受け入れるのが、神の伝える愛だと、勘違いしているからです。
この世で受け入れらる教え、人気、ポピュラーで主流の教えに
同調しない人は皆、弾かれるでしょう。この4年間でさえ、この世の闇の計画の圧力に同調しない人達、それに反対した人達は
ことごとく叩かれ続け、どれほど酷い目に遭わされて、追放されたのでしょうか?それは何も今に始まった事ではないのです。
分からない形で、悪い物(害、毒)を良いものとして、闇は人間を破壊する為に、人に浸透させているからです。
それが、ズレた混ぜ物の教えを含め、全て神のデザインとは異なることは、人を破壊していくのです。肉体的に、霊的に、精神的に全て、神がデザインされたことと、異なることをすれば、人は
破壊されていく、壊される、傷つくからです。
世界の中で、この事により、職を失い、医師免許を剥奪され、
追放、迫害された人々。真実を述べる場合、その真実がある人の権利や計画を妨害し、邪魔であれば、違法であるのに、消されて行くのです。
今の日本の中に起きている身近な事でも、権威、闇が真実を潰している事、目覚めている人ならば、分かる事なのです。
この世の主張〜LGBTQを賞賛する、同調しなければ、叩かれ、追放され、酷い目に遭うのです。
1世紀のローマ帝国時代も、同じく、神の教え=トラーをイエシュアと同様に生き続けたユダヤ人、異邦人は重税、極刑をもって迫害されました。
その時に、処刑を免れた異邦人は、どのような事をしたかと言うと、オリジナルの神の教え=トラーに記されたオリジナルの神の言葉、教えから決別し、離れて行ったのです。だから、初めの愛=シナイ山の婚姻契約=モーセの五書に書かれた神の伝えた人間の生きかたから離れたと、黙示録に警告されているのです。
黙示録2:4。異邦人は、イスラエルの神の与えた契約とは関係ないと言う教えは、聖書を正しく理解していない、人の編み出した思想です。
日本人には余り馴染みがない事ですが、欧米では普通に養子を
我が子として迎え入れます。裁判所を通して、厳密な判定、審査の結果を長い事かけて待って、親になる許可、許可をもらうのです。
裁判所で、養子縁組が成立すると、養子になる子供は、その家の法的に正式な家族になり、その家族の苗字をもらい、そこに養父母と直接血の繋がる子供達がいたとしても、同等の扱い、同等の相続をもらう権利が与えられる事になるのです。
同じ子供として認められ、扱われる。その子は、その時から、
その家の正式な子になるからです。
生物学的にユダヤ人ではない、異邦人も同じなのです。契約から、イスラエルの国籍がなく、遠く離れていた異邦人も、イスラエルの神に、イスラエルという大家族に、イエシュアを通して引き寄せらて加えられたら、異邦人も、分け隔てなく、イスラエルの神の家族の一員となる!と聖書には書かれているのです。そして、その大家族は同じ教え=神の言葉を生きる!と聖書には、書かれているのです。
異邦人の教えは、神の言葉、教えを否定して、異邦人、イスラエルは別の教えを生きるのですと、人間の教えを教えらているのです。
クリスチャンの世界で、教えられるのは、聖書ではなく、1世紀後半から今に至る迄、異邦人の考えついた思想を土台に、聖書=神の言葉を、人間が曲げて語っている事に気がついていないのです。
イスラエルの神は1つ、イエシュア=救いも1つ、神の契約=
神との関係に修復された人の生き方も1つであり、人種や性別、
時代ごとに、それは変わるものではないからです。
もし、昇天以降、人間が変化し、又は猿や別の生物になった事実があるならば、それは、別の生き方を教えられる必要があるでしょうが、昇天前、昇天以降、神が創造された神の性質通りに造られた人間は、エデンの園から、そのデザイン、性質は変化しないからです。
聖書に戻ろう!神の言葉は完全である、神の言葉は永遠に変化しないと聖書の事実を認めるのであれば、同時に神の言葉のある
箇所は、終了、無効、破棄された〜などという、大矛盾を言って
いる事に、はっきりと聖書から気がついてください。
ズレた事を言って信じても、矛盾を感じないのは、昇天以降、
律法は十字架につけられたので、神の古い教えは成就したので、もう生きる必要などないと1世紀以降に言い出した、異邦人教父たちの教えを土台に聖書とは違う教えを復唱しているから、聖書の記述と矛盾する事を言っていても、丸で無感覚なのです。
続く