説教とか、メッセージなどと言いますが、異邦人の世界で聞かれる教えは、聖書だけが根拠ではない、誰かの思想、考え、感じ方を聞かされて、それが神の言葉の解説だと思わされていることが多いのです。
旧約聖書は、ユダヤ教、新約聖書は、キリスト教という解説をする人がいますが、聖書には、ユダヤ教、キリスト教という宗教の教えではない、純粋な永遠普遍のイスラエルの神の言葉、教えが書かれているだけです。
旧約聖書、ユダヤ教、これは、ユダヤ人だけに書かれて与えられた教えであり、イスラエルの神はイスラエルとだけ契約を結び、神の教えを生きる時に祝福され、そうではないなら問題が起きる。これはユダヤ人だけの教えであるので、異邦人には関係ないと言いますが、それは西洋宗教神学の典型的な思想です。
そして、異邦人は、神とは契約を結んでないから、ただ救われただけ、簡単な良い場所に連れてこられましたと説明する人がいます。
聖書に書かれている理解が始めからズレたまま、人の思想を解説しているのです。
どんな人種でも、イエシュアを信じたら、同じイスラエルの神の大家族に加えられて、その大家族は同じ婚姻契約に加えられていると聖書に記されている事実に対する、理解が完全欠落しています。
どんな人種でも、どの時代でも、救い=イエシュアは1つであり、イスラエルの神の元に戻る方法は1つしかないということに気がついていないのです。救いの方法や、福音、人の生き方の
教えが時代ごと、人種ごとに違う、神の記念日は、ユダヤ人と
異邦人とは違う、2種類あると、勘違いしているのです。
異邦人のクリスチャンの教師に聞いても、神の記念日も、神の教え=トラーに記された教えの中身を深く学んで、正しく理解している場合は少ないです。
もし、正しく神の言葉=聖書を理解したら、その場合は、オリジナルに戻る軌道修正するはずだからです。
現実にそうしている異邦人が続出しています。ユダヤ人がメシアがイエシュアであると気が付くように、神の教えは普遍、聖書は1つであると気が付く異邦人がいるのです。
宗教の教えは、基本的な理解が抜けているのです。イエシュアを通して、イスラエルの神の元に戻った人たちは、神との関係にある根拠、土台はこの婚姻契約が存在しているからである!ということを、全く考えていない、理解していないのです。
エペソ2章で、パウロが解説した意味を理解すれば、このような教えが、聖書とは異なることは明らかです。
エペソ 2:11 だから、記憶しておきなさい。あなたがたは以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼ある者と
称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、
2:12 またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。
ここに、はっきりと書いてあります。パウロは、イエシュアを
信じる前の異邦人はイスラエルの国籍がなく、契約にも全く関係なかったと伝えています。でも、どうなりましたか?
2:13 ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。
以前はイスラエルの国籍、神の契約とも遠く離れた人が、今はイエシュアを通して、近いもの〜カローヴ 腹の中ほど近い存在、これ以上近くなれない近さに加えらたとあります。
2:14 キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、
2:15 数々の規定から成っている戒めの律法=当時の伝統の教えを廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、
ここに書かれている、戒めの律法とは、神の教えではなく、当時のユダヤ人達の口頭トラー、伝統の教え、先祖の言い伝えのことです。
これを、クリスチャンは、戒めの律法=モーセの五書と勘違いして解説し続けているのです。神が神の言葉を破棄したら、神が
神ご自身を破棄するいうことになるのです。
辻褄が合わないでしょう?
2:16 十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と
和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。
当時、ユダヤ人と、異邦人は、一切交わりをしませんでした。
隔ての壁とはそのことです。
そして、2つのものを1つの体として神の元に和解させたとあります。異邦人の神学、デイスペンセーション神学は、この聖書の事実とは異なる、2つべつものと説明します。
聖書とはずれた解説なのです。
2:17 それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも平和を宣べ伝えられたのである。
2:18 というのは、彼によって、わたしたち両方の者が一つの御霊の中にあって、父のみもとに近づくことができるからである。
2:19 そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。
書いてある通りに読めば、理解できます。私達は人種=異邦人でも同じイスラエルの聖なる民であり、同じ国籍であり、神の家族と書いてあるでしょう?
その意味は、同じ婚姻契約=神との関係に加えられたと書かれているのです。それなのに、異邦人には、関係ない契約だ、イスラエルにだけ与えられたからですと主張するのです。聖書に書いてある、イスラエルは代表であり、その大家族に、その同じ婚姻契約に、異邦人も加えられるという事実を全く理解していないのです。同じイスラエルの羊の囲いに加えられ、同じイスラエルの木に接木されると、パウロが表現している意味を、正しく理解すれば、はっきり見えてきます。
なぜなら、イエシュアを通して神のものとされた人は、もれなく、神との関係がある根拠、証拠は、この婚姻契約の上にのみ、成り立っているという事実をはっきり理解すれば良いのです。
クリスチャンですと言うならば、神との関係は、神が提示した婚姻契約に基づいて成り立っている事実を知らないとならないのです。
もし、婚姻契約は、関係ないと言うならば、それならば、神とは近いものではなく、遠いものとなるのです。パウロも同じことを話しているでしょう。以前は契約に関係なく、遠いところにいた異邦人!と。
イエシュアも同じことを言われたでしょう。
神の契約に記された教えを蔑ろにするように人に教えそのように生きれば、神の国で最も小さい=無意味、価値のないものとなります!と。イエシュアが言われた意味を、はっきり正しく理解しないとならないのです。
伝統の教えは、聖書ではない、人の考えで神の言葉を塗り替えた教えをしているのです。当たり前に受け入れている教えが、実は聖書ではなく、伝統で語られている人の教えであるものが、たくさんあるのです。誰かが考えた教え、解釈した教え、人の意見や、感情を人に伝えている、それらは聖書の事実ではないのです。
エペソ2:20 またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。
はっきり書かれています。使徒、預言者達が、述べた、イエシュア=土台の上に建てられている、その意味は、神の伝えた婚姻契約の上に関係が成立し、神の子らは、神が伝える通りを生きる、それが同じかしら=ローシュ 頭=イエシュア、救いの岩であるイエシュアの上に同じく建てられているのです。
2:21 このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、
2:22 そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのである。
クリスチャンが「神の宮」と自称するならば、その定義は、トラーに記された神の宮でなければならないのです。自分定義ではない。分裂した家族ではない、1つの家族であることが記されています。
タナック=モーセ、預言書、諸書の中にも、イスラエルだけではなく、異邦人に対しても同じことが書かれていることに、気がつけばよいのです。イザヤの未来預言56など、異邦人に対してはっきり記されているでしょう。神のシャバット=安息日を愛する人は、神の家の一番親しい場所に招き入れら、そこで喜び楽しませると。
申命記にも、イスラエルも異邦人も同じ教えを生きる!と書かれているのです。異邦人が勝手に聖書に書かれている事とは違う解説をし続けているから、神が伝えている永遠の真実が覆い隠されてしまっているのです。聖書だけに戻ろう!
イスラエル=代表、異邦人=少数です。
出エジプトした後も、異邦人も同様にと書いてあるでしょう。
そして、ノアもアヴラハムも元々異邦人なのです。
そして、アヴラハムが全人類の父として、イスラエルの代表となる父として神に選ばれた後のことを、考えても分かるでしょう。
ヨセフの妻はエジプト人です。その他、ユダの息子の嫁、タマルは異邦人です。ルツも異邦人です。その生物学的混ざった系図から、ユダ族のメシアが生まれたのです。
契約はユダヤ人だけへのものであると主張するなら、その場合、
その人はイエシュアを通してイスラエルの神に繋がれたら、同じ契約を土台に神との関係に入ったこと、神が提示した契約、ただの契約ではない、婚姻契約を土台に神との関係が成立している事実に、単に盲目なだけなのです。
それでは、その人は、イエシュアとは何の関係ありません!と
イエシュアが言われた言葉を返されてしまいます。
マタイ 7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
父の御旨とは、神の言葉に記された生き方を、することと書かれているのです。
7:22 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。
7:23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法=アノモス=トラー=モーセの五書=婚姻契約に記された神の教えを無にして働く者どもよ、行ってしまえ』。
ここにある、「知らない」とは、婚姻契約の中に関係にはない!と言う、知るという言葉なのです。よく考えれば、見えてきます。主を愛するのに、主の提示した婚姻契約の関係にある生き方を放棄する、どういう思考回路ですか?
神の言葉を捨てよ!と教えるのは、サタンです。イスラエルの神はそんなこと1度も言いませんし、なんでも自由に自分の意見で、今は異邦人は選べとも言わない言っていない、神が言う通りにして!と伝えています。それが最も安全だからです。
続く