ヨセフはイエシュアのひな型 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

創世記 35:10 神は彼に言われた、「あなたの名はヤコブである。しかしあなたの名をもはやヤコブと呼んではならない。あなたの名をイスラエルとしなさい」。こうして彼をイスラエルと名づけられた。

35:11 神はまた彼に言われた、「わたしは全能の神である。あなたは生めよ、またふえよ。一つの国民、また多くの国民があなたから出て、王たちがあなたの身から出るであろう。

35:12 わたしはアブラハムとイサクとに与えた地を、あなたに与えよう。またあなたの後の子孫にその地を与えよう」。

 

ヤコブは兄エサウとの20年ぶりの和解の対面の後、それぞれの

道に進みます。ここで、ヤコブ=かかとを掴むものは、正式に

神から与えられた名「イスラエル」「神と向き合い格闘して、乗り越えたもの」の名を与えられます。

11,12節では、アヴラハムに与えた同じ約束を神は繰り返して

ヤコブに伝えています。「生めよ増えよ」も、創造の最初、エデンの園で語られた神の言葉と同じです。新しくされた人=イエシュア、神の似姿である人が地の表に増え広がれ!という、最初の

創造の時と同じだからです。

 

全世界の中で、唯一イスラエルという国だけが、神が創造されたこの地上の土地の、あのイスラエルという場所、実際には、今のイスラエルより、大きな範囲を、神から直接譲渡され、イスラエルがあの土地の所有権を、神から与えられているのです。

 

世界のその他の国でイスラエルの神が、ある民族に対して、直接与えた土地はありますか?1つもありません。同様に、世界の中で、イスラエルの神が契約を結んだのは、イスラエル以外は

存在しません。イスラエルの神は、地上の他の民族のどれとも

契約を結んでなどいません。

いわば、イスラエルの神=創造主、全世界の所有者が直接イスラエルに、相続権=所有権を与えた場所、それがイスラエルという国なのです。そして、私達異邦人は、イエシュアを信じて、

イスラエルの神の元に戻ったら、同じイスラエルの神が提示した契約に加えられる!!!その事実を忘れてはならない。

今は、地上のイスラエルという国は、イエシュアが統治されていませんから、異邦人はそのままでは、移民出来ませんが、イエシュアが来られたあかつきには、私達にもイスラエルに住む権利が

与えられるでしょう。イスラエルの神の契約の中にある人たちは。パウロがエペソ2章で語ったとおり、契約からイスラエルの

国籍から遠く離れた異邦人でも、今や同じ天の共同相続人に

なったと書かれています。

 

異邦人も、神の教え=トラーを生きることを愛し、神のシャバットをガードする異邦人は、こうなると、未来預言が書かれています。

 

イザヤ56:7 わたしはこれをわが聖なる山にこさせ、わが祈の家のうちで楽しませる、彼らの燔祭と犠牲とは、わが祭壇の上に受けいれられる。わが家はすべての民の祈の家ととなえられるからである」。

 

人の教えで塗り変えられてしまった、空想のローマ化したジーザスではなく、聖書に記されている通りのユダ族のメシア、イエシュアを知って、その実態を生きて、人に伝えるのが、地の塩、

世の光の役割なのです。

契約=律法終了!異邦人には神の教え=トラー=婚姻契約は関係ない、終了、無効と言い続ける異邦人が考えついた思想が、どれ程聖書から完全にズレているか、聖書に記された事実に戻る時に発見できます。

 

そして、パレスチナという国は、世界には、もともと存在しない国であることを覚えておいてください。

新約聖書学者である、M.テニー氏は、パレスチナの国が存在することを、書籍=神学校の教科書にかいてありますが、それは誤情報であります。正しくない情報が、神学校で使われる教科書には

残念ながら、色々多く書かれているのです。進化論や偽科学、偽の歴史も同じです。人の思想が、真実であるかの如く語られている、それが教科書に載り、学校で教師を通して、事実ではない、偽情報、不真実なことが教えられ、その誤情報が真実であると

人の記憶に刻まれて、定着し、恒久化されてしまうのです。

 

ローマ帝国が70AD以降、エルサレムはローマ帝国の植民地とされ「アエリア・カピトリーナ」という名前に変えられて、再建されてしまいました。異教のカルト宗教が導入され、ユダヤ人がエルサレムに入る事が、禁止されました。この出来事はバル・コクバの反乱のきっかけになったと考えられている事です。

エルサレムの神殿の丘の上には、ローマの神、ジュピター神の

偶像が飾られ、イスラエルの神の家があるエルサレムの街の中には、様々な異教の神々の偶像を設置したのです。

 

神がイスラエルという神が選んだ民に、イスラエルという土地=国を与えて、そこに地上で天の神の国を反映する土地として、

天と地と直結した、イエルシャライムは複数、天と地のエルサレムがやがて1つになるからです。

 

神が選んだ、神の家がある場所なのです。神が与えた国=土地、

全世界を造られた世界の所有者により、与えられ、アヴラハムから代々イスラエルの子孫に与えられた土地=国、所有権は永遠にイスラエルにあるのです。この土地をめぐり、人間が争っていますが、その裏にあるのは、サタンの力であることも、覚えておかなくてはならないのです。

やがて、エルサレムにイエシュアが戻られることを知っている

サタンは、それを阻止したい!いや、そんなことできないのに、最後の悪あがきをしているのです。

イスラエルを殲滅し、神の言葉=トラーを潰し、抹消し、否定し、イスラエルの神の預言、約束を消滅しようとしていますが、無駄な抵抗なのです。神の言葉は永遠に固く立つ!神が語った事で、神が途中で変えたり、成し遂げられなかった事があろうか!?と神が宣言しているからです。

 

ヤコブがカナンの地、生まれ故郷に戻るのです。

ヤコブから、イスラエルの12部族が出ました。

レアにより与えられた子供が、ルベン、シメオン、レビ、ユダ、

イッサカル、そして ゼブルン6人。女の子は、デイナ一人。

レアの側女、ジルパが産んだ子らは、ガドとアシェルです。

そして、ラケルにより生まれた子供が、ヨセフとベニヤミンであり、ラケルの側女により産ませた子供は、ダンとナフタリです。

男子、12人、イスラエルの12部族です。

 

12兄弟、12弟子、12のオアシスと、70本の椰子の木。

全部意味が繋がっています。

エジプトへ下ったヤコブ=イスラエルの子供達は、ヨセフ含めて、12人、全員で70人です。

 

出エジプト15:27 こうして彼らはエリムに着いた。そこには水の泉十二と、なつめやしの木七十本があった。その所で彼らは水のほとりに宿営した。70のナツメヤシ。

水というものは、イエシュアを表しているものです。その生ける水を内側にたたえて生きる、聖霊が内側に住む聖なる人、神の家族、そして、70のやし。やしは、イスラエルをあらわし、喜びが空へ向かってまっすぐに立ち、椰子の葉は両手で天に向かって
喜び叫んでる様子を表しているでしょう。これは、アヴラハムの割礼=聖別された人の姿を表しているものでもあります。
 
ここでは、解説しません。聖書には鍵になるコンセプト、イエシュアを表すものが盛り込まれて記されているのです。
 

神が一夫多妻制をデザインしたのではないこと、最初から男と女で1つの夫婦です。壊れた世界に生まれた人々、その人たちがたどったズレた生き方をも神は使っているのです。

エデンの園から飛び出して、神と隔離された場所に閉じ込められている、その中からの救済、修復です。

 

神は全ての人の罪、失敗を使って、全世界の修復を行っていることは、明らかです。第二のアダム、イエシュア以外、何もずれずに生きている人など、一人も最初からいません。アダムとハヴァから皆全ての人は、本来の姿、性質からズレて、エデンを飛び出したから、今の世の中はその結果なのです。

 

ヤコブが生まれ故郷、カナンに戻った後、父イサクが亡くなり、兄エサウと共に父を弔います。

その後のヤコブの人生で、ヤコブの子供達の間に、争いが起きるのです。一緒に叔父ラバンの家から、カナンに戻った後です。

ヨセフは、メシアの型です。メシアそのものを表している人物なです。

イエシュアをメシアと知らない、ユダヤ人のラビさえも、メシアを知りたいなら、ヨセフの生涯を見なさいと教えます。

いつか、自分で言っている意味に気が付く時が来るでしょう。

 

ヨセフ物語は、誰でも知っていますね。創世記37章から、書かれています。聖書を一度も読んだことがないかの如く、知っている知っていると思っていることでも、その中に書かれていることは実は、神の言葉とは、知らないものが多くある、読むたびに、今迄知らなかったことを教えられて行くものですから、そのように読んでみる必要があります。

 

ヨセフは、異邦人に対しての救済者でもありました。

ユダヤ人〜ヤコブの家族、父と11人の兄弟と離されて、エジプトへ下りました。

イエシュアも生まれて直ぐにエジプトへ下り、又イスラエルに戻りました。

イエシュアも、兄弟同胞のところに来たのに、全ての人には気が付かれず、そして、異邦人の世界へイエシュアが伝えられました。ヨセフと繋がります。

アヴラハムもエジプトへ下っています。この国はイスラエルの直ぐ隣であり、異邦人の世界を表す代表として、語られる国です。

エジプトは、ヘブライ語で、「ミツライム」狭い、悲しみ、苦しみなどの意味がある言葉なのです。

なぜ、ヨセフがエジプトへ行ったのか、それは兄弟の妬みによるものでした。

ヨセフは、兄弟たちの悪い噂を父に告げています。そして、父

ヤコブは、ヨセフをことのほか愛していました。

これは、母リベカがヤコブを、神の目から同じ目線で、ヤコブという人物、器を見抜いていた事と同じことなのです。

 

ヤコブがヨセフを愛して、兄弟に与えていない「長服」を与えたとあります。ヤコブが単に年寄り子のヨセフが可愛いから、

甘やかして特別扱いしているなどと考える場合には、長服が

与えられた意味が見えませんが、そこに記されている言葉でも、このヤコブの行動の意味、そして聖書に一貫して書かれている

真理が、貫かれています。

 

ヘブライの世界で、服や名という意味は、何を表すのでしょうか?服や、名はその人の実態、評判を表すものなのです。

 

ヤコブは、ヨセフが、イスラエルの家族を担う役割を託されている器であると、神から確信をもらっていたのでしょう。

得にヤコブがイエシュアと直対決した後、イスラエルという名を

もらった、イスラエルは、アヴラハムと同様、全世界へ福音と

祝福を分け与える役割を、神から任されていたからです。

そのことを、イスラエルが知らないわけなどないのです。

長子ではない、ヨセフが、長子の役割をしたのです。

ダビデも同じです。長子ではない末っ子が、イスラエルの王として選ばれた。ユダ族から出る、ダビデの子孫であるイエシュア

メシアが生まれる家系、ラインとして選ばれたのです。

リベカが、兄のエサウではなく、弟のヤコブを神が選んでいること、母親として知っていたのと同じです。

それは、他の兄弟にはない、性質がヨセフに最初から与えられて を、父親であるヤコブは見抜いていたからです。

 

兄弟たちは、シェケムに住んでいました。この「シェケム」という土地の名前もメシアに繋がる意味のある名です。

後で、説明します。

イスラエル(父ヤコブ)は、弟のヨセフに、このように言いました。

創世記37:13 イスラエルはヨセフに言った、「あなたの兄弟たちはシケムで羊を飼っているではないか。さあ、あなたを彼らの所へつかわそう」。ヨセフは父に言った、「はい、行きます」。

37:14 父は彼に言った、「どうか、行って、あなたの兄弟たちは無事であるか、また群れは無事であるか見てきて、わたしに知らせてください」。父が彼をヘブロンの谷からつかわしたので、彼はシケムに行った。

 

続く