33章では、兄とついに対面する時がきます。
20年の月日が、既に過ぎていました。
創世記33:3 みずから彼らの前に進み、七たび身を地にかがめて、兄に近づいた。
33:4 するとエサウは走ってきて迎え、彼を抱き、そのくびをかかえて口づけし、共に泣いた。
読んでいるだけで、いつも涙が出てきてしまう場面です。
エサウとヤコブは、お互いにどんな思いでこの時を迎えたのでしょうか?弟を妬み憎んで殺そうとした兄の姿は、もうそこには
ありません。
そして、エサウの証言からも、神はエサウを祝福し、兄がヤコブに奪われた祝福をも取り戻すほど、祝福を受けていた事が分かります。
ヤコブもイエシュアと対決し、格闘し、本当の自分に神に直接向き合わされて、新しい名を頂いた後です。「神と格闘して乗り越えた」という意味の名、「イスラエル」という名を与えられたのです。
ヤコブが家畜の群れをエサウの贈り物としている事を告げると
エサウがこう言いました。
元に戻ろうとする、ホメオスタシスと言いますが、体が元に戻ろう、正常に戻ろうと自然にそのようになるのと同じく、人も心、人間関係が元に戻るのが、本来の姿です。
イスラエルの神、創造主の壮大なプラン、計画は、全人類の修復です。クリスチャンの世界では、ほんの少しの範囲のことだけを
語り教えますが、神はもっと大きなこと、永遠に繋がること、
私達人間の生き様の修復を神の言葉で、教えているのです。
小さな範囲とは、イエシュアが私達の罪のために死なれて、
罪許され、永遠の命をもらい、永遠に生きる。人に救い主を
伝える、ざっとこんな感じのことを、教えられます。
永遠の命とは、何も永遠に長生きするということではない、
神との関係を、永遠の中で築いていく、修復された人で生きる
それが永遠の中に生き方なのです。
ちょっと考えると分かりますが、全ての人は、皆同じ問題の根を
持っています。
形や内容や度合いは違えど、問題の根は同じです。
それはエデンの園で起きた問題、そしてアダムとハヴァが辿った問題と全く同じだからです。
神の言葉とは違う事をしたから、本来の姿、デザイン、性質から
ズレました。
その結果何が起きましたか?今までに、存在しない要素が、
自己像と、神と人との関係に入りこんでしまったのです。
自分が神の似姿に完璧に造られている事も忘れ、詰まり本来の自己像=自分が誰かを知る手がかりを失い、一番親しい関係の夫婦間に亀裂が入りったのです。
アダムは、目の前に自分から造られたハヴァが連れて来られて、
初めて対面した時、非常に感嘆した感情を表す、この世でもっともスイートなロマンチックな表現を、ハヴァにしました。
創世記2:23 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。
עֶ֚צֶם アツメイ「私の骨」 |
מֵֽעֲצָמַ֔י メ アツメイ「わたしの骨から」
|
今まで動物しか見えない世界で、目の前に同じ人、自分から造られた分身を見た感動が、ヘブライ語ではロマンチックに響くのです。
そんなにも、一体であり、ピッタリの相手との関係がその後一体どうなったのでしょう?
神に向かって「あなたがおいたこの女のせいで」すごいひどい言葉ですよね。神に対しても、責任転嫁し、あんなに愛しい相手にたいしても、この女が!て言うアダム。。
夫婦関係の崩れは、創造の最初から。だから、夫婦、家族を
ガードする方法を、神が教えている!その中心が、シャバットでもあるのです。
恥、お互いをなじりあう、相手のせいにする、責任転嫁、そして、神から隠れる事をした、全部元の姿から、壊れた姿、壊れた関係になってしまいました。夫婦の亀裂の結果は、家族崩壊を
もたらしました。神のデザインの夫婦、家族関係が破壊、崩壊される!世界の問題の根はこれに尽きます。
世界は今これが、顕著でしょう!?度合いは違えど、LGBTQ
自分のDNA生まれた性別を、頭の中で混乱している、そして、
自分が誰か分からない。神のデザインではない、関係を結んで生きる、そしてそこに子供が養子、又は人工的に生まれて、そのような歪んだ家族に育てられたら、その子供は、それが普通のことだと受け止める。いや世界は、異常が正常と考えるように、
促し、いや圧力かけているでしょう。クリスチャンの牧師や教師までもが、ゆるゆるで、神の教えをしっかり知らない、頭に刻まれていきていない、危険な状態です。
それだけではない、さまざまな歪み、夫婦、家庭崩壊、人間関係の破壊、その同じ問題が、単に、地域、国単位、世界単位へと拡張されているだけです。
問題は、神の似姿に造られている自己像を失う事、だから、性別変えたり、顔を整形したり、手術で体型変えたり、又は自分ではない、自分の理想の誰かになろうとして、 自分の性質ではない事をする的外れな努力をし続けていくのです。それが、学問、
進学、その他諸々、自分ではないことを、やる、親の理想を押し付けられて、やらされるていることでもあります。自己像を失った親が、自分の理想、夢を子供に負わせ、子供を通して自分の夢を実現する事をするのです。
そして、自己像が分からないまま、関わりを持つ相手との関係に亀裂が生じるのです。
自分を、相手を、本来神の似姿に造られた人として、見る事が
できず、自分の先入観で相手を決めつけることをする、そして、
人間関係が壊れていく。相手はどうせこう考えているだろう、
あの人は所詮こういう人だ、そして、誤解が誤解を生んで、
人間が関係が壊れていくのです。
その顕著なのが、家族間の出来事なのです。最初の家族の大問題は、なんと殺人事件でした。殺人までいかなくても、家族は常に一緒にいて、一番自分がそのままで生きて、ぶつかり合う関係に
あるのです。
相手への妬みから、殺意が湧いたのです。妬みとは死に直結するものなのです。
しかも、カインは、神の前に捧げるべきものではないものを
持ってきた、それは、カインが神の教えや意識からずれていた
証拠であり、アベルは、神の言う通りのものをコルバンとして
捧げたのです。この違い。
多かれ少なかれ、エデン=喜び=神の中から、人はみなズレた場所に飛び出て、ズレた自己像を学び、ずれて生きる事を学んでしまって今に至ります。
世の中の問題は、自分自身、自己像の破壊から、そして夫婦間、家族間、一番近しい関係から始まるのです。
ヤコブが、エサウと別れた後に行った場所は、「スコテ」です。
スコテは、イスラエルが出エジプトした後、最初に宿営した場所です。この33章には、大事な地名が出てきます。
スコテとは、「仮庵」です。仮庵とは、イエシュアを表すものです。ヤコブが神と対決した後、スコテに行った。
これは、出エジプトでも、ヤコブの時も、イエシュアの中に住まう事を示唆しています。
しかも、神の家=ベテルとあります。そのベテル=神の家の移動式ポータブルの神の家は、ミシュカン、仮庵でした。
仮の宿=ミシュカンに神に臨在が宿って、荒野を40年イスラエルと少数の異邦人たちと、旅したのです。
全部イエシュアです。火の柱、雲の柱、岩、水が湧き出た荒野をついてきた岩、全部イエシュアを表しています。
エデンの園から、世界の四隅に流れ出るあの川は、イエシュア
生ける水を表して、神の家、未来の神殿の預言にもある、神の家から流れ出る水も同じイエシュアです。エゼキエル47章。
聖書のページの面には、イエシュアが至る所に記されているのです。いや、全てはイエシュアを指して書かれている。
聖書=モーセの五書、歴史書、預言書を最初から、ヘブライ聖書に書かれた内容を、ずっと細かく学んでいくと、色々な見えなかったことが見えてきます。同じことが、繰り返されている、同じ場所が登場する、様々なことが重なり、並行して、書かれています。そして、全ては、メシア、イエシュアを指して語っていることに気がつけます。
創世記 33:17 ヤコブは立ってスコテに行き、自分のために家を建て、また家畜のために小屋を造った。これによってその所の名はスコテと呼ばれている。
33:18 こうしてヤコブはパダンアラムからきて、無事カナンの地のシケムの町に着き、町の前に宿営した。
シェケムという場所も、重要な意味を持つ場所です。58回聖書には、シェケムの名が出てきます。ここシェケムで何がありましたか?
1)アブラハムに対する神の約束: アブラハムはシェケムで初めて神に現れ、子孫がその土地を相続するという約束を受けました。また、そこに神への祭壇を建てました。
2)ヤコブの井戸: ヤコブはシェケムに住み、そこに井戸を造りました。
3)ディナの強姦: 地元のヒビ族の族長シェケムの息子がヤコブの娘ディナを強姦しました。ヤコブの息子シメオンとレビの二人は後に、シェケムとその父ハモルを含む町のすべての男性を殺害することで彼女の仇討ちをしました。
4)契約: ヨシュアはイスラエル人をシェケムに集め、彼らと契約を結び、神の律法を再確認し、主に従うよう彼らに要求しました。
5)北王国の首都: シェケムはイスラエル王国が分裂していた時代の北王国の首都でした。
6)ヨセフの埋葬: ヨセフはシェケムに埋葬されています
7)シケムの土地をヤコブは買いました。
8)ゲリジム山とエバル山で与えられた祝福と呪い
9)アビメレクによるシェケムの邪悪な統治
10)レハブアムに反抗するイスラエルの北方10部族
創世記33:19 彼は天幕を張った野の一部をシケムの父ハモルの子らの手から百ケシタで買い取り、
33:20 そこに祭壇を建てて、これをエル・エロヘ・イスラエルと名づけた。
エル〜神、エロへ イスラエル=イスラエルの神
聖書でたった一度、この言葉が創世記33:20に出てきます。これはヤコブが、イエシュアと格闘した後、ヤコブ自身の信仰告白です。ヤコブの神は、イスラエルの神である!