人の教えの目隠し おおいをどけて 神の言葉の真実に直結する | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

マルコの7章で、イエシュアが教えていることは、何ですか?

レビ記11章、トラー=モーセの五書=婚姻契約=はじめの愛=父の教え、クリスチャンが律法という不適切な翻訳誤訳で呼んでいる箇所が、今は終了だ〜などと、イエシュア自ら神に対して、神の教えを違反し、人に罪を犯すように教えているのですか?

 

よく考えてみる。神は何でもできる。でも嘘はつけないと言っているでしょう?その言葉を、どうして信じていないのでしょう?

神が一旦口から出して、永遠普遍の教え!と人に伝えながら

後で、無効になったよ〜などとふざけた嘘を言う神?それが、

聖書に記された本物のイスラエルの神ですか?それは、異邦人の脳内イスラエルの神像、聖書とは異なるイエシュア像を言い続けている!と気が付かないとならないのです。

人の教えと、神の教えがすり替えられてしまっているのです!

 

イエシュアと手洗いの儀式に関して、ここで言い争っていた人たちは、当時の一部のパリサイ派、トラー学者たちです。

詰まり、人に神の教えを教える立場にある人たちでした。

このように、パリサイ派、トラー学者(翻訳では律法学者)と

あるので、パリサイ派、トラー学者、イコール、悪い人、偽善者などという潜入感、偏見の教えを刷り込まれていることに気がついてください。

使徒5:34でもあるように、パウロを教えたガマリエル大ラビに関して、国民全体に尊敬されていたガマリエルとあります。

パリサイ派のガマリエルです。パウロも生涯パリサイ派であり、イエシュアもパリサイ派の教育方法でトラー=モーセの五書を教え、パリサイ派のしきたりで、過越の祭りなど祝っていた事実があるのです。

パリサイ派のイエシュア信者達により、密かに本物のメシアが、伝え続けられてきたことも事実なのです。

しかも、パリサイ派は当時の大衆、主流であり、パリサイ派の

イエシュア信者〜長老たちが、使徒15章で、神の教えを何も知らない、イエシュアを信じたばかりの異邦人に、汚れた行動を

し続けていたことを戒め、そのけがれた行為、レビ記11章を

破るようなことが、神の前に罪である!と認識してください、その上でユダヤ人のパリサイ派の信者の交わりに、入れましょうと提案しているのです。

聖書に記された事実、正しく事実の点と点を繋げていけば、真実が見えて来ます。このような重要なポイントとなる箇所を、人が勝手に解釈した別ものの教えで、解説され、論点の事実が、まるっきりはぐらかされて、ずれていることのオンパレード、連続なのです。

詰まり、1世紀パリサイ派のほとんどの大衆は市民に尊敬され、信頼されていたのです。クリスチャンが言うところの、偽善者とは程遠い人々が、パリサイ派の殆ど、大衆、主流なのです。

 

ある数人の日本人に対して、「日本人は全て〜〜だ!」と言われたとしても、それがイコール日本人全員がそうであるとは、ならないでしょう。

得に海外で、日本人や外国人がなにかやらかすと、ニュースになったり、しますが、それらイコールその国の人全員とはなりませんし、得に日本人は品行方正で有名です。海外に住んで、日本人と伝えるだけで、日本人である私はどこに行っても信頼されているのです。

何人?と聞かれて「日本人です」と答えるだけで、相手は、防御体制を崩し、笑顔になり、信頼の表情を示してくれるのです。

それほど、日本人の評判は群を抜いているのです。

世界中に、日本パスポートでそのまま入れる国がたくさんあるのを、ご存じですか?日本パスポートは最強なのです。それほど、日本人は、品行方正、道徳的善良な国民であると信頼されているからです。

それと同じく、当時のパリサイ派は、市民に尊敬され、信頼されていた人たちなのです。でもある一部の人は、いつでも、どこでもそうですが、神の教えとはずれたことを信じて、生きている。それらの教えは、人間解釈のモーセの五書、「先祖の言い伝え、

伝統の教え、律法の行い」と翻訳では書いてあるのが、それです。律法の行い、言い伝え、先祖の伝統の教え、神の言葉を指して、それらが語られていないことを、先ず把握してください。

そして、イエシュアのモーセの五書=トラーの純粋で天直送、

本来の神の意図通りの言葉の解釈、解説が、人の伝統の教えで

汚染された当時の人たちには、異物に聞こえたのです。

今も同じでしょう?「人の言い伝え、先祖(西洋教父)が編み出した西洋宗教の教え」とは違うことを言えば、それが聖書の真実であるのにも関わらず、異物な教えと思われて反発される!

律法は古い呪いなので廃れた〜?とクリスチャンは、こぞってそのように考えて言い続けている。

聖書に書いてある言葉の通り、本来の意味に戻り、正しく言い換えてみてください。違和感あるのに気がつきませんか?神の言葉を人間が否定する人間至上主義、人が神の上に立っている思想。律法とは、不適切な訳で、本来のヘブライ語の意味は、「教え、

インストラクション、指示、指導」という意味です。

「神の言葉、教えは古い、呪いなので、廃れた?」

こんなことを、神に対して言い続けているのです。

クリスチャンは、神の言葉を否定しているとも気がつかず、1世紀後半以降に、西洋教父たちが唱え始めた人の編み出した教えを言い続けて、それが神の言葉に反することであるなどと、聖書の事実を読み取らないまま、微塵にもそうとは思っていないでしょう?

それが、全く同じズレの性質、神の言葉をずれた解釈して、それを生きている、マルコ7章で起きている、人間解釈の神の教えの解説、実践です。

でも1つ、今の異邦人と1世紀聖書に記された人たちと、全く違うのは、彼らは、モーセの五書=神の言葉は終わりです、無効で破棄されたのです、などという、ずれた冒涜思考ではないのです。

神の言葉の周りに、神の言葉が害されないように、人間が考えた垣根を何層も作り、結局神の教えの本質から外れて、人の作ったルールを守ることに固執し、本末転倒な教え、生き方を人に強要してしまっているのです。それが、手洗いの儀式であったり、

シャバットに空腹でも、落穂を拾うのは、ダメと言ったり、シャバットで病人を癒したイエシュアを咎めたりと、人の本質、神の伝える愛の生き方の思考回路、行動とは完全にずれている!

現在では、シャバットには電気のスイッチを触れないという、

人の作り出した教えの垣根をたくさん編み出して、それが神の教えだと勘違いしているのです。

そういう教え、思考回路、行動が神の教えとはずれている!神の教えではない!とイエシュアが戒めている場面なのです。イエシュアがご自分の言葉=父の言葉を古い悪い呪い律法などと、いつ教えていますか?そんなこと、一体聖書のどこに書いてありますか?書いてない!書いてあるわけありません!!!

聖書に書いてないことを信じている!と、聖書から気がついてください。人の伝統の教え、言い伝えに固執し、神の教えの方を蔑ろにして、無効にしているとイエシュアが警告している、その場面です。聖書ではない、伝統の言い伝えの、人の教えを尊重し、固執し、神の言葉を無効にしている!同じことをしているのです。

そして、親が困ってるのに、儀式に使うコルバンにお金使ったので、親にあげるお金ありませんと、父と母を敬えという神の教えから、ズレた行動をしていることを戒めました。

 

そして、ユダヤ人の他、異邦人達も物を売る市場に行ったら、自分の手が汚れるなどと考えている、汚れた手でものを触れれば食べ物も汚れると考える、でも人を汚すものは、人の内側に巣食う、ズレ=罪=本来の神の性質に造られた人の性質とは異なる性質が、人を汚すとイエシュアが教えているのです。

 

この箇所のどこに、神の禁じた清掃動物=きよくない動物も、祈れば、今はなんでもきよくなるなどと、イエシュアが言っているのか?論点自体がズレ、神が神の教え、レビ記11章を否定するという、異邦人思想=異端的な教え=人の言い伝えの方こそ、排除しなくてはいけないゴミ、異物なのです。

めちゃくちゃな聖書解説が2000年近く横行しているのに、異邦人はその間違いに、気がついてないのです。不思議な集団催眠。これは、多くの人が進化論=馬鹿馬鹿しい偽科学仮説を真実として教えられ、信じ、それが、教科書に堂々と載り、学校で教え続けているのと、全く同じことなのです。神の言葉の進化論=仮説=嘘が人の中に長年浸透しているだけです。それが神の言葉の進化論が堂々と、異邦人の世界で、教科書、本に載り、それらが神学校、群れで教えられてしまっているのです。

 

なぜ?人の思想、置換神学や、デイスペンセーション神学思想が聖書だと勘違いしているからです。

いや、神の前に何が聖別を汚す、どれほどおぞましい行為なのか、神の言葉の真実を、正しく理解する人には、神が伝える清掃動物など食べたいと、食べる!などと2度と思えなくなります。1つは神に対する冒涜、反抗をしたいなどと、主を愛する人は思わない。

それでなくても、それらの動物の性質を調べるだけで、人の体に害、菌、ゴミ、ウイルスの宝庫であるものが、気持ち悪すぎて食べたくなくなるでしょう。

今や健康志向、気にする多くの人がいますから、その点調べればわかります。普通の人が調べていますし、事実は明らか。

プラス、それらが本当に人間にとり、おぞましく毒なものです。日本人にとって、ネズミやワニを食べるとは、どういう感覚しますか?嫌ですよね。おぞましいし、感覚的にも汚らわしい。

蛇やネズミなんて、何か闇を感じるものがあります。

ネズミなど、恐ろしい病原菌を持っているのですから。

 

異教徒の生き方と同じ!神が伝える、きよくない動物とは全て

そのカテゴリーのものであり、人間が食べるために神が創造していない、別目的に創造した動物=清掃動物だからです。そして

その動物の性質を調べると、私たち聖なる民の性質と反する、

地上、空のあらゆるゴミ、死骸、毒、排泄物、ウイルス、菌を食べて掃除し、そして消化器官が未熟で、体内に毒を溜め込む性質です。

貝などをみても、ガッチリ口を閉じて中に毒を溜め込む。貝毒というでしょう。それはあなたの性質ではありません!ゴミ、毒、悪い思想、破壊を内側に取り込み、それをガッチリ温めて溜め込む、それはあなたを破壊し、神野に姿に造られたあなたの性質では、ありませんと教えています。

鱗のない魚は防御がなく、毒を直に吸い取ります。あなたは聖別されているから、毒を吸い取るようなことはしないのです!

無防備〜鱗がない、神の言葉で防御せよ!と教えられているのに、異邦人は神の言葉を捨てよ!と神の教えとは、真逆を平気で信じて教え、それが今の時代の義なのだなどと、人の教えを信じているのです。神のデザインに反することは、全部人間には毒!

でも異教神の食文化では、きよくない動物を食べるのは、当たり前のこと、だから神の教えがピンとこない、分からない。

プラス、食べてもすぐに死なない!でも、それらは、人が取り入れたら確実に人の肉体も、ウイルスを環境に撒き散らし汚染し、疫病をもたらすものなのです。

神の知恵を捨てるのは愚か!と教えている、それです。

子供が親に言われたことを、素直に聞く、理屈やからくりが

全部理解できなくても、親がそう言うなら、ダメなんだ!とどうして素直に受け取らないのだろう?人は理屈を考え、自分の理由づけで、勝手なことを言い出したとあります。その通りです。

神の警告、人を守るための警告なのに、今は、祈ればなんでもきよいですと、聖別を汚すことを、人体、環境を破壊するものを食べてもよいと、知らないまま人に教えて、そう実践しているのです。

神の言葉、教えは、私たちの健康、環境、生きる上での全ての

領域を網羅し、安全に守られるために教えているのに、危険!

言われても、神の言葉が自分には通じなくなる、それは神の言葉が終了した!という人が勝手に言っている教えを信じて、神の言葉を蔑ろ、無用にしているとイエシュアが言われた通りのことを実行しているからです。

以下は、未来預言です。ネズミも豚も同じカテゴリー=きよくない動物で、神の前には、そのようなものを食べる行為が、どれほどおぞましいのか、おぞましい動物の代表として記されているのです。自分の定義の聖別も意味ないと教えています。

未来預言です。

イザヤ65:4 墓場にすわり、ひそかな所にやどり、豚の肉を食らい、憎むべき物の、あつものをその器に盛って、

66:17 「みずからを聖別し、みずからを清めて園に行き、その中にあるものに従い豚の肉、憎むべき物およびねずみを食う者はみな共に絶えうせる」と主は言われる。
 

神の子らは神の性質ではないものを、肉体的、物理的、思索でもなんでも、神の言葉に照らし合わせて、吟味して、それらが自分の性質かそうではないか、識別して、トヴ=神の意図通りなら取り入れて、ラ=神の意図ではないなら取り入れない、吐き出して内側に溜め込まない。

反芻する動物のように、口に入れて、これが悪いものなら、吟味し、識別し、自分の中から吐き出す。神の知恵はすごいと分かるでしょう。

 

 

続く