今7日間の種無しパンを祝う週です。
クリスチャンの世界では、イエシュアが祝われた、使徒達、全ての残りの民が祝った神の創造された記念日を忘れてしまい、5世紀以降祝わなくなりました。
だから今クリスチャンは神の記念日を祝わないのですが、今も神の創造された記念日が、神ご自身が神の子らを呼び出して祝う記念日であり、祭りである事は永遠に何も変わらないのです。
神が呼び出している日、記念日は永遠に変わらない事を聖書の事実から確認すれば、聖霊がはっきり神の言葉の事実に基づいて
教えて下さいます。何も変わらない!
イエシュア、弟子達、聖書に登場する残りの民、イエシュアに付くもの達は、皆これを祝っていたのです!
この週、何度も出エジプト〜子羊の血で贖われ、新しくされ、
復活の命に連なるもの、マッツア=種無しパン=罪が削ぎ落とされた人の事実を、種無しパンを食べて頭脳にインプットする強化習慣なのです。そして、今復活を祝う、初穂の祝い日です。
罪〜神の言葉ではなく、混ぜ物の言葉、教えに耳を傾け意識を奪われて、神の言葉からズレた結果、罪が全人類に入り込みました。
2つ分裂した家族ではないのは、人は1体で繋がれている、同じ
土=アダマから造られて、同じ人から全ての人類が出現した事実は変わらない、だからたった一人の人が犯した罪で、全人類が
同じ影響〜死=体の死と、霊的な死=神から離れてしまい、別の場所に飛び出して閉じ込められた事になってしまったのです。
私達が閉じ込められて出られない場所まで、イエシュアが来られて、私達が引き出されたのです。
出エジプトの出来事はそれを表しているのです。福音は最初から
同じです。
エデンの園でズレてしまい、エデンから出されてしまう時、
神が屠った動物〜子羊の血の贖いを表す、”毛皮”でアダムとハヴァを覆われたのです。あれは神が屠った子羊イエシュアの血の代価で取られた、皮=イエシュアを表しているものです。
ミシュカン=移動式幕屋の、皮、一番上に覆われている皮はイエシュアを表しているものでもあるのです。
あのミシュカンは人の体、イエシュアの体、神と人が一体に住まう事を、出エジプトした人達に、体験型学習神の家、神の臨在がある家、私達神の神殿〜の中、朽ちる体の中に神が住まう事を
最初から教えているものだったのです。
モーセの五書に福音が書いてあるのです!同じ福音、同じ救いの方法、同じ贖い=子羊の血の代価の意味は最初から教えられ、
それらを理解する残りの民が、太古から永遠からある同じ福音を
語り継いで来たのです。
人の教えが混ざって、純粋な神の言葉が曲げられて、宗教という
別の教えが入り込みましたが、聖書は永遠に福音、イエシュア、
イスラエルの神が人に語る真実を世界へ伝えている唯一の書物なのです。
神の言葉を曲げるから、人は迷い出て、別物を作り出すのです。
初穂〜復活の命を祝う日は最初から神が創造されて人に教えています。種無しパンを食べる7日間の真ん中、今がその時です。
エデンの園で罪が入り込んだ時、呪われたのは人ではなく、
大地!と書いてあります。
人が造られた地=アダマが呪われて、アダムが呪われたのではないのです。
でもその地のおかげで、人は苦労して労働しなくては糧が得られない様になりましたね。
その呪われた大地〜アダマから、新しい命が芽生える!それが
イエシュアの復活の命を表す、初穂の祝いの日なのです。
この呪われた大地〜土、人をイエシュアの購の血の代価できよめ
新しい命に変身させた、その事を表すのが初穂=イエシュア=復活の命の祝い日です。
そして、すべてイエシュアに連なる人はこの新しい初穂=イエシュアの復活の命に連なって加えられることを、作物の成長で
表して教えているのです。
神の記念日は全て収穫を中心に教えているのです。
この初穂に連なり、その実りがこれから7週続いて、新しい人として生きる7週の間、それを考え生きて、シャブオート〜ペンテコステの祭りを迎えるのです。
これを考えて行くと、どんどん見えてきます。
この週、種無しパン除去を過越の祭りの前にした人は色々気がつきます。
種無しパン、イースト菌が入るお菓子やパンなど除去しました
引き出しも掃除したと思ってても、どんどん見つかります。
あそこにもここにもある!
でもそれは、種=罪を意識するから気が付くのです。
自分の中に相応しくないものがあるのは、過去の記憶で生きていた全てからくるもので、これは新しくされた人ではない。
あなたは罪人!ではなく、あなたのその考え、思考回路、行動は
死んだ人のまま生きているよ!そう言い換えて、それでは新しい人として、どう考える、どう解決する、どう直す、どう行動する
と変えればいいだけです。
人をどこまでも、罪人と言う色眼鏡で見て、自分がどんなにダメなやつ、過去にこれこれあれこれあるから、もう汚れててダメ!と自己嫌悪させるのは、サタンです!
蛇は人を責め続け、どんなにダメなやつか、耳元、頭の中で
囁くの、気がつきませんか?それは自分の言葉で自分に対して
四六時中語るのですが、その背後にいるのはサタンです。
あなたはダメ!もうだめ、見捨てられているよ!と考える時、
その発想は、イエシュアからではなく、サタンから来ている事に
気が付いて、即座にイエシュアの言葉を宣言して、サタン退治を
して、追い出して下さい。
ワイパーで、埃や水をどかすみたいに、決して、新しい人として
意識して、そして神の言葉=世界で一番最強のパワフルな現実を
宣言して、その事実の上に生きる!それを日々して、成長する
それが初穂が実る過程であり、この地上の人生の中で、仮庵の中で朽ちる仮の体の中で、イエシュア=聖霊が共に住まい生きる現実を学習する、荒野の40年の旅路と同じであると分かります。
約束の地〜天の中に迎えられるまで、それを生きるだけです。
過越の祭りの7日間の種無しパンの祝いの中で、過越の事実、
贖い出され救われた事を何度も回想して祝うのは良い事です。
以前に書いた記事を続きでUpします。