神の臨在は人の中にある事を最初から教えている | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエスさまの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

贖い、救い、赦し、助け聖霊は2000年前にキリストが来られて初めて人に与えられ有効になったと教えられて来ましたが、

永遠から!エデンの園=地上の最初から、同じ福音=救い、贖い、赦し、恵、信仰義認、聖霊が与えられ教えられている事実が聖書には最初の最初から記されているのです。

この世の礎が創造される前からあった”屠られた子羊”と、この世の礎が造られる前から私達は神により既に選ばれていた!!!!と書いてある事をずっとこれから毎日考え続けたら、聖霊が

時空を超えたタイムレス〜永遠不変の贖い、救いの聖書に記された事を教えて下さいます。

聖霊=言葉。神の言葉を捨てる=聖霊を捨てる、照らし合わせる真実を映し出す鏡である基準=神の言葉の真実を捨てる事です。だから何が本当なのか分からなくなるのです。教皇までも今は

神の言葉ではなく、一般的に人気のある人の常識を基準に生きましょう!その様な時代になりましたなどと言っているのです。

カトリック宗教と言うトップの人物が神の言葉を堂々と否定する

それは今の時代の大衆に受け入れられる行為だからです。

 

この事は1世紀後半に既に異邦人の世界で起きました。

大衆〜と言うその裏にある圧力は闇の勢力なのです。彼らの気に入らない事を彼は言うことが出来ません。それを理解すれば

簡単に分かります。そんなトップではなくてもどうして人がメデイアから活動を阻止されたり、消えたりするのか、それは知られたくない情報、言ってはならない事を言ってしまったからです。

これは別の話なのでしませんが、とあるインチキ捏造研究論文を

発表し、それが世界の有名な学者、英語圏では何百万と言うフォロワーがいる学者の専門サイトで、その捏造、インチキが取り

上げられてしまい、その捏造を知る関係者が不明の死を遂げている。そう言う闇の世界があるのです。

研究者の中には捏造不正論文を書いたり、捏造するその様な違反行為がたくさんあるそうで、真面目に研究している人達には

それが耐えられない行為であるから、その様なものを調べている

人達がいるのです。そうですよね。嘘でも良い?名前が売れて

有名になれるためなら、インチキ研究や嘘で学位を取るために何でもする、その様な不純な行為は取り締まるべきものです。

 

だから、教師、学者が嘘、偽りを言うわけ絶対ないなどない。

普通の人は嘘を言おうと思って言うその様なケースは少数ですが知らない間に不真実な教えをしている事が多々あります。

だから教師だからと言って全部正しい事を知っている、言っているのではないのです。進化論を解説する科学者は正しい事を

語っていませんよね。それと同じです。

特に神の言葉をどの箇所でも否定する教えは、聖書ではない!

全部分からなくてもその絶対的な聖書の土台=基本的事実だけを掴んで聖書を読んで行けば、聖霊が必ず真実を求める人に神の言葉から明らかに教えて示して下さいます。

神の言葉を捨てる背教の時代が堂々と現れ出てきてしまったのですから、小さい細い小川のせせらぎの様に、注意を払わなければ忘れてしまう=神の言葉にだけいつも意識を集中させて、神の言葉をどの箇所でも捨てよ!と言う教えはサタンから出たものである事をはっきり聖書から自覚して生きたら守られて行くのです。

 

イエシュアが語られた言葉は1000%モーセの五書であり、

当時1世紀のユダヤ人は、イエシュアが語られている教えは、

10000%モーセの五書からのみ話していると言うことを理解して聞いているのです。だから聖書に書いてある通り、聖書を聖書の通りに理解して生きる事に軌道修正しなければならないのです。

ヨハネ10:7-9に記されている”門”聞いたら、当時の人は過越の

子羊の血が塗られた門=鴨居、贖い、救いと直結出来るのです。そして、それがタナック=モーセの五書、預言書諸書に記された約束のメシアである事をタナックに記された根拠をイエシュアが話して実際に生きる中で、人々がタナックの中に約束された

メシアだと気が付いて行ったのです。

タナックに記されたメシアを知るユダヤ人はずっとメシアが地上に来られる事を知って待望していたのです。

でも書いてある様に、サドカイ派のある人々は復活を信じていないとありますから、ある人々は聖書を正しく理解していなかった

と言う事も明らかなのです。

誰もイエシュア=門=子羊の贖いの血の代価を通して以外父の元に戻ることは出来ない!とイエシュアが言ったら、それは過越で表された子羊の代価=贖いであると結びつけて理解して聞いているのです。だから救いが突然2000年前に

現れたのではないのです。イエシュアは目に見えない現実、永遠の中に最初から存在して、イエシュア=言葉により、イエシュアを通して全ての創造物は物理的にこの世界に現れ出たと書いてあるのです。

ミシュカンの中、至聖所に入れるのは大祭司だけです。レビ族のアロンの家系の男子が地上の大祭司を代表出来るのですが、

その影の本体はイエシュア=メルキゼデクに属する天の祭司です。だから、イエシュア以外誰も贖いの業が出来ない!と

最初から教えているでしょう。最初から同じ福音、永遠から同じ!そして、本物の天の祭司=イエシュアが地上に戻られたら

レビ族アロンの家系の男子の大祭司の役割は終わる!それが

ヘブル書に書かれた、古い=契約!などと書いてません!

祭司システム〜古い

ヘブル 8:13 神は、「新しい」と言われたことによって、初めの契約を古いとされたのである。

年を経て古びたものは、やがて消えていく
 
この箇所のギリシャ語では契約と言う言葉は無いのです。翻訳者が勝手に契約〜無い言葉を翻訳に挿入したのです。
でも、ヘブル書の前後の文脈を読めば、その内容はずっと祭司制度の事を話している事が書かれいてるのです。
神の契約=ブリット=モーセの五書は永遠に廃れない!変わらないと言う揺るがない事実土台大前提を揺るがして考えては、聖書に書かれた真実が別物の教えに変形してしまう、それをずっと
異邦人の世界ではやってしまっているのです。
古代も今も未来も誰一人イエシュアの贖いの血の代価を通して
以外父の元に来ることは出来ない、救いの方法は1つしかない。
と言う事実からだけ考えれば聖書の永遠不変、タイムレス、
時空を超えた真実が読み取れる様になります。

 

出エジプト26:7-14

これは長いので、次のページに貼ります。

神はモーシェに、天にある実際存在する神の家を見せました。

そして、その天にある家、そっくりそのままの通りに、神が伝える寸法、内容、素材通りでミシュカンを作りなさいと神は

モーシェに言われました。

あなたに伝えた通りの神の家を作って!これ人の生き方を表している言葉です。あなたに伝えた通り!私の言葉通りを生きて!と言う事ちゃんと最初から神は人に伝えているのです。人間が好き勝手に生きて良いなど神は言いません。神の許された境界線の中なら自由に、神の教えに反する事ではないなら、自由に最善を選んで生きて良い。神は人を見張り、人の全ての行動に制限をかけているお方ではないのです。

安全圏の中で、神の意図した通りに生きる。それだけです。

親が子供に家のこの庭の中でなら遊んで良いよ、危ない池には

近づいてはダメだよ。そこにある岩は危ないから登らないでね

門を勝手に開けて道路に出てはダメよ!これ子供を守る賢い親でしょう。神も同じです。神の教えを律法などと言い、するしない厳しい掟リストが書かれているなどと大いに誤解しているから

神の愛の教えが見えないままなのです。トラーを読むと神がどんなに良いお方で、小さな雛鳥の1羽にまでも心を配っている事が

書かれているので感動します。その様な神の教え=言葉を人間がを踏みつけにして、律法!廃れた!古い!無用!それ酷いと気が付きもしない程、神の声から程遠い場所に行って宗教=人の教えに聞き入ってしまっているから、教皇の様な発言が出てくるのです。

出エジプトして神の花嫁として娶られた人達に、神は、神と共に

住まう意味、イエシュアの実態を神の家を通して人々に教えました。この中に色々な教え、意味が搭載されているのです。

 

ミシュカン〜מִשְׁכַּן, シャハン〜住まう、休む、その中に住むと言う言葉から取られています。

そして、このミシュカンを神はאֹהֶל מוֹעֵד, オヘル モエド

会見のテントと呼びました。モエド〜聖書の最初、創世記に

出てくる言葉で、季節と訳されている、モエド=モアデイム

(複数)神の記念日=定めの時を司るために天の万象を造られたとある言葉です。

 

神が人と会見する場所=神の家を教えているのです。

神の宮である、イエシュア、そして神の宮である私達の事をこのミシュカンを通して教えているのです。神は人の中に住まう、

神が私達と共に住まいこの地上の朽ちる体の中に居て、私達も

神の中に居て、神と会う。これ全部繋がっていますから、

ゆっくり1つ1つ考えてみて下さい。

天に存在する神の家、目に見えない神の家を地上でそっくりそのままを映し出す”神の家”です。

この移動式ミシュカンの素材、中に置かれているもの1つ1つに

意味があります。

先ず、ミシュカンが何を表しているのか、外側にかけられた

ミシュカン全体を覆う幕を見てみます。

この幕は3層になっています。全部動物の皮で出来ています。

一番内側の幕は、温度を保つためにかけられる幕です。

真ん中の幕は、ミシュカンの構造を支えるためのものです。

そして一番外側のものは、雨や雪などからしっかり遮断する皮です。その皮は、タシャシュと言うヘブライ語が使われていますが、その動物の皮が何を意味するか今は分からないのです。

なぜなら、その言葉が今は使われないものだからです。だから

その一番外側の皮は、山羊、アザラシ、アナグマ、又はイルカなどと訳されていますが、不明です。とにかくこの皮はミシュカンを守るための皮の役割をしています。

 

この外側に覆われた幕で何を神は人に教えていると思いますか?

人間の皮膚!!!このミシュカンは体を表しているのです。

人の皮膚も3重構造ですよね。外側の皮膚は体内に外側のものが入り込まない防御の役割をしています。

ミシュカンの3重の幕と全く同じ役割です。

私達の体を神の宮と言うでしょう。ペテロもトラーに記された

ミシュカンの事を語っています。

 

2ペテロ1:13 わたしがこのミシュカンにいる間、あなたがたに思い起させて、奮い立たせることが適当と思う。

 1:14 それは、わたしたちの主イエス・キリストもわたしに示して下さったように、わたしのこのミシュカンを脱ぎ去る時が間近であることを知っているからである。

 

あちらこちら飛びますが、ゆっくり考えてみて下さい。

エジプトから出て、荒野に導かれ、このミシュカン建設の前に

神のブリットを与えられました。ここまでの一連をもう一度

復習してみて下さい。

エジプト=奴隷〜偽の主人、神々の支配の下に生きて、本物の

主人=創造主を知らないで生きていた、それがエジプトで表されています。エデンから飛び出た事=神の内側から外側に出て

本来あるべき場所=神の中ではない、別の場所に閉じ込められていた=エジプトです。イエシュアに出会う前の人は漏れなく、古代のあのエジプトに住んでなくても同じ状況に在ったのです。

 

そして、エジプト=本来居るべき場所ではない場所から、神に

より贖い出され連れ出された。10の災いの神々〜私達の命

生き方を縛る偽物教え価値基準、それらが10の神々で表されているのです。最後は災はエジプトの王=エジプトの神々〜太陽神

より自分は最高の権威がある!としたファラオに対する裁きです。これ私達にも繋がる事実です。神の上に人間がマウント、

権威を取る!これが世界の生き方でしょう。その権威に対する裁きが最後の初子の裁きです。偽物の生き方を継承させる事を断つ!!!

 

そして、エジプトから出た〜贖われた人達=私達も物理的には

同じ場所に住んでますが、霊的旅路は出エジプトしました。

古い自分にキリストと共に死んで、新しい人にキリストと共に

復活したとあるでしょう。何も感じないけど。本当に。いや

内側で神と出会う体験をした!でも体も同じだし、大きな変化は

ない。。。元の状態で生き続けている。

 

続く

 

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