神の創造の性質の事実を人間が否定しても、偽科学で神の造られた世界を偽の教えで塗り替えて言い表しても、神の存在を忘れさせる様な仮説〜進化論、その他諸々の偽科学の仮説を唱えても、それは神の創造された世界とは別物の解説をしているだけです。
事実を曲げて良い〜廃れた〜終わり〜終了などと言う教えに聞き入ってそれが神の教えだなどと信じ込んで、絶対的な永遠の教科書、基準=神の言葉に立って考える事をしていないからです。
各自はそれぞれ心の中で、確信を持っておるべきである。
これ何度も書いていますが、このパウロの言葉を取り出して、
今は神の記念日、食規定も廃れて、それぞれが考え確信することを生きれば良いなどとクリスチャンが解説する箇所ですが、この箇所は神の記念日や食規定が変更された事などパウロは一切話していません。文脈、パウロの論点の内容から完全に逸脱した読み込みをしているだけです。最初に書いてあるでしょう?
パウロは”意見!”を批判するなと言っているではないですか。
神の教え=言葉などではない、人間の意見に関して人が批判してはならないと話しているのです。
それぞれが、考える事=意見であり、神の教え、言葉などでは
ないのです。大体、神の言葉を捨てて良い!などと考えている
場合、本当に聖書=神の言葉が何なのか分かっていなかった1世紀の異邦人教師達と同じ、ズレた思考回路の中で神の言葉とは
違う事を空想している事に気が付かないとならないのです。
神の警告〜聖書に書かれているのは、”神の声=コルの下で
神の声の中で、神の声を聞くならば”とヘブライ語で何度も書かれています。もしあなたが聞くならと訳されていると思いますが、詰まり、神の言葉=神が言う教えの中にピッタリ入り、その周波数=語られている真実からずれないで、神が言う通りを聞いて理解するならば〜とヘブライ語では書いてあるのです。
でも巷で聞く教えは、神の伝える言葉=教えとズレた神の言葉
終了〜破棄〜捨てて良い〜関係ない〜神の言葉より人の確信が
上!などと恐ろしい事を教え続けているのです!!!
パウロが話しているのはそれぞれが考える=意見であり、それは聖書とはズレた考えの事ではありません。
この裏にあった背景は、自分が大事とする日〜これは神の記念日ではなくて、当時どの日に断食するのが効果的とか、これはトラーの教えではありません!が、そう言う習慣がこのローマ人の中にあったのです。それでどの日に断食するのが有効で良いのかとかそれぞれ考えていた事、どの日が良くてどの日が悪い。
日本人なら分かるでしょう。異教徒の世界〜六曜と言われる、
「先勝」「友引」「先負」「仏滅」「大安」「赤口」
などと名前を日に付けているでしょう?そんな迷信どうでも良いのに、日本人ならものすごく気にしませんか????
それと同じ思考回路の事です。それこそ、先祖の言い伝え〜
律法の行い=人間が考えた教えのあれこれ、伝統の教え〜と
書かれている事なのです。でも信仰の弱い人=信仰が浅い人は
日本人なら、それらの日にこだわるでしょう?仏滅に葬式?
火葬は日本ではしませんよね。そう言う事です。
信仰の浅い人がある日にこだわっていても、それを批判するなかれ!そのうち、そんなのは関係ないと思える〜偽の言い伝えや
迷信から解放されたら、分かるからて事をパウロが言っているのです。偶像に捧げた肉も同じ主旨、意味で話しているのです。
そんな神の教えとは関係ない事はそれぞれが考えて決めたことやれば良いでしょうと言う”意見”に対してパウロが諭している!!!と言う事実があるのです。
パウロが神の言葉を曲げて、違う教えを編み出して人に教えた事は1度もありません。神の教えをそれぞれの群れが抱えてたい問題に対して、どの様に適用するかを教えているからです。
その場合には神の言葉は決して曲げないのです。
補足ですが、前にも話しましたが、ある人は家族の誰かが亡くなったらその場合、お風呂に入らない、楽で心地よいことしてはダメだと考える人がいるのです。でも、イエシュアの様な知恵がある人は、生きている人の体を労わるのが大事だから、温かい風呂に入ろう!と言うのです。分かりますか?
イエシュアもそれを言っていた、やっていた。
シャバットに人を癒す、畑に入り、落穂を拾い食べる!OK!
当たり前でしょう?そう言う神の考えに沿った思考回路を持つと言う事が大事なのです。
それなのに、神の記念日はそれぞれが大事と思う日に変えて良い
などと言う、神の教えに反した教えを編み出されてしまったのです。とんでもない誤解をしながらパウロの書簡を読んでいる事に
まず気が付いて下さい。
パウロは生涯1000000%モーセの五書に忠実であり、
モーセの五書=父の教え=婚姻契約に記された生き方を貫いた
人にも教えた人!と本人が証言しています。そして当時はパリサイ派が大多数であったのでパウロはパリサイ派のグループ長老達との交わりの中にあった事が書かれているでしょう。それがエルサレム会議使徒15章でも証明されています。しかも、パウロは議会の前で、”私パウロは、パリサイの中のパリサイの子”と証言しているでしょう。どう言う意味で言っているか分かりますか?その意味は、パリサイ派の人々と同じく1000000%モーセの五書に忠実に生きて、教えている!とパウロが言ったのです。
パウロを別人物像で語ったり、嘘つき呼ばわりしてはなりません。カメレオンの如く、ユダヤ人へ異邦人へ違う事をコロコロ
言い換える!と教えているでしょう?どうしてそんな教えするのか、聖書ではない、空想話を根拠にしているからです。
この様な事実1つ1つ繋げて行けば、モーセの五書をパウロが
終わらせた!などと言う創作話が嘘=聖書には書かれていない事が証明されているので、神の語る永遠の真実を発見出来ます。
大体、神がご自身が永遠不変の神の言葉ー教え!と人に伝えて言っているのに、人間であるパウロが神に成り変わり神の言葉を曲げる行為は、神の罪の定義では死に匹敵する罪なのです。そんな事トラー学者であり、異邦人の世界にもトラーを教える教師として神から遣われた人なのに、神の言葉、教えを曲げる、歪める、聖書ではない自分の創作した神の言葉を否定して良いなどと言う教えなどしません!パウロの証言を頭脳に入れておくと良いです。パウロは、当時巷でモーセの五書に熱心であったユダヤ人
イエシュア信者達の間で、パウロがモーセの五書に反した教え
割礼を禁じたり、その他トラーに記されたユダヤ人なら誰も知る
教えに反する事を教えていると噂されて、その噂が嘘!である事を証明するためにエルサレムの神殿で”ナジル人の請願”を大金叩いて、他の人も連れてやったのです。これは最低30日はかかる
もので、お金もかかる、簡単なものではないのです。
使徒21:24 この人たちを連れて行って、彼らと共にきよめを行い、また彼らの頭をそる費用を引き受けてやりなさい。そうすれば、あなたについて、うわさされていることは、根も葉もないことで、あなたはトラー=モーセの五書を守って、正しい生活をしていることが、みんなにわかるであろう。
21:26 そこでパウロは、その次の日に四人の者を連れて、彼らと共にきよめを受けてから宮にはいった。そしてきよめの期間が終って、ひとりびとりのために供え物をささげる時を報告しておいた。<ここに書かれた事実だけでパウロは10000%モーセの五書に忠実に生きて教えた証拠なのです!>
聖書に書いてある事を丸無視して、勝手なパウロ像=モーセの五書を否定した新しい教えをパウロの書簡で書いてる!などと言う間違った解説の方を全部破棄しないとならないのです。
教師が、大衆が19世紀の間の長い間教えている事が正しいのではなく聖書の土台、根幹を覆す思想=神の言葉は終了ありき!で全て語る教えは、ある部分は正しくても、神の言葉を否定する教えは、聖書ではないのです。
神は時を造られました。創造の業は6日の間、そして7日目に止まった。神が止まられて、神が完成された全てを喜び楽しむ、
創造物が全部揃ってこの歴史初めての”シャバット”がエデンの園で神と、人と創造物全てで祝われたのです。
私達は、エデン=喜び=神の中を飛び出しました。幕がかかり、壁が出来ました。エデンの園では、アダムとハワは神の声を聞いて、神と共に語り、神の臨在=顔と顔を合わせて神と共に生きていた。素晴らしいエデンの園を涼しい気持ち良い風が爽やかに吹く中、神と共に歩んで過ごした、その場所から飛び出てしまい、全てが見えなくなりました。
神と人との間に隔たりが出来てしまったのです。人と人との関係=夫婦〜一番親密である関係が壊れた!今私達直接神を見ることが出来いないですが、目に目ない神の臨在は私達の中にあります!そして、私達も神の中にいると書かれています。
これがこれから説明したい”ミシュカン”で表されて教えられていることでもあるのです。
神が神の記念日を創造されました。その記念日全ては、イエシュアを表している、イエシュアの贖いの業を表している、地上で
実際に起きる出来事=預言的出来事を表している、神の中に住まう事実を教えているのです。福音を網羅する教えが詰め込まれているのです。イスラエルの神の教えの全ては実際に生きる事に
1000%直結しています。
西洋人の世界の様に、聖書とは思想を語ることではないのです。
だから異邦人は神の言葉は生きる必要がないなどと言うのですが
それは神の教えを理解していないから、その様な発想をするのです。背景が異教徒思考回路だからです。
だから聖書読んでも分かるでしょう。行いの無い信仰は死んだもの、意味なし、口先だけと。そうですよね。本当に。
どうしてそんな神の言葉はクリスチャンは今生きる必要がなくなりましただの、人間が考えた思想を神の教えであるかの如く
完全に誤解しているのでしょう?それは人が考え出した思想で
聖書=神の言葉の方を曲げて聖書を誤解して読んでいるからです。そこが問題!!!の根。エデンの園と同じ問題!
神の言葉ではない、神の言葉に混ぜものし、真実を別の教えで
薄めて、本当はそうかも〜と思わされて、嘘の教えの方を、自分の確信により選んで食べた。。問題の根が同じだと気が付きますか?シャバットの主はイエシュアである!!!!!
マタイ12:8 人の子は安息日の主である」。
シャバットは、今見えない天の現実〜エデンの中に住まう事が
今目には見えないけれど、実は神の中に住まっている現実を皆で
思い出し、皆で修復する。関係を修復する。
壊れた家族!これが問題の根。今の世界は破壊〜夫婦、家族を
破壊している事気が付きますか?男性女性〜神が創造した人間を言い表すことも否定されているでしょう。LGBTQも家族、神のデザインを破壊する行為です。世界は罪へ扉を開き、クリスチャン牧師達、教師達、リーダー達、教皇でさえ罪を祝福している!受け入れている!とんでもない行為は、全て神の言葉を捨てた
ことから来ているのです!
被災地で行われている事〜。子供を親から引き離し、家族がバラバラ、夫婦別部屋に避難させている、全部闇の世界の実験です。
破壊へ向かう実験。人がどんな反応をするのか。
話が逸れるので、元に戻すますが、シャバットは全ての祭り、
記念日の中心です。
やがてくるイエシュア統治の世界〜永遠の中に住まう現実を今
目で見えないけれど、リハーサルしている!安息に住まう練習。
エデンから出てエデンに戻る。私達の現実は、神に取り戻され
新しくされ、今神の中に住んでいる!神も私達の内側に住んでいる!これほど近い関係はない。遠い遠い場所に神が居るのではなく、あなたの腹の中!カロヴとヘブライ語で書かれています。
しかも、ヘブライ語で憐れみは”子宮”と言う言葉と同じです。
神の創造物で私達は理解出来るでしょう。母の胎内〜安全に守られ、水の中に浮かんでいる!生ける水!イエシュアの中に居る!
そして、臍帯で繋がれている。この臍帯は栄養素、命を繋ぐ源と繋がっているでしょう。命の源は何?命の発生場所は何?
神の言葉!!!言葉=イエシュア、イエシュア=言葉を通して
世界の全ては出現し、そして私達はイエシュアを通してのみ
父の元に戻ることが出来る!全部繋がっているでしょう。
命の源=言葉、人の生命を育む源=神=言葉=イエシュアと
切り離す教え=それが破壊の教えなのです!
蛇は人に真実を知られたくないので必死なのす。イエシュアがされた様に神の言葉には特別な力があります。言葉で全てが造られた様にだから、蛇は人を神の言葉から気を逸らせて、別物に熱心にさせて別物の活動に熱心にさせて、疲弊させるのです。
神の言葉は臍帯と同じです。神と直結、私達を神の臨在=命=
イエシュアと繋ぐものなのです。
永遠の中=神の中=エデンの中に皆で戻り祝う、神が聖別された
週一度の記念日は第七日目!人がそれを変えてしまって神の中
声の中から飛び出し、神の声が聞こえなくなってしまった。
どうして?神の言葉を捨てたから。神の言葉=目に見えない現実を、言葉を通して教える手段だからです。
Shabbat Shalom