シャバット 聖書に書いてある事を聖書のやり方で行う | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエスさまの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

異邦人にはイスラエルの神の言葉は元々異物、慣れ親しんだ異教神の教えとは丸で違うものであり、聖書の最初の部分=75%は2000年前でその後古い無用の教えであると教えられるし、

実際そう感じる、考えているのです。でも神に取り、人の考えで編み出した宗教や礼拝、神の教えとは異なる人間が作った宗教の

教えや記念日の方が神に取り異物と言っています。

生ぬるい〜吐き出そう!と。高き所の礼拝=神が伝える通りではない、混ぜ物の教え、異物を混ぜて自分の編み出した方法で神に近づく、礼拝する事は聖書の至る所に記されて、神が警告しています。

神の記念日を人が作り変えた警告が、罪の代表=高き所の礼拝としてその人の名前がずっと使われています。ヤラべアムの罪。

神が伝えた事とは違う事を人がする、それが神の前に神が忌み嫌われる異物である事をはっきり伝えています。666の正体は神の言葉に反する事をする事であると書いてあります。今世界は、神のデザインを破壊する事を堂々とやっている、悪を善、善を悪とし、神の言葉の真実を語り生きる人が追いやられて行く世界になっているのです。それは神の言葉、神の創造に反する事を推奨する行為であると神が人に伝えています。

人間の側で神の言う事を変えようとするその行為は、無意味どころか、人間が神になり変わる冒涜行為であり、本来の人間の生き方の性質を歪める行為だからです。

人は神が伝える事を生きると神に教えられているのに、人間の側で様々な教え、宗教、儀式、記念日を作りだし、それを神に押し付けているのです。神が人にどの様にして神に近づくか神との関係を育むと伝えている事が重要ではなく、自分達の考えが中心。

その様な行為は、人間が神の言葉を退けて、人間が神の上に上昇し、そして神の権威の上に座る、自分が神になっているのです。

神は最初から今現在に至る迄も、神の言葉ではなくて、自分の確信する所を生きて良いなど一言も言ってなどいません。パウロの書いた書簡を読者が勘違いして読み込みしているだけなのです。

 

ネヘミヤ13:1 その日モーセの書を読んで民に聞かせたが、

その中にアンモンびと、およびモアブびとは、いつまでも神の会に、はいってはならないとしるされているのを見いだした。

13:2 これは彼らがかつて、パンと水をもってイスラエルの人々を迎えず、かえってこれをのろわせるためにバラムを雇ったからである。しかしわれわれの神はそののろいを変えて祝福とされた。

13:3 人々はこのトラーを聞いた時、混血の民をことごとくイスラエルから分け離した。

<この様な箇所を読んで、?はてなと思うでしょう。でも神が

伝えているのは、肉のまま、神の元に来れない事を教えているのです。アモン人、モアブ人、何人でも、もしイスラエルの神を

信じるならば、聖なる民となるのです。でもその肉のままでは

ダメですと言うこと。

13:14 わが神よ、この事のためにわたしを覚えてください。

わが神の宮とその勤めのためにわたしが行った良きわざをぬぐい去らないでください。

13:15 そのころわたしはユダのうちで安息日=第7日目に酒ぶねを踏む者、麦束を持ってきて、ろばに負わす者、またぶどう酒、ぶどう、いちじくおよびさまざまの荷を安息日にエルサレムに

運び入れる者を見たので、わたしは彼らが食物を売っていたその日に彼らを戒めた。

13:16 そこに住んでいたツロの人々もまた魚およびさまざまの品物を持ってきて、安息日にユダの人々に売り、エルサレムで

商売した。

13:17 そこでわたしはユダの尊い人々を責めて言った、

「あなたがたはなぜこの悪事を行って、安息日を汚すのか。

13:18 あなたがたの先祖も、このように行ったので、われわれの神はこのすべての災を、われわれとこの町に下されたではないか。ところがあなたがたは安息日を汚して、さらに大いなる怒りをイスラエルの上に招くのである」。

13:19 そこで安息日の前に、エルサレムのもろもろの門が暗くなり始めた時、わたしは命じてそのとびらを閉じさせ、安息日が

終るまでこれを開いてはならないと命じ、わたしのしもべ数人を門に置いて、安息日に荷を携え入れさせないようにした。

13:20 これがために、商人およびさまざまの品物を売る者どもは一、二回エルサレムの外に宿った。

 13:21 わたしは彼らを戒めて言った、「あなたがたはなぜ城壁の前に宿るのか。もしあなたがたが重ねてそのようなことをするならば、わたしはあなたがたを処罰する」と。

そのとき以来、彼らは安息日にはこなかった。

13:22 わたしはまたレビびとに命じて、その身を清めさせ、

来て門を守らせて、安息日を聖別した。わが神よ、わたしのためにまた、このことを覚え、あなたの大いなるいつくしみをもって、わたしをあわれんでください。

13:23 そのころまた、わたしはアシドド、アンモン、モアブの女をめとったユダヤ人を見た。

13:24 彼らの子供の半分はアシドドの言葉を語って、ユダヤの言葉を語ることができず、おのおのその母親の出た民の言葉を語った。

13:25 わたしは彼らを責め、またののしり、そのうちの数人を撃って、その毛を抜き、神の名をさして誓わせて言った、「あなたがたは彼らのむすこに自分の娘を与えてはならない。またあなたがたのむすこ、またはあなたがた自身のために彼らの娘をめとってはならない。

13:26 イスラエルの王ソロモンはこれらのことによって罪を犯したではないか。彼のような王は多くの国民のうちにもなく、神に愛せられた者である。神は彼をイスラエル全国の王とせられた。ところが異邦の女たちは彼に罪を犯させた。

13:27 それゆえあなたがたが異邦の女をめとり、このすべての

大いなる悪を行って、われわれの神に罪を犯すのを、われわれは聞き流しにしておけようか」。

13:28 大祭司エリアシブの子ヨイアダのひとりの子はホロニびとサンバラテの婿であったので、わたしは彼をわたしのところから追い出した。

13:29 わが神よ、彼らのことを覚えてください。彼らは祭司の

職を汚し、また祭司およびレビびとの契約を汚しました。

13:30 このように、わたしは彼らを清めて、異邦のものをことごとく捨てさせ、祭司およびレビびとの務を定めて、おのおのそのわざにつかせた。

13:31 また定められた時に、たきぎの供え物をささげさせ、また初物をささげさせた。わが神よ、わたしを覚え、わたしをお恵みください。

ゼカリヤ14:21 エルサレムおよびユダのすべてのなべは、

万軍の主に対して聖なる物となり、すべて犠牲をささげる者は来てこれを取り、その中で犠牲の肉を煮ることができる。その日には、万軍の主の宮に、もはや商人はいない。

 
未来は、神の教えやシャバットを汚す商人=神の教えに反する者は神の宮には存在しなくなる。
ダニエル7:25 彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時=神の定めの記念日と
トラー=モーセの五書とを変えようと望む。聖徒はひと時と、
ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。

ヤロべアムの罪とは何でしょう。自分の考え、神の言葉を曲げ、自分の手で編み出す神への礼拝方法と神の教え、神の記念日を

自分の考えで勝手に作り変える事です。
1列王記12:27 もしこの民がエルサレムにある主の宮に犠牲をささげるために上るならば、この民の心はユダの王である彼らの

主君レハベアムに帰り、わたしを殺して、ユダの王レハベアムに帰るであろう」。

12:28 そこで王は相談して、二つの金の子牛を造り、民に言った、「あなたがたはもはやエルサレムに上るには、およばない。イスラエルよ、あなたがたをエジプトの国から導き上ったあなたがたの神を見よ」。

<エジプトから導き上ったのは、金の子牛ではない。シナイ山の

麓で行った罪を繰り返し、しかも2つの金の子牛を作っている。>

12:29 そして彼は一つをベテルにすえ、一つをダンに置いた。

12:30 この事は罪となった。民がベテルへ行って一つを礼拝しダンへ行って一つを礼拝したからである。

<神の神殿は、エルサレムにしか建ててはならず、そして神の祭壇もエルサレムの神殿の中だけです。詰まり、神が指定した所ではない、人間が勝手に作った場所で、神へのコルバンを捧げてはならない事が教えられています。アロンの子ら、ナダブとアビフも、神のミシュカン〜移動式神殿が稼働する時、神が直接天から下した火ではない、自分の手で起こした異火で祭壇のコルバンを捧げて、命を落とした記録の意味をはっきり理解しないとならないのです。レビ記10:1-2

人の手で編み出したものは、神の中に受け取られるものではない

異物であると神がはっきり教えているからです。>

 

1列王記12:31 彼はまた高き所に家を造り、レビの子孫でない

一般の民を祭司に任命した。

<神の仰せは、天の見えない神の家を地上でそっくりそのまま反映し、そして神の家の中を司り、教える人々はレビ族出身者の男子のみである事を教えています。そして大祭司はレビ族のアロンの家系の男子のみがなると教えています。ヤラべアムは、レビ族以外の一般の人を祭司として立てる罪を犯しました。>

 

12:32 またヤラベアムはユダで行う祭と同じ祭を八月の十五日に定め、そして祭壇に上った。彼はベテルでそのように行い、彼が造った子牛に犠牲をささげた。また自分の造った高き所の祭司をベテルに立てた。

<8月15日とは、聖書の暦の第8の月です。この日は何の祭りのパクリですか?秋の祭り、第7の月15日から7日間行われる、仮庵の祭りを、1ヶ月ずらして、8月15日に変えました。この様な事を今もしていることに気が付きますか?

神の記念日をシャバット=第7日目から第一日目に変えている事神の前にヤロべアムと同じ罪であると気が付きますか?神の言葉は無効と信じる人には、神の警告は何も通じなくなっているのです。>

12:33 こうして彼はベテルに造った祭壇に八月の十五日に上った。これは彼が自分で勝手に考えついた月であった。そして彼はイスラエルの人々のために祭を定め、祭壇に上って香をたいた。

<勝手に考えついた月とあります。西洋宗教が勝手に考え付いて

変えたシャバット=第7日目を第一日目、そして、その他仮庵の祭り含め、全ての神の記念日、シャバット、新月、春の祭り、

過越、種無しパン、初穂、シャヴオート、秋の祭り、ヨムテルア、ヨムキプル、仮庵の祭り全部捨てて、その代わりに別の記念日〜クリスマス、イースター、万聖節を祝っているのです。>

 
神の言葉は永遠に同じ、変わりません。 神の計画と方法は時の試練に耐え、神が望むこと、神のプランは時代毎に何の変化もなく成し遂げらて行くものなのです。

レビ記 23 章で強調されている創造主の記念日に対する任命は

その良い例です。 

これら神の記念日、祭りにはそれぞれ預言的福音的な意味があり、メシア・イエシュアに於いて実際に地上で成就された福音の内容、そしてまだこれから未来に成就される出来事〜再臨、

イエシュアの世界統治、永遠の中にイエシュアと共に住まう事を表す記念日なのです。

 それらは、神の言葉、教えの残りの部分と同様に、天と地が滅びないので、神の言葉も変更したり、無効にしたり、追加したりする事は誰にも出来ない性質のものなのです。

 

多くの人が、クリスマスやイースター様々な聖人を讃える日などの記念日、一年を通して、西洋宗教が作った様々な祝日や特別な日を祝いますが、神の創造された聖なる日は、古く、ユダヤ的で、欠けているものとして、脇に追いやられ、捨て去られているのです。神が神の記念日を祝う事を終了したと命じたからではなく、異邦人が勝手に思い付いて決めたのです。

神が私達にエデンから、そして今も未来も、神の記念日を祝う様に教えているのに、異邦人がそれを変えてしまったのです。

神の記念日は永遠の真理、真実からかけ離れたものはなく、神の言葉、福音と1体であり密着しているものなのです。神の言葉と「神の聖別された祝日」(レビ記 23:2 )を19世紀の間異邦人は脇に追いやり、人間が作った伝統の教え、記念日はまさに

「ヤラベアムの罪」であり、神が「イスラエルの家」が捕囚の民として追放された多くの理由の 1 つでした。 

それはすべて、ダビデの息子ソロモンが多くの妻と結婚し、周囲の土地と契約を結んだことから始まりました(1列王記11:1,2)。 ソロモンは老年期に、これら多くの外国人の妻たちによってイスラエルの神から神の教えから遠ざかりました(1列王記11:3-8)。 

あれだけ神と密着し神から直々に様々な知恵を与えられた素晴らしい王が腐敗に走った教訓。それは、偽の教え、異教の神々の教えを取り入れた事が原因であるのです。ソロモンの背信により、周りに多くの敵が周りに置かれたのです。(1列王記11:14-27)。 

さらに、ソロモンがヨセフ家の統治者に任命したヤラベアムに

12部族のうち10部族を与えるという意図について、アヒヤを通して語られました。(1列王記9-13&28-39)。 

ソロモンの子レハベアムにはユダとベニヤミンからなる2部族だけが残されました(1列王記12:21,23)。 それで、エフライム部族出身のヤラベアムは、イスラエル/エフライム/ヨセフの家として知られる北の10部族の王になります。このイスラエルの家が

神の婚姻契約〜トラーを生きる事から離れた、失われたイスラエルの羊となるのです。神の言葉を捨てる事の代償を聖書でははっきり教えているのに、異邦人の世界に蔓延する教えは、神の言葉を捨て去っても良いと教える、今は人間の確信する事の方が神の言葉より大事で、神の言葉に反する事、神の記念日や食規定、

その他諸々の教えは神が伝える事ではなく、人が良しとする事を生きる時代になったと聖書とは丸で関係のない人の思想=ダービー思想を聖書だと勘違いしているのです。

この時点から、紀元前 722 年のイスラエル王国の終焉まで、

ヤラベアムの罪は列王記に 20 回以上言及されています。

ヤラべアムの罪とは、高き所の礼拝、神の言葉を塗り替える教え

神の記念日を塗り替える罪、ダニエル7:25に記された罪です。
1列王記 13:34 このことはヤラベアムの家にとって罪となり、

それを切り落とし、地の面から滅ぼすことさえした。
17:22,23 イスラエルの子らはヤラベアムが犯したすべての罪を歩んだからである。 彼らは彼らから離れなかった。 主がすべての僕たち預言者に言われたように、主がイスラエルを彼の目の前から取り除くまでは。 イスラエルも同様に、自分たちの土地からアッシリアに連れ去られ、今日に至っています。

人間が自分達自身の礼拝方法を決めたり、自分達だけの特別な

神の聖日、神の記念日を神に代わり定めたりすることは、天の父の目には忌まわしい事である事が聖書には記されています。神と神の言葉が変わらないのであれば、私たちはヤラベアムの仲間入りして神が天の知恵で定めた教えや、方法を変えることをもっと真剣に考えてためらうべきであると神に教えられているのです。