2テモテ3:16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたもので
あって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
3:17 それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。
聖書にだけ戻ろう!聖書が絶対であると言う場合どうして、聖書の一部だけが今は有効、正しいなんて言う人間の思い付いた思想に根付いて考えている、その不思議に丸で気が付かないのでしょう???
神の言葉は全て霊感を受けて書かれた、聖書=モーセ、預言書、諸書は全て有益!と書いてありますよね。それは一部の神の教えのみがそうであると聖書に書いてありますか?ここら辺ではっきり人の思想と聖書の本当の中身の記述の違い、人の教えが語る神の言葉を否定して良いと言う聖書と照らし合わせると違う矛盾、違和感に気が付かないとならないのです。
パウロがはっきり全て神の言葉は正しい、それらは人を教え、
戒め、正す、義の道に導くのに有益と言っているのにどうして
クリスチャンは、全てと言う記述を一部の神の教えなどと勝手に神の言葉を書いてある記述を歪め神の言葉を却下否定し、言い換えている、その矛盾に全く気が付けないのでしょうか?
福音書以降にはタナックとは違う新しい教えと、新しいグループ
異邦人でメシアを信じる最新グループが出たと考えているでしょう?そんな事福音書以降にも書いてないのに気が付いてないのです。同じ一つの神の大家族=カハール=エクレシアしか存在してなのです。異邦人は同じイスラエルの群れ=大家族に加えられただけなのです。教会なんて言葉も原典言語には無いし、異邦人
単独グループも聖書には書かれていません。どの国に生きても
同じ1つのイスラエルの大家族のメンバーしかいない、それが神が伝える永遠の事実です。翻訳造語や翻訳で神の言葉を塗り替えたり、そしてダービーの思想の註解で聖書を曲げて読んでるから、聖書に書いてある事を正しく読み取れなくなり、分からなくなっているからです。
人の思想が伝える、聖書とは別の、違う変化するイスラエルの
神像、変化するイスラエルの神の言葉、なんでもゆる〜く許してくれる父なる神と同じではない別のイエシュア像を頭脳に刻み
こまされているからです。
何を根拠にレビ記11章に記された神の教え、インストラクションは今はもう無意味、異邦人には無効などと考え言い続けているのでしょう?聖書とは異なる教えなのに。自分の確信が今は
基準、根拠?
では聖書のどこに神の言葉は廃れ、今の時代は自分の確信する事を生きる自由な時代だ?そんな事がどこに書いてありますか?
1テモテ4章?パウロは食に関する教え撤廃などと微塵にも
話していないのです!その事実に気が付いてもいないのです。
誰が神の権威を盗み、自分を神より引き上げ、神の言葉が終わりなどと人間が言う冒涜を言い続けているのでしょうか?人間です!背教が現れるとは、神の言葉を否定する事から始まるのです。そして、神は変化進化しない。動物は進化変化していません。人間も進化変化していないのです。
レビ記11章は、今は神の言葉=教え=聖書ではありません!
などと言い続けていても、矛盾に感じない方が不思議なのです。
これが永遠に揺るがない、廃らない神の言葉の宣言なのです。
詩篇119:142 神のトラー=教えは、永遠に正しい、
まこと、真実とあるのに、神の言葉は例外があり永遠に正しいと神が言いながら、ある部分は途中で廃れ、破棄され、無効になると言う、勝手な人造教理を作っているのです。
人間が神の教えとは違う事を言っているだけです。
ダービー思想を信じて唱え続けているから分からないのです。
しかし食物は、信仰があり真理を認める者が、感謝して受けるようにと、神の造られたものである、とパウロが書きました。
神が造られた人間の食べ物を、神への信仰があり、真理を知り、認める人=神の教え=トラー=モーセの五書を知る人が受け取る食べ物とはパウロは何と考えて言っているのでしょうか?
レビ記11章に書かれている、神の教えの真理を知って理解している人=きよい動物が人間の食べ物であると理解、認識している人が、感謝を持って受け取るとはっきりパウロは書いているではないですか?
ここにある、食べ物を禁じるとは、神が禁じていない、人が食べるために神が創造した動物を食べる事を禁じる事を話しているのです!ビーフやラム、ヤギや鹿。鱗のある魚や、神が教えているチキンやウズラなどを食べる事を禁じるのがパウロの語る偽教師の教えです。
神の言葉、教えでは、神は人間が食せるために造られた動物は
何だと書いてありますか?レビ記11章を読んでみて下さい。
レビ記11章に記されたこれがあなたの食べ物と神が言われた
きよい動物です。それが人間の食べ物なのです。
神が人のために創造されたきよい食べ物を食べる事を禁じる、
神の教えを知らない悪魔の教えをする人に警戒せよ!と言うことをパウロが言っているのです。1テモテ4:3。
クリスチャンは逆の読み込みしていますよね。神がレビ記11で禁じている食べ物を食べる事を禁じる人が偽教師と。
パウロは、神が人間のために創造された食するに相応しい動物を食する事を禁じる人は偽教師であると言っているのです。
パウロが書いた意味を甚だしく誤解した読み違えをしているのです。神の禁じた食べ物を食べるなと言うのは偽教師の教えではなく、神の教えです。パウロは偽教師の話をしているのです。
信仰〜イエシュアを通して、イスラエルの神に引き寄せられ、
神の中に戻った人が、真理を知る=モーセの五書=トラー婚姻
契約書に記された神の教えを知る人、ここの箇所では結婚と、
食べ物を書いていましたから、レビ記18章、レビ記11章を
知る人達が、レビ記11章にある神の言葉できよい動物と教えられている動物=肉を、感謝を持って受けるなら、きよい動物は
何一つ捨てるべきではないと、パウロが言っているのです。
そのパウロの言葉を、神の真理=教えを理解して認めていない人は、きよくない動物も感謝を持って受けるなら、どれも捨てるべきではないなどと、とんでもなくズレた、真理=聖書=レビ記11章にマッチしない解説をしているのです。パウロが食べ物と言ったら、神の教えを土台に食べ物〜レビ記11章を考えて話している事、異邦人の考えの中には全くない、ゼロであり、パウロが今は感謝すればきよくない動物でもなんでも食べて良くて、捨てるべきでは無いと言っているのだと勘違いしているのです。
レビ記に記されている食べ物の教えは、神のトラー=教え、
インストラクションの一部です。神のトラー=教え、インストラクションとは、何であると神が人に伝えていますか?
2テモテ3:16人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。神のトラーは永遠に廃らない、永遠に固くたつ真理である!
神がこの様に神の教えは正しく人を義に導く、永遠に変わらないものと言いながら、同時に一時的、暫定的、途中で廃れて、ある人には関係のない教え?そんな事聖書のどこに書いてあるのでしょう?ない、空気椅子、裸の王様の衣装、ないのにあるあると
主張しているだけなのです。
以前は神のコレコレの教えは真理であったけれど、今は廃れたのだなどと聖書には書いてないのです。神の言葉の永遠普遍性は、現在形、そして永遠に真理である!と書いてあるのです。
1テモテ4章に記された、偽教師はレビ記11章に記された、
神が食べるなと言うきよくない動物を食べてはいけないなどと
人に教えなどしないのです。
それは偽教師が教える教えではなく、神の教えだからです。
そしてきよくない動物は、聖書=神の言葉、教えによれば、
人間の食べ物であるなどと神は教えていません。これは今も変わらない、神の言葉が変わらないと神が言われたからです。
いつ動物の生態が、人間が進化変化したのですか?
その神が言われた一言で絶対的な永遠の証拠、証明になるのです。神の言葉とはそう言うものだからです。
この書簡は、テモテに向けて書かれました。1世紀に福音書〜黙示録を書いている人々は、聖書とは、モーセの五書であり、モーセの五書を解説する、預言書、諸書だけ!!!!なのです。
聖書に聖書とあったらそれは100%モーセの五書、預言書、
諸書であり聖書の教えであり、100%、モーセの五書に記された教えの事であり、モーセ五書を他の聖書全体で解説しているのです。
だから、聖書のどの箇所でも、モーセの五書を否定する教えなど1つも記されてなどいないのです。神の言葉が歴史の途中で廃る、変化する、そんな教えも未来預言も聖書の中には記されていないのです。
パウロが書いた書簡、その他を完全に誤解して読んでいるから
神の教えが変更されたなどと、神の言葉に反する教えを簡単に
信じて聞き入ってしまっているのです。それはダービー思想。
ローマ教も同じ事言い続けて来ました。
聖書のどこに、豚やロブスターが人が食するために造られたと書かれていますか??又は歴史の途中で神の言葉や教えが撤廃されたなどと聖書のどこにそんな事書かれていますか?1テモテ4?パウロがそう話している?そんな事パウロは話していません!
どうして食べ物の教えが大事なのでしょう?それは色々理由は
あります。神が世界の全てを創造され、神が人間を造られて、
神の性質通りに造られて、そして人間が命を繋ぐために、健康を保つ為にどの様なものを食べるのか、神が創造された動物を神だけが知っていて、神だけが人に伝える事が出来る唯一の存在だからです。
きよくない動物=清掃掃除機動物=汚い、人が食べる目的のために造られていない動物です。単純でしょう?どうして律法主義などと関係ない思想を入れて神の言葉を解説しているのですか?
危険なものを危険と神は人に伝えているだけでしょう?
神の知恵を捨てる事は愚かであり賢くない生き方です。
神は人に危険が何かを教えている、安全は何かを教えていると
理解すれば良いのです。
神の伝える結婚の定義に反するLGBTQを神がどうして禁じているのでしょうか?
それは、神が造られた人の性質に合わない、反する、破壊をもたらす行為であり、聖別を汚す忌まわしい忌み嫌うべき行為であり周りをも同様に汚染、破壊、悪影響をもたらすものである、命を生み出さない〜産めよ増えよ地を、満たせと言う事が出来ない
神の創造のデザインに反する行為だからです。普通の人ならそれは忌まわしい事と思う、それが正常な感覚、バロメーターです。
ずれ=罪だとはっきり神が人に教えているからダメなのです。
食規定も、婚姻の規定も同じ種類の神の教えなのです。
1テモテ4で、結婚を禁じる、食物(きよい動物)を禁じると
2つ同列に記されているでしょう。偽教師は、人の生きる根幹を
歪める教えをする人だから、注意せよ!と教えているのです。
どちらも聖別にはっきり根付いているものです。
神がダメと言われた事を、人が今はいいのだ〜と言うこの冒涜
背信に気が付いてないだけなのです。なぜ気が付かないのか?
神の言葉=聖書ではなく、人の思想、ダービーやマルキオン、
クリスストムや、その他諸々西洋教父達の反モーセの五書思想教理が聖書だと1世紀後半から異邦人達が勘違いしているからです。
子供の様に心が素直になれば、神の言葉は全部完全であると認めて受け取り神は人を愛して、人に害のあるものに触れない様に
教えているとどうして理解出来ないのでしょうか?
それは異教神の国で慣れ親しんできた教えや習慣を通して考えているから、自分の楽しみ、都合を奪われたかの様に感じるからでしょう?なぜなら、蛇、ネズミ、ワニ、ゴキブリは人間の食べ物ではないと聞いて、抵抗感じないでしょう?当たり前〜て言うでしょう日本人なら。そう全部自分の考えが感覚納得が土台、
中心、自分の都合が判断の基準になってしまっているからなのです。
異教神に仕える人は、何が危険なのか、イスラエルの神の言う事を聞かないから、なんでも吟味せずに、無差別に自分の判断で
好きな様に神が食べ物ではない、食べてはダメと言うものを食べるのです。知識の木から食べてはダメ!と言われていたのに、色々理由付けて食べる、アダムとハワと同じ思考回路、行動に
陥っているのです。罪を戸口に自分の中に招き入れている。
吟味なく、識別なく知恵に欠け、無差別に行動する。異教徒の慣わしに従って生きるな!と神は今も神の子らに伝えているのです。聖なる民とされたら、異教徒の様に生きてはならない!と
言われても、実際にそれが何の事なのか、神の言葉を捨てるから
理解出来なくなっているのです。
続く