神が伝える婚姻の定義 レビ記18章 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエスさまの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

レビ記には聖なる民の生き方が書かれています。姦淫するなかれの詳細を、レビ記では詳しく解説しています。

ダービー思想が浸透しているクリスチャンの世界の教えでは、

古い箇所の神の教えは縛りの律法なので、今は無効!又は今の時代は自分の判断、確信で行動を選ぶなどと言っていますが、よくよく考えて下さい。神は歴史のどの時点でも、人間が神の言葉を退けて、自分の確信を持つ事を自由に生きて良いなどと人には

教えていません!その逆です。命の言葉をしっかり握り生きよ!

福音書〜黙示録は、100%このモーセの五書の中身だけを

短く解説したものです。もし古い律法=タナックと言うならば、福音書〜黙示録も古い律法です。解説している中身=モーセの五書だからです。黙示録など、モーセの五書がフルに認識される

最後の書として書かれているのです。

聖書を読んで、福音書以降を読んでこれに気が付いていますか?聖書には、モーセの五書=父の教え=シナイ山で与えられた婚姻契約の中身を生きる神の教え=トラー以外、書かれていないのですよ。

パウロの書簡や、イエシュアの言葉、マルコ7や、ユダヤ人の

一部の人々とのイエシュアの論議を読んで、古い教え〜モーセの五書を否定して新しい教えを解説してるなどと、と〜〜〜〜んでもない、中身の読み違えをしていると気がついていますか?

そう言う誤り、誤解の聖書解説だけが、クリスチャンの間ではされているから、福音書以降には別の教えが出現し、しかも地上でイエシュア=子羊の血、今まで影として教えられていた事が成就したから、別の教えや救いが現れたと勘違いしているのです。

最初から、どの時代のどの人種も、信仰により同じ救い、贖い、聖霊を受けていた事がタナックにははっきり記されています。

それを理解する人、しない人、その違いがあるだけで、神の完了の業を永遠の中、この世界の礎が造られる前から完成していたと書いてある、私達もこの世の礎が出来る前から既に神の中に選ばれている存在である!と理解不能な事が書かれている、それを

信仰により受け取るだけ。

救いはどの時代も信仰により受け取るだけ。過去の人はアヴラハムの様に、未来に来られるイエシュアを見て信仰によりイエシュアを受け取り、今の人たちは過去にイエシュアを見て同じ様に

救い、贖い、赦し、聖霊を信仰により受け取る、同じです!

違うと考えるから聖書に記された事実が見えなくなるのです。

 

そして、使徒2章以降は、同じ福音、神の教え=トラーが世界の四隅へ、異邦人にも伝わる幕開けであって、新しい異邦人グループ=教会と言う造語で書かれてしまっている、その群れが新しく作られ、出現したのではなく、最初からある同じイスラエルの

1つの群れ=カハール、エクレシア=イスラエルの大家族の中に、異邦人も大勢加わる時代に入っただけです。神の教え、

救い、贖い、赦しの方法は昇天以降、何も変わっていません。

 

教師が聖書を読み違える訳がない?と言う神話は捨てないとなりません。進化論は著名な学者達が教えているでしょう?どうしてアメリカの牧師や教師が、ダービーの思想が聖書とは異なる異端思想の眉唾物の教えであると全く見抜けず、聖書を読まずに、

ダービーの思想の註解ばかり読んで、それを人々の教え続けているのでしょうか?

同性婚もあり、なんでもあり、きよくない動物も今は食べられる、それぞれの判断で今は決めて良い〜と言っているのは、神ですか?それとも人間でしょうか?聖書だけに戻ろう〜!と言いながら、どうして古い箇所=75%の聖書の教えは終わりなどと言うダービー思想、その大矛盾に気がつけないのか?それは神の

言葉を捨てたから、最初の75%に何が本当に書かれているのか

しっかり正しく学んで理解していないからです。

だから聖書と人の思想の違いが識別出来ない、見抜けない。

その様な事の方こそ、不思議に思わないとならないのです。

100%聖書の事実に戻らないならば、聖書に戻っているのではなく、半分人の思想、半分聖書だから、混ぜ物の教え=生ぬるいと言われているのです。

黙示録3:15 わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱く=<神の言葉に根付いて>もない。むしろ、

冷たい=<異教の神々の教え>か熱いかであってほしい。

3:16 このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるい=

<混ぜ物の偽物>ので、あなたを口から吐き出そう。

 

レビ記は神の聖なる民の生き方の詳細が記されています。

神は人が何を食べて、何を食べる様に造られていないかを通して聖別を教えています。人がどの様に生きるのか細かく書かれています。そしてレビ記全体を、この部分は今は有効、この部分は

自由選択、この部分は無効などと人が決める事が出来ない、神の

絶対なる永遠不変の神から人への教え、インストラクション=

トラーであると言う認識がない人にはな〜んにも通じなくなって行きます。

福音書以降には違う教えと考えているのならば、それは誤りの

思想=人間=ダービー思想を考えで、神の言葉を勝手に仕分け、却下、拒否しているだけなのです。

ペテロは、レビ記を考えてこれを書いている事に気がついて

下さい。使徒、聖書記者100%全員モーセの五書を信じ、熱心に生きて、賛同し、他者へ教え、神の教え=トラー=モーセの五書に記された短い抜粋、教え、神のトラ〜に記された知恵を書いているからです。誰一人として、神のトラー=モーセの五書を

否定する様な教えはしていない!と言う大前提から聖書を読み直して下さい。

臭い箇所は、インチキ、不具合、誤解した聖書解釈、註解、

ダービー思想で誤った聖書解説をしていると発見して下さい。

レビ記に記された事に同意し、レビ記11章の言葉をペテロが

書いているのです。

1ペテロ1:16 聖書に、「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。

 
この意味は、イスラエルの神が聖であるから、あなたがた聖なる民は、きよくない動物=神が最大限マックスで嫌悪し、忌み嫌うと言われる行為、汚れたものを食べるな!!!と言っているのです。神の声は神の教えを終了とする人達には聞こえないのです。
人の教えは、神の言葉、声を遮るものです。今はな〜んでもありと、神の教えを誤解、勘違いしている解説を聞いている場合には、神の言葉はその人には届きませんし、特に教師、牧師にも
届きません。
ダービーの教えが本当であると信じて、人にそう教え続けている人の方が、ダービー思想に脳回路が聖書ではなく、人の教え=
別の教えで占拠されているから、ダービー思想が間違いであると
考え直そうとしないからです。でも神の言葉に向き合って素直に読み直せば絶対に矛盾に気が付いて行けるのです。

レビ記11:44 わたしはあなたがたの神、主であるから、あなたがたはおのれを聖別し、聖なる者とならなければならない。わたしは聖なる者である。地にはう這うものによって、あなたがたの身を汚してはならない。

 11:45 わたしはあなたがたの神となるため、あなたがたをエジプトの国から導き上った主である。わたしは聖なる者であるから、あなたがたは聖なる者とならなければならない』」。

ペテロがレビ記11章に同意していなかったら、レビ記から引用して、神が言われた同じ言葉を言わないのです。神は食べ物を通して人に聖別の生き方が何かを教えているのに、きよくない食べ物を食べて、聖別された生き方が出来るなどと言う矛盾はペテロは言わないのです。

使徒10章のペテロの幻を誤解し、これが食規定が変更になった証拠だとクリスチャンは言いますが、その箇所は、神がペテロに汚れた動物を食べろ!などと言ってもいないのです。

これは前に解説しました。神の前に捧げる動物は、大祭司が判定した、傷のない、規定にそった祭壇に捧げられる決まった動物であり、野生ではない。野から空からどことなく降って来た、他の動物と混じっている動物ではダメだからです。

神は、異邦人=野生でも、神がきよめたらきよいのだとペテロに教えたのです。だから、その幻を見た後、神は異邦人に対して

偏見を持つなとペテロに教えたと、ペテロはその幻の意味を理解して他の人にそう話し、そして、食規定が変わったぞ〜などとペテロが言ったなどと書いてないでしょう?しかも、もし神が神の教えを翻したら、モーセの五書を否定したら、それこそ大混乱がユダヤ人の間で起きて、大騒ぎになるのです。そんな事1つも

書いてないし、食規定が変更していない証拠に、ペテロは書簡に

レビ記11章の食規定の中で教えられている、聖なる民の生き方を引用しているのです。神の言葉を否定しながら、同時に賛成

するなんて矛盾はないのです。

聖書を正しく読むには、何を福音書以降の記者が書いているのか

理解しないとなりません。彼らは100%モーセの五書だけを

考えて、トラー=肉体を取ってこられたトラー=イエシュア=

父の教え=言葉=モーセの五書を解説しているのです。

 

今は背教の時代、牧師や伝道師<もちろん今は大衆ではないと願いたいですが、大勢います。>が、同性婚、同性愛多様化した

性傾向を許容、寛容に罪を認めましょう!と言い出している。

その考えは、どこから来ますか?神の言葉をどの箇所でも、一点一画でも変化させて良いと言う、ダービー思想の様な教えから来ているその危険に気が付いて、神の言葉を否定する事は罪に扉を開く戸口に迫った罪を制していないと言う神の警告に気が付ければ安全に守られます。

神は人を縛り付けるために色々教えているのではないのです。

神の言葉に対して勘違いも甚だしいです。神の言葉を律法などと呼び、廃れた〜などとイエシュアを信じる人の口から蛇の声を代弁させられている事に気が付いて、サタンは人が神の言葉を否定するたびに、床を大笑いで転げ回って、神の言葉をどの部分でも否定する人の口から出る嘘に大喜びしている事考えて下さい。

罪を人の内側に取り入れさせ続けている。

神は男が男と、女が女と自然=神のデザインを捨てて交わる事を

最もはっきりと禁じ、忌み嫌う、毛嫌いする、嫌悪すると言っているのです。

そのヘブライ語の言葉は、偶像礼拝にもつながる言葉なのです。

人は、神にデザインされた姿、実態を生きる時、トーヴ、神の前に本当の生き方=礼拝=アヴォダの姿を生きていると教えられているのです。神のデザインに反する事は人がなんとうまく言いくるめて解説しても、その人の解説は神に対する背信、背教、

忌み嫌われるべき冒涜である!と神が警告しているのです。

 

レビ記18:1 主はまたモーセに言われた、

18:2 「イスラエルの人々に言いなさい、『わたしはあなたがたの神、主である。

18:3 あなたがたの住んでいたエジプトの国の習慣を見習ってはならない。またわたしがあなたがたを導き入れるカナンの国の習慣を見習ってはならない。また彼らの定めに歩んではならない。

18:4 わたしのおきてを行い、わたしの定めを守り、それに歩まなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。

 

18:5 あなたがたはわたしの定めとわたしのおきてを守らなければならない。もし人が、これを行うならば、これによって生きるであろう。わたしは主である。

18:6 あなたがたは、だれも、その肉親の者に近づいて、

これを犯してはならない。わたしは主である。

18:7 あなたの母を犯してはならない。それはあなたの父を

はずかしめることだからである。彼女はあなたの母であるから、これを犯してはならない。

 

18:8 あなたの父の妻を犯してはならない。それはあなたの父をはずかしめることだからである。

18:9 あなたの姉妹、すなわちあなたの父の娘にせよ、母の娘にせよ、家に生れたのと、よそに生れたのとを問わず、これを犯してはならない。

 

18:10 あなたのむすこの娘、あるいは、あなたの娘の娘を犯してはならない。それはあなた自身をはずかしめることだからである。

18:11 あなたの父の妻があなたの父によって産んだ娘は、あなたの姉妹であるから、これを犯してはならない。

18:12 あなたの父の姉妹を犯してはならない。彼女はあなたの父の肉親だからである。

 

18:13 またあなたの母の姉妹を犯してはならない。彼女はあなたの母の肉親だからである。

18:14 あなたの父の兄弟の妻を犯し、父の兄弟をはずかしめてはならない。彼女はあなたのおばだからである。

 

18:15 あなたの嫁を犯してはならない。彼女はあなたのむすこの妻であるから、これを犯してはならない。

18:16 あなたの兄弟の妻を犯してはならない。それはあなたの

兄弟をはずかしめることだからである。

 

18:17 あなたは女とその娘とを一緒に犯してはならない。またその女のむすこの娘、またはその娘の娘を取って、これを犯してはならない。彼らはあなたの肉親であるから、これは悪事である。

18:18 あなたは妻のなお生きているうちにその姉妹を取って、

同じく妻となし、これを犯してはならない。

18:19 あなたは月のさわりの不浄にある女に近づいて、これを犯してはならない。

 

18:20 隣の妻と交わり、彼女によって身を汚してはならない。

18:21 あなたの子どもをモレクにささげてはならない。

またあなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。

18:22 あなたは女と寝るように男と寝てはならない。

これは憎むべきことである。

<ここに女が男と寝る様にと書いてありませんが、同じです。

同性同士の関係は禁じられている!>

18:23 あなたは獣と交わり、これによって身を汚してはならない。また女も獣の前に立って、これと交わってはならない。

これは道にはずれたことである。

18:24 あなたがたはこれらのもろもろの事によって身を汚してはならない。わたしがあなたがたの前から追い払う国々の人は、

これらのもろもろの事によって汚れ、

 

18:25 その地もまた汚れている。ゆえに、わたしはその悪のためにこれを罰し、その地もまたその住民を吐き出すのである。

18:26 ゆえに、あなたがたはわたしの定めとわたしのおきてを守り、これらのもろもろの憎むべき事の一つでも行ってはならない。国に生れた者も、あなたがたのうちに宿っている寄留者もそうである。

18:27 あなたがたの先にいたこの地の人々は、これらのもろもろの憎むべき事を行ったので、その地も汚れたからである。

18:28 これは、あなたがたがこの地を汚して、この地があなたがたの先にいた民を吐き出したように、あなたがたをも吐き出すことのないためである。

18:29 これらのもろもろの憎むべき事の一つでも行う者があれば、これを行う人は、だれでもその民のうちから断たれるであろう。

18:30 それゆえに、あなたがたはわたしの言いつけを守り、先に行われたこれらの憎むべき風習の一つをも行ってはならない。

またこれによって身を汚してはならない。わたしはあなたがたの神、主である』」。