背教の路線に走るのは背教を教える教師達がいるから | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエスさまの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

Youtubeなどで、同性婚、同性愛を支持する、神の言葉を曲げて

曲解しているプロテスタント牧師達の動画があります。

ゆる〜く、罪に生きる人たちを受け入れよう〜それが愛などと

解説している人もいます。

それは、人の意見、思想、自分の考えを語っているだけで、神の言葉を完全に退けています。

その人達は、終わりの日に神の前に立つ時、何の言い開きも出来なくなる事が分かっていないのです。人を誤りに導くその罪の重さ、代償刈り取る結末を理解していないのです。

 

神の言葉の一点一画どの部分も人が変えて良いと言う発想、思想は神から出た教えではなく、サタン〜エデンの園から存在していたあの忌み嫌うべき声であると、理解したら安全に守られます。

人が一旦、罪に扉を開き、罪を戸口の中に招き入れ始めたら、

この扉はもう閉じる事が出来ないです。

神がはっきり白黒区別しているズレた生き方=罪であり、人の

生きる事ではない!と言っているのにも関わらず、様々な理由、

理屈、解説を付けて、罪を擁護し始めています。

 

どの神の教えも同じなのです。軽んじて良い、無効になる、途中で変化する神の教えなど1つもありません!きよくない動物を食べる=トラーに違反する事は、同性婚をする事と同じ、神の教えに反することをすると言う意味で、全く同じなのです。

人間が神が禁じた事は、今はもう許されているなどと言うならば、それは同性婚賛成と言う神の言葉に反した行動に対して何も申開きは出来ません。同じだからです。

 

神に禁じられている事をすると言うのは、同じ行動だからです。

どの神の言葉=トラーを破る様に教えるのは、神の教え全体を

破る事であると神=イエシュアが言っているでしょう?

それは、罪に戸口を開く行為だからです。

プロテスタントもカトリックと同じく、同じ信仰の根を共有しているのです。

人間の屁理屈言い訳は神の前に何の意味もないのです。神は人間に神の言葉を自由に選択、却下、受理、又は変形させて良いなどと1度も言った事がないだけはなく、その様な行為をする人は

天の国で神の前に最も意味なく、価値のない存在とまでイエシュアが言われた通りになります。

人を奴隷にする人を祝福するなら、その人も人を奴隷にすることを賛成している事になります。

カトリックが同性婚を祝福し、コミュニテイの中でそれを歓迎

受け入れるならば、その人達は同性愛を支持しているのです。

それは、ダムの門を開き、せきとめていた水を放流する、罪に

対して解放する行為なのです。一度放水が始まったら、そのダムの門は二度と元通りに閉じません!1世紀後半、反モーセの五書

思想、反ユダヤ思想を唱える、神の言葉を曲げて解説し始めた

西洋教父たちの教えと同じく、聖書には、神と神の言葉や約束が

途中で変化するなど書かれていない、預言もされていない、1つの同じ救いの方法、同じ贖い、同じ福音、同じ教え、同じ契約、

同じ1つの家族が最後エデンの中に生きる状態に戻る事しか書かれていないのに、一旦人の思想を入れて神の言葉を解説したら、

それが今世界に浸透しているでしょう。

 

クリスチャンは疑いなく、聖書は2つ別物の教えで最初の75%と最後の25%には違う教えが書いてあると信じているのです。怒りの神が恵みの神に変身し、怒りの時代=律法時代、恵みの

時代〜聖霊時代になったなどと本気で人の思想が神の教えであるなどと信じているでしょう?進化論と同じ、聖書に、神の造られた創造物の中に、根拠も証拠も無いのに多くの人が信じている、

その仮説をダーウインが言い出し、これは仮説であるとダーウインも言ったのに、進化論が真実とされてしまい、神の創造を覆す嘘まやかしが全世界へ浸透した!神の言葉を否定する教えはそれと全く同じなのです。そしてその嘘を訂正するのは至難の業。

一旦罪を祝福し始めたら、その後はなんでもありの世界、

ソドムとゴモラ、無秩序が世界を全体を覆う様になります。

同性婚が祝福されるなら、本当になんでもありになります。

ローマ帝国が滅びたのも、ソドムとゴモラと同じ、ノアの時代に皆が破壊されたのも同じ。無法=神の教えを生きない人々で満ちたからです。同性愛で内部崩壊。罪の祝福儀式がクリスチャンの中で行われる様になってしまった。それら罪が次に導くのは、

近親相姦、獣姦、小児性愛、堕胎、婚外交渉、人身売買、モレク神に子供を捧げる、多くの子どもや人が誘拐されていて、悪を楽しむ人々のその犠牲になっている、これは今普通の世界、闇で

普通に行われているのです。

どうしてこんなことになったのか?全部神の言葉を曲げる行為から来ているのです。

ある時天から天使が来てこう言うのでしょうか?

”皆さ〜ん!新しい啓示があります。ごめんね〜全部間違ってた。神の言葉も厳しすぎた。神が間違いをした。今までの墓場的腐敗は終わったよ〜今はなんでも自由よ〜!”違います。人々の文明が、背教〜神の教え=トラーに反する行為路線に方向転換し続けているのです。

背教とは、神が教える道〜イエシュア=トラー=モーセの五書に記された神の教えに反する事を生きる事であると聖書に定義されている、それが背教なのです。

神の言葉=聖書に書いてある事に同意しないで、罪に同意し

祝福する。神の言葉をどの箇所でも否定する教えは異常であり、イエシュアに贖われたイスラエルの神の子らの生き方ではない!イエシュアを裏切ったユダと同じ。先ずその点にクリスチャン達が気が付く必要があるのです。

今ヨーロッパやアメリカでは、議員が、心理学者、医者が、聖書の言葉や真実、それに基づいた考えを語っただけで裁判にかけられ、免許剥奪される事が起きているのです。LGBTQに反対する人も、そのうちそうなるでしょう。

悪を善と言う人が大衆を占め、善を悪と言う。そして、神の教えを伝える人は、退けられるのです。現に神の言葉は永遠と言った

だけで、イエシュアを信じる人からどうしてブーイングされるのか?変だと考えないとならないのです。

神の言葉に対して、クリスチャンが敵対しているこの異常事態。

同性婚の結婚式を受け入れないクリスチャン教会は罰則され様になる事が、必ず始まります。ずっと以前、まだ同性婚がある州で認められていない時に、アメリカで同性愛の人のウエデイングケーキを作る事を断ったケーキ屋さんが訴えられ裁判にかけられたのです。

終わりの時代〜背教、そして迫害される時代に突入したのです。

神の言葉をどの部分でも否定する事〜罪に対しての門扉を徐々に徐々にやがて全開に開く行為だからです。あなたの群れのリーダーが罪を助長する、罪に対してうやむや、寛容な態度を取っているならば、それは神が伝える愛などではありません!聖書を正しく理解していないのです。それは群全体が危険な状態である察知して下さい。津波が押し寄せているから、高台へ逃げるのです。

 

神の言葉のどの箇所も、今は人の判断により無効、有効!と勝手に言い続ける人間の言い分、人間至上主義=人が神になっている、2テモテ2:4が、今の世界の罪を確実に助長する事をしている原因であると、気が付いていますか?それは、同時に神に対する背信行為であると聖書には書いてあります。

 

アダムとハワは、神に言われた事を、その通りにしっかりガードしないで、嘘=蛇の嘘を信じて、他にふんだんになんでも自由に食べられるたのに、食べてはだめ!と言われた知識の木から敢えて食べて、その結果全人類に死が入り込んだ事知っていますか?たかが食べることで?と考えますか?

その意味が何であるか、考えた事がありますか。

イエシュアが地上に来られたら、今の時代はなんでも許されるから、今までの神の教えはもう終わりで、異邦人には特に関係ない〜終わり。それはアダムとハワにささやいた蛇の声と全く同じであると理解していますか?神の言葉が歴史の途中で廃れるなどと、誰がそんな事言ったのでしょう?神ですか?

いいえ異邦人〜人間が言ったのです。

昔の教えは意味ないと考える人には何も分からなくなります。

モーセの五書に記された罪の定義の完全版を理解しないから、

人間の判断、確信で今は決めれば良いなどと言う嘘を信じるから、罪を許容し、罪に生きる事を祝福しているのです。

神は一言も神の言葉、教えが変化するなど人に教えていません!

福音書以降にも、1つとしてモーセの五書とは違う教えなど

書かれていないのに、全く気が付いていないまま、新しい教えが

書いてあると勘違いして聖書を読んでいるのです。

聖霊が使徒2章で初めて人の中に降ってきたのではない、

アダムとハワがエデンから出たからもう既に聖霊は人の中、

信じる人の中に既に住まわれていた。彼らは同じイエシュア〜

救い福音を受け取っていたからです。子羊の血はこの世の礎が

造られる前から屠られ完了して存在しているからです。

タナック=モーセ、預言書、諸書にも、将来メシアが来たら違う教えになる、神が怒りの神から恵の神へ、律法時代から聖霊時代に変化するなどそんな教えもなければ、預言もされていません。エレミヤ31章は、同じモーセの契約、ユダの家とイスラエルの家が1つになりその1つの家族に与えられる同じ再更新される

同じシナイ山で与えられた契約であり、その契約=神の家族は皆頭脳に割礼がされている=イエシュアを受け取り、イエシュア=トラーに書かれた生き方を表も裏も知り尽くし、腹に頭脳にDNAに記されている人達で生きると書いてあるのです。

クリスチャンの世界にはびこるダービー空想思想=新しいグループの新しい別の教え、自分の良心に叶う、確信を持つ生き方で

今は色々選択してOK、そんな事神は一度も言っていませんし、人間が神の権威の上に立つ様な教えが何故危険だと聖書から読み取らない、分からないのでしょう?神の教えではなくあなたの確信が大事です!そんな事ヘブライ人であるパウロが、ペテロが

イエシュアが言う訳ないと分かってないからです。全て神の言葉=トラーにマッチする事でなければならないのです。

普通に考えて下さい。ある人は真夜中の2時に起きて祈りをしないとならないと教える人がいますが、それは聖書の神の教えではないです。普通の人が、2時に毎日起きたら昼間正常な生活は

出来ないのはあたりまでしょう?それを、そう言うことする事が

あたかも神の前に素晴らしい〜などと言う事を言う人がいるそうですが、それは勝手にそれぞれしたい人がすれば良いだけの事であって、神の教えとは違います。体をちゃんと休めて、次の日の仕事に備えるのが常識でしょう?だから信仰を持つと非常識になると言われてしまうのです。仕事=何をしていても神の前にアヴォダ=礼拝です。ちゃんと任された事を丁寧に真面目に真摯にしっかりやること、それこそが日々の礼拝であり、神の子ら、光の子らの生き方です。

夜勤がある人は昼間ちゃんと寝ないとなりません。その人の生活の中で、判断する白黒つかない様々な事がありますが、それは

その人が判断して決めれば良いのです。

でも神が伝えている衣食住に関して、モラルに関して聖別に関して、聖なる民の生き方に関して、神の教えではっきりと白黒伝えられている教えは、人間が曲げる事のできない絶対的基準で

あり、廃れた神の教えなど1つもないと言う理解がない人には、神の言葉を簡単に曲げ、罪を知らない間に確実に自分の中に取り入れていても、その罪に気がつけないのです。なぜなら神が伝える罪の定義が書かれているモーセの五書を終わり!などと言ってその中身を理解してなどいないのですから、クリスチャンの牧師とて、神の前に罪が何なのか理解してないからです。

どの時代にも、神に伝えられたするなかれ!を違反して、神にしなさいと言われた事をしないならば、人は神とはズレた生き方をしてしまうのは当然の事なのです。神の言葉は神が言う通り、

永遠に同じなのです。

神を愛する人は、神の言われた言葉を、教えを生きる事をする

神の教えを生きる、イコール神を愛している証であると書いて

あるのに、異邦人の世界は哲学思想の世界なのです。神の教えは

安全な保護鎧兜であり、自分を他者を守るものでもあるのです。

神を愛する〜自分を愛する〜他者を愛する〜神の言葉に根付いて生きる、それが神の伝える愛です。神の教えを退ける生き方は、

神の言う事ではなく、ダービー=人間の言うことを生きているのです。

ヘブライの世界は全て、神の言葉を生きる!事であるのです。

神の食規定が終わりだから何でも食べて良い、その結果、疫病、ウイルスが人と動物の間を行き来し続け、自分の健康を害し、

他者へも疫病を移し、環境をも汚染し、他者の健康も破壊する。

聖別を汚し、神が禁じた異教徒の様な生き方をしている。

死を招き、そして聖別を汚す行為を促してしまっています。

 

 

 

続く