肉にアピール魅力的な教え 神の教えは肉にはアピールしない教え | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエスさまの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

1883年にスコッフィールドは、牧師に任命される。

スコッフィールドはブルックスから個人的にダービーのデイス

ペンセーション思想神学を通して聖書を解説されただけで、

正式に聖書教育の機会を持たないまま、牧師になったのです。

 

スコッフィールドの書籍には、DDと言うタイトルが彼の名前の最後に付いてますが、これは神学博士を意味する称号ですが、

彼が名誉博士号や、実際に博士号をどこかの学校で取った形跡が無いまま、勝手にその様なタイトルを挿入しています。

彼は、単に神学校にも行かない普通のレーマン一般信徒です。

神学校に行ったからと言って、イコール、その人が聖書を正しく書いてある通りに学んだと言う事にもならないのですが。

神学校では聖書ではなく、主に人の思想神学を学ぶなら、

それは聖書では無い事を学んだと言う事なのです。

 

彼はデイスペンセーション思想をブルックス牧師に手ほどきされたのです。

テキサス州ダラスにあるファースト コングリゲーショナル

チャーチの牧師になり、今現在もその教会は、スコッフィールド記念教会として残っています。

10年間の間スコッフィールドが居る間教会は大きくなり

その後、マサチューセッツ州に移り、ムーデイの教会でも活躍し、1903年にダラスに戻り、牧師になる。この時期には

スコッフィールドは人々に知られ有名になっていました。

ブルックス牧師に繋がるアメリカで最も有名なデイスペンセーション神学を信奉しました。

1888年冊子を書き、そのタイトルが、"Rightly Dividing the Word of Truth"2テモテ2:15から取ったものですが、

日本語訳では見えません。日本語訳ではこの様です。

”あなたは真理の言葉を正しく教え”ですが、英語では、正しく

神の言葉を分けると言う訳になっています。勿論、パウロは

そんな意味で2:15を書いてなどいません!その行為は神の前に死に匹敵する大罪だからです。そして神は神ご自身である言葉を人間が勝手に分け、仕分け、好きな様に削除、却下、受領などと言う解釈すると言う事など教えるどころか、神の言葉に付け足し差し引きするなかれ=死に匹敵する罪と教えています。

 

福音書以降、特にパウロの書簡を誤解して、本来の意味、意図ではない、解説が横行し流通し、爆発的に浸透して行ったその理由

は、1世紀後半から異邦人が神の言葉に付け足し、差し引き、又は変える、歪める教えをして来たからです。神の言葉の信憑性〜神の言葉は永遠不変であり、神の言葉は完全なまま全ての箇所に於いて互いに調和して存在し、どの部分も互いに矛盾し合う事、敵対し合う事が無いと言う神の言葉の性質の根底を最初から覆して考え、解説しているからです。神が言った言葉ではない、人の思想を通して聖書を分断し解説しているから、神の言葉を揺るがす思想解説が出現しているのです。

スコッフィールドが小冊子に記した内容は、別の時に検証しますが、神の言葉を人間が正しく仕分けて、分解して、時代ごとに適用するなどと言う意味は1つも無い、その聖書の事実に立って、誤った解説は1つ1つ残らず訂正されなければならないのです。

 

マタイ16章で、イエシュアがペテロに対して、繋ぐ、解くと言った言葉を、タナックで使われている意味を全く理解しないまま

人間が勝手に神の言葉を改ざんして良い権威をペテロに与えたとして、そして人間が〜聖なる父などと呼ばれる始まりとするそのトップがペテロであるなどとされていますが、ペテロはローマでは無い、勿論ローマ教皇の始まりのカシラでも無い。ヘブライ、100%タナック=トラー=モーセ、預言書、諸書だけが頭脳にあり、人の作った宗教の思想など微塵も無いと言う事実に基づいて考えれば、簡単に分かる事です。人間は神ではない!人は神になど成り得ないと言う事でが分からない異邦人の考えた思想なのです。

もしも、人が神の教え通り=トラー=モーセの五書に記された

通りにするなら、ペテロの場合、最初から12使徒の中のリーダーとして立てられていますから、神の言葉を正しく解釈し、人々に教える鍵を渡された事を、イエシュアに再確認されているだけです。結ぶ、解く=開ける、閉じるとは、全部、神の言葉の真実に根付いて考え行動していると言う絶対条件がある!と言う事を1世紀当時のヘブライ人、ペテロや使徒達は理解して聞いているのです。勝手に神の言葉を自分で仕分けて、削除、分解して、

人に神の言葉とは違う教えを伝えて良いなどと言う意味などでは100000%無いのです。

この事実が見えないと、勝手な憶測でな〜んとでも解説出来てしまいます。

マルキオン=ダービー、ブルックス、ムーデイ、スコッフィールド、皆聖書とは異なる、聖書を正しく解説しないデスペンセーション神学思想にどっぷりと浸かっています。

その神学は、神の業、救いの方法、時代ごとに、人種ごとに違うと言う聖書とは違う前提で聖書を曲げて解説しています。

 

律法の縄目から解放するためにメシアが来たと教えられ、信じ込んでいるでしょう?イエシュアは何と言っていますか?”わたしのくびきは追いやすく、軽い”申命記に書いてある通りの事を話しています。イエシュア=言葉=聖霊=トラーと聖書に書いてあるのです。

神の教えは、生きるのに難しく無い!と言う事を話しているのです。イエシュアはモーセの五書=父の教えを話している事に全く

気が付けない、聖書が1つに繋がらないのは、最初の部分に書いてある事から全てイエシュアが語っている、父の言われた事では無いことを1つも言わない!とはっきり言っている意味を理解して聖書を読まないとならないのです。タナックに記されていない教えや預言、神が隠して知らせない重大な預言、教えなど1つも無いのです。

申命記30:11 わたしが、きょう、あなたに命じるこの戒めは、

むずかしいものではなく、また遠いものでもない。

 30:14 この言葉はあなたに、はなはだ近くあってあなたの口にあり、またあなたの心にあるから、あなたはこれを行うことが

できる。

30:15 見よ、わたしは、きょう、命とさいわい、および死と災をあなたの前に置いた。

30:16 すなわちわたしは、きょう、あなたにあなたの神、主を愛し、その道に歩み、その戒めと定めと、おきてとを守ることを命じる。それに従うならば、あなたは生きながらえ、その数は多くなるであろう。またあなたの神、主はあなたが行って取る地で

あなたを祝福されるであろう。

 

贖われ救われた〜信仰により受け取る無条件譲渡です。

でも神の花嫁とされ、聖なる民、祭司の国に連なる人々になったら、その人達は神が伝える聖なる民、祭司の国の人の生き方をして下さい!と言う条件付きの契約があるのです。この部分の契約が存在していることをその神学の教えは全く認識せずに、律法は

廃れた〜と復唱しているのですが、それはこう言う意味です。

神が与えた関係を保証する婚姻契約を破棄したぞ〜!なんか変だと分かりませんか?

 

もしあなたが、神を愛したいなら、神と共に顔と顔を合わせる関係に留まり生きたいならばわたしのトラー=戒め、定め、おきてを守り=ガードし生きて!と神は、はっきり伝えているのです。

その神の仰せを真っ向から遮断〜!それが人の思想なのです。

安全な鎧兜、ガードする囲いを捨てること、神の保証、約束を

捨てる事!知恵の無い生き方です。神の保証約束は婚姻契約の中に留まる時に保証されているのです。

旧約時代は、教えを生きて頑張りましょう〜の時代でした?

厳しい教えを人に与えられて、人はそれを生きられないので、

メシアが来て律法から解放されました?律法の下にいない、恵の下に居ると言う、パウロの言葉を完全に誤解しているでしょう。

パウロは、トラーに記された罪の責め、罪に縛られて生きる縄目の下には居ないと説明しているのです。タナックに記されている事を。

なぜ?新しくされたから。イエシュアと共に古い人は死んで葬られたから。そして、罪の責め〜死の代価をイエシュアが身代わりに支払って下さったから、イエシュアの贖いの血を信仰により受け取る人は、誰も責めの下にいない!とパウロは言っているのに

とんでもない勘違いの解説だけが横行しています。

新しい時代は、自由の時代〜聖霊に導かれて生きるのです〜

いや、どの時代も聖霊=神の言葉により生きる!と書いてあるのに読み取れないのです。どの時代も恵の神は変化なし!

 

この思想は、こう言う事を言っているのです。

子供達は色々なルールが守れません!だから、そのルールや教えは全部もう終了!やめ!好きな様にしなさ〜い。

子供が居る人なら分かると思いますが、これって大変狂った考えで、親としては失格な行動と分かるでしょう?

 

子供が言うこと聞かないから、なんでも好きにさせるために今までの教えを全部撤回します!境界線取り払い、何でも自由。

子供がどんな事をして、どんなことをしてはならないか?子供はだめ!と禁止されたら窮屈、束縛感じますよね。それが自分を守るためであるのに。理解出来ない。

これこれ食べて、これこれ食べたらダメよ!と言われたら、

どうして抵抗感あるのですか?勝手にしたいからです。

でも神は人が何を食べたら危なくて、害毒なのか、他の人にも害を及ぼすのか、どの動物を人間が食せる為に神がデザインし

造ったのか、それを知っているのは神だけでしょう?

どうして神が伝える本当の事なのに、人を守るための教えなのにそれ程までに束縛感、抵抗感じるの?異教の神々の国の伝統に

どっぷり何千年も浸って生きてきたから、イスラエルの神の

言う事は肉の耳には完全に、馴染みない異物だからです。

でも真実を伝えられないと困るでしょう?

危険を安全と教えられたいのでしょうか?

危険なのに安全と言われて、それを信じて、どれ程多くの人が

犠牲者となり、健康を失い、命落としたのか、その様な情報さえ知らないなら、本当に危険。正しく考えてみようとしない。

自分で調べて確かめないと。聖書もちゃんと書いてある通りに

戻り自分で確かめないとならないのです。

 

こんな親に育てられた子は境界線の区別が付かない、正しい事、義の道に歩むと神が言う事が何かを学べない人になってしまいます。人間が考える義は分かっても、神が伝えている、本来の生き方が何か、神のトラーを捨てたら分かる訳ありません!

神が伝える聖別の定義の全部、罪の詳細定義の全部は

モーセの五書の中に完全版として書いてあるのに、それをダービーは異邦人には無用!関係ない!と言って、その教えに傾倒したんですよ。

そこを読まない場合には、神が伝える罪が何なのか分からないまま神の前に罪、汚れをしていても、神が伝える罪の基準の全部を理解してない、知らない、分からないから無感覚、丸で気がつけないままになります。罪の定義が、ダービーの言う様に時代ごとに変化するなんて教えは、神の教えなどではありません!!!

 

どうして多くの大衆に、ダービーの様な人が作った教えが浸透すると思いますか?それらが神の伝える真理では無いのに?

どうして?肉に耳に頭脳に思いに、大変アピールする、魅惑的に聞こえる、開放感ある教えだからですよ!世の中見ても分かる。

そう言うの巷にたくさんあるでしょう?真面目に神の教えに

根付いて丁寧に地に足を着けて生きるより、突然の変化、解放、奇跡や高揚感体験!ご利益欲しい。その他諸々、人間の肉はそう言うものに惹かれる、だからそう言う教えに簡単に引っ張られて流れて行くのです

これアメリカで起きている、イエスの名を利用して、とんでもないことにをやる有名メガチャーチの牧師達、又は群れの中でリーダーが信徒に性犯罪をし続けるなど、もう神の教えからずれたらここまで行くのかと思う程外れているのです。もちろんそう言う人ばかりではありませんし、殆どは純粋に真面目に生きている。でも人は魅惑的な教え=裕福になれる〜解放される〜自由〜

自分だけ艱難から逃れる〜などそう言う事に傾倒するし、真面目に神の言う事を聞いて生きようなんて、最初から人気ない神の教えなのです。面倒、ややこしいetcだから世界は神の言葉に意識を向けて生きないのです。

イスラエルも同じだったでしょう。神の教え=トラー=婚姻契約の生き方から離れて、異教の神々の教え、儀式や礼拝、子供を

モレク神に生き贄として捧げる事までしていたのですから。

尚更、神の言葉を聞いて代々根付いて生きない人達は、

か〜んたんに人が編み出した宗教の教えに惹かれて行くのです。

 

これらを預言書やイエシュアやパウロは何と言っていますか?

無法=トラー=神の教えが無いタガが外れた生き方をする人。

主よ主よと言いながら、人間の考えた宗教の教えを生きて正当だと思う事、それを無法=トラー無し=神の教えを捨てた人!

イスラエルの家の様に、神のトラーを捨て、シャバット、祭りを汚し続けて、切り離された人のことを言っているのです。

異邦人は元々契約=神の教え、イスラエルの国、聖なる民から

遠く遠く離れて、何のえんもゆかりもない存在〜野生のオリーブの木、異邦人の囲いの中にいる羊だった、イスラエルの神とも

関係がなかったのです。だから、ユダとイスラエルの家にイエシュアを信じたら異邦人はその大家族に加えられる!と書いてあるのです。別の家族になんかなりません!1つ神、1つ家族、1つ同じ契約の生き方、それが聖書に書かれている永遠の真実。

 

 

続く