神の言葉を勘違いしている理由 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

英語圏では、書籍や、資料、サイト、様々なグループが発信する

講義や教えなど、数多くアクセス出来て、今世界で何が起きているのかなどの正しい情報発信源に繋がれば、正しい情報を取得

出来ます。

 

日本語圏では、現在進行中のイスラエルへのテロ攻撃に関しても報道の殆どが偏った情報のみで、反イスラエルと言う立場です。実はガザ地区に住んでいる75%以上の人々は、イスラエル側で

仕事を提供されていて、イスラエル側で日々働いている人達なのです。その人達はテロリストのお陰でいい迷惑を被っています。

イスラエルの現地情報は、毎日無数に入って来ているので、

他の記事に書きます。

報道とは、力があり、人をどの様にも誘導、洗脳、フェーク情報を刷り込む力があります。

 

日本では、特に聖書<ヘブライ聖書>に関しての専門的な書籍や、情報、手がかり、教育システムが無くて、西洋神学〜人造進学の教えだけが教えられています。西洋宗教の教えの中にあるものは、殆どが全て4世紀以降に宗教と言うものを異邦人が作り

西洋人の手による聖書解釈や教え〜ローマ宗教神学を土台とした教えが殆どです。ヘブライなのに西洋になってしまった、聖書とは異なる教えがたくさん混じっているものです。

 

異邦人の世界で聞かされている教えは、置換神学、デイスペンセーション神学など、神の言葉を追いやり、神の言葉を終了、無用無効、異邦人には関係ない、今は無用と人間が勝手に決めつけて神の言葉を否定した教えを土台、中心に、人が創作した教理、

教え、教理に置き換えられた聖書とは異なる思想がふんだんに入り込んでいる教えです。

 

最初から聖書とは異なる教え〜1つである神の言葉を聖書を二つに分断し、聖書に勝手に神ではなく人間が、旧約新約聖書と言うタイトルページまで挿入し、最初と最後では違う教えが書かれているのだと主張し、解説し、そう他者に信じる様に教える。

 

神が神の言葉を変えたのだと聖書に何の根拠も記述もない事を

主張する教えを常にコンスタントに聞き、教えられれば、それらの思想に則った教えを信仰の根拠とするしかないから、そう考えてしまっているのです。

異邦人のクリスチャンの世界では普通誰一人、神の言葉は完全で永遠に変わらないと言う教えを聞かないでしょう?

1世紀の信者達イエシュアや使徒やパウロが生きていた神の教え=トラーを生きている人なんて異邦人の中には普通に見られないでしょう?なぜ?

異邦人の宗教の世界では。なぜだと思いますか?なぜ聖書とは違うのか?調べて行けば分かります。人間が神の言葉を歴史の途中で変えた、変えたものがローマ帝国の宗教になったからです。

初めの愛から離れたから。

 

生まれた時から、幼い頃から、学校でも、ビッグバーン、進化論人間は猿から進化して、この世界は何十億年?と言う古さで、

今も創造の6日で全ての創造の業は完了したと神が言うのに、

無限にこの世界が広がり続けていると言うフェーク サイエンスも、堂々と教えられ、それら定番の仮説にも疑問に思う事も

微塵にもなく、それら偽の教えを真実だと受け入れている、

それが信仰の世界にも入り混んでいるのです。

 

でも、世界は確実に真実に戻る方向に舵取り変更をしているのです。それは人ではなく、神がそうされているからです。

終わりの時に、そうなる預言がされているからです。

ご自分が伝える真実を何よりも人に知って欲しいと願っているのは、イスラエルの神、創造主ご自身だから。

 

神の言葉が終了した!と言う教えを根拠にして解説されている

聖書箇所は、全て殆どが福音書以降のみであり、主にパウロの

書簡に記された内容から、神の教えが終了した事が書かれているのだとクリスチャン学者は主張しています。

 

それらの解説100%全て、聖書を正しく読み取っていない、誤解した読み込みによる間違った聖書解説なのです。全てです。

神が神の言葉を否定するとは、イエシュアの手足をもぎ取る、ウルトラマン家族が内部紛争分裂するのと全く同じ事だと理解してください。ありえない!!!!

 

そしてちゃんと聖書を読むとそれらの人造神学の教えは、聖書とは全く辻褄合わないものなのです。だから更に人の教えで解説して、ほころびを繕う事をし続けているのです。

 

エレミヤ31章に記された新しい(再更新される)契約=中身は

モーセの契約なのですが、これクリスチャンが良く引用しますよね。

でも何と書いてありますか?ちゃんと書いてある通りに読んで

みて下さい。

 

エレミヤ31:31 主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。

 

イスラエルの家とユダの家に対して立てる再更新=新しい契約!

とはっきり書いてありますよね?

ここに私ら異邦人なんて書いてありませんよね?どう言う意味?

詰まり2つのステイックです。残りの民、異邦人とユダヤ人

両者です。2つの別の家族なんて最初から聖書には無いコンセプトだからです。

異邦人はメシアが来られたら、教会と言う新しいグループが

出現したと考えてそう教えているでしょう?

そんな事最初から聖書に書いてなどないのです。

教会と言う言葉も聖書には無い、造語!!!

元の言葉に戻して、仮面覆面マスクを剥がして読んで見ましょう。

教会という翻訳は、元の言葉は”呼び出された人々の群れ”

カハール、ケヒラ、ギリシャ語ではエクレシア。

それ以外に無い!異邦人の新しい教会なんて 無い!元から

存在するエデンから出てから同じ1つの群れ!同じ1つの家族しか聖書には記されていません!事実だけに戻って、正しい情報を

繋げて考えないと本当に人が創作した教えに騙されて続けます。

 

ここにあるユダとイスラエル。分裂した王朝、神の言葉に不真実に生きた人達とそうでは無い人。皆最後は神の元に戻る。

ここに異邦人の事なんか書いてませんよね?新しい契約は異邦人への契約なんて聖書のどこに書いてますか?そんな事1つも書いてません。書いてないのに、そう言う教えを唱えているのです。

 

神が伝えているのは、ユダとイスラエルの家、そしてシナイ山で与えられた契約の再更新されたもの、それらは頭脳に割礼が

された人達で生きる、それがエレミヤ31章に書かれている事であり、イエシュアが言われた再更新される=新しい契約と言う意味です。聖書に記されたとんでもなく誤解しているのです。

どの様に?イスラエルと異邦人教会と言うものがある。

2つ分裂した家族。地上を統治するのはユダヤ人、天を統治するのは、異邦人=クリスチャンになった人???SF小説のごとく

完全なる空想であり、そんな事聖書には書いてないのです。

 

そして、全ての人は、イスラエルの神の契約=同じ家族=

同じ羊の囲いに加えられ、そして同じオリーブの木に異邦人も

次記されれると書いてあるのです。別々の家族が別々の契約に

加えられるのではなく、全ての神の子らは同じ1つの神、

同じ1つの契約に加えられると聖書には書いてあるのです。

 

クリスチャンが新しい契約=新約聖書と考えているのは、

実は新しい契約の意味は、同じシナイ山での婚姻契約しか

存在していないと聖書の事実に気が付けば真実が見えてきます。

 

ヨハネ10:16 わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。

偉い著名な学者が間違う訳ないでしょう?と考えてはダメなのです。進化論やビッグバーンは著名な学者が唱えています。

世界には、嘘でも本当とされている事が多くあるのです。

 

クリスチャン聖書学者で、アメリカでも第一人者とされ、神学校の教科書の定番となっている、Mテニー氏も、聖書どころか、

歴史の史実にも無い、”パレスチナ”と言う国、歴史上一度も国として地上に存在などしていない国なのに、パレスチナと言う国があるなどと書いているのです。

それは真実ではない嘘なのに。教科書に嘘が書かれているなんて普通考えないですよね。でもあるんです。

しかも、この学者は、使徒行伝は神の教えが別の新しい教えに

移行する過渡期の記録であ〜る〜などと述べています。それ嘘!

聖書ではない!学者がどうしてそんな事言うの?聖書の真実を

捉えていないからです。

その様に事実では無い事を教科書に書く。。。どうして?

不真実な情報を確認もせず、世間で語りつがえる教えをそのままきちんと調べない、確認しない、追求しないまま、世界の定番になっている仮説を信じてそう書いてしまうからです。

 

自分の聞きなれない教え、世間一般に流通する教えと異なる教えが異端的な教えではなく、聖書に書いていない、神の言葉に反する教え、否定する教えこそが異端的教えであるのです。

聖書に照らし合わせて、それが聖書の語る事実なのかどうかの

再検証が全くされないまま、定番の反モーセのの五書思想の教えが流通し浸透しているのです。

 

でもオリジナルヘブライ聖書には、人が手を加えて改ざん出来る様なものではないのです。一字一句文字数も同じ、言葉も全部同じで、揃えて書き記す訓練を受けた学者達が書いたものだからです。トラー学者は書記官でもあり、古代文字を書き記す事の出来ない人の中、特に訓練を受けて文字を書き記す。

それには、タナック=モーセの五書、預言書、諸書に同時に精通している学者でなければならないので、翻訳では律法学者などと訳されているのです。

神が1つの言語を選びだし、1つの民族を選び出し、神の真実を

世界へ伝える地の塩、世の光を立てた理由は明らかです。

俗世界=異教の神々の世界の人々と、境界線を引き、イスラエルの神に属する聖別された人の生き方、神の言葉を純粋にそのまま

保存し世界へ代々継承する役割を与える必要があったのは、

混ぜ物をされて、区別がつかなくならない様に聖別しているのです。そうでなければ、何が本当で、何が混ざったぬるい、中途半端な”似非”なのかどうなのか分からなくなるからでしょう。

 

もちろん、1世紀後半当時に存在した異邦人教師達が言い出した、聖書ではない教えの様に、福音書以降には、神の言葉を塗り替えて終了した別の教えや別の契約など本当に聖書には記されてなどいません。

福音書〜黙示録だと、完全な形の契約書として記されてはいないからです。そこに記されているのは、聖書の最初の75%の要約、

後書き、最初の聖書の部分の短い解説のみでしか過ぎないのです。

 

そして、聖書が聖書と解説してあったら、それらは100%全て

モーセの五書、預言書、諸書のみを指して解説しているので

あって、福音書〜黙示録を指して語っているものは1つも、聖書には無い!と言う事実に目が開かれれば見えます。

なぜなら、後書きを書いている途中で、後書きを参考にして

書いているものはない、そして、後書き部分は、聖書の最初に

書いてある事、トラー=モーセの五書=父の言葉が肉体を取って

来られたイエシュア の解説をしているだけだからです。

だから、トラー=モーセの五書を否定する事は、イエシュア 

ご自身を否定しているのだと言う事に全く気がつかないまま、

異邦人の世界では、反イスラエルの神思想=反モーセの五書を

解説しているのです。

 

イエシュアが語られた言葉、成就と破棄と言う言葉を勘違いして、成就=終わらせたなどと言う。キリストが律法の終わりとなられた、などと言う翻訳と異邦人の解説する反モーセの五書の

解説を聞けば、”キリストはトラーを生きる目標となられた”と

言う意味とは全く違う解説をされてしまっているのです。

 

 

続く