ハヌカ シャバット 終末 修復 ヨベルの年 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

12月7日木曜日の晩から8日間のハヌカの祭りが始まりました。そして今日は週一度の記念日、婚姻関係の印として神の子らに与えられた神の聖日、シャバット=第七日目です。

 

ハヌカは異邦人には馴染みのないイスラエルの祭りであり、殆どのクリスチャンは祝った事もない祭りですよね。日本人でお正月の祝いを知らない人はいないけれど、海外の祭りを知らない人はいます。

例えば、アメリカの11月3週目の木曜日に来る感謝祭など、

その祭りが何か分からないし、もちろん日本では祝わない。

ハヌカの祭りは、レビ記23章にある、神が創造された記念日、

祭り〜聖日、主の日とは異なる性質の、史実の中にあるイスラエルの祭りです。でも、この祭りは、イエシュアを信じる一人一人に関係する意味ある祭りでもあり、預言書にも記されている事でもあります。そして終末の出来事に密着している事でもあるからです。

 

そしてキスレブの25日に、イエシュアが”ハヌカ”を祝われた記録が聖書の唯1箇所に記されています。ヨハネ10:22-23

”終末”を理解しようとするならば、このハヌカの出来事を知って理解する必要があります。そして、ハヌカの祭りが祝われる様になったイスラエルの歴史の事件は、ダニエル書に預言されていて最後は黙示録の預言に繋がるものです。この事件は、歴史の中に一度ではない、何度も起きた事、そしてこれから最後の時に起きる、起きている事でもあるのです。

 

ハヌカחֲנֻכָּה‎とは、ヘブライ語חנךハナフ、捧げると言う意味の

言葉から来ています。

日本語の口語訳だと”宮きよめ”と訳されていて、新共同訳は

”神殿奉献記念祭”と訳されていますが、この祭りが何であるのか

普通一般には意識にも留めまないままさらっと読んでいますよね。福音書以降に他の祭りが書かれていても、それが何の祭りなのかも全く考えない。異邦人の間では神の創造された記念日を

2世紀以降祝わなくなってしまったから、遠い外国の祭りですとだけ、講壇から解説されているのです。

神が創造されて、神が言われた代々に祝われる”わたしの永遠の記念日、祭り”の意味が祝われなくなって、分からなくなってしまった。異邦人は初めの愛=トラーから離れたからです。実際に

神の祭りは祝わない、誰も周りで祝わないから、それが何の事なのかも分からない。

しかも祭りを祝った事が無いとその祭りの中で実際にどんな風に祝うのかも、分からないものなのです。

過越の祭りも仮庵も、そして使徒20:6に除酵祭と書かれていても、それが何を語って話しているのか、全く気に留めないで聖書を読み流すのが普通だと思います。過ぎ去って終わった教えだと教えられれば、神が教える大事な教え、真理なのに、それに対して何も気に留めないのは普通の事です。

 

ハヌカ=捧げるとは何を捧げるのでしょう?エルサレムの神の家=神殿をセルコウス王朝シリア、ヘレニズム思想=非ヘブライ的非聖書的思想=ギリシャ異教の神々を礼拝する人々により、

ゼウスなどの偶像、そして神の聖なる神殿の祭壇、親しい交わりの場所、コルバンを捧げる場所を、きよくない動物=豚とその血で汚したのです。その汚れた神殿を、神により取り返し、再び

清めて再封建したから、ハヌカと呼ばれる様になりました。

この点、異邦人にはそれが何?てくらいにしか、考えないし

何も感じないと思います。

 

偶像と聞けば、異教の神々の偶像〜罪!と思うかもしれませんが神の神殿にそれが持ち運ばれてもピンと来ないと思います。

そして神の祭壇に汚れた動物が捧げられたと聞いても、異邦人にはそれが何?て言う感じですよね。

なぜならキリストを信じる人は神の宮であると宣言する異邦人が今は普通に食して自分の体内に入れているきよく無い動物が、

昇天以降、清い動物に変身したと人の教えを信じてそう考えているのですから。関係ない。

神の言葉が終われば、そんな古い教えはもう終了したから自分には関係ない教え!と思うのは当然ですが、本当は何ですか?

神の言葉は永遠普遍で、人間も動物も進化変化していない!と

言う事実があり、それらは肉体にも毒、汚い、霊的にも汚れたもので聖別を汚すもの、神の言葉を曲げる場合には、神に今も言われている永遠の真理が見えない、理解出来ない盲目の迷路に入り込み、神の言葉が耳にも頭脳にも届かなくなってしまうのです。

陸海空の清掃動物として造られた動物がゴミを収集して来て、

人がその動物を食べれば、自分もその動物が収集したゴミ、ウイルス、糞、死骸、毒菌を自分の体内に取り入れるのは汚いと普通に考えれば分かると思います。それらの動物の消化器官は未熟で、体中毒を溜め込む性質なのです。神の前に永遠に汚れているものを汚れてないなんて言うフェーク情報は流してはならない偽証です。毒は毒、悪は悪と言う真実を他者に伝えて言わなくてはならないのです。それでも神の言う事ではなくて、自分の考えを生きる!と言うのは、その人の個人選択。でも今流行りのアレと

同じ、危険なのに絶対安全と言い、多くの人がそれを信じて取り入れ、今世界中で多くの健康と命を奪い続けている恐ろしいもの!そんな人を損なう嘘を言う代償は、神の前に永遠の裁きを

受けるでしょう。

人が作った教えと神の永遠普遍の教えの区別が付かなくなってしまっているのです。その様な動物を食するから、ウイルスが環境に排出されて、環境と他の人達も汚染し続けて、伝染病が

蔓延し続けているのです。神がしてはならない!と言う事を

することは本当に愚かな事なのです。人に不必要な病を招いた。

 

そして、この"忌まわし荒廃”と神が警告している事が確実に終わりの時に行われている、これからも行われ続けて行くのです。

もし、神の教えが変化したなら、使徒15章のエルサレム会議での”きよくない動物とその血を捧げて食べる!と言う事がどうして禁じられたのか、意味不明になります。

 

マカバイ家がリーダーとなり、戦いイスラエルの神により

神殿を取り戻す勝利を収め、この冬至の時期にエルサレムの神殿を再奉献した事が、ハヌカの祭りの背景なのです。

 

ハヌカはダニエル書に記されています。そして最後黙示録にも。

 

ダニエル9:26 その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。またきたるべき君の民は、町と聖所とを滅ぼすでしょう。その終りは洪水のように臨むでしょう。そしてその終りまで戦争が続き、荒廃は定められています。

12:7 かの亜麻布を着て、川の水の上にいた人が、天に向かってその右の手と左の手をあげ、永遠に生ける者をさして誓い、
それは、ひと時とふた時と半時である。聖なる民を打ち砕く力が消え去る時に、これらの事はみな成就するだろうと言うのを、
わたしは聞いた。
 
黙示録1:2 聖所の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはならない。そこは異邦人に与えられた所だから。彼らは、四十二か月の間この聖なる都を踏みにじるであろう。
12:6 女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった。
 
ハヌカと”反キリスト”は密着した出来事でもあります。
ハヌカが無ければ、メシアも生まれる事がなかったからです。
なぜ?今と同じ、ハヌカの裏にあった当時のセレコウス朝、
アンティオコスの目標は地の面からユダヤ人を全て消す事、
今のテロ集団と同じ目標があったからです。
そして、重要な事は、反キリスト、イスラエルの神に反する事が
行われる裏には、最初に”背教”があると神に伝えられています。
 
背教とは何ですか?エデンの園に戻って考えるとシンプルに見えます。
”神に言われた事では無い事を生きる事!” 神が伝えた事はシンプルで実際的!”知識の木以外から全部食べて良い。でもこの知識の木=神がダメ!と禁じた木からは取って食べてはダメ!”と言う
神が言われた事を無視して、ダメ!と言われる事をする!
これが背教の根なのです。
詰まり、神に言われた事=神の言葉=トラー=神の教えに反する
事を生きる。それはどんな事に関してもです。神は人の生活の
全ての領域に於いて、神がデザインし創造した人間の生き方を
神の言葉で伝えているからです。
背教の始まりは、エデンの園の騙しと同じ。そのどれ1つでも
無視して良い、蔑ろにしても大丈夫!と考える思考回路です。
そして、その1つのほころびが広がり、人を破壊、死へと追いやるのです。今の世界見てもその通りです。
 
背教とは、その元は、元々は神の教えを生きていた事実がある人々が存在している!と言う事に注目する必要があるのです。
 
どれ程世界は、神の言葉=教え=トラーから遠く遠く離れた生き方をして来てしまったのか、神の言葉を蔑ろにして生きる〜
安全帯、安全な囲いを壊し捨てて、罪を家の中に招き入れる生き方をして来た結果で分かるのです。
しかも、神の言葉を生きなくて良い!などと言う教えまで、イエシュアを信じる人達の口からも1900年近くも語られ続けてしまっているのですから、このフェーク情報を流す代償は大きいものなのです。
危険を安全と言い、悪を善と人に伝えてしまっているのですから。
イザヤ50:20わざわいなるかな、彼らは悪を呼んで善といい、善を呼んで悪といい、暗きを光とし、光を暗しとし、苦きを甘しとし、甘きを苦しとする。
マカバイ戦争が起きたのは、イエシュアが来られる以前の、
167-160BCの時期。
シリア王朝が、ユダヤ人達に神の教え=モーセの五書を捨てさせ、ヘレニズム化=異教の神々の教えに染まり、異教の神々の
文化の生き方〜汚れたものを食し、異教の神々を礼拝する事を
強要するその様な事が行われた事に対して、マカバイ家の兄弟達が立ち上がり、シリアに反逆し勝利した背景があります。
 
前回の記事に書きましたが、歴史の中で起きる”ハヌカ”の背景の
裏には同じ性質のものがあります。
1 神の言葉を捨てさせる。焚書=聖書、トラーの巻を燃やし、
2 神の教えを生きるのを禁じ、割礼、シャバット、汚れた動物を食する様に強要する。
3 異教の神々の教えに混じり、イスラエルの神に対する背教を
強要する。
 
マカバイ戦争の前には、背教が準備されていました。
そしてこれは、1世紀後半神殿崩壊にも同じ様に起きたのです。
 
ローマ帝国により、全く同じく神の教え=モーセの五書に記された事を生きるライフスタイル、生活を重税、処刑を持って禁じたのです。全く同じです。
1 神の教え=トラー=モーセの五書を生きる事を禁じる!
2 割礼を禁じ
3 シャバットや祭りを祝う事を禁じ
4 汚れた動物を食する事を強要した
神の教えを生きる人達、ユダヤ人であろうと、それが異邦人で
あろうと、皆重税、処刑される!と言う、セレコウス王朝が
やった事、ダニエル書で預言された事が繰り返されたのです。
 
多くのクリスチャンは、メシアが来られた後、イスラエルの神がモーセの五書とは違う変更された新しい教えをする聖霊時代が
来たのだ!などと言い、聖書を多大に誤解していますが、聖書には、そんな事実は1つも記されてなどいないし、ちゃんと読めばそこに記されているのは、同じ神の教え=トラー=モーセの五書を皆熱心に学び生きていた記録しか書かれていないのです。
1世紀後半にも、マカバイ戦争と同じ背景、背教を強いられた
史実があるのです。異邦人はそれに抵抗し続けられなかったから
独自の宗教〜ローマ教と言う宗教に流れて行ったのです。
異邦人イエシュア信者達が、ユダヤ人信者達と完全決別し、
ローマ帝国の理に叶う教えの生き方に迎合して行ってしまったのは、神の前の背教なのです。異教の神々の教えに交わり、聖書とは違う、彼らの作った教えを一部でも取り入れる事をしたから、これを神は姦淫の罪と聖書では教えていますが、神の言葉=トラーが終了した!などと言うスローガンを今もなお唱え続けているのです。純粋にそれが神の言葉、教えだと思い込んでいるから。
だから西洋宗教の中にトラーには無い様々な教えや、儀式や、
記念日が取り入れられているのは、彼ら当時の人達が勝手に作って加えた教えだからです。

イスラエルの神が、神の教えをご自身で終了、否定するなど、

そんな事するのはあり得ない事なのに、異邦人の世界では、神が神の教えを終了させた!と語り続けられているのです。

神の言葉を好き勝手に色々曲げる事をして、それが背教への道のりを整え準備している事である!現にそうなっているのです。
それが終末への道のりでもあるからです。
 
 
続く