ハヌカ エルサレムの神殿 イスラエルが偶像に汚染された背景 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

パウロの書簡、聖書をどうしてクリスチャンの世界では誤解した読み込みがされているのか、その原因に付いて書き続けています。

はや12月になりまして、木曜日日没からハヌカの8日間が始まるので、ハヌカがどうして祝われる様になったのか?を書いてみます。

12月は、ハヌカ、世界中ではクリスマス、そして年末など色々行事があります。この12月は冬至があり、この時期は異教の神々の祭りがたくさん重なる時期でもあるのです。

 

ハヌカの祭りの背景も、実は異教神の教えをイスラエルが生きる様に強要、支配、汚染された事から、イスラエルの神がイスラエルを救い出して神の聖なる神殿を取り戻し、宮きよめをした祭りでもあるのです。

神の聖なる教え=トラー=婚姻契約=モーセの五書に記された

人の生き方をする代表者として選ばれたイスラエルが、シリアにより、神の教え=モーセの五書の生き方を捨て、異教の神々の

偶像と、汚れた動物=豚とその血、その他の汚れた動物を食して聖別を汚す生き方をする様に強要され、そして多くのイスラエルがシリアの迫害に迎合して行った事をマカバイ家の男性兄弟達が懸念し、イスラエルのために立ち上がりシリアに反乱を起こす戦争を起こし、イスラエルの神により勝利が与えられ、異教徒に

汚された神殿を取り戻した事がこの祭りの背景であるのです。

 

神殿再奉献と言う意味の祭りです。汚れた動物=豚とその血で

汚された祭壇を新しくしきよめ、神殿をきよめイスラエルの神に再び正常な神殿を捧げた事が由来です。

 

ハヌカの祭りの背景にある出来事が何であったのか、神の言葉ではその様な事が何と記されて警告されているのか、神の神殿に

何がされたのかなどを理解するには、どうしても神が教えている言葉を理解しないと見えてこない内容です。

特に異邦人には、今神の教えは終了、マルコ7:19や使徒10のパウロの見た幻で神の教えや食規定や神の教えが終わったと

考えている場合には、全く意味不明な神の教えとなってしまうからです。

偶像礼拝、偶像を神の宮に持ち込むと言う事に対しては、拒絶感

湧くと思いますが、それ以前に神の家=宮=神殿には愛着自体が

異邦人にはありません。それどころか、神の宮イコール古い、

反キリストの場所であるなどと言う教えまでありますから、

とんでもなく聖書を誤解して読んでいるのです。

 

ハヌカに関する記事は聖書でたった一箇所しか記されていません。でもその箇所はイエシュアがハヌカを祝っていた事が記されている記録でもあります。下矢印

 

ヨハネ10:22 そのころ、エルサレム宮きよめの祭が行われた。時は冬であった。

10:23 イエスは、宮の中にあるソロモンの廊を歩いておられた。

 

”宮きよめの祭り”でイエシュアはエルサレムに居られて、そして

神殿の中のソロモンの廊を歩いていたとあります。

このハヌカの祭りはレビ記23章にある神が創造された福音を

網羅するイエシュアの業が表されている預言的祭り、記念日とは

異なる、歴史の事実を元に祝われ始めた記念日祭りです。

でもハヌカをイエシュアも祝われた事が記されている、とても

意味ある祭りでもあるのです。

 

イシュアが地上に来られる前の2世紀BC、ユダヤはシリアの支配下に置かれていました。

シリアは、占領政策として、ユダヤ人とそしてユダヤ人が代表として神から与えられた教え=モーセの五書=トラーを徹底的に

弾圧しました。

175年BCシリア王アンティオコス4世は、エルサレムの神殿を

ユダヤ人達の手から略奪し、ゼウスを始めとする数々の偶像を

その神殿の中に据え、ユダヤ人にその偶像を拝むように強要し、シャバットや割礼、捧げ物=動物のコルバン等、神のトラーに

記された教えを一切守ることを禁じ、従わない者は死刑としました。

そしてエルサレムだけではなく、他の地域でも神の言葉=トラー=モーセの五書に記された教えを生きる事を禁じられ、同時に

トラーに記された教えに違反する事を強要されたのです。

 

この当時何がシリアはユダヤ人に対して何をしたのか?

考えて行くと、とんでもない暴虐=破壊=ハマスを行なって

いる事が分かると思います。

 

シリアによりユダヤ人は神が禁じているきよくない食べ物=豚を

同時に祭壇にも捧げられない動物をコルバンとして犠牲にし、偶像を崇拝しなければなりませんでした。(1マカバイ1:45-49)

紀元前 167 年 (1 マカバイ 1:54)、アンティオコスはエルサレムの神殿の祭壇に荒廃する冒涜=豚とその血を捧げました。 

彼のギリシャ兵は聖書=モーセの五書、預言書、諸書の巻物

集めて燃やし(1マカバイ1:56)、聖書=モーセの五書、預言書、諸書を持っていた者は誰でも殺しました(1マカバイ1:57)。

 彼らは、息子達に割礼を施したユダヤ人の母親さえ殺害しました(1マカバイ1:60)。 1 マカバイは次のように述べています。

 

契約の書=モーセの五書=トラーを所持していることが判明した者、またはトラー=モーセの五書を遵守した者は、王の命令により死刑を宣告された」(1マカバイ1:57)。

「法令によれば、彼らは自分の子供に割礼を施した女性とその

家族、そして割礼を施した者たちを処刑した。 そして彼らは幼児を母親の首から吊るした」(1マカバイ1:60-61)。

 

”臣民から反乱のことを聞いた後、アンティオコスはイスラエルで絶対的な虐殺を指揮しました。(2マカバイ5:11-12)。

「彼は兵士達に、出会った者全員を容赦なく切り倒し、家に入った者を殺すよう命じた。 その後、老若男女の虐殺、少年、女性、子供の虐殺、少女と幼児の虐殺が行われました。 合計3日間で

8万人が殺され、白兵戦で4万人が殺され、殺されたのと同じ数が奴隷として売られた」(Ⅱマカバイ5:12-14)。

<この様な歴史の記述は、今のテロリスト集団ハマスの行為と

全く同じです。歴史はずっと繰り返されています。神の言葉=

トラーとそれを生きる人を殲滅する事、それがサタンの目標だからです。>

 

次に、アンティオコスは(メネラオスとともに)エルサレムの

神殿を略奪し(2マカバイ 5:15)、男性全員を殺し、女と

子供を奴隷として売りました(2マカバイ 5:24)。 

彼らはユダヤ人が反撃しないように安息日に敢えてこれを行いました(2マカバイ5:25)。 

<10月7日のシャバット=祭りの最後の日と、50年前の

ヨムキプル=神の記念日、シャバットとして止まる日に始まった

戦争と全く同じ神の聖日に敵が襲いかかっています。

イエシュアも神殿崩壊の時のローマ帝国の襲撃が”シャバット=

安息日=第七日目にならないように祈れ!”と言われた事に繋がります。>

「この後間もなく、王はアテネの上院議員を送り、ユダヤ人に

祖先の法=トラー=モーセの五書を捨て、もはや神のトラーに

従って生きないよう強制した。 また、エルサレムの神殿を汚してそれをオリュンポスのゼウスの神殿と呼び、ゲリジムの神殿を、その場所に住んでいた人々と同じように、見知らぬ人の友人で

あるゼウスの神殿と呼ぶこともあった。          (2マカバイ 6:1-2)。

神殿は異邦人たちの放蕩と大騒ぎで満ちており、異邦人たちは

聖なる境内で売春婦と戯れたり、女性と性交したり、さらには

いけにえとしてふさわしくないもの<きよくない動物>を持ち込んだりしていた」(2マカバイ6:4)。

<この内容使徒15章に記された異邦人イシュア信者達と同じ

事です。>

アンティオコスは民に安息日=第七日目や祭り=過越や仮庵を

守らないように命じました。(2マカバイ6:6)。 その代わりに、

ギリシャの神ディオニュソスに犠牲を捧げるよう彼らに命じました(2マカバイ6:7)。 彼の部下は同化と背教を拒否したユダヤ人を殺害しました。(2マカバイ6:9)。

 

「例えば、子供に割礼を施したという理由で二人の女性が連れてこられました。 彼らは赤ん坊を胸にぶら下げたまま公の場で

街中を行進し、その後壁から真っ逆さまに投げ落とされたのです。シャバット=第七日目=安息日を密かに祝うために近くの

洞窟に集まっていた他の人々は、ピリポに裏切られ、全員一緒に焼かれました。なぜなら、その最も聖なる日=シャバットに対する彼らの配慮を考慮して、彼らの敬虔さが自分たちを守ることを妨げたからである。」 マカバイ 6:10-11

 

90歳の忠実なトラー書記官エレアザルは豚の肉を食べることを

拒否しました。(Ⅱマカバイ6:18) 彼は迫害者たちに、むしろ冥府に送られるほうがよいと言いました。(2マカバ6:23) 

彼の最後の言葉は次のとおりでした。「私が死から救われたとしても、この殴打を受けて体ではひどい苦しみに耐えていることは、主の神聖な知識において明らかです。しかし、私の魂では、これらのことに苦しむことを喜んでいます」 

わたしは彼=神を恐れているからです」(Ⅱマカバイ6:30)。

 

7人の男の子の母親も豚の肉を食べることを拒否しました 。

(2 マカバイ 7:1)。 アンティオコスは兄弟のリーダーを拷問させました。兵士たちは彼の舌を切り取り、手足を切り落とし、頭皮を剥ぎ、生きたまま熱したフライパンの上に投げ込みました

(2マカバイ7:4-5)。 

すべては彼の兄弟と母親が見ている中で起こったのです!

信仰を撤回する者がいなくなった後、兵士たちは次の兄弟を拷問し、信仰を撤回して背教する機会を与えました(2マカバイ7:7)。 しかし彼はそれを拒否しました(2マカバイ7:8)。 

次兄の最後の言葉はこうでした。「この呪われた惨めな者よ、

あなたは私たちを今生から追放しますが、全宇宙の王は私たちを永遠の命の再生にまで引き上げてくださいます。なぜなら私たちは彼のトラーのために死んだのですから」(2 マカバイ. 7:9)。 彼らは各兄弟を順番に拷問して殺し続け、兄弟全員が神学的に

アンティオコスの顔に唾を吐きました(2マカバイ7:10-19)。

 

最後の一人の兄弟は母親と一緒に残りました。 しかし、母親も息子も背教を拒否し、さらにひどい拷問と死を受けました。

(2マカビーズ7:39)

1 マカビーズの書は、アンティオコスが金が足りなかったため

ペルシアを略奪しようとしたと記録しています。 しかし彼は

エリマイスで背を向けられました(1マカバイ6:1-3)。 使者たちはアンティオコスに、イスラエル国内の事態がどれほど悪化しているかを告げ、彼はそれを恐れました。(1マカバイ6:8) 彼は自分が不安で死にそうだと信じており、自分の運が悪いのはイスラエルに敵対したせいだと考えていました(1マカバイ6:12-13)。

 彼は王国をピリポに与え、紀元前 163 年に亡くなりました 

(1 マカバイ 6:16)。

 

2 マカバイは、アンティオコス・エピファネスがイスラエルでの出来事について聞いて、「エルサレムをユダヤ人の墓地」にしようとしたと記録しています。(2 マカバイ 9:4) アンティオコスはイスラエルに向かう途中で腸の病気になり、重傷を負い戦車から落ちました(Ⅱマカバイ9:5-7)。 彼の体には虫がはびこっていました(Ⅱマカバイ9:9)。 彼は自分自身の悪臭に耐えることができませんでした。(2マカバイ9:12)。 彼はエルサレムの解放を宣言し、神殿の修復を公布し、ユダヤ人の伝道者になるとさえ言いました(2マカバイ9:14-17)。 しかし彼は癒されませんでした(2マカバイ9:18)。 アンティオコスは死ぬ前に自分の王国を息子(アンティオコスとも呼ばれる)に遺贈しました(Ⅱマカバイ9:28)。

 

続く