神の言葉は法的文書 トラーは契約書形式で記されている | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

前回の続きですが、神との関係に入った事実があると言う、

その根拠は、その関係は神が提示した契約の上に成立していると言う事を先ず理解する必要があります。

 

信仰により義とされる〜信じるだけで救われるとクリスチャンが

言うものは、創世記15:6、ローマ8:14に記されている

アヴラハムを通して全世界の民族へ神が与えられた証拠の契約が

”アヴラハムの契約”〜譲渡契約、神からの無償で一方的な譲渡

恵のギフトです。

その後クリスチャンの世界で誤解している教えは、信じたら神の

教えを生きる必要が無くなったと教えている教えです。

聖書では無い教えを、人の思想や教理を代弁する教えを教える

教師達により一般の人々に非聖書的思想が伝えられているからです。

以下の様な教えを異邦人クリスチャンは聖書であると教えられてるでしょう。下矢印

”新約聖書でのはっきりした教えはキリストの死によって無効になったのである。

律法はもはや個人個人の上には何の権威も無いものとなったのである。“

 

この様な思想で、ヘブル書やパウロの書簡のある部分を読む場合上記の様な教えがされているなどと誤解してしまいますが、

ヘブル書に記されている内容を正しく読めば、モーセの五書が

終わった話など1つもしてなどないのです。

”祭司制度”天の大祭司と地上のレビ族の祭司の違い、天の神殿の大祭司=イエシュア=本体と、目に見えない天の神の家の地上でのレブリカである反映=影を、レビ族の家系の子孫で代行されている祭司制度に変更があると言う事なのです。

 

だから将来イエシュアが戻られたら、レビ族のアロンの家系の代行は要らなくなります。天の大祭司メルキゼデクの位に属する

ユダ族のイエシュアが神の家の座に座りそこから世界を統治されるから、トラーに記されたレビ族のアロンの家系の大祭司の代行の役割はそこで終わるからです。地上の神殿はレビ族だけが祭司になる、アロンの家系からだけ大祭司になれると神がデザインされた地上の祭司制度がトラーにはあるからです。

本物が来たら代行者の役割は終わる。人の生きる中身、教え〜

神の契約は変わらない!

 

そして未来は契約に参加する人の意識、頭脳に割礼がされた人

だけ=イスラエルの神の本物の家族で生きる、その生きる教えの中身は同じトラー同じ契約の話をしているだけなのです。

 

イスラエルとハマスの対決に対しても、日本でも著名な大学教授

東大教授、外大教授、その他中東研究者専門家と名乗る人々が

語る事がイコール真実ではないのです。

その逆が殆どで、それがテレビや報道を通して何も知らない人々に真実ではない事が伝えられ続けてその偽情報が信じられてしまっているのです。背後にある支配者の手先=スポークスマンで

ある場合は、その人達の語らせたい事を代弁して語っている、

もしくは、純粋に語る内容が不真実であるのに、真実だと本気で信じて発言しているかのどちらかです。

 

それどころか薄々気が付いていると思いますが、動画でも記事でも真実を語ると即座に攻撃されたり、その記事や動画が削除されてしまう、ある言葉や用語やトピックは語ってはならない圧力があるのです。どうしてだと思いますか?この様な顕著な言論統制は4年前から始まりましたよね。

自分たちのプランを遂行させようとする場合、その真実を人々には知られたくない輩が裏で情報工作しているから、真実を人の目に晒したくないからです。真実な情報を隠蔽するために、メデイアが一切沈黙していた罪が明らかにされました。

2004年に未成年、小学生の男子に性犯罪をしていたあの人が

裁判でその悪行が明らかにされたのに、メデイアが一切口を閉じて報道しませんでした。それはその犯罪を覆い隠す事にその犯罪者と団体が圧力をかけたからでした。この様な事はずっと行われ続けているのです。誰かの悪を横行させるために、被害者は黙らされ、その情報は封印されて報道されないのです。

その人物は70年前以上からその様なおぞましくも人の尊厳

人生を奪う様な幼児性愛犯罪を行って来ても、野放しにされて

来たのです。

危険を安全と言い、悪を善とし、このイスラエルの戦争の裏で

私達の生きる権利が奪われる様な世界統制が決められる事が進んでいるのです。注意を払わなければそれらに全く気が付けないし、公に質問しても政府ははぐらかしてまともになど答えていません。

 

神の言葉を曲げて、覆い隠して人を騙そうとするのは、エデンの園から”サタン”と言う神に敵対するものと名付けられた存在で

ある事が聖書に記されています。

どうしてサタンは人を騙したの?人を騙し続ける事をするのか?

簡単に言うと、

1 神の似姿そっくりに素晴らしく造られた人が心底妬ましい

騙し続けて人を破壊したいからです。ハマス=破壊。

2 神の似姿に造られた人々が神により、神の園〜エデン〜

喜び〜神の場所を統治し、支配する事を妨害したい

3 それには神が伝える”言葉”を錯乱させて騙せば出来る。

 

1 それには神の似姿に造られている事自体を人にまず疑わせる事です。

シャバット=必要な全てが完了した事実を錯乱!何かまだ自分には足りていないのだと思わせたでしょう?

どんな風に?アダムとハワにそう考えさせましたか?

神の言葉を曲げてそれをやったのです。

”あなたが知識の木から食べたら、あなたの目が開けて神の様になる、創世記3:5と言いました。ここに真実と嘘が混在しています。混ざった発言。目が開ける〜そうです。本来見るべきものでは無い別の目が開かれてしまいます。これは神が警告した事です。何をいわれましたか?”神が伝えたこの知識の木からは取って

食べてはダメ!”食べてはダメ!そう言われている事は今も同じなのです。神が一度ダメと言われたらそれを決して取って食べてはならない。

 

そして、”神の様になる”これが蛇の作った嘘です。アダムとアダムと同じ要素から出て造られたハワは既に”神の似姿”そのものであったからです。自分の本来の姿を疑わせた!神の視点で考え生きる事が出来る存在として造られ、神の息を吹き入れられ生きる

ものとなったからです。

 

何か足りないと思わせる言葉が、”神の様になる”と言う嘘です。

自分達はこのままではまだ不十分、何かが欠けている!何か付け

足ししなくてはマックスの生き方が出来ないままになる〜。

これが神の言葉を曲げた蛇の嘘です。

何かが欠けている〜それが嘘であることは、神が6日の間で

全てを造られたから、第七日目に止まった〜シャバットの事実が

あるのです。人の生きる上で完了してない、付け足すものは何も残されていません!と言う事実をシャバットで表しているのです。

嘘を食べたから、死が入り込んで来たと言う、神の言葉を曲げた

代償は死である!と神がずっと人に伝え続けていることが今見えないのは、人の教え=エデンの園のあの声、嘘と本当を混在させる人の教えに聞き入っていると言う事に気が付いていないからです。この蛇の語る様に、神の言った事ではない教えが浸透しているのです。

神の言葉は完全なまま保存されていて、どの箇所も調和して存在している!と神が伝える永遠の事実だけに意識を集中させて

考えれば良いのです。聖書の記述から離れて、神の言葉を変えないで!人が言う、昇天以降は〜神の言葉に支配されない聖霊時代になりました〜信じるだけの恵の時代になりました〜それ聖書の教えではありません!

聖霊時代はエデンの中から聖霊時代!恵も許しも憐れみも祝福も

永遠の中に存在して用意され、それが神が創造された世界に物理的に現れ出た以前から存在しているのです。

永遠から考える!西洋哲学思想の時系列上の思想では、神が伝える真実が見えません。なぜなら神は永遠の中に存在する全てから語るヘブライ思想〜聖書の思想〜永遠から神が語る同じ視点で

考える訓練が必要なのです。

 

神の言葉〜聖書は、契約書なのです。だから歴史の途中で変更が

出来ない!神の言葉は神が伝える通り永遠普遍だから、契約を

勝手に一方的に神が人に対して変更出来ないそれが契約書です。

 

古代中近東に存在していた様々な契約書、条約文書が存在しています。3200年前には文字が存在し、条約文書なども遺跡発掘で見つかっています。

契約書には、土地売買、婚姻契約、国同士の条約、その他があります。

古代中近東に存在した家臣条約

1前置き 契約書の基本的な紹介の文章

2歴史的な序文―偉大なる王の業績、王が家臣である国家に

どの様な事を成し遂げたか

3契約条項―条約の中心部/契約、家臣国家に対しての要望

4祝福と呪いー法令厳守、又は契約に従わない場合のペナルテイ

5証人―契約を制定する相手に対して重要な人物の署名

6継承の手段(任意)ーどの人物が大王の立場を取るのかの条項

 

これを申命記と照らし合わせてみます。

 

1前置き(申命記1:1-5)―申命記についての基本的な所見

2歴史的な序文(申命記1:6-4:49)―偉大なる王(神)が

イスラエルのために何を成し遂げたかを述べる

3契約条項(申命記5:1―26:19)―書の主要部分、

一般人に“法”として知られている、もっと正確に言うならば、

偉大なる王=神がイスラエルにこの契約を保存するために神に

より与えられた条項、

4祝福と呪い(申命記27−30)―イスラエルが契約を守る場合、又は破った時に招く結末

5証人(申命記30:19―神は天と地が証人となるように呼んだ。

6後継者(申命記31:1−8)―神はモーシェが亡くなった時にヨシュアにモーシェの後引き継ぐ事を定めた

7保存/読む(申命記31:9−13)―神の契約を箱の中に収め決まった時にそれを読む決まり

 

家臣条約ですが、同時に神が与えた契約は婚姻契約であることが

そこに記された言葉でも分かります。

 

その前に、アヴラハムへの譲渡契約と異なり、次にシナイ山で

与えられたこの契約には条件がある!と言う事を理解する必要が

あります。婚姻関係に入る上で、神が神の民に神の民はどの様に

神の家の中で生きるのかの全てを伝えている、それがモーセの

契約なのです。それは譲渡契約ではなく、条件付きの契約!!!

どんな生きかたしても自由ですなどと言うものは、神の与えた

契約書の教えなどではありません!

 

私達もある国に、ある土地にある街に住めば、そこでのしきたり

ルール、法律があり、それに沿って生きます。誰かと婚姻関係に

入ればその相手との間には色々なルールを守って生きる関係に

入った事になり、好き勝手な生き方は出来ないのです。

それは相手を縛るためではなく、互いのシャローム、安全、幸せ、全てに欠けがない状態、祝福を共有しガードするためでしょう?

神が伝える契約の内容の生き方を破る場合には、刈り取るべき

結末がありますよ!と言う条件付きなのです。あなたが本当に神の中に親しい関係に留まりたい、それを享受し祝福の中に生きたいなら神の言う通りを生きてくださいね!と神が人に伝えているのです。それは自分が周りの他者が安全に幸せにシャロームの

状態で住まうためなのです。神に認められよう、義とされるため

何か努力して罪赦されたり、余計にお恵みや特別なえこひいきを

もらうためのものではないのです。

 

神の婚姻契約書に書かれた内容は、するしないの掟リストでも

ない。それらは、”あなたは誰か、神とはどんなお方か。

神の性質に造られた人はどんな生き方をするのかの詳細が書いてあるのがモーセの五書=婚姻契約=トラー=神が人に伝える人間の生き方なのです。

 

そして、このシナイ山でのモーセを通して与えられた婚姻契約書は、神の教えを生きる時、神の教えを生きない選択をする時、

両者刈り取る結末があります!と言う条件があるのです。

それを拒否するとは、婚姻関係を無責任に生きると言う表明でもあるのです。それも選択出来ます。でもその様な場合互いの関係にヒビが入る、本来の関係に留まれないと言うのは基本的常識的な事です。又は相手が嫌がり、毛嫌いし、傷つく事を知らない間にやっていても、全く気が付かない無頓着に陥るのです。

 

神の言葉を捨てるとはその様な神に言われることに対して無頓着な生き方に陥ると言う事を聖書から気が付かないとならないのです。神はある時、イスラエルの偶像礼拝、異教徒の様に汚らわしいものを食べ、異教の神々の教え、ならわし、汚らわしいものと交わり生きていた、高き所の礼拝をしていたイスラエルに対して1000年近く忍耐して待ったのです。どれほど神が伝えた忌み嫌う生き方をする事が人に取り破壊行為であるのかにはっきり

気が付かせるため、捕囚の地にイスラエルが追いやられたのです。イスラエルと言う国が彼らから取り上げられたのではない。彼ら自身がイスラエルと言う聖別された地から吐き出された、

エデンの園を飛び出したのと同じです。

そこに住まう様な状態、生き方ではなくなったから。

 

クリスチャンの世界で言われる神が神の言葉を変更する、破棄するなどと言う教えが聖書とは全く違う教えである事はこの契約書ブリットとヘブライ語では言いますが、神が贖い出した人達と

契りを結んだことでも証明出来ます。

 

 

 

Shabbat Shalom