神の言葉を勘違いし混同している原因を探る | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

西洋宗教神学が、なぜ神の言葉を分断してしまう思想を作ったのかその事の発端、1世紀のローマ帝国によるトラーを生きる事を処刑をもって禁じられた事から始まった事は、何度も記事に書きました。

それらは全て、神が以前の教えを終わらせて新しい教えに移行させたからではなく、永遠普遍で変わらない神の言葉を、異邦人が

変えてしまったからそれが全て、本当の原因です。

 

2つの基本的な聖書解釈原理を念頭に置かないとなりません。

先ず、聖書が完全手付かず、元の意味が損なわれないまま調和して存在していると言う事です。言い換えれば、聖書は聖書の

記述の中で互いに矛盾し合う事が出来ないものなのです。

 

この基本的聖書解釈を根本から破壊しているのが、神の言葉を

分断させ最初の部分の聖書は今は無効と言う、聖書とは異なる

西洋思想神学の教理なのです。

 神の言葉を2つに分断し、旧約新約という神が付けてもない

タイトルを勝手に聖書のページに挿入して付け加え、それにより読む人々に神の言葉には旧と新の別の教えがあると言う意識を

植え付け、そして聖書の前後では、神の教えや言葉が異なり、

後半の25%には最初の75%に敵対し合う様な教えが書かれている!と言い続ける違反をしているのです。

 

この様に神の言葉に違反する思想を土台に聖書を語れば、当然のごとく神が伝えている永遠普遍の事実がねじ曲げられて、人の

考えに従い、自由自在に神の言葉を勝手にアレンジさせて創作された教えが編み出されては伝え続けられてしまうのです。

聖書解説のある部分は真実、ある部分は人の教えなのに、それら全てが神が語る聖書の事実であるがごとくの様に語ってしまっているのです。大多数の異邦人大衆がそう信じる中、太古から伝えられて来た同じ福音!であると言う聖書の事実を語ってもなかなか理解されないものなのです。

 

一旦学習した事をリセットする方が、初めて聞いて理解するよりも大変です。楽器演奏でも間違った指使いや、間違った譜読みを

している箇所を後から直す方が大変な作業である事はやった人なら分かります。直そうと思っても指が勝手に間違って記憶した様に動く、間違った音符を奏でてしまう〜!

これを直すのは一大苦労。

間違いを学習してそれを元の正しいものに直す作業学習の方が

本当に大変なのです。脳が間違いを記憶して、それを訂正する方が新しく学習するより困難だからです。いつも以前学習した以前の情報の記憶、認識に照らし合わせて考えてしまうので、正しい

情報を正しいものと認識せずに学習した既存の情報に照らし合わせて、引っ張られて考えてしまうからです。

 

ちなみに簡単な事、永遠普遍!神は昔も今日も永遠に同じ!

神の言葉は永遠に固く立つ!とはっきりと聖書の至る処に神の口から直接語られた言葉でそう書いてあるのに、一体聖書のどこに神の言葉は変化した!終わり!神の性質は怒りから恵みへ変身した!などと書いてありますか?神は本当にそう言いましたか?

 

神の記念日は代々永遠に神の子らで祝われると同じく神の口から語られた言葉が書かれているのに、聖書のどこに、いつシャバットが7から1の日に変更!などと書いてあるのですか?

そんな事聖書のどこにも1度たりとも語られていない、書いてなどないのです。空想の空気イスに座っているのです。

そんな事聖書には書いてません。人の注解する言葉や文章には

そう書かれていますが、それは神の言葉ではありません!

その様に信じる人が勝手に書いてるだけの事なのです。

神の言葉と、伝統で語り継がれ実践されている人が作った西洋宗教の教えは異なるものがあるのです。

 

大きな原因は、神の言葉に対する最初から存在する異邦人の中にある反ユダヤ思想や、神のトラーに対する敵対心、思想です。

だから神の言葉を”律法”などと言う不適切極まりない翻訳用語で

訳しているのです。山田さんを鈴木さんて呼べば、それは別の人の事を言っていると認識してしまうでしょう。

そう言う事が翻訳用語の中で行われているのです。聖書に無い

言葉、聖書に無い文章を挿入し、聖書に無い思索や思想を翻訳の中で作り出してしまっているのです。

 

教会と言う言葉も本当に障害物です。正しい翻訳をするなら、

創世記から黙示録まで一貫して同じ言葉で同じ原語に記された

言葉を訳さないとならないのに、最初の75%に集会、群と訳している言葉、カハールやエクレシアを、福音書以降は教会と訳している。反則ですよね。これ。

 

そのもとのヘブライ語=カハール、ギリシャ語の翻訳エクレシアを同じ”群”と言う翻訳の言葉で訳すべきです。教会〜新しい契約の新しいグループ、異邦人中心の新しい別種別の性質のグループが出たと信じている人が勝手に翻訳しているから、別の用語で

翻訳し、あたかも別物が出現したかの印象を与えているのものです。

私はこれを”翻訳トリック”と呼んでいます。翻訳をしている立場

からしてみると、翻訳は本当に手抜きや不適切な訳も存在しているのです。元の言語が分からないければ、原文から何を削除され、何を付け足しされ、何を変えられてしまったのか見分けられない罠が潜んでいる!のです。原文を読まない読者には見えないけれど、正しく訳されていない!!!だらか教える人は、翻訳しか読まないまま、しかも人の思想=教理=聖書では無い教えに

立つ思想で聖書に書かれている内容を考えていたら、神の言葉を正しく人に伝える事が出来ない事になると言う大きな障害物、

ハードルがあるのです。

 

そして1世紀にはエルサレムにも諸外国にも異邦人が想像する様なローマ教の西洋宗教の教えや教会などと言う群も存在していません。モーセの五書を否定する教えを教えられたり、生きていた人や、日曜礼拝、クリスマス、イースターを祝った人も1人も

居ません!それが事実なのです。

 

1世紀聖書が書かれている時代は全てユダヤ人の会堂で、

異邦人もモーセの五書、諸書、預言書をシャバットごとに聞いて教えられていた!!!!その記録が使徒にも書簡にも記されています。

黙示録の中にも、神のトラーを捨てて忘れた群への警告が書かれているでしょう。黙示録2:4−5

聖書に書いてある事を曲げないで読まないとらないのです。

今異邦人の世界で一般的に信じられ実践されている事は、聖書が閉じた後、人が作った西洋宗教の教えであり、それらは聖書には

関係のないものがたくさんあるのです。ある部分は真実、

ある部分は人が作った教え。混在しているのです。

 

パウロが諸外国に教えに行ったその群は異邦人の群ではなく

ユダヤ人中心の既存の群れ!そしてそこでパウロが教えていたのはタナック=モーセの五書、預言書、諸書!!!特にモーセの

五書なぜならそこに神の教えの完成版が記されているからです。

諸外国の異邦人はシャバットや過越や仮庵を祝わないです。

1コリント5:6-8,  11:23-29には、イースターではなく、彼らは”過越の祭り”を祝っていた事が記されています。

彼ら諸外国に居た人=ユダヤ人がそれらを祝っていたのは、

トラーを知っているからです。パウロはトラー以外の別物の新しい教えなど1度も教えてもないし、そんな創作の教えなど考えも

してないのです。

パウロの書簡で記されている内容は、モーセの五書に基づく諸外国で起きていた群れにあった様々な問題、それらを彼らがエルサレムのトラーの教師、ラビ シャウールへ、トラーを教える本拠地のパウロの処に書き送り、トラーに根付いた対処、解決法などをパウロが回答したものなのです。

パウロの書簡はクリスチャンの間では大変誤解されて解説されているので、その内容を1つ1つ検証してパウロが何を話しているのか正しく理解すれば、パウロはモーセの五書を否定した別の

教えを教えているなど1つも語ってないことが理解出来ます。

 

だいたい、パウロが神殿でナジル人の請願を動物のコルバン

とそしてその請願は大変金額がかかり、日数もかかるのに他の

4人の費用まで負担してそれを行い、パウロが100%トラーに

反した教えや、生き方はしてない身の潔白を公に向けて晴らしているのに、裏でこそこそモーセの五書を否定した教えをした?

なんて言う解説は、聖書とは異なります。使徒21章。

パウロを悪者、カメレオンに仕立て上げているのです。

もしもパウロがトラーを否定するならば、パウロは聖書を書き記す様な任務を神から与えられる訳がないのです。ニセ教師と認定

されて終わりです。

問題は聖書に書いてあることを正しく理解しない人が、彼らの教理、思想でパウロの書簡を曲げて解説している!それが主流の

解説になって書物にまでなっている!問題の根はそこなのです。

フェークニュースと同じです。

普通のクリスチャンは、パウロが福音書〜黙示録と言うものを

教えていたと思いませんか?福音書以降はその当時存在していないものです。そして福音書以降には、モーセの五書を否定する

別の教えなど1つも書いていないのです!事実の点と点だけを

繋げて考える必要があります。

 

最近のイスラエル様子、そのニュース、現地から入る報告や正しい情報を流すソースを聞いていますが、日本はほぼほぼテロリスト擁護の立場を取っています。海外から送られる支援はずっと

テロリストにしか渡っていないと言うことにも気が付かないまま、

イスラエル殲滅を企てる彼らテロリストのためにその貴重なお金が使われ続けているのです。2006年ハマスがガザ地区の政治

を乗っ取ってから、ガザ地区の一般市民も皆苦しんでいます。

イスラエル軍はガザ地区の一般市民をテロリストはマスから

解放するためにも命がけで奮闘、戦っているのです。

 

飯山陽さんが1ヶ月前に出たアベマプライムでゲストの中に

アイドルの女性が居て、彼女は色々ググって中東問題に関して調べてきた様子でしたが、その内容は正しくなかった事を飯山さんが指摘して、ちょっと顔が????となっていたと言われていました。彼女が言う様に、ネットで調べても、根本的な問題、中東に関して本当には知らない人が書いているものだから、そこを

探っても本当の事など分かる訳ない構造になっているんですよと言っていました。

 

そもそもハマスと言うものは、和平交渉で和解し解決しようなどと言う考えは全くない、1ミリもない。なぜなら、彼らの目標は

イスラエル殲滅!!!イスラエルが地の面から消え去るまで彼らのテロ行為は続けられる!ともう決まっているからです。

イスラエルが自己防衛権利を放棄したら、ハマスの餌食になり

殲滅されてしまうから、テロリストの拠点を破壊しているのです。武器庫、アジトを、彼らは民家の中に、病院の下に、学校の下にワザと作り、イスラエル軍が攻撃できない様にして来たのです。もしその彼らの戦闘拠点を破壊するなら、それは実際に

学校、民家、病院を破壊してイスラエルは酷いやつらだ!と言う事が言えるからです。

でも考えてみれば、そんな戦闘拠点を一般人の住居に置く方が

気違い沙汰であると普通の理解が無いとならないのです。

彼らはサタンの行為を行うテロリストである事を忘れてはならないのです。

そしてイスラエル殲滅の暁には、それ以降は、彼らの信仰ではない世界の他の全ての人を消す、彼らの支配下に置く!詰まりその中には我々日本人も含まれています。

その様な人、違う思考回路の世界にいるサタン的な行為を平気で

行うのがアラの神のみ旨などと考えている人達と和平交渉など

できません!もし和平を共存を希望するなら、ハマスが和平交渉に参加すれば良い。そんな事永遠にしませんよ!と言う事です。

彼らの目標は、イスラエルの殲滅であり、彼らがパレスチナと

言う国を作る事が目的ではないからです。

 

聖書に関しても全く同じ事をやっていると痛感しています。

だからこの様な記事を書いているのですが。

正しい事、正しい情報の上に立って考えない限り、そこで語られる内容は全然事実とは違う!と言う事を飯山さんが言っていた

通り、聖書=神の言葉を曲げた教えを語る教理を信じて、その中だけで考える人達が語る教えを語り続けられてしまえば、それは神が伝える永遠普遍の真実、真理とは異なるよ!と言う事なのです。

 

 

 

 

 

 

 

続く