仮庵の祭り 神の祭りの全てを見れば何を神が教えているのか繋がりが見えてくる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエスさまの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

なぜ神の創造された記念日、定めの日はそれほど神に取りそして人にとって同様に重要なものなのでしょうか?

第一の理由は神がそう言われたからです。肉の生まれから出て、異教の神々の世界の教えに浸って育った場合、イスラエルの神が言う教えは本当に全くの異物であり、理解不能な事がたくさんあるのです。

異邦人は元々イスラエルの神も、神の国の教えも、神の国に神の

教えを生きる事にも全く縁がない、遠く遠く離れた状態で先祖代々生きて来たのですから、分からないのは当然なのです。

”そんなこと〜 どうでもいいじゃない〜ルンルン”て思うのです。

 

使徒15章にある、異邦人イエシュア信者の様に、”イエシュアを信じます!”と言う気持ちは熱意、情熱に溢れ純粋でも、神の教え=モーセの五書=トラーに記された詳細を何も全く理解していないままなので、様々なズレ、汚れと交わり、異教の神々の神殿の儀式にまみれ、しかも異教の神殿娼婦とまで交わって(子孫繁栄多産を祈願する儀式)信じてもそのまま変わらずに以前の

ライフスタイル引きずり同じ様に生きていた事が記されていますから、それほどイスラエルの神が教えている聖別の意味や神の目には罪が何なのかが分からないと言うことが見える記事です。 

イスラエルの神が伝えようとしている神が大事であると言う事を教えている、その内容、意味を人が深く理解して行くためには、神が言われた通りを信じて実際に生きてみる時にだけ発見する事が可能なのです。そして神の記念日で何を神が人々に歴史の最初から教え続けているのでしょう?

 

繰り返しになりますが、神の記念日は福音の全てを網羅しているので、何度も何度も毎年考え準備して行く中、そして実際にシャバットや祭りを祝う度に深掘りして見えてくるものです。

それが神のレッスンデザイン、プランでもあるからです。

 

29日金曜日の日没、第七の月、テイシュレイの月の15日になる時、空に煌々と照る満月を仰いでこの”仮庵の祭り”を迎えました。神の契約が永遠であり今も有効である事は毎月の新月、満月でも目で確認出来ます。再更新され続ける神の永遠不変の契約。仮庵の祭り7日間です。7と言う数字は重要な意味があり聖書の箇所には終わりの時の内容とぴったり重なる事がこの仮庵の祭りでも教えているのです。完了、完全、完結、修復、全てが元に戻る、神の元に全てが取り戻される。

仮庵の祭りは1年の終わりを締めくくる祭りであり、1年の収穫が全部揃い集められる時でもあります。この事からも終わりの時

全ての神の子らが神の前に集められ=全ての収穫、最後に子羊の婚姻の宴が7日間開かれると言う意味にも繋がる祭りです。

古代ユダヤ人の婚礼の祝宴は7日間に渡り祝われたのです。

 

過越(ペサフ)シャヴオート(ペンテコステ=ギリシャ語)

仮庵(スコート)ハギム=祭り、三大都上りの祭りです。

 

神の祭りは全て子羊の婚姻を表しているプロセスであり、イスラエルの神=イエシュアを通して神の元に取り戻された人達全てが

通る内容なのです。この中身は、ユダヤ人の婚姻にまつわる内容を理解すると、これらの3つの祭りは、婚姻のプロセスを表しているものである事が理解出来ます。

婚姻には”契約” 契りが必要でそれが存在しているのです。

日本ならば、婚姻届に2人の証人がサイン、印鑑を押してそれが婚姻の証になりますが、ユダヤ人の世界では”ケトウバ”と言う

契約書があり、婚姻の上で、結婚生活をする上での色々な細かい誓約が書かれているものがあるのです。アメリカでもその様な事を書き記す人達もいます。

 

聖書に書かれている言葉は、娶る、花嫁、花婿、家、部屋を用意する、父の家に連れて行く、裏切る、婚姻、祝宴、子羊の婚姻の宴など、婚姻関係を表す言葉で記されています。

だから、シナイ山で与えられた神からの契約書を婚姻契約書と

ユダヤ人達は呼ぶのです。

今7日間祝っている仮庵の祭りもイエシュアそのものを表しているものであり、そしてやがて未来にイェシュアが再臨されたら

7日間子羊の婚姻の祝宴が実際にあるのです。

仮庵の祭りは7日間です。過越の種無しパンの祝いも7日間です。そして秋の祭り仮庵の祭りの第8日目は単独の祝い日であり

それは新しいイエシュアが統治する時代にイエシュアと共に住まう幕開けを表している記念日なのです。

 

過越で子羊の血で贖われた人達はまずどこに連れ出されましたか?最初に”スコテ”=仮庵と言う名前の場所に宿営しました。

ここでも既に贖い出された人達はイエシュアご自身の中に住まう事実を教えているのです。使徒2章で初めて聖霊が与えられたのではありません。トラーを読めば、ノアも、アヴラハムも、

イサクもヤコブもヨセフもダビデや預言者達、ルツの様な一般の異邦人も皆イエシュアを通して贖われ、同様に聖霊を内側に受けて許しを受けていた事が記されているのです。それ以前に人は

エデン=喜びの園の中に置かれる前に、神の命の息を神から直接吹き入れられて生きるものとなったとあります。そして神の教えを聞いて日々神と共に歩み生きる様に造られた事が記されています。

神の中に住まうその状態から飛び出て、隔離の場所に閉じ込められた、それがエデンの園から飛び出して、今まで見えていた状態が見えなくなり、神との関係に隔たりが出てきて、そのままの

状態では元に戻れなくなってしまったのです。それが今のこの人類歴史の地上での歩みです。目に見える世界と見えない世界に

分かれてしまったのです。超えられない壁がある。

でも、同時に目に見えない世界と見える世界は一体で繋がっている事が聖書には書かれているのです。信じる者達は今目では見えないけれど既に天の中=神の中に存在して生きている!それが

聖書に記されており、仮庵に住まう事、移動式ミシュカン、

神の神殿を通してもイエシュアの中に住まう事実を教えているのです。

ベテル(ベイト=家、エル=神)でヤコブが見た幻や、シナイ山の山頂で天に繋がっている場所に、モーセと70人の長老が婚姻契約を結んだ印に祝宴をしている事でも、その他諸々ヨシュアも神の臨在の場所で履物を脱ぐ様に神から伝えられています。目に見える世界、目に見えない世界、それを物理的肉的霊的と表現しますが実際には見えない世界は実在して見える世界と繋がっているのです。

だから、アダムもハワもエデンから飛び出した時に既に神と語り

そしてエデンを出た後も、イエシュアが共に居て世界の四隅まで

ずっと付いて来たのです。なぜなら神が造られた世界に神が存在していない場所など無いからです。そしてエデンの中を流れる川

世界の四隅に生ける水が流れて行く事を教えているものです。

未来預言でもあるエゼキエル36-48章に記されている川もイエシュアを表しています。エデンの四隅を流れる川もイエシュアを

表しています。

生ける水とは、イエシュアを表している言葉です。イエシュアは水でも羊、門でもオリブの木でもないですよね。でもその言葉で表わされている意味、その性質を理解すれば、何を神が言って

いるのか古代ヘブライ人は理解して聞いていたのです。

 

エゼキエル47:1 そして彼はわたしを宮の戸口に帰らせた。

見よ、水の宮の敷居の下から、東の方へ流れていた。宮は東に面し、その水は、下から出て、祭壇の南にある宮の敷居の南の端から、流れ下っていた。

 47:9 おおよそこの川の流れる所では、もろもろの動く生き物が皆生き、また、はなはだ多くの魚がいる。これはその水がはいると、海の水を清くするためである。この川の流れる所では、

すべてのものが生きている。

 

神のトラーは、契約書であり神と神の民との関係を表しているものでもあります。シナイ山で与えられた文字で記された神の言葉は婚姻契約書であると言う理由は、その契約書は当時中近東で

実在した”契約書”と同じ形式で記され、そしてその中身が婚姻契約用語で記されているからです。

 

クリスチャンの世界でも”聖書は神からのラブレター”とか、キリストの花嫁などと言う言葉を使って表現するでしょう。それは神の言葉は神と神の民=婚姻契約書、婚姻とは関係の中で一番親しい間柄婚姻関係を表すものだからです。

そしてどんな契約でもその契約を結ぶ時、印となるものが与えられています。そして契約が成立後両者で祝宴を開くのです。

 

婚姻にはプロセスがあります。神が伝える祭りの内容もそれと

マッチしているものです。

婚姻の最初の段階は、日本人なら分かる”お見合い”です。

お見合いの前に仲人さんがそれぞれの相手を見つけます。

古代ヘブライの世界にも同じシステムがありました。

これを”シドウヒン”と言います。

聖書=トラーのどの箇所にこの事が記されていますか?

創世記24章に、アヴラハムは約束の息子イサクの花嫁を探すため、アヴラハムの兄弟の所に遣わし、、そしてカナン人=異教徒の中からイサクの妻を娶ってはならないと言いました。

神の民の中から妻を探さなければならないと使者に言われました。

そして、花嫁になる事が成立した時に祝宴をしています。

花嫁になる相手の家へ贈り物をして関係を結ぶ。契り=契約には証拠となる”印”が存在しと契りを結んだ親しい間柄で”祝宴”の宴会が付き物です。口約束だけでは意味がないからです。

ちなみに、ノアとの契約の印は、虹。アヴラハムの契約は割礼

そしてシナイ山でのイスラエルと言う国民全体と神とが最も親しい特別な関係に入った印は、石の板=神が直接書いた契約書

”トラー”=婚姻契約書です。

 

創世記24:27 言った、「主人アブラハムの神、主はほむべきかな。主はわたしの主人にいつくしみと、まこととを惜しまれなかった。そして主は旅にあるわたしを主人の兄弟の家に導かれた」。

24:51 リベカがここにおりますから連れて行って、主が言われたように、あなたの主人の子の妻にしてください」。

24:52 アブラハムのしもべは彼らの言葉を聞いて、地に伏し、

主を拝した。

24:53 そしてしもべは銀の飾りと、金の飾り、および衣服を取り出してリベカに与え、その兄と母とにも価の高い品々を与えた。

24:54 彼と従者たちは飲み食いして宿ったが、あくる朝彼らが起きた時、しもべは言った、「わたしを主人のもとに帰らせてください」。
 
アヴラハムはイサクの花嫁を見つけるためエリエゼルを送り、
リベカの父ラバンに贈り物をし、契約を結ぶ了解をし、リベカをイサクの元に連れて行きました。
このイサクの婚姻にまつわる契約の祝宴と最初の”過越”と全く
重なる事が記されているのです。
 
最初の過越は、出エジプトをする時に”子羊の血”で宴会をしたのです。子羊をローストし、種無しパンを食べる祝宴です。
1世紀イエシュアが来られイエシュアが屠られる前の日に”過越”
ペサフの宴会=セダー祝宴をイエシュアは弟子たちとしたのです。全ての人とではなく、弟子達とだけイエシュアはこの過越の
ペサフ セダーの晩餐祝宴をしたのです。
 
ユダヤ人の世界では、婚姻は実際に婚姻をする前から始まって
いるものです。そして個人的に契りを結ぶ時点では婚姻は公には
正式になっていないものです。ではその婚姻はいつ公に正式になるのでしょうか?
次の段階は、”エルシン”と呼ばれるものです。
これがシャヴオート(ペンテコステ)の内容に対応するものなのです。
シャヴオートの祭りで初めて”婚姻”は公に発表される事になったのです。全世界に向けて。天と地の証人の前で。
この公に婚姻の祝宴が発表されたと言う時点で、婚姻が公に又法的に結ばれている事になるのです。実際に一緒に住む前に婚姻関係にあるのと同然の立場になった事を意味するのです。
私達まだ見え見えない天の現実に神と顔と顔を合わせて住まう
状態ではないですが、神の臨在の中神の花嫁としてこの地上を
歩んでいる事実を考えれば見えます。私達はこの世に在ってこの世のものではないとイエシュアが言われた通りだからです。
私達はこの世に在って神の者、天の現実に属して天の中に生きている不思議な存在だからです。
 
コンソーメーション=婚姻が正式になるのは、最初の作物が育って行く時に始まり、そして最後の収穫が終わる時まで完了しないのです。
古代はヘブライの世界で婚姻が正式になるのは、最初の公的発表の時です。婚姻が公にされると言う事は、証人が必要です。
そして証人とそして正式に記された婚姻契約が必要なのです。
 
日本の婚姻届や海外でも少なくとも2人の証人のサインが必要
です。そして書面に婚姻する人達の名前や情報、サイン、印鑑を
押してその婚姻は正式になります。
私達神の子らは神からシナイ山で頂いた婚姻契約書=トラーが
神との関係を表し保証する永遠の証拠なのです。
 
続く